83 オペレーション・スモールトーク
戦争だ、戦争が始まる!
どこの国と戦争するんだ?
相手国はアムセルンドか、リナッツェ=メルジェイか?
いや、南のオスタリンドらしいぞ
──これらの会話は、王都カーランの住民がこぞって話題に上げる会話のネタ。
ここ数日の間で、この手の噂が爆発的に王都で広まっており、徐々に地方へも波及し始めている。
今現在のパルナバッシュ王国は、国内において民主化運動が火種としてくすぶっているだけで、隣国や他国との経済摩擦や国境紛争などの緊張状態は無いと言って等しい。
他国との外交努力が実っていると言う側面もあるが、世界の近代化の波に乗り遅れた二線級の農業立国パルナバッシュが相手にされなかったのも事実。
すなわち、民主化運動による内戦はあり得るのだが、突如湧いた外国との戦争の話題は、興味深い噂として国民の間にあっという間に浸透して言ったのだ。
だが、この戦争の噂には尾ヒレが付く。
王都の官公庁街でも、飲食街でも、住宅街でも、穀物仲買人や倉庫管理業者や運送業者が詰める商業地でも……敵のはっきりしない戦争の噂の後に、必ずこの恐るべき噂も付いて回るのだ
──王の命令で新型爆弾が発明された、爆弾一個で街一つが蒸発するらしい──
街の人々に対して、この『新型爆弾』と言う言葉の影響力はとにかく大きかった。
日常とかけ離れた、戦争と言う名の非現実に想像をかきたてる触媒として、絶大な効果をもたらした。
戦争が始まっても新型爆弾があればと安堵する者
我が国が新型爆弾を製造しているならば、敵国だって保持している可能性があると終末戦争を危惧する者
新型爆弾を製造したからこそ、世界から睨まれたのだと責める者
民主化運動がくすぶっているパルナバッシュで、新型爆弾を背景に、王が民に対して弾圧を強める可能性を示唆する者
……まさに、巷は噂とその議論・討論で溢れ返ったのである。
騒然とする王都カーラン。もちろん、王都の治安と防衛を司る近衛警察は沈静化に躍起となり、パトロールを強化して不審人物の取り締まりを行なっているのだが、まだ噂の出どころにはたどり着けていない。
むしろ、以前より地方から入って来ていた「民主化活動家が弾圧を受けている」と言うニュースに触発されたのか、王都の住民はことごとく近衛警察に対して非協力的となり、荒々しい時は近衛警察の取り締まりに群衆を作って抵抗する光景ももはや珍しくも無い。
のどかな農業立国の中心であった王都カーランは、朝から夜まで、ざわめきの絶えない街へと変わってしまったのだ。
◇ ◇ ◇
南国の太陽に後押しされて、引き際を伸ばしに伸ばしていたあの穏やかな秋風も去り、いよいよ北の大地から夜を支配していた北風が、日中も街に居座り続ける季節が来た。
誰もが厚手のコートを羽織って外出するも、首元にあたる風の冷たさでマフラーを家に置き忘れた事を思い出し、首をすくめながら人々が街を歩いている。
そして、近衛警察の警ら自動車がひっきりなしに行き交うようになったカーランの飲食街では、今日も人々はテーブルを囲みながら、共通の話題を中心に顔色を白黒青赤と賑やかに変えていた。
「オリンスタンドが南洋の漁業権を主張してるらしいから、それで我が国と意見が衝突したとは考えられないかい?」
「南方?南方じゃないでしょ?だって私が聞いたウワサじゃ、北方のリナッツェ=メルジェイに輸出している小麦と、逆に輸入している重油の関税格差で外交紛争が始まったって聞いたわよ」
「バカだなあ!リナッツェ=メルジェイならば、このカーランだって北の国境線に近いんだぜ?もし戦争準備が始まっているなら、パルナバッシュの中部地方や南部地方から軍の動員がかかるはず。カーランは幹線ルートにあるから、北に向かう軍隊がいればすぐ分かるだろ」
「まあ、確かに北に向かう軍人さんの姿なんて、見た事ないわね。でも、それなら東のアムセルンドと戦争するって噂は何なの?ウソって事?」
「えっと、、、それは、何とも言えないよなあ。正直なところウソとも思えないのさ。だってアムセルンドの奴ら、何かあるとすぐ戦争おっ始めるからな」
「アークヴェストとは今も国境線で睨み合ってるって聞くわよね」
「ああ、俺が陸路の運送業者に聞いたら、何て言ったっけかなあ……ソヴァク地方の民族と土地が、アークヴェストかアムセルンドに帰属するかで揉めてるらしい」
「やあね、古代の民族ルーツでいつまでも争ってるなんて」
「厄介なのはアムセルンドの軍事力だろうな。連中は戦争したくてしたくてたまらないぐらいの軍隊抱えてるからな」
「ねえ、やっぱりそのための新型爆弾じゃないの?話によると、レアンドロ六世陛下の直轄領に新型爆弾の秘密工場があるらしいじゃない。カーランの近くで作っておいて、わざわざ時間をかけて南のオリンスタンドまで運ぶ?」
「言われてみればそうなんだよなあ。アムセルンドならカーランに国境は近いし、ヤツらが国境を超えてくれば、カーランなんてあっという間に火の海になるかも。そのための新型爆弾なのかなあ」
「でもそれじゃ、全然安心してられないじゃない!王都で新型爆弾が爆発したら、私らみんな蒸発しちゃうんでしょ!」
飲食街のとあるレストラン。一組の男女の会話に、ついつい周囲の客たちも聞き耳を立ててしまう。
この店名物の柔らかくてジューシーな仔羊肉のソテーが振る舞われる、せっかくのランチタイムなのに、客たちはナイフとフォークを止めてまで、その男女のウワサ話に聞き入っていた。
その男女こそが、アムセルンド陸軍参謀情報部三課のシルバーフォックスとグリズリーの二人。
三課のメンバーを三班に分けて同時に進行させるオペレーション・トリニティの一つであり、指揮官のオレルに命じられた二人だけの作戦、『オペレーション・スモールトーク (噂話作戦)』を実施していたのである。
オペレーション・スモールトークとは、街に出てひたすらネガティブな噂を広め、王都を政情不安な環境にする作戦なのだが、この活動についてオレルから詳細な命令は受けていない。
「王が国民に内緒で大量破壊兵器を製造し、戦争準備している」と言う主旨の内容で噂を広めろとしか指示されていないのだが、シルバーフォックスとグリズリーは二人で知恵を絞り合い、見事に作戦を軌道に乗せたのだ。
本来ならば、シルバーフォックスとグリズリーの二人は三課の突入班として、特殊部隊要員の教育課程を受けてここにいる。つまり非正規戦戦闘のプロとして組織に名を連ねている事から、スパイ活動のような諜報活動は素人である。
だがしかし、この戦闘のプロフェッショナルだった二人は、指揮官の命令を受けて自分たちで方針を考えて行動に移した。ただただ命令に盲従する兵士から一皮剥けて、闘いながらも知恵を使って企む、まるでダブルオー・セブンのようなエージェントにスキルアップしたのである。
「まいどありがとうございましたあ!」
可愛らしいウェイトレスが頭を下げる中、食べるだけ食べて喋るだけ喋った二人は、悠々と店外へ出て行く。
「どうする?もう一件行けるか?」
「ちょっと待って……さすがにお腹が苦しい」
グリズリーの気遣いに対して、青ざめながらお腹をさするシルバーフォックス。
今日はランチタイムの時間を狙い、飲食街のレストランをハシゴすると言うのが、二人の行動方針。
飲食街は大勢の人間が集まる事から、噂を広める効果は絶大だと見込めるのだが、自分の食事量に合わせて毎日毎日一件づつ回るようでは効率が悪く、また決まった時間に毎日同じエリアに顔を出す危険性も感じていた二人は、一つのエリアで集中的に活動した後に、しばらくの間はそのエリアに立ち入らない、ヒット&アウェイ方式の情報拡散を目指していたのである。
「とりあえずカフェで一休みしよう、俺もこれ以上は無理だ」
せっかく経費で美味いものが食べれるのにと、二人は苦笑しながら露店のカフェへと足を向ける。
──その時だった──
グリズリーの首筋に走る悪寒、その悪寒と共に湧き上がった胸騒ぎ。
根拠も無ければ理由も無いその感情に後ろ髪を引かれたグリズリーは、足をピタリと止めてしゃがみ込んだ。
「グリズリー、どうしたの?」
「すまん、靴ひもがほどけた」
これは事前に申し合わせていた二人だけのキーワードであり、尾行の存在を言葉にせず、違った言葉で相手と意思疎通を図る隠語だ。
片膝でしゃがみ込み、靴ひもを結い直すフリをしながら、眼だけで周囲の様子を見回すグリズリー。
隠語に気付いたシルバーフォックスも、自分たちが警戒している事を察知されぬよう、自然体で笑顔のまま、視線だけを忙しく動かしている。
「ダメだ、周囲を見回したが、気になる存在はいない」
「そうだな。私も見回してみたが、これと言って気になるものはない」
二人とも何も無かったかのような朗らかな笑みを作り、再びカフェに向かって歩き出した。
グリズリーはフィッシャーマンズ・セーターを着ており、見るからに王都に来た海運業者を装い、シルバーフォックスはロングドレス姿にチェスターコートを羽織り、仲買業者の女主人の様相。
街の人々に溶け込むような服装の二人である事から、近衛警察が異物と判断して簡単に声を掛けて来るような姿ではない。
だがグリズリーが違和感を覚えたと言う事は、何かしらの意図を抱いた存在が、グリズリーをネガティブな視点で見詰めて来た証であり、気のせいだからとも楽観視していられないのも事実。
「イヤな予感が止まらない、背後に誰かが付いて来るような悪いイメージだ」
「その勘は大切にしましょう。グリズリー、あなたを信じるわ」
参謀情報部三課が創設されてから、二度の夜間突入戦を経験して来た二人。暗闇の中を忍んで戦い続ける事で『気配』を読むスキルを身につけ始めていたのかも知れない。そしてそれは、極限の環境下で死と隣り合わせで戦って来た自分や仲間たちの勘を、信じられるまでに昇華していたのだ。
「グリズリー、二本目の右折路まで我慢して。あそこを右折したら走り出しましょう。それでも気配が消えないなら……」
「分かってる、203状況を報告しよう。マザーズネストを通じてハルモナたちが助けてくれる」
見えない敵に追跡されているが、だからと言って我々は孤立していない──
その時のグリズリーの笑顔とシルバーフォックスの笑顔は、決して談笑にふける民間人を装った、百パーセントの作り笑いではなかった。不敵な笑みも内包されていたのである。