96 アンナベッラの決心
「使い魔のステッラ、この子を使ってコンチェッタの行方を追っていたです」
アンナベッラは肩にぶら下がっていた黒猫を下ろし、改めて自分の膝に乗せて頭を撫でてやる。
「今しがた帰って来たですが、この子は恐るべき情報をもたらしてくれたです」
焚き火が放つ仄赤くて穏やかな灯りに顔を照らされながら、膝に乗せた黒猫に視線を落としていたアンナベッラが、意を決したのかオレルに向き直る。
そして、これは駆け引きでも言葉遊びでもなく、本心を洗いざらい吐露すると言う強い意志を瞳にたたえながら、オレルを見据えた。
「水晶宮の隣所にある宰相マファルダの屋敷、その地下牢にコンチェッタが囚われている事が分かったです。それに……私の友人も」
「宰相マファルダの邸宅に?なるほど、王族は兵器開発を極秘に進める関係上、建国の魔女を疎んじていると言う事か。これで君たち魔女が核爆弾の開発に関与していないと言う図式が出来上がるのだが、君の友人とは?」
「はいです、私の幼なじみの黒魔女フェデリアです」
「そうだったか、私の部下たちにブラックドッグをけしかけた可能性がある子か」
「フェデリアは決して悪い子じゃないです!宰相マファルダに強制されて術を展開したとしか考えられないです!」
友人への疑念を晴らそうとムキになるアンナベッラ。彼女が勢いのままに「それが証拠に」と口にした途端、とうとう我慢が出来なくなったのか、大粒の涙をポロポロとこぼし始めたのだ。
「ステッラが地下牢の通気口から聞こえて来たのは、助けを求めるコンチェッタの叫び声。それと、それと……拷問を受けたのか、痛みに呻き続けるフェデリアの声です」
ステッラが言うには、彼女の命の灯火は今にも消えてしまいそうだと──
その言葉を最後にアンナベッラは言葉を閉ざす。横隔膜が痙攣を始めたのか、激しい嗚咽で喋っていられないのだ。
「無理に我慢する事はない、落ち着くまで待っているよ」
立ち上がったオレルは、彼女の風下に足を運んで再びタバコに火を付ける。話したい事が話せずに「ごめんなさい」と謝罪を繰り返す彼女を、落ち着かせようと配慮したのである。
肺にたっぷりと入れたタバコの煙が、寒空に散って行く光景を何度か繰り返していると、辺りに再び静寂が戻る。小刻みに肩を揺らしてはいるものの、アンナベッラが落ち着きを取り戻したのだ。
「私は無力です。西海の魔女連合を経て宮廷魔女として水晶宮に迎えられたです。だけど、建国の魔女と民から讃えられても、コンチェッタとフェデリアすら救えないです」
「自分は無力だと気付いた、それはまた人としての成長を意味する。大事なのは絶望して殻に閉じこもる事じゃない、無力な自分の願いはどうやったら叶うのか、それを模索し続ける事だ」
我ながら耳の痛い事を言う──と オレルは自嘲気味に笑みを浮かべ、自分自身を嗤う
「コンチェッタと友人を助けて欲しい、君が心に抱く願いはそれだ。だが同時にそれを私に言い出せない理由がある、その理由は大きく二つ。君自身の理由と、私にそれを託して良いのかと言う事。違うかい?」
「……はいです、その通りです」
再び切り株に座り直したオレルは、今度はコートのポケットから手のひらサイズの扁平な缶詰を取り出してアンナベッラに渡した。
「色んな果物の味がするドロップだ。舐めれば気分転換になる」
「ふふふ、次から次にお菓子が出て……。まるでオレルさんは魔法使いみたいです」
目の周りを腫らしながら、アンナベッラは笑う
そして彼女の口の中に南国果実のまったりとした爽やかさが広がった時、核心を語り出した。
「一つは私の立ち位置で悩んでいたです。建国の象徴である魔女は、常に王族に寄り添って国を支える。それがこの国の魔女のルール。しかしコンチェッタとフェデリアに酷い事をしているのは宰相マファルダ……国王の娘です。マファルダと西風魔導協会が結託して悪い事してるです。でも、魔女が王族と対立して良いのか、それを考えると苦しいです」
「うむ?ちょっと待ってくれ。今君は、西風魔導協会と言ったな」
「はいです。ステッラがマファルダの屋敷に入って行く魔導師フィルデナンド・ベスタロツァの姿を見ているです。そして地下牢の通気口や客間から、宰相マファルダとベスタロツァ、更にもう一人の若い女性魔導師の会話を聞いたと」
「なるほど、直轄領に拠点があると噂された西風魔導協会は、すでに核開発にどっぷり浸かっているか。王族、王立科学研究所、そして西風魔導協会、全てが繋がったな」
敵の仕組みは見えた。
現国王が言い出したのか、それとも娘の宰相が言い出したのかは分からないが、世界的なイニシアチブを確立する上で、農業立国パルナバッシュを軍事国家に変革しようと望んだ。
王立科学研究所の科学者たちも、西風魔導協会の魔導師たちも、自分たちの技術や知識が向上するならばと、それぞれの思惑を胸に秘めて、王族の誘いに応えて参加を決めたのだろう。
──そこに異世界転生人ヴァレリ・クリコフが喰いついたのだ──
これだけ三者ががっちりとスクラムを組んでいれば、クリコフ独りを排除したところで核開発は止まらない。そうオレルが肌で感じたのは正解であり、その裏付けが取れた形だ。
だが、この時点でアンナベッラは悩んでいる。『王族に弓引くのが、宮廷魔女のありようなのか』と
大量虐殺兵器を開発し、そして目障りな魔女を排除する王族を前にして、憤っているものの、最後のタガが外れないのだ。
「アンナベッラ、君の抱く不安は、逃げ出す事も立ち向かう事も許される不安だ。だから今から私の質問に答えて欲しい、そして答えながら自分の中で結論を出すんだ。それによっては、コンチェッタと君の友人の事も考えよう」
アンナベッラはコクリとうなづく。その表情には期待と覚悟が両立しており、質問に答えると言うよりはむしろ彼女の中では答えが定まっているようにも見える。まるでオレルの後押しが欲しくて欲しくてたまらないと言った雰囲気だ。
「パルナバッシュ王国が、そして国家と言う枠組みが、組織体系を変えずに永遠に続く存在かどうか。君はどう思う?」
「国や政治の体制が、永遠に続く事はないと考えるです」
「うむ、ならば国の名前が変わったとする。それまで生きていた人々は変わるかい?新しい国民と入れ替わるかい?」
「いいえ、国民は入れ替わらないです。人々はそこで産まれてそこで生き、そして次の世代に託して行くです」
「そうだ。頭がすげ変わろうと人の生活は変わらない。そこでだ、君は今壁に突き当たっている。魔女と王族のしがらみに後ろ髪を引かれているね」
「はい、その通りです」
「アンナベッラ、魔女としてではなく一人の人間として気持ちを聞くぞ。老いた王と宰相マファルダの笑顔、それとも国民一人一人の笑顔。君はどちらの笑顔を選ぶ?」
「……人々の笑顔です。古き建国の魔女は、人々の笑顔のためにパルナバッシュ王を助けたのです」
「しがらみを断ち切る覚悟はあると言う事だな。ならば我々も助力を惜しまないが、君たち宮廷魔女も安穏とはしてられないぞ」
「分かってるです。もう……自分の趣味趣向に埋没して、世情に疎い無能者ではいたくないです」
「良い眼をしている、君のその瞳を信じるよ」
──そして、君は二つの理由で気後れしていると指摘したが、もう一つの理由について述べよう。
アンナベッラと正面を向いて話しかけるのを避けて、立ち上がって再び風下に位置取るオレル。吸い過ぎだと指摘されても構わないとばかりに再びタバコをくわえる。
一回り歳下の少女に顔を近付けて語り出し、洗脳されただの、魅了の魔法で誘導されたと、後々になって言われないようにだ。アンナベッラを信用していない訳ではないが、今から話す事はそれだけ自分自身の判断が求められる重要な事だと、オレルの横顔はそう言っている。
「オレル・ダールベックが信用出来ない。彼はアムセルンドの軍人であり、元は悪魔の異世界転生人。彼の駆使する言葉のどれだけを信用すれば良いのか、はなはだ疑問である。君はそう考えているね?」
「そこまでズバっとではないですが、あなたがどんな未来図を描いているか気になるです。その先に平和があるのかどうか……」
アンナベッラの口から平和と言う言葉が出た途端、オレルはそう来たかと口元に笑みを漏らした。しかし、それはあくまでも少女の心根を卑下する笑みではなく、その言葉を素直に吐けなくなった自分への皮肉の笑み。そう、君たちならばその言葉を言う資格があるのだと言う、軽い嫉妬の笑みである。
「アンナベッラ、はっきり言っておく。人はどうであろうが私に平和の文字は無い。もっと言えば、正義なんて言葉も私の辞書には無いんだよ」
「片方だけの定義を否定するならば、もう片方の定義も否定すると言う事ですね。平和が無ければ乱世も無い、正義が無ければ悪も無い。違うですか?」
「君は賢いな。まさにその通り。秩序立てられた無秩序、それが私の世界観だ。その中で人間は闘争を繰り返し、闘争心を失った者から消えて行く」
──考えてもみたまえ。パルナバッシュ王にとって核爆弾とは不平等経済と政情不安と外交弱者の立場を一気に逆転する『正義』だ。それに対してアンナベッラたち宮廷魔女から見れば、人権問題すら浮き上がるこの国において、一気に軍拡化を進める大量虐殺兵器の代表として、意味嫌われる存在、つまりは『悪』だ。
ひるがえって、今ここにいる私は、異世界転生人ギルドの依頼を受けて核爆弾開発の阻止を目論んでいる。核爆弾開発を阻止するのがギルドの『正義』であり、アムセルンド公国陸軍に所属する私は、安全保障問題として隣国の核開発を阻止したいと考える事から、これも『正義』なんだ。
「パルナバッシュ王からすれば、私もギルドも悪なんだがね。馬鹿馬鹿しいと思わないか?この定義付けが」
「はいです。二十億の人間がいれば、二十億通りの正義がある。そう言う事ですね?」
「そうだ。そして平和と言う言葉についてもそれが言える。君が言う通り二十億の人間がいれば、二十億通りの平和の定義があるのさ。だから私は秩序立てられた無秩序、カオスと呼んでそれ以上は深く考えていない。考えたところで答えが出ないんだ」
「そうであるならば、オレルさんは何を指標として前を向いているですか?」
「そうだね、気に入らないヤツはぶちのめす、気に入ったヤツには手を差し伸べる。その先には多少マシな世界が待ってると信じる……この答えじゃ駄目かい?」
オレルの答えを聞いて、アンナベッラは口をポカンと開けながら大きな瞳をこれでもかと見開く。背筋をピンと伸ばしたのもその反応の流れなのだが、そんな単純な答えが彼の真理なのかと、ハンマーで頭を殴られたかのような衝撃を受けたのである。
「私、考え過ぎてたんですね?いちいち定義付けして、その鎖で自分をがんじがらめに……」
「定義付けは学者がすれば良い。私は学者じゃなく陸軍軍人で、君は魔女だ。自分の望むものに、もっと忠実になっても良いはずだよ」
アンナベッラは立ち上がる。膝の上で丸くなっていたステッラは慌ててジャンプして彼女の肩に昇るが、それすらお構い無しだ。
「オレルさん、私やるです!今は悩んで迷路にハマる時期じゃなく、望むものを勝ち取る時期だと気付いたです。私は、コンチェッタやフェデリアを助けたい!そしてパルナバッシュに漂う暗鬱な空気を払いのけて、皆んなの顔を晴れやかにしたいです!」
「うむ。でも君がそう決意した結果、この国が内乱や内戦となって血の嵐が吹き荒れても、君は後悔しないかい?」
「多分悲しむです、悲しむけど後悔はしないです。今よりマシなら、虐殺兵器に怯える日々よりマシなら、私頑張ります!」
オレルも立ち上がりアンナベッラに近付き肩に手を乗せる、使い魔の黒猫が逃げるように反対側の肩に回るも、オレルを警戒して背中を立てたりなどはしていない。
「ならば私も約束する、君の闘いに手を貸そう。そして君の友人たちは必ず助ける。そのためのアイデアも、もう閃いている。……時間は無いぞ」
「はい!」
「良い返事だ、それに表情にも強い意志が見て取れる。憑物が取れたかのような晴れ晴れとした顔だ。それでは居間に行こう、新しい作戦の始まりを皆に伝えないとな」
二人は肩を並べ合って屋内へと入って行く。そして居間へと赴き新たな作戦の発動を三課の兵士たちに伝えるためだ。
核開発施設の破壊、核物理学者の転生人ヴァレリ・クリコフの排除を柱として、囚われた宮廷魔女のコンチェッタと黒魔女フェデリアの救出と……更にはアンナベッラによる現王朝の体制破壊、つまりはクーデター。
やるべき事が一気に増えたのだが、オレル・ダールベックは決して手を抜く事無く、それら全てをやり遂げるであろう。
何故なら、彼の辞書には正義も平和も記載されていないが、同時に怠慢や怠惰の文字も無いからである。




