59 エピローグ 『ダールベック書簡』
ペテル・ノルドマン准将は、完全に打ちひしがれていた。
アムセルンド陸軍総局の庁舎の中、参謀情報部の自分のオフィスに閉じこもったまま、帰宅もせずにひたすら時間だけを浪費している。
『バルトサーリ爆弾テロ事件』……まさか公国の首都で、そんな恐ろしい事件が起こるとは思ってもみなかった。
貴族同士のいさかいや犯罪組織同士の抗争で、ナイフや拳銃を使用して街中で戦いを繰り広げる事はあった。一般市民にしてみればいい迷惑なのだが、この街の長い歴史の中で殺人や暗殺、その犯罪行為の影響で市民に被害者が出たのは確かである。
だがこの爆弾テロ事件は違う、質が全く違う。ターゲットの人間を抹殺しようとして、一般市民に意図せぬ被害が及んでしまったのとは違う。一般市民を巻き添えにしてでもターゲットの人間を殺す、いや、一般市民を巻き添えにするのを前提の上で、ターゲットを殺す……その悪質性、残虐性にノルドマンは恐れおののいているのだ。
そしてその爆弾テロ事件で殺されたターゲットが、自分の上官であればなおさらである。
「ラーゲルクランツ少将閣下……」
ヘルムート・ラーゲルクランツの名を呟きながら、オフィスの棚に並べてある酒瓶を手に取る。ラーゲルクランツが生前に贈った蒸留酒、息子夫婦のお土産だ。
それをグラスに半分まで注ぎ、グラスを掲げる事も無く一気に飲み干しながら思い出に浸る。
──五大貴族の一人、ランペルド・マルヴァレフト公爵と、ヘルムート・ラーゲルクランツ少将は若い頃からの旧友である。
そして、ラーゲルクランツは古くからノルドマンにとって良き上官であった。半世紀近くに渡る長い軍歴を、彼と共に過ごして来たと言っても過言ではない。
(ノルドマン、君の好きにやれ。俺はこう見えても度胸はあるが知恵が無い。知略に優れた君を信用するよ)
(あははは!気に病むなよノルドマン。怒られるのが俺の仕事だから、君が気に病む事は無い。これに懲りたからって小さくまとまるなよ、また今日みたいに派手にやろうぜ)
(今度前線から離れる事になった。マルヴァレフト公爵の働きかけで、陸軍総局の参謀部に新たな部署が出来るのだ。ノルドマン、私に着いて来てくれるよな)
「……私が怒られるから、君は好きなだけ自由にやれ。か……」
尊敬する上官の死を前にして在りし日の姿を思い出しながら、懐かしい記憶の数々に溺れるノルドマン。だが、一切悲しい表情は浮かべていない。むしろラーゲルクランツを思い出せば思い出すほどに、怒りの表情が浮かんで来るのである。
敬愛する上官であり戦友であり、古い友人であったラーゲルクランツを殺した。そして彼が心から愛していた家族も巻き添えで殺した。更には関係の無い客や通行人までも巻き添えにして殺した。
ノルドマンにはそれがどうしても許せなく、軍人としてではなく人として烈火の如く怒っていたのだ。まさしく、悪鬼羅刹を前に憤怒の表情を見せる戦神のようにーー
「爆殺を命令した主犯は、間違いなく闇の貴族。我々を快く思わない、公国に巣食う闇の頂点だ。許さん、許さんぞ……」
怒りに打ち震えるノルドマン。だが悲しいかな、彼の内に湧き上がる怒りの潮流は、出口を探して体内を駆け巡るだけだ。
「ダールベック中佐なら、彼ならどう対処しただろう?彼ならどう切り抜ける!」
隣国が密かに着手したとされる核爆弾製造を阻止するために、オレル率いる三課は既に首都を離れている。
大量破壊兵器開発阻止は、国家安全保障問題の中でも最大級の懸案事項だ。つまり最優先に解決すべき国家的危機問題に分類される以上、オレルに向かって首都に戻って来いとは口が裂けても言えない。
頭をガシガシとかきむしり、出口の無い迷路であがき続けるノルドマン。心臓の鼓動が早まり上気するのを自覚しながら、自分自身を冷静に保とうと必死だ。
「あっ……、ああっ……!」
その時、二杯目の酒を作ろうと酒瓶を手にした時だった。何かを思い出したのか、深夜の静まり返った庁舎にノルドマンの奇声が響く。
「あるじゃないか!あったじゃないか!中佐が残してくれたものが!」
まるで憑物に取り憑かれたかのように、血相を変えて自分の机に駆け寄る。そして無造作に引き出しをどんどんと開けて中身を放り出し始めた。
「これ、これだ!」
ノルドマンが手にしたのは厚みのある大きな封筒。オレルがパルナバッシュに赴く際に「いざと言う時に開封してくれ」と渡された封筒だ。
それを手にすると、オフィス内を散らかしたまま一目散に席へと着く。そしてペーパーナイフでビリビリと封筒を破き、中身を無造作に机の上へと放り出した。
「な、何だこれは?」
中から出て来たのは、一枚の書類と三通の封筒。その三通の封筒もしっかりと封がされている。ーー不思議なのはその三通の封筒が全て色違いで、「黄色」「赤色」「黒」と、全く統一性が無いのだ
「ふむ……、いざと言う時にこの封筒を開封して欲しいと言って、私は准将閣下にお渡ししました。閣下が今これを読み上げていると言う事は、その時が来た事を意味しております。下記にある説明に沿って、手順を踏んで頂ければと存じます……か」
オレルの説明文を食い入るように読み始めると、その説明には以下の事が書き記されている。
──三課不在の間に首都で何かトラブルがあった際、下記の順序で准将閣下が指揮を執るようお願いします。
1) 脅威レベル 小判定 「黄色の封筒」
参謀情報部に対して危険が及ぶとの事前情報を得た際、それに対処するための方法が記してあります
2) 脅威レベル 中判定 「赤色の封筒」
参謀情報部に対して何かしらの実力行使が行われた際、それに対処するための方法が記してあります
3) 脅威レベル 大判定 「黒い封筒」
参謀情報部及び協力者や関係者に対して実力行使が行われた際、それに対処するための方法が記してあります
「今回は、少将閣下が暗殺されたんだ。赤色の封筒か、いや、閣下のご家族まで殺されたのだ、黒い封筒を開封するべきか?」
身をよじりながら悩みに悩むも、結局は赤色の封筒を読んで、更に黒い封筒も読もうと腹に決めたノルドマン。赤色の封筒を開封して中から便箋を取り出した。
『准将閣下がこの便箋に目を通していると言う事は、ラーゲルクランツ少将閣下の身に何かがあったと推察し、対応策を記します。先ず、参謀情報部一課と二課の全作戦を中止させて、准将閣下の元に集合させます……』
そこには驚くべき内容が記されていた。
闇の頂点に君臨する貴族の正体が分からない以上、こちらとすれば身を守る方策を最優先に固めて、その上で反撃を開始する手筈が記されているのだが、この「知将」と呼ばれたノルドマンさえもが、いちいち唸る内容であったのだ。
■一課と二課の全作戦を中止させ、首都に集合させて部隊再編。諜報と治安維持で闇の組織を炙り出しながら身を守る
■諜報員マーヴェリックと連絡を取り、諜報分野で協力を依頼する
■陸軍警察捜査班の課長、ヘイン・デライケ少佐と連絡を密に取り、軍警の協力を受けながら、軍警捜査ルートからも情報を得る。
■アムセルンド陸軍中央防衛大隊付き首都治安維持中隊の隊長、テレジア・クロンカンプ大尉と連絡を取り、治安維持出動を依頼する。
※なお、中央防衛大隊の大隊長であるライナルト・フラーケ中佐は、クロンカンプ大尉の叔父にあたる辺境貴族である事から、協力してくれる可能性が高い
「なるほど。これなら、これなら少将閣下の弔い合戦が出来る」
顔にみるみる生気が戻る。さすがは中佐、この置き土産は無駄にせぬぞと目に力が宿り、ノルドマンの口元に不敵な笑みが浮かんだーーこのまま泣き寝入りなどせぬぞと言う覚悟の笑みだ
そして、いざと言う時のために、ここまで準備しておくのなら、ダールベック中佐は黒い封筒に何を用意しているのか……
気になったノルドマンは、そのまま黒い封筒を開封し便箋を取り出した
『准将閣下がこの黒い封筒の中身に目を通しておられると言う事は、ランペルド・マルヴァレフト公爵が暗殺されたと推察した上で、下記に対応策を示します』
もうこの時点で、ノルドマンは腰が抜けていた。
マルヴァレフト公爵が暗殺されたなどと仮定するのは、あまりにも失礼な事であり、ノルドマン自身もその可能性を考えた事は無いとは言えないが、ここまであからさまに表現して来るとは思わなかったのである。
──だが、今は言わば時代の転換点、もはやあり得ない話ではない
公国の闇に広がる汚職と汚い金の循環。その頂点に立つ者が貴族だと思われる以上、マルヴァレフト公爵と言えど身の危険に晒されているのだ。
黒い封筒の便箋には、こう記されている
■マルヴァレフト公爵の孫娘、アンナリーナ・マルヴァレフトの安否を最優先事項とする。彼女には秘密があり、ランペルド公から絶対死守を託されている。よって准将閣下が用意出来る戦力を全て投入してアンナリーナ・マルヴァレフトを救出して保護。そのまま救出部隊ごとマルヴァレフト領に逃走して首都との関係を切る。
■バルトサーリ飲食街にある居酒屋、『バール・ドランメン』の地下にある異世界転生人ギルドへと赴き、オレル・ダールベックの代理としてアムセルンド支部長に面会を申し入れる。そして事の経緯を説明してギルドに協力を要請する。闇の貴族連合に加担するか、オレル・ダールベック側につくかの結論を求める。もし協力を断られたとしても、ギルドが中立を保つと宣言するなら上々。
■准将閣下ご自身の友人関係の中で、貴族ではない一般軍人のネットワークを構築。来たるべき日が来るまで待てと伝えて心の準備をさせる。
■アークヴェスト国境警備隊が所属する、アムセルンド東部方面軍指揮官、ヨアキム・ランミネン大将は貴族の出身ではなく、農家の三男坊として産まれて徴兵された職業軍人です。多くは語りませんが私と話の合う方です。事の経緯を説明し協力を得てください。東部方面軍二万人が首都に向かって突如進軍を開始するだけでも、闇の貴族たちは震え上がります。
「ダールベック中佐、ダールベック中佐。これは……」
(これは最早、クーデターじゃないか。これでは君が軍人ではなく、革命家に見えるぞ!)
ノルドマンはそう言おうとしたのだが、慌てて口を塞いだ。何故なら、その便箋の最後にオレルの私的なコメントが一行書かれていたからだ
──准将閣下、聡明なランペルド公を暗殺するような国に、近代国家だと胸を張る資格はありますか?──
それがオレルの黒い封筒の中身。何十年も後になって公開された『ダールベック書簡』の結びの一文だ。
「やるよ中佐。ああ、もちろんやってやるとも!」
そう覚悟を口にしたノルドマン
額からダラダラと冷や汗を垂らしながら、笑っているのか苦々しいのか、まるで判別出来ない複雑な表情をしていた。
◆プロローグ ~五大貴族会議~
終わり




