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002

「うおおおおおおおおおお!? うおお? お? あれ? 生きてる?」


 露出狂は雄叫びを上げ、布団を蹴飛ばして跳ね起きた。心臓を抉り取られた痛みを掻き消さんばかりに勇ましい声を上げ、右手で穿たれた自分の左胸を触って正気を取り戻すことに成功する。

 全身にべっとりと嫌な汗をかいたトランクス一枚姿の露出狂は、肩で息を切りながら周囲を疑う様にして見渡す。薄暗い闇の中には小指の爪程の大きさをした安っぽい緑色の蛍光色が浮かんでおり、それを指で摘まんで引く。と、紐で繋がったスイッチと連動して、最近LEDに変えた白い電燈が灯る。けばけばしい光に照らし出されるのは、特注サイズに自作した勉強机と、殆どが漫画の本棚に、据え置きゲーム機がセットされたパソコン用ディスプレイ。疑う余地なく、露出狂自身の部屋であった。


「ゆ、夢? だったのか?」


 信じられないと、言外に意味を込めながら露出狂がはっきりと呟いた。

あんな奇妙な世界は夢以外では有り得ない。あんな美少女が現実に存在するわけはないし、美少女も重力に逆らう様に落下はできない。あんな細い腕が人体を貫くなんて有り得ないし、道端に落ちた硬貨を拾う様に心臓を抜き取ることも不可能だ。

 最初から最後まで、徹頭徹尾、首尾一貫、夢としか思えない現象の連続だった。

 あれが夢でなくて、何が夢であろうか?

 しかし露出狂には、あれがとても夢とは思えなかった。美少女から与えられたあの『痛み』が、そう思うことを許さない。あの痛みだけは本物だった。誤魔化しようがない現実であった。あれが嘘、脳が見せただけの幻覚であったとは到底頷くことができないでいた。

 が、事実として露出狂の心臓は狂いなく正常な鼓動を維持しており、事の辻褄を合せようとすると、所謂『夢オチ』以外には有り得なかった。


「この歳になって、恐い夢かよ。笑えねぇな、おい」


 額の汗を左手で拭い、露出狂はようやく緊張を解いた。カーペットの上に敷かれた布団に腰を落とし、大きく溜め息を吐く。

 と、同時にドアが二度、音を鳴らした。乱暴なノックと共に、少女の声が響く。


「おっさん? どうした? 敵襲か?」

「敵襲って、俺は戦国大名かよ」


 ややハスキーな特徴のある声の、間抜けな質問に露出狂は苦笑を浮かべる。笑顔と共に顔の傷が歪み、必要以上に他者を威圧する表情が出来上がった。


「入るぞ? 良いよな? 大丈夫か? おっさん」


 そんな露出狂の返事も待たず、声の主の主はドアを開けて室内へと勢い良く乗り込んで――


「って! おい! 何で裸何だよ!」


 ――来たのも一瞬。布団の上で胡坐をかく露出狂の姿を見ると、一人で騒ぎながら回れ右をして扉を勢い良く締めた。


「百合。トランクスを履いているから裸じゃあない」

「パンツ一枚の人間を捕まえて『服を着ている』とは表現しねーよ!」


 やれやれと肩を竦めて反論する露出狂に、百合と呼ばれた声がドアの向こうから反論する。まったくもって正論だった。


「家族会議で決めただろ? 『家の中では服を着ること』って!」

「改めて聞くと、日本の一般家庭でかわされる約束じゃあないよな。はは」

「おっさんの脳内が未開地だからだろ! 早く着てくれ!」


 ことごとくまともな突っ込みを聞き流しながら、露出狂は仕方なく枕元に放置された無地の着流しを羽織る。これはお洒落だとか何かしらのこだわりがあるわけではなく、生地が薄く、直ぐに脱げる気楽さから愛着しているだけである。

 根っからの露出狂である。


「着たぞ」

「本当だろうな?」


 ドア越しに訝しむ百合の涸れた声。が、「大丈夫だ。ルールは守る」と露出狂は前を閉じ、帯までちゃんと締めて百合を出迎える。その台詞をどの口が言うのだと百合は思っただろうが、はそのことには一切触れずに「で?」と問うた。


「それで? 雄吾のおっさんは夜中に何を叫んでたわけ?」


 大男、変質者と来てすっかり露出狂で定着し始めていた彼の本名は、高木雄吾と言った。県立枕原北高等学校に通う、健康過ぎる高校二年生である。


「いや、大した話じゃあないんだがな」

「声の大きさから既に大した話だったっつーの。キリキリと吐け」


 筋肉達磨である雄吾の対面に座るのは、黒井百合。勝気そうな猫に似たくりくりした瞳に愛嬌のある少女で、トレードマークであるポニーテールは、当然だが就寝使用で結ばれていない。もこもことした羊の様な寝間着姿は、正直に言ってあまり似合っていなかった。

 雄吾にとって一つ下のこのハスキーボイスの少女は、彼の『姪』になる。国民的アニメで例えれば、雄吾が『鰹』で、百合が『鱈』、彼女の母親が雄吾の姉であり『栄螺』と言うことになる。この説明は、非常に人々の理解が早く、雄吾も百合も何度もお世話になっている。

故に、百合の雄吾に対する『おっさん』呼びは、彼が老けて見えることに対する揶揄などではなく、実際に雄吾は百合にとっての『叔父』なのである。勿論、だからと言って雄吾が老けていないかどうかは別の問題ではあるが。

 複雑ではあるが、込み入った事情があるわけではなく、雄吾とその父親(百合にとっての祖父)が暮らす住宅に、百合の家族も暮らしていると言う単純な話である。つまり百合の父親はまさしく『鱒状態』なわけである。流石は国民的アニメ。説明が楽である。


「いや。夢だよ夢。ちょっと怖い夢を見てな」


 そんな事情から、産まれてからずっと同じ家で暮らす二人は殆ど兄妹のような関係であり、互いに気の置けない存在となっている。ひょっとすると恥ずかしいような事情も、雄吾は特に躊躇もなくに口にした。


「は? 夢?」


 意外な答えだったのだろう。百合は拍子抜けしたように雄吾の台詞を繰り返す。


「怖い夢?」


 馬鹿にする気も失せたのか、百合はふらふらと脱力しながら呆れた表情で学習机の傍の椅子を引き出して腰を下ろす。雄吾の巨体を支える椅子は小学生なら机代わりに使用できそうな大きさで、比較的小柄な百合が座ると何かのトリックアートのような違和感があった。


「おっさん、恐い物なんてあったのかよ、そもそも」

「あるんだな、それが」


 部屋の主である雄吾は床に敷かれた布団の上に胡坐をかいて座る。身長に対して足がかなり長いようで、座るとかなり小さくなった様な印象をその姿に覚える。これで筋肉達磨でなかったら、モデル体型と呼べるかもしれない。


「ふーん。ま、そ。大したことなさそうで、安心したよ」

「訊かないのか?」

「おっさんが悲鳴を上げるような夢の話しを聴いたら、私は絶対に眠れなくなる」


 深く追求しない姪に、雄吾が訊ねる、冗談じゃないと、百合は首を振って強い拒絶を示した。確かに夢の内容はか弱い女子には少々刺激が強いだろう。何と言ってもカニバリズムである。当の雄吾ですら一瞬とは言え正気を保てず、最終的に情けない悲鳴を上げることになったのだ。


「しかしあんまりあたしを心配させないでくれよな」

「ああ。ありがとう、百合。助かった」


 別に何も助かっていないのだが、雄吾は拳を握ったまま布団に押し付け、武士の様に頭を下げる。


「良いってことよ。いつも勉強教えて貰ってるしな」


 椅子の上で身体を前後に揺らし、百合は歯を見せて快活に笑う。ハスキーな声も手伝って、少年染みた仕草や表情が良く絵になる少女だった。


「なんなら添い寝してやろうか? 昔みたいに」

「非常に心苦しいが、添い寝をしてやっていたのは俺だ。蚊取りか何かのコマーシャルに出て来る河童が怖いとか言って、お前は一時期一人で寝ることが出来なかったんだ」

「そうだっけ?」

「そうなんだ」

「てへ」


 舌を出して自分の後頭部をさする百合。あざとい姪っ子だった。


「そっか。じゃあ、お休み。おっさん」

「ああ。良い夢を」


 椅子から立ち上がり、百合は振り返ることなく部屋を出て行った。雄吾は扉がしまったことを確認すると、まず帯を外し、次に着流しを脱いで壁のハンガーにかけた。まずは何よりも解放感が大切であるらしい。

 その後、書架から有名短編作家の文庫本を三冊まとめて抜き取ると、布団の上に寝転がる。踵を床から三十センチ程度上げ、上半身も同じように上げる。腹筋に負担をかけながら雄吾は小説を読み始めた。

 情けない話だが、とてもではないが寝られそうにない。一話読み終わる毎に背筋や腕に負担が行くようにポーズを変えながら、雄吾の長い夜は更けて行った。

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