85 きっかけ ──パルナバッシュ政変
『グリズリーが左腕を噛まれた!』
『こちらレイザー、グリズリーは大丈夫か?』
『なんとか振り払ったが思ったより傷は深そうだ。グリズリーを優先して離脱させたい!』
『こちら狙撃班、ブラックドッグ一体射殺。残り二体!』
耳に装着した小型の思念受信機に、入れ替わり立ち替わり仲間たちの叫び声が飛び込んで来る。
オペレーション・スモールトークを実行中だったシルバーフォックスとグリズリーの二人に対して、正体不明の術者が不吉の妖精ブラックドッグを三頭送り込んで来た。
追跡に気付いた当初は単なる尾行追跡に過ぎなかったのだが、シルバーフォックスたちの逃走が王都飲食街から人の気配が少ない東外壁門付近に近付いた途端、追跡行動から襲撃に変わったのである。
刻一刻と状況が変わり負傷者も発生している中、この西側水門広場では今、宮廷魔女のクラリッチェがバイパーに至近距離で銃を突き付けられながら、強引過ぎる詰問に焦りながら答えている。
「いや、知らないよ!あたしだけじゃなくてコンチェッタたちもやってないよ!」
「何故そう言える?」
「だってオレルと約束しただろ?あたしらが今追跡してるのは、王立科学研究所の関係者たちと王族近辺だけさ!」
「確かに。確かに宮廷魔女はそうかも知れない。だが君らはもっと大きな組織に属しているはずだが?」
「まさか、西海の魔女連合が関わってるって言いたいのかい?バカ言うんじゃないわよ!ブラックドッグを呼び出すのは黒魔女で、あたしら白魔女じゃないよ」
「正直に言う。白だの黒だの我々には知ったこっちゃない。魔女が我々の仲間に危害を加えていると言う認識、それ以上の認識は持ち合わせていない」
「ちょっとアンタ……あたしらにどうしろって言うのさ」
「自分で考えろ。こうしている間にも、仲間がブラックドッグに噛まれて負傷している。我々は裏切りを絶対に許さない」
──多分、クラリッチェは何も知らないのであろう。そして何も聞かされていないのであろう。彼女を必要以上に追及するのは酷なやり方ではあるのだが、だがこれで良いのだとバイパーは揺るがない。
クラリッチェ自身が今回の襲撃騒動の当事者ではなく、彼女から情報を引き出せないとしても、『魔女』と言う共通項一点のみを持って彼女を追及する事で、宮廷魔女に犯人探しを行わせようとしているのだ。
そして、宮廷魔女たちが必死になって犯人探しをすればするほど、ブラックドッグを使って襲撃して来た者に対する抑止力にも繋がるのである。
「ポイントマンは揺らぐな!」「常に自信に満ち溢れながら先頭を駆けろ!」──マスターチーフの教えがバイパーの胸に刺さる
突入班のポイントマンとして、常に敵陣やレッドゾーンに先頭になって突入する役目を背負う以上、その方法が間違っているか否かは別として、一切退く事を知らないその圧力で、クラリッチェを圧倒したのだ。
個人的に知らないと弁明したところで、魔女の全体像を責められてしまえば、百パーセント無実とも言えない。
このままでは目の前の青年が引き鉄にかけた指を外す事は無いと悟ったクラリッチェは、背中にびっしょりと冷や汗を滴らせながら苦々しい表情を浮かべている。互いが無事に退く事が出来る折衝案は無いかと、思案の海に溺れ始めていたのだ。
だが、時間が止まったかの様な錯覚を起こすほどに続く、バイパーとクラリッチェの間に生まれた緊張も、意外なきっかけで解かれる事となる。強襲して来たブラックドッグと戦端を開いた仲間たちに、新たな局面が生まれたのである。
『ブラックドッグ一体排除、残り一体!』
シルバーフォックスが二体目のブラックドッグに飛び付かれながら、片手に持った拳銃で応射して片付けると、次にフルモナの狙撃報告が思念通信に乗る。
『ハートショット (心臓狙い)命中!ブラックドッグ排除完了!』
思念受信機を耳に装着した誰もが、ほっと胸を撫で下ろした瞬間であった。だがしかし、狙撃班の観測員であるフルモナが、その屈折型望遠鏡で新たな脅威を発見して叫んだのだ。
『東外壁門に通じる大通りに、近衛警察の緊急展開部隊発見、距離二千メタルで東外壁門に進行中!』
『マザーズネスト了解、ちょっと待て、レイザーに変わる』
『交信割り込むぞ!フルモナ、近衛警察の緊急展開部隊と言ったな、根拠を示せ!』
『通常の警ら部隊なら六人一班編成ですが、二千メタル西側でトラックが停車して二個分隊の警官が降りて来ました。完全武装状態です。909を進言します!』
『レイザー了解、オペレーションスモールトーク班にコード909発令!東外壁門からカーラン郊外へ離脱せよ』
王都カーランに他国の諜報部隊が潜伏しているなど、まだ近衛警察には把握出来ていないであろう。だが、これだけ派手に発砲を繰り返せば、街が騒然となるのは当たり前。ただでさえ近衛警察は普段から民主化運動に神経を尖らせているのだ。発砲音がするこの地区に制圧部隊を送り込んで来ても、何ら不思議ではないのである。
しかしここで、いよいよ部隊運営を任されたレイザーが非凡な才能が発揮し始めた。
狙撃班はバイクがあるから二人乗りで高飛び出来るが、シルバーフォックスと負傷したグリズリーにおいては徒歩である。カーラン郊外の森に逃げ込んだところで近衛警察の山狩りが行われれば、シルバーフォックスたちは体力の続く限り走り続けねばならないのだ。
そして近衛警察が大々的に山狩りを始めてしまえば、その捜索網に阻まれてしまう事から、シルバーフォックスたちを救出するチャンスも失われてしまう。
──今しか無い──
レイザーのこの判断ととっさの閃きが、西側水門広場で魔女と対峙していたバイパーの思念受信機を激しく揺さぶった。
『こちらレイザー、オペレーション・ウィッチハント班に最優先指令。現在地から即座に離脱し、東外壁門へ車で向かえ!シルバーフォックスとグリズリーを回収した後に郊外へ逃走。本日深夜をもって拠点Bに入れ』
レイザーは徒歩で逃走するシルバーフォックスたちに対して、今後及ぶであろう悪影響を即時に予想。そしてそれを打破するためにウィッチハント班に貸与していた車を動員させようとしているのだ。
「バイパー了解。ファウスト、行くぞ!」
「は、はい!」
いきなり銃を懐にしまい、身を翻して全力疾走を始めたバイパー。そして身体に磁石が付いてでもいるような同期性で、ファウストも吸い込まれるように走り出した。
「こちらバイパー、東外壁門まで五分!五分頑張ってくれ!」
『マザーズネスト了解。狙撃班に優先指令が出た、バイパー到着までの時間を稼げ!近衛警察部隊が千五百メタルまで接近したら発砲開始、敵の頭を抑え込むように。射殺は厳禁、後が面倒だから射殺は厳禁だ』
『こちら狙撃班了解!』
『バイパーがシルバーフォックスたちを回収したのを確認したら、狙撃班も離脱して拠点Bに入れ』
誰と会話しているのか皆目見当が付かないが、あっという間にその場から姿を消したバイパーとファウスト。
その場にポツーンと残されたクラリッチェは、あたしゃどうすりゃ良いんだよ?と、憮然とした表情で頭をポリポリ掻いている。
いずれにしても、コンチェッタやアンナベッラに聞いてみるだけでなく、大ババさまに聞いてみたり、西海魔女連合に問い合わせたりと、絶対的に身の潔白を示す必要があると認識する。
貴重な情報を提供してくれるオレル・ダールベックの組織を、今はもう切り離す訳にはいかないほどに依存しているからだ。
──だが、それが実は、時代のうねりの始まりとなるのである
カーランに潜伏するアムセルンド公国の諜報部隊、それを謎の術者がブラックドッグで襲撃し、宮廷魔女が謎の術者の正体を暴こうとするこの図式。【パルナバッシュ政変】は、ここを起点に始まるのだ。
三課は巧みな部隊指揮と鋼のような連携によって、無事王都郊外に逃走を果たす事に成功したが、問題はこれから。
オレル・ダールベックが王直轄領に潜入してから、三日目の出来事であった。




