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005

「フロイトなら、今の俺すらも要求不満扱いするのかね?」


 雄吾は全身を這う痛みを押し殺しながら、悪態を呟いた。

 いよいよ持って、雄吾の処理能力も限界に近い。

 変わり果てた見知った世界。

 自分を襲う美少女。

 降り注ぐ火の槍。

 そして、颯爽と助けに現れる下級生女子。

 一体、どんな夢なのだ。どうやって下ネタと結び付ければ良いのか。助けてフロイト先生! 雄吾は若干混乱もしていた。


「風呂? いと? 風呂に入りたいんスか? 大丈夫っすよ。【夢界:オネイロス】は結局の所、夢っすからね。目覚めさえすれば、怪我も汚れも元通りっす」


 対する(雄吾の前に立つも、背中を向けて白い少女に睨みを利かせているので、厳密には対していないが)少女は、至極冷静に、それが当然であるように言った。


「先生はどうにも昨日今日【昏倒】したばっかのようっすね。まあ、お任せ下さい! 不肖! この相生葵がお守りするっすよ」


 なんだか舌を噛んじゃいそうな名前の少女相生葵は、横に伸ばした右腕の親指を立てて見得を切る。スポーツ少女らしい細身ながらも引き締まった体躯に、そのポーズが良く似合っていた。


「代わりに! 内申点にプラスを! 一心不乱のプラスをお願いするっす!」

「…………」


 ただ、頼りになるかは別問題そうだ。

 如何にも体育会系な語尾もそうだが、雰囲気も何処か浮ついているし、幾ら鍛えて見えても所詮は女子供の身体能力。雄吾ですら勝負にならないあの怪物の美少女に、果たして対抗できるのだろうか?


「あら? うふ? まあまあまあ! 私と愛しい人の逢瀬を邪魔するなんて、なんて無粋な小娘でしょうか? その首、摘んであげますわ。それとも、捥いでしまいましょうか」


 細い身体に灼熱色の投槍を喰らい、顔色一つ変えない化物に、果たして葵が勝てるのだろうか?

 その戦力差はあまりにも絶望的だろう…………と、まで考えて、雄吾は一つの疑問に突き当たる。あまりにも当然のように飛んで来た、あの槍だ。ヒーローが如くのタイミングで現れた葵の存在に忘れかけていたが、白い少女を貫くあの槍は何処から飛んで来たのだろうか?

 答えは直ぐにわかった。

 いや、それしかない。と、言えるかもしれない。

 しかし。しかしだ。認められるだろうか?


「調子に乗っちゃ――」


 まるで葵の言葉と感情の高ぶりに呼応するかの如く、彼女の手の中に炎の槍が現れて、


「――駄目っすよ! フォビア!」


 少女がそれを投擲するなんて、幾ら夢にしたって出来過ぎてないだろうか? こんな少年漫画みたいな光景が自分の夢であると考ると、新聞を読んでも良いかもしれないとすら思いもする雄吾だった。

 自分の幼稚な想像力を嘆く雄吾を尻目(と言うかやっぱり背中を向けているのだが)に、葵が投げた燃え盛る灼熱の槍は、某魔球の如く飛翔の途中で七つに分かれ、それぞれ向きとタイミングを外して少女へと襲いかかる。

 槍が刺さったままの編みかけのヌイグルミ姿の少女は、例の如く「うふふ」と笑いながら一本目を回避し、二本目三本目と素手で強引に弾いて行く。が、肉眼ではわからなくともダメージを負っているのか、四発目が左の太股を焦がした。


「あら?」


 痛みと言うよりも、違和感でも覚えたかのように白い少女の動きが止まる。それによって残りの三本への対応が遅れ、直撃とは言わないまでも胴体と四肢を掠め、少女の身体はゴロゴロと柔らかそうな肌を削りながら、実に二〇メートルは吹き飛んだ。


「あらあら? これは少し、油断が過ぎたかもしれませんわ」


 余裕そうにそんなことを呟く白い少女ではあるが、その姿は満身創痍に見える。深く突き刺さった槍と、それが持つ熱量によって、ふんわりと規制に引っ掛からない表現を使えば 『一人焼肉パーティー開催中!』と言った風になってしまっている。肉や髪の焦げる匂いや、熱に焙られた脂身の様子など、暫く肉を食べたくなくなる要素が満載ではあるが。

 少なくとも、人間だったら確実に死んでいる。

 化物だって、恐らくは生きていられないダメージだ。


「おや? 意外っすね。これで終わりっすか?」


 鼻を摘まみ凄惨な姿と化した少女を見て、葵は眉を顰める。あれだけ一方的に攻撃していたにもかかわらず、あの程度では足りないと言うのだから雄吾はぞっとしない。


「まあ、念を入れて、トドメを刺しとくっすか」


 右手に灼熱の槍を三度生み出して、葵は犬歯を剝き出しにして笑う。


「お前、相生っつたか?」


 穏やかじゃあない台詞に、雄吾は流石に呟き、なんとか立ち上がる。膝に手を突きながら白い少女に目を向ける。遠目に見てもその惨状は理解が出来ただろう。匂いも酷い。しかし雄吾は眼を逸らすことも、葵のように鼻を摘まむこともしない。


「あ、はい。一年二組。出席番号一番。相生葵っす。相生って読み難いし言い難いんで、葵呼びを推奨するっすよ、先生」


 似非体育会系のような喋り方と、鼻を摘まんだ声から、完全にふざけているとしか見えないが、本人は真剣なのだろう。右手に握り締めた一本の灼熱の槍を直ぐにでも投げ込もうと、鋭く白い少女を睨みつけている姿には戦士の風格すら感じられる。

 いや。それでも隠しきれない人懐っこさは考慮すれば、戦士言うよりは猟犬か? 

 そんな風に葵の印象を修正しながら、


「アレは、やり過ぎだろ」


 上半身を持ち上げるようにして起こし、雄吾が白い少女を指差す。


「文字通り、俺の勝負に横槍を入れたのも腹立つが、それ以上に素手の奴を相手に武器まで使いやがって。筋が通らねぇよ」

「はい?」

「一方的に相手を甚振って、楽しいのかって話しだ」


 自分を殺した相手に対して何を言っているんだろうか? とも自分で感じる雄吾であるは、それはそれ。今は生きているのだし、葵に助けられたのは事実だが、彼は無抵抗の相手に暴力を加えることをどんな状況でも許すことが出来なかった。


「うぐ…………それを言われると弱いっす」


 頭一つ分以上、体重で言えば倍はあるであろう大男の低い声に、葵は一瞬ひるむ。


「けど、私が先生を助ける為に取った行動だってことも考慮して欲しいっすね! 私がやらなかったら、先生は死んでいたっすよ」


 しかし直ぐに勢いを取り戻し、右手に握った灼熱の槍を雄吾に見やすいように掲げた。その言葉と表情には、自分が批判されたことよりも、傷だらけの雄吾を慮っている意味が強いように感じられる。

槍を投げている姿からは想像できないが、心優しい女の子なのだろう。


「お前は岡田以蔵か。まあ、その通りだけど」

「え? 私は岡田さんじゃあないっすよ」


 今の台詞の『その通り』は『やらなかったら、死んでいた』に対する物である。文脈でわかるものじゃあないだろか?

 もしかしたら、優しい心を持つと共に、少し馬鹿なのかもしれない。


「そうじゃない。後れちまったが、助かった。ありがとう」

「いやー。良いんスよ。初心者には優しくが【二クスの旅人】のモットーすっからね」


 会話にこうして専門用語がらしい単語が入る度に、訊き返したい衝動にかられる雄吾であったが、冷静にまずは目先のことから一つずつ彼は解決していくことを選んだ。


「でも、これ以上は必要ない。あの子が何者か知らないけど、これ以上の死体蹴りは見ていられない」

「はぁ。先生なだけあって、公正明大と言うか、非暴力的と言うか、常識的と言うか」


 提案に、彼女は呆れたような表情を作りながらも、掲げた腕を素直に下ろす。と、同時に矢が音もなく消える。不思議なことに、あれだけ燃えている槍が消えても周囲の温度が変わらないことに雄吾は今更に気が付いた。


「でもまあ、そう言う甘い所、嫌いじゃないぜ!」


 何故、ちょっと良い感じのシーンにしようとしたのだろうか? ウインクしながら人差し指で雄吾を示す葵の決めポーズを無視して、グラウンドで倒れ伏す白い少女へと近づいて行く。


「あ、ちょっと!」とその横を葵が追走する。「先生、待って欲しいっす」

「あのよ、葵。俺は、生徒だ」

「へ?」追いつくなり、ぴたりと、葵は脚を止めた。「せーと?」

「良く一六歳に見えないと言われるが、まだ俺は高校二年生だ」

「いやいやいや。冗談は勘弁して下さいよ~。私より一年長生きしただけで、人間がそんな熊みたいな体格になるなんて、そんなわけがないっす。一年後の私のバストサイズが一〇〇越えになるような話しじゃないっすか」


 信じられない。と、完全に雄吾の発言を虚言と決めつけ、葵は自分の平均よりも小さな胸を揉む。一体、その行動に何の意味があるかわからないが、雄吾は取り敢えずガン見しておく。


「別に、一年で大きくなったわけじゃねーよ。タケノコか、オレ」

「今、隠すつもりもなく人のおっぱい凝視してったっすよね!」

「お前だって俺の上半身を見ているからお相子だ」


 あまりにも当然なので記していなかったが、雄吾の上半身を覆い隠すものは何もない。先程の戦闘の際に何故か脱げてしまったからだ。その隙を突かれ、一気に形勢が不利になったと言う事実もない。


「いや、先生の身体見ても嬉しくないと言うか、鍛え過ぎて気持ち悪いっす。カルフォルニアの州知事でも目指しているんすか? それと、さっきのフォビアにやられた傷が生々し過ぎてキモイっす。痛くないんすか?」

「放課後、二年一組に来い。プロテイン漬にしてやる」

「え? 本当の本当に、高校生? 先輩何スか?」


 もっと話すべきことは沢山あるだろうに、貴重な時間を馬鹿な話しに使った雄吾が脚を止める。場所は、悪臭の発生源足る、白い少女。そこから五メートルほど離れた場所だ。

 夢のように美しかった少女の姿は見るも無残に変わり果ててはいたが、それでも不思議と彼女の魅力は少しも衰えていないように雄吾は感じた。

美しい物は儚いからこそ美しく、そして美は永遠だ。


「…………これが夢なのか何のか、まだ何もわかってないけどよ、やっぱり墓くらい作ってやらないとな」

「はあ。フォビアに墓っすか? 放っておいても自然に消滅するっすよ?」


 雄吾の提案に、葵は表情を歪める。最近の日本人らしい宗教に対する嫌悪感とでも言うのだろうか? 根本的に宗教的な行為自体が受け付けないようだ。


「消滅するのかよ。マジでここは何なんだ? 俺は何に巻き込まれているんだ? まあ、後で聞くとしてだ。極論、人間の死体だって放って置けば土に還る。墓って言うのは、そもそも無意味で馬鹿馬鹿しいもんさ」


 提案した本人も、そこまで真剣に宗教的な概念として墓を信じているわけではないらしい。どちらかと言えば道徳的にそうするべきであろう、と言う常識的な部分に沿っての行動のように感じられる。


「まあ、反対はしないっすよ。ここは夢界オネイロス。全てを所詮、泡沫の夢っす」


 反対はしないが、賛成もしない。そんな心情を示すように、両手を頭の後ろに回して、葵は「どうぞお好きに」と静観モード。白い少女の遺体をグラウンドの隅に運ぶのを手伝って貰おうと思っていたが、それはどうやら頼めそうにない。


「って言うか、生々しくて近づくのも嫌っす」

「お前がやったんだろうが…………」

「違うっす。先輩のためにやったんす」

「まあ、そうだけどよ」


 しかし葵の言葉もわかる。

 雄吾だって流石に同年代(外観を見比べれば冗談のようだが)の少女の焼死体になんて触りたくもない。自分が嫌なことを、他人に強制するのも憚られる。せめてズタズタに焼き焦げた肌が隠れていれば良いのだが、残念ながら純白のワンピースも同じように黒焦げであり、肌同士の接触は免れない。

 変わり果てた姿の少女に手を静かに合わせ、雄吾は覚悟を決めてしゃがみ込む。頭の後ろに右腕を通し、ギリギリくっついている膝の下に左腕を通す。俗に言うお姫様抱っこ姿だ。リビングでテレビを見ながら寝てしまった姪の百合をベッドに運ぶのは雄吾の役目であることが多く、その抱き抱え方は雄吾には馴染みのあるものであった。

 腕の中の白色だった少女は、百合よりも軽く、激しく熱い。思わず落としそうになるのを堪え、位置を微調整しようと軽く彼女を揺らす。


「あは」


 と、雄吾は柔らかな笑い声を聴くと同時に、口から血を噴き出した。

 胸を焼き尽くす様な膨大な熱量と、大切な物が失われて行く冷たい感覚。


「貴方様の腕に抱えられるなんて、今日は一体、どう言った幸運な日なのでしょうか?」


 すっかりと傷のなくなった白い少女の細腕が心臓を貫いたのだと悟ると同時、雄吾はその意識を手放した。

 その間際、葵の悲鳴の様な物が聴こえた気もした。

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