86 前祝いのディナー
王都カーランから北西に約十五キロメタル、広大な農地が広がるパルナバッシュ王の直轄領『ティエラ・デル・レイ』の隠された中心部に今、オレル・ダールベックが潜んでいる。
直轄領に潜入して二日目の午前中、農地にはあまりにも不釣り合いなトラックの隊列を目撃して、そのトラックが往来する「街道」に急接近。近くに点在する小さな林や農機具小屋を転々としながら、常に身を隠して往来するトラックの動向を探っていたのである。
トラックの往来は一日一回。
往路、復路ともに出入りの台数は同じ事から、秘密施設に長時間の滞在は許されていないように見える。
運転手は統一された作業服を着用しており、着衣の乱れも感じない。
つまりは、トラックの運転手は何かしらの組織に入っている運転手であるが、作業服がパルナバッシュ軍や政府の制服の系統ではない事から、民間委託の運送業者であるのではと推察される。
そしてトラック自体もモスグリーン色に統一されたカラーリングで、業者名やナンバリングの表記がされていない。王国政府と委託業者の密接な関わり合いが感じられる。
──この直轄領、奥に進めば進むほどに警戒は厳重だ。偽造の身分証を提示したところで裏取りされればアウト、隠密潜入したところで魔力探知に炙り出されてアウト。ギャンブル感覚で侵入をすれば自殺行為に等しい
単身で奥地に潜入する限界を感じていたオレルにとって、この物資運搬のトラックを発見したのは不幸中の幸い、まさに渡りに船。
トラックに忍び込んで奥地の秘密施設に「連れて行ってもらう」方法も閃いたが、それ以上に安全で安心出来る情報収集方法を思い付いたのだ。
(配達を終えて帰って行くトラックに忍び込もう。そして直轄領を出てトラックの配送会社を特定、経営者から情報を引き出して秘密施設襲撃プランを立てる……)
これだ!と判断したオレルは、秘密施設に物資を搬入したのち、直轄領から出て行くトラックの隊列にひたすら注目。収穫が終わって無人の野となった農地に潜みながら、帰りのトラックの休憩場所……つまり一服のタバコと小便休憩のポイントを特定したのだ。これが三日目の成果である。
(水路に身を隠し、連中が休憩している間に荷台に潜り込む。よし、明日決行だ)
せっかく直轄領に潜入したものの、再び直轄領から出ざるを得なくなったオレル。だがそれをもったいないとは思っていない。むしろそうする事で、情報が湯水の如く溢れて来る源泉にたどり着けるのである。これ以上の喜びは無かったのだ。
三日目の夕方、辺りの農機具小屋に隠れて、残り少なくなった携帯糧食に手を付ける。
缶詰を開けると中身は羊肉のトマトソース煮込み、アムセルンドの代表的な煮込み料理であり、祖国を思い出させるセンチメンタルな一品ではあるのだが、冷えた外気にさらされたのか油分が真っ白に固形化している。
それでも、オレルにとっては成功の前祝いである事に間違いは無い。まるで硬いアイスクリームをスプーンで無理矢理すくい上げるように口へ運び、追いかけるように乾パンを放り込んでは、ゴリゴリと噛み砕いて胃に流し込む。
いずれ美味いメシも食えるし美味い酒も飲める。目の前にある食糧が冷たくて硬くて味気なくても、彼にとってこれは前祝いのディナー以外の何ものでもなかったのだ。
◇ ◇ ◇
オレルがささやかな晩餐にありついている時間帯
そして三課のメンバーが王都カーランから郊外に無事脱出し、野外に設置しておいた拠点Bにたどり着き始めた時間帯。
この王都カーランにある、とある建物の地下室から、少女のうめき声が聞こえて来る。
──お願い、助けて──
──もう酷いことしないで──
どこにも窓が見当たらず、そしてどんよりとした湿り気のある空気に支配された秘密の地下室。その地下室から薄暗い通路に向けて、少女の弱々しい声が響いている。
見れば少女は立ったまま手足を鎖に繋がれており、全く身体の自由がきかない状態にある。そして酷い事に身体のあちこちに無数の傷とアザを作り、今もなお血が滴り落ちている。
もし、もしもこのパルナバッシュ王国で今も尊敬の念を民から集める『宮廷魔女』に知己があるならば、この拷問を受けたらしい少女の正体が、宮廷魔女アンナベッラの友人である、黒魔女のフェデリアだと分かるだろう。
どのような理由かは定かではないが、フェデリアは何者かに拘束されて、むごたらしい拷問を受けたのである。
「……痛い……痛い……」
顔を殴られて打ちどころが悪かったのか、右のおでこから頬にかけてパンパンに赤黒く腫れ上がり、右眼は埋没している。そして鼻と口から吹き出した血は拭う事もままならず、そのまま垂れ流しで筋を引いている。
身体中も道具を使って殴られたのか、青や赤や赤黒と……無数のアザが痛々しく浮き出ており、鎖に繋がれた左腕は殴られて骨折したのか、身体の動きに従わず重力に合わせてプラプラと空虚に揺れている。
「……ア、アンナベッラ……助けて……」
内出血しているのか、血の色に染まった左の目から涙を滴らせるも、もちろん、今の彼女に救いの手は無い。
静まり返った石牢はフェデリア一人だけの空間であり、廊下から聞こえて来るのは、今の今まで散々フェデリアを痛め付けていた謎の集団の会話。ひと仕事終えたたのか、声を潜めた会話がだけが隙間から聞こえて来る。
(何がブラックドッグよ、本当に名前負け。あれほど使い物にならないとはね)
(それでも連中は郊外へ逃げて行った。結果としては抑止力になったのでは?)
(結果だけ見ればね。せめて一人ぐらい噛み殺してくれると思ったわ)
どうやら、昼間三課を襲ったブラックドッグの術者は、この黒魔女フェデリアであった事が伺える。そしてフェデリアは拷問を受けながら、強制的にブラックドッグを使役させられたのではと感じられる会話だ。
(しかし成果は出た。宮廷魔女がブラックドッグを使役する術者の捜索を始めたと情報が入った。まさかヤツらと宮廷魔女が繋がっているとはな)
(ほんと反応が早かったわね、最近急に近衛警察に協力しなくなったから、おかしいとは思ってた)
(あのアムセルンド軍の諜報部隊と、我が国の建国の象徴である宮廷魔女が繋がっている。ふむ、このスキャンダルは痛い。魔女を潰す絶好のチャンスだ)
(ようやく目障りな魔女を引きずり下ろせるわ。さて、私は近衛警察長官に会って来るわね)
(待て、この黒魔女はどうする?)
(殺して捨てても良いけど、遺体が見つかったら感情的な反撃に遭いそうね。しばらくこのままでどう?その内死んで臭くなって来たら燃やせば良いし)
頭の中が真っ白になったまま、血と涙を流しながら痛みと恐怖に打ち震えるフェデリア。
彼女と扉一枚を挟んで聞こえて来た会話の内容は、驚くべき事実を含んでいた。
王都カーランにアムセルンド軍の諜報部隊が潜んでいる事に気付いている者、そしてその諜報部隊が宮廷魔女と接触するのを良しとしない者。もしくは宮廷魔女を快く思っていない者。
その正体が何なのかはまだ不明だが、参謀情報部三課にとって、そして宮廷魔女たちにとっても、驚異となる存在であるのは間違い無かったのだ。
◆ レアンドロ六世の直轄領、その正体 編
終わり




