98 プロローグ 『地下牢』
暗鬱な空気に支配された空間は、日の日射しを受ける事無く日々を移り変え、朝も昼も晩も薄暗い闇に包まれたままでいる。
切り出した石のブロックで作られたその空間、結露しているのか地下水が滲み出ているのか、極めて湿度の高い場所となっており、壁も床も天井までもが水滴で覆われ、オイルランプの小さな灯りにツヤツヤとした質感で反応していた。
──人はそれを『地下牢』と呼ぶ。
犯罪を犯して警察に確保された罪人たちは、王国刑法に則って刑務所やなどの監獄に送られ、しかるべき刑期をまっとうするまで出て来られないのだが、この地下牢と言うのは質がまるで違う。
地下牢とはつまり公的な場所ではなく、貴族や王族などがその財に任せて自宅の地下に作った、個人的な私怨を晴らす場所なのだ。
近年のパルナバッシュ王国においては、国民の総人口の大半を占める農耕者たちが階級格差に不満を抱き、民主化運動が各地で始まっている。
その不満分子を押さえ付けるために、近衛警察などが公安活動の一環として、思想犯や政治犯やグループのリーダーを逮捕・拘禁しては刑務所に送り込むが、これも紛れもなく「公務」であり、地下牢に幽閉する事はあり得ない。
もっと言えば、近衛警察が公安活動で捕らえた民主化運動のメンバーを、核兵器開発の秘密施設で強制労働させても、また見せしめのために街頭で吊るし首にしても、秘密裏ではあるがこれも公務なのだ。
だが、打って変わって『地下牢』の利用方法に公務などは無い。
個人所有の邸宅の地下に作られたそれは、所有者の個人的な感情を糧として、私怨によって稼働されるのである。
例えば「一族の恥さらし」
見境が無いほど暴力的であったり、犯罪に手を染めたりと、社交界だけでなく日常的にも外に出せない者を地下牢に幽閉する。
例えば「性的虐待」
屋敷の主人の偏った性的嗜好がきっかけとなり、街娘などを拉致監禁し、地下牢で非道の限りを尽くす。
そう、地下牢とは所有者の負の欲望を発散させる秘密の場所であり、人々がそのキーワードを耳にするば、負のイメージで悪酔いするほどに忌み嫌われる場所なのである。
そして今、この宰相マファルダの屋敷の地下牢に、囚われた宮廷魔女コンチェッタが鎖に繋がれている。
西海魔女連合のナンバー2、そして宮廷魔女筆頭の彼女は、暴行などは一切受けていないのか、足に鎖を繋がれたまま、簡易ベッドに腰掛けている。
目に見えた形で暴行の痕を残すと、後々魔女との関係性が危ぶまれると判断したのかも知れないし、実はこれから拷問が始まるのかも知れない。
いずれにしても、衣服やトンガリ帽に仕込んだ呪具でウィッチマジックを発動して反撃されてはたまらないからと、コンチェッタは衣服を全て剥ぎ取られ、全裸の上に汚い布でポンチョをかけられているだけ、白い手足はそのままにポンチョから顔を出しているだけの格好だ。
時間の流れを一切遮断された心細さ、そしてこれから自分の身に起きるかも知れない拷問の数々に怯えながら、コンチェッタは全く変化の無いこの地下牢で、自分を見失わないようにと心の中で自分を励まし続けていた。
“クラリッチェとアンナベッラは無事に逃げられたであろうか?”
“捕まってここに連れ込まれていないのであれば、二人は無事逃げられたのであろう”
“ならば、二人は西海魔女連合に助けを求めたのであろうか?それとも、あの人たちに?”
“あの人たち……オレル・ダールベックとその仲間たち。果たしてオレルは助けに応じてくれるだろうか?”
“人を信用しない冷たい瞳、言葉数は多くても決して明かさない本心、そして感情を悟られぬようにと凍らせた表情”
「ふふっ……だけど、そんな人なんだけど、何故か期待しちゃうのよね」
心の声をついつい口にしてしまった自分が滑稽に見えたのか、小さく苦笑するコンチェッタ。だが、徐々にうつむくその表情は、苦笑から泣き顔へと変化を始めている。
あらやだ、私泣いちゃう──
コンチェッタが感情の爆発を感じた時だ
地下牢の扉の隙間から、弱々しい声が流れて来る
(……だ……れか……たす……けて……だれ……か……)
不審に思って耳を澄ますと、何と弱り切った少女の声が聞こえて来るではないか。
「アンナベッラ?……アンナベッラなの!」
(……ちが……う……わた……し……)
「アンナベッラじゃないのね。私は、私は宮廷魔女のコンチェッタ!あなたは誰なの?」
自分の足に鎖が繋げられている事を忘れ、勢いよく扉に駆け出したコンチェッタは、途中でつんのめってビタン!と転ぶ。
「あなたも囚われているの?あっ!……もしかして、もしかしてあなたは、アンナベッラの友達の」
行方不明になってアンナベッラが心配していた、黒魔女のフェデリアなのね── コンチェッタがこの言葉を言い切る事は無かった。
何故なら、扉の隙間から次に聞こえて来たのは、フェデリアらしき少女が「ごぼごぼ、ごえええ」と激しく嘔吐する苦悶の声。食べた物を戻しているのか、それとも血ヘドを吐いているのかは分からないが、尋常ではない苦しみ方だ。
「フェデリア、あなたはフェデリアなんでしょ?もうちょっと、あともうちょっとの辛抱よ!私の仲間が必ず助けに来るから!」
フェデリアらしき少女、彼女の命の灯火が消えかかっている。そう感じたコンチェッタは声が枯れそうなほどの勢いで叫び、彼女に希望を捨てないように励ます。
「私の仲間は凄いのよ!悪魔のように賢くて強くて良い男なの!その人が来れば……その人が来ればっ……!」
フェデリアを励まそうと声を張り上げていたが、いつしかコンチェッタの声は切ない涙声に変わる。
──彼女を励ましているつもりが、いつの間にか自分自身を励ましていたのである




