69 追い詰めていた積りが
カーランの市街地、飲食街や商店街そして倉庫街や住宅街を縦横無尽に進み続けるオレル。歩き疲れないのかと感心するほどに、その足が止まる事は無い。
時に早足、時に駆け足、おもむろに振り返って背後を見回してみたり、立ち止まってタバコを吸い始めたりと、その一貫性の無い行動は謎であるのだが、そもそもすれ違う街の人々には、何が謎なのか分かる訳が無い。
オレルの行動が謎だと感じる者は、オレルのその一挙手一投足に注目しているからこそ謎だと判断する訳であり、更に言えばオレルを見詰めている者たちは気付いているのであるーー謎の行動ではなく、尾行を振り切ろうと必死に足掻いているのだと
だが、尾行を振り切るために必死になっていると判断している側は、まず大前提としてその判断を気付かない内に間違えていた。
正体不明で時折り悪魔的なオーラを放つ者、つまりオレル・ダールベックは、一切慌てても焦ってもいない。彼自身を追跡する側をあぶり出すために、極めて冷静に行動していたのである。
(悪意も好意も感じられない追跡の目……感情が掴めない理由が分かった。なるほどそうか、魔女は使い魔や式神を利用するのが上手だったな)
それに気付いたオレルは、振り返ったり、立ち止まって周囲を見回し追跡者を探す際に、人ではなく「風景」に対して細心の注意を払い始めた。
何気なく風景に溶け込みながらも毎度毎度オレルの視界に入って来る、固定化された存在に見比べ始めたのである。
(野良犬、飼い犬、野良猫、鳩、鳩、カラス)
(野良犬、野良犬、野良猫、鳩、トンビ)
(野良猫、鳩、カラス、カラス)
同じ人物が重なる事は一度として無かった
だが、動物に着目したところ、市街地のあちこちで風景が変わっても必ずそこにいる動物を見つけたのだ。
(あの野良猫、そして灰色の鳩、あれが使い魔だな。そしてカラスは黒色で比較的目立ちやすいから、猫と鳩に私の追跡を任せながら周辺警戒してるのだろう)
──呪符を使った式神ならば、こちらが逆襲したとしても、ただ単に紙切れ一枚の呪符に戻ってしまう事から、魔女までたどり着くための中継地点には成り得ない。魔女と契約を結んだ生身の動物である、使い魔を捕獲する事こそが突破口だ
周囲から降り掛かる複数の視線の正体に気付かないフリをしながらも、どこかしら落ち着かない様子で自分の焦りを演出するオレル。とある住宅街にある広場でタバコを吸いながら、服の袖に仕込んでいた極小マイクで思念通話を開始した。
「……こちらコヨーテ、マザーズネスト応答しろ……」
これが三課の出動の起点であり、オレルの反撃の狼煙。
核爆弾製造を阻止するためにパルナバッシュ王国に潜入した参謀情報部三課が、そのまま密かに作戦活動を行うためには、こうしたパルナバッシュ側から仕掛けて来る身辺調査を未然に防ぎ、正体を秘匿する必要があるのだ。
そして、オレルの命に従い出動した三課の存在に気付かないまま、王都カーランの水晶宮の奥では、いよいよ悪魔の正体を暴こうと、魔女たちは高揚しながら水晶を覗いている。
「アンナベッラ、ネコちゃんを右側の路地に迂回させて。先回りするのよ」
「分かりましたです。ステッラ、聞こえる?右の路地に入るですよ。先回りしてあの人を正面から捉えるです」
「どうするクラリッチェ?あと何体か式神送っておく?」
「頼むよ。私のカラスはそろそろバレそうだから、コンチェッタが鳩をばら撒いてくれると嬉しい。アイツ西区の水門に向かってるみたいだから」
「えっ?えっ?水門に行くと、何かマズい事あるですか?」
「だだっ広くて遮蔽物が無いのさ。だから式神もアンタのネコちゃんもバレる確率が高くなる」
水晶宮の宮廷魔女控え室にいる、コンチェッタとクラリッチェ、そしてアンナベッラの魔女三人組は、ソファに寝そべって足をバタバタと動かしたり、机にうつぶせになってだらしない姿勢を取りながらも、手元に置いた水晶を凝視している。
万全の包囲網を構築して、謎の悪魔的存在の正体を暴こうと臨んだのだが、どうやら相手の方が一枚上手だったらしい……
と言うのも、追い込んでいると思っていた者たちこそが、追い込まれていたのである。
「西区の水門広場」
王都を縦横に流れる運河の水量調整を行う、巨大な水門が設置してあると共に、西海に面した港街からの水路を中型運搬船が往復するための基地が設置され、荷揚げ後のための大きな広場と倉庫群が並ぶ賑やかな場所。オレルは今、その水門広場に差し掛かって立ち止まって、運河と水門を眺めながら一服している。
「あれ?アイツ案外私らの事気付いてないとか?」
「いやあ、そんな事は無いと思うわよ。住宅街の路地裏を逃げるより、人の多い方多い方を狙って移動してると思うわ」
「つまり身を隠す努力をするより、群衆を人質にして下手な攻撃を避けようと言う事か」
「あの人、ステッラと何度も目を合わしてるです。要所要所で振り向いて、必ずステッラと目を合わしてるです」
「そうね、絶対に気付いているはず。周辺に式神の鳩を散らしてはいるけれど、何か相手がアクションを起こすような、嫌な予感がするわ」
最年長で優しいお姉さん役のコンチェッタ
我がままで気性の荒いクラリッチェ
そしてまだまだ少女のあどけなさを残すアンナベッラ
仲の良い三姉妹のような三人は、これ以上の手立ては無いと自画自賛するほどに完璧な包囲網を構築していたのだが、突如最年少のアンナベッラの身に異変が起きた事で、それは完全に崩壊してしまった。
「ん?……んふふ?……あは、あひゃひゃひゃ!あひゃひゃひゃ!」
何と、それまでソファで寝転びながら水晶を見詰めていたアンナベッラが、急に笑いながら身悶えを始め、ソファでのたうち回り始めたのである。
「どうしたのアンナベッラ?」
「アンナベッラ、何が起きた?」
「ダメです……です!あひゃひゃ……くすぐっちゃダメです!……ひいい、ひいい!」
慌てて彼女に近寄る二人。アンナベッラは目から涙をちょちょぎらせながら、ひいひいと笑い苦しんでいる。
「誰かが……誰かがステッラを撫でているです、マッサージしてるです!……ふひひ、ひいひい!」
「そうか、アンナベッラとネコちゃんとは、視覚ジャックで感覚が同化してるから!」
「誰かが使い魔をゴロゴロしてるって事?何で気付かなかったんだよ、どうかしてるぞ!」
ひい、ひい、それがいきなり……と、状況を説明しようとしていたアンナベッラの動きがピタリと止まり、瞬間的に静けさが漂う。
「……どうしたの?何が起きたの?」
恐る恐る切り出したコンチェッタの問いかけに対し、ソファの上でゆっくりと身を起こしたアンナベッラは言う。私の負けですと
「捕まりましたです。視界が暗くて身動き取れないです」
そう、アンナベッラの使い魔でネコのステッラは、何の前触れも無く敵の手に落ちてしまったのである。
式神を利用して鳩やカラスを使役していたコンチェッタとクラリッチェが、この時異変が起きたアンナベッラの心配をしないで、式神たちを通して現地の様子を逐一見ていれば、その理由が分かったはず。
──アンナベッラの使い魔はずた袋に入れられ、口紐ぐるぐる巻きで封印されていた。そしてその場で「してやったり」の表情で仁王立ちしていたのは、三課の思念交信オペレーター、マザーズネストことマーヤ・ルンテッソン。
彼女が使い魔のネコを、いとも簡単に捕獲してしまったのだ。




