08 ノルドマン准将、恐れおののく
「中佐、ご苦労様。順調のようだね」
「わざわざご足労頂きありがとうございます」
副官の運転する車で現れたノルドマン准将は、制服ではなく私服で現れ、訓練キャンプで待つオレルに握手をした。
さすが情報部の長だけあって、身分を隠すのはお手の物。この見た目が公営工事の工場長のような老人が、まさか陸軍の准将でスパイ機関の責任者だとは思わないだろう。
「こちらにお座りください」
自分が座っていたパイプ椅子を差し出して、オレルはその横に立つ。
周りをぐるりと取り囲んだ板材の壁と、急ごしらえで建てられた訓練施設にノルドマンは興味を示さずに、別の光景に焦点を当てている。
PT最後の締めであるランニングを終えてクタクタになり、地面に寝転んで大の字になる三人の兵士と、何事も無かったかのように平然としたまま水汲み場で頭から水をかぶるマスターチーフを見詰めていたのだ。
「突入チーム一班、三名の確保が出来ました。今現在、残り六名の内、四名までは候補が出来上がっています」
「早いね、このままなら夏が終わる頃までには人員が全て揃って、年末には作戦行動が取れそうだね」
「いえ、年末まで待つ必要はありません。出来上がった班から活動を始めれば、夏には作戦行動が取れます」
「夏から……? 早くないかい?」
「いえ、全ての班が揃うのを待ってから事を起こす方が面倒です。最小単位が出来上がっているなら、練度を上げる意味でも運用を始めないと意味がありません」
「なるほど、では案外朗報を耳にするのも早そうだね」
ノルドマンとオレルが話し合うその視界の中で、休憩が終わった兵士たちは建物の横へと移動して行く。
横一列にラインが引かれ、その先には遠近様々な場所に板が立てられているそれは、まさに射撃練習場だ。
マスターチーフは、射撃訓練の開始前に三人を集め、練習内容について詳しく説明を始めた。──何を目的とした訓練なのか、それぞれに目的意識を持たせるためだ
「中佐、君は練習しなくて良いのかね?」
「士官学校時代に射撃練習は多少しましたが、それから八年間一発も撃っていません」
「おいおい……アークヴェストの英雄が銃を一発も撃った事がないだと?」
「下手なんですよ、銃の扱いが。当たらない的を狙って無駄な時間を費やすより、私には磨きをかけるものが別にあると判断して今に至ります」
「あはは、アークヴェストの英雄が銃が下手とは傑作だ。だが、拳銃を握らずに、広く戦場を見詰めて部下に的確な指示を出したからこそ、英雄と呼ばれる結果を出したのかも知れないね」
ノルドマンは快活に話しながら、おや?と首を傾げる。訓練を指導している老人に焦点を合わせたところ、知己は無いものの、軍人ならば一度は聞いた事のある名前を思い出したのだ。
「あの老人は確か“地獄を喰らう男”、マスターチーフのクラース・オーストレムだね?」
「ええ、白兵戦のプロをスカウトしたのは正解でした。私が屋内突入作戦のコンセプトを説明しただけで理解を示し、後は彼が独自で教練プログラムを作り上げて実行に移しています」
「教官だけにしておくのは惜しい人物だね。チームに入れる事は考えていないのかい?」
「マスターチーフはもう前線に出る積もりは無いそうです。ですが、この訓練キャンプで教官を続ける事は快諾してくれました。これで長期的な視野での部隊運営と再教育が可能となります」
──なるほどね、だから構想した人員が全て揃うまで待たなくて良いのか
ノルドマンが満足げに笑みを浮かべていると、射撃練習場からパンパンと鼓膜をダイレクトに刺激する炸裂音が聞こえて来た。三名の射撃練習が始まったのだ。
そして、それを熱心に見詰めるノルドマンに対して何事かを思い出したオレルは、拳銃の炸裂音にかき消されぬように顔を近付けて口を開いた。
「准将、お口添え頂きありがとうございました。ベルコネン陸軍 工廠の技官が、新型自動拳銃の開発に協力してくれるそうです」
「そりゃあ何よりだ。さすがに回転拳銃と試作の自動短機関銃じゃ心許ないからね。これからは私を通さずどんどんアイデアを持ち込んでやってくれ」
──それでだ 先程夏には具体的に動き始めると言ったが
ノルドマンは思い出したように口にする。射撃練習に目を奪われて話題が変わってしまったのだが、彼はそこに興味を示しており、無理矢理話を戻したのだ。
「先ずは、彼ら三人を投入して国内の麻薬問題に着手します」
「麻薬問題か。増大する重症中毒患者と、激化する麻薬組織間の抗争。年々深刻さを増している問題でもあり、二課も頭を抱えている」
「二課は麻薬組織の撲滅と麻薬根絶を目指しているのですか?」
「ああ、国内問題を扱う二課にとっては、麻薬問題と人身売買の二つは頭痛の種だ」
──准将、三課が動くにあたり、お願いしたい事があります
国内問題を吐露した際、ノルドマンの鎮痛な表情を見て決意する。まだ自分の中で温めようとしていたプランを披露したのだ。
「准将、三課が麻薬問題に着手したら、一課と二課にも動いてもらいたいのですが、合同作戦は可能ですか?」
「合同作戦とは珍しい。うむ、よし、私の権限で調整してみよう」
「従来の方法は、麻薬組織を突き止めたら警察に通報して警察が摘発、そして警察が麻薬を押収する。しかし今回、三課の作戦に警察は登場しません」
「警察を使わないだと?もしかして君は……」
何かに気付いたノルドマンは、眺めていた射撃練習風景を切り上げて振り向き、まじまじとオレルの顔を見上げる。
「麻薬と麻薬組織の根絶は極めて難しいと思います。雨後の竹の子のように、潰しても潰しても頭を出して来ます。だからこの際、殲滅します。三課で組織のメンバーをことごとく殲滅します」
「しかし中佐、闇に潜む奴らにとって麻薬は美味しいビジネスだ。殲滅したところで次の組織が現れれば、まさしく今君が自分で言った雨後の竹の子ではないか」
「急ごしらえの若い組織が既存の組織に取って変わるのは歓迎です、今現在より雑で底が浅くなるからです。麻薬の押収がやり易くなる事に焦点を置いてください。そして、警察が押収するといつの間にか無くなってしまいますが、我々が押収して管理するのです。警察の腐敗も暴けるとは思いませんか?」
「君は……怖い男だな。そしてその作戦に国外担当の一課が絡むのは、どう言う理由だね?」
──東の自由貿易王国フォンタニエ──
まさかノルドマンは、今この段階でオレルの口から隣国の名前が出て来るとは思わず、一瞬呆気に取られて口をポカンと開ける。
だが、フォンタニエと我が国は積年の恨みを持つ関係であり、常に敵性国家として戦争の脅威に晒されて来た歴史を鑑みると、麻薬を使ってオレルが一体何をしようと言うのかその真意が見えてしまったノルドマン。鳥肌を立てながら震撼する。
「一課の協力を頼り、押収した麻薬はことごとくフォンタニエ国内で売り捌いてもらいましょう。アムセルンド公国の安全保障問題上、フォンタニエの弱体化は必須でしたよね」
たかだか二十六歳の若者が、ここまで恐ろしい事を考えるかと驚愕するノルドマン。
背中にどっと冷たい汗を流しながら合同作戦の調整を約束すると、そろそろ行くよと席を立った。
「なるほど、ドンパチするだけが戦争ではないか……」
帰り際でそう呟いた彼は、オレルのプランに得心しながらも、いささか闇を覗き過ぎてしまったかのような沈鬱な表情を浮かべていた。
いよいよ、オレル率いる参謀情報部三課の闘いが始まる。個々の正義や道徳心などの介在しない『超攻撃的な国家安全保障対策』が動き出すのである。
◆ 参謀情報部三課 編
終わり