82 止まらない段階
直轄領に侵入したオレルが目指した第一ポイント、『地平線の向こう側』には深夜の内にたどり着いた。夜空に映えていた灯りの正体は、農奴の集落の灯りであり、これと言った発見は無かった。
集落の近くまで音を立てずに近寄り、外から様子を伺ってみる。だが全ての世帯の農奴たちは寝息を立てながら夢の世界を堪能しており、これと言った秘密は無さそうだ。
空も白み始めて来た事から、初日深夜の調査活動は終了。広大な農地は収穫が終わり全てが刈り取られたハゲ山の様相を呈しており、身を隠す場所が無い事から、この場に留まる危険性を感じたオレルは、更に奥を目指して北上を開始した。
そして、そのエリアの水源とおぼしきオアシスにたどり着いたところで周辺の安全確認。こじんまりとした林があり潜伏に都合の良い事から、その木陰のくぼ地に身を隠して休憩を取る。
牛肉のワイン煮の缶詰めを開けてスプーンで口に運び、腹を膨らませるために乾パンをゴリゴリと奥歯で粉砕して飲み込む。
味気ない食事ではあるが無いよりマシ。いずれは持参した食糧の消費を抑えるために、捕まえたヘビやカエルを食糧にしなければならない局面もあり得ない話ではなく、最悪の場合農奴の集落に忍び込んで備蓄食糧を盗まなくてはならないかも知れない。
それを思えば、冷えて牛脂が白く固まる缶詰めと、口の中の唾液を全て奪って行くカチンコチンの乾パンにありつけるだけでもまだ幸せなのだ──そう思える体質は、既に歩兵時代に出来上がっていた。
(それにしても何だ、この厳重な警戒網は?いくら秘密の核施設と言っても、これほどの警戒体制は異常ではないか?)
食休みでのんびり身体を休める事もなく、林の物陰から奥地を見回して今夜潜入するべきルートを策定するオレル。双眼鏡の先には、広大な農地とは不釣り合いな鉄条網が縦横無尽に張り巡らされており、自然の雄大さをかき消すような人間のその所業かは、鉄条網を敷設した者たちの深い闇を寒々しく表しているようにも思える。
その時、彼方の地平線に焦点を合わせていたオレルの身体が、ピクリと反応した。双眼鏡が見せる彼方の光景から、何やら感じとったのだ。
(あれは魔力?鉄条網だけでなく魔力警戒網も張り巡らされている。うっすらと見て感じ取れるあのオーラはもしかして、神聖光魔法【ガーディアン・エンジェル】だろうか?)
オレルが気付いた神聖光魔法とは、特定のエリアに神仏の加護を導き、エリアに侵入して来た異物を術者に報告しながら追跡する魔法。
鉄条網や武装近衛部隊による哨戒パトロールだけでなく、魔法による警戒体制をも取っていたその神経質なほどの厳重さに、軽いショックを覚えるオレル。
だが、垣間見た現実を起点として、彼に新たな疑念が湧いて来た。
(なるほど、あれが魔女との情報共有で話題になった魔法障壁か。つまりは、魔女が用意した式神や使い魔はあの先に侵入出来ていない事になる)
ここでオレルの眉間にシワが寄る。
目の前に広がる現実は現実として
そして魔女から入手した情報は情報として
今まで脳内で構築した情報の積み重ね、その土台となる部分に注目せざるを得なくなったのだ。
──情報をもう一度整理しよう。
異世界転生人ヴァレリ・クリコフは、ギルドのルールを無視して核兵器開発を企てており、それを今も実行している。
パルナバッシュ王に取り入り、直轄領に王立科学研究所の秘密施設を建設した。それがクリコフの拠点である。
クリコフは火薬技術と火薬の絶対量が乏しいこの世界で、濃縮ウランを爆縮させて核反応を起こすための代替手段として魔法を取り入れた。
既存の五属性魔法では濃縮ウランが均等に核反応を起こさない事から、あらたな魔法開発に着して、あくまでも予想ではあるが重力魔法を編み出した。
魔法開発にあたっては、パルナバッシュ王国各地で魔法使いの行方不明事件が起きている事から、王直属の警察機構「近衛警察」に拉致されて研究所に連れて来られた可能性が高い。
同様に、近衛警察は王国各地で民主化運動員を政治犯として逮捕拘禁、見せしめで処刑された者以外の行方不明者を、直轄領に作った強制収容所に集めて、秘密施設建設の労働力とした。
──ここでオレルの疑問が噴出する──
魔女の情報では、『西風魔導協会』の拠点も直轄領にあると言っていた。
魔法使いを集めるにあたり、クリコフは近衛警察を使って各地から拉致して来たはず。ならば協会メンバーを拉致された西風魔導協会は、クリコフや王に対して反感を覚えてアンチ側に回るのが普通ではないのか?
王立科学研究所が窓口や通常の研究施設を王都に残して、秘密施設を直轄領に作るのは分かる。だが、メンバーを強奪されたとも表現して良い西風魔導協会が、厳重抗議したり反旗を翻したりと怒りをあらわにするどころか、核兵器開発に参加したこの状況。……どうにも解せない
(そもそも、魔法使いが拉致されたと言う情報自体が間違っており、クリコフと国家機密レベルの契約を結んだ事で、魔法使いは納得して無言で姿を消した可能性がある。あるいは、拉致は間違いなく行われていたが、後に西風魔導協会ごと力に屈服したかだ)
いずれにしても、能動的なのか受動的なのかなど関係無く、核兵器開発に西風魔導協会が深く深く関わっているのは事実。群れず媚びず住まずのわがままな魔法使いが、拠点を作って他者と足並みを揃えるなどそれこそ異常である。
そして、核弾頭の爆縮に新型魔法を開発するだけでなく、こうやって直轄領を魔法力によって警備する事からも、王と科学側との蜜月ぶりが伺えるのだ。
(ヴァレリ・クリコフ一人を排除する目的で我ら三課はパルナバッシュに潜入した。ギルドのルールに背いたクリコフを殺せば、核爆弾製造が止められると当初は考えていた)
思案に暮れるオレルの脳が、急速回転を一時停止してタバコを吸いたいと信号を発し始める。そしてその衝動に全身が迎合して欲求が肥大するのだが、このような場所で煙など立てられないのは必然。
それに、いよいよ疑問の終着点にたどり着きそうな状態であった事から、オレルはタバコを吸いたい欲求を完全に無視した。
(核兵器開発は止まらない。クリコフ一人殺したところで止まらない段階に来ている。ヴァレリ・クリコフ、王立科学研究所、西風魔導協会、そしてパルナバッシュ王レアンドロ六世と、魔女から情報のあった宰相マファルダ。最低限コイツらだけは排除しなければ、核開発は止まらないな)
血の嵐が吹く……
疲労困憊だったオレルの瞳に生気が宿り、妖しげな光をたたえ始めた。
クリコフ以外に思い浮かべた“排除すべき人間リスト”その中に入れられた者たちを殺す事によって、この国にどのような影響を及ぼすのか。その結果をオレルがイメージした事で、彼の腹の底は残虐な愉快さと痛快さで沸き上がったのである。
(シルバーフォックスとグリズリーの作戦が華やかに実る事になる。そうだ、魔女をもっともっと踊らせてやれ。まさしくワルプルギスの夜だ)
口元に残酷な笑みを浮かべながら、今一度奥地の景色を眺めるオレル。
すると、ちょうどオレルの裸眼に小さな米粒の集団が飛び込んで来た。
何事かと思って双眼鏡を覗くと、今後の彼自身の作戦行動をも左右するようなビックチャンスを垣間見たのである。
(あれはトラックの車列。研究所に物資を運び込むのだな。……なるほど、連中の帰り際を狙えば、結界に飛び込まなくても済む)
魔女の式神を拒むほどの魔法結界に自動拳銃一丁で潜入するリスク、そのリスクを犯さなくても良い方法を、オレルは咄嗟に思いついたのだ。




