56 バルトサーリ爆弾テロ事件 前編
「大公殿下もヤーズフェルト卿も、お人が悪いですなあ。私はその軍人の名前を知っていますよ。オレル・ダールベック大尉、彼は言わずと知れたアークヴェストの英雄ではないですか」
カラカラと笑い飛ばして、重苦しい場の空気を弾き飛ばす。
ランペルドが冷たい汗を背中に垂らしながらも力強い笑顔を作るのは、自分に向けられた疑いを払拭しようと慌てているのではない。──元々自分に向けられたであろう疑いは、公国の繁栄を阻害する「負の」疑いであり、その邪な疑いの圧力になど決して屈する事は無いと言う、覚悟の現れなのだ
(悪党が一掃されて浮き足立つ貴族は、その汚い利益を受けていた者としか考えられない。自分の裏金ルートが断たれたから、逆恨みしているのだ。ここは負ける訳にはいかん)
賄賂、薬物などの不正で上げた利益……公国の民を苦しめて吸い上げた金はどこへ行った?その終着点は大公なのか?それともヤーズフェルトか、ライル家か、それともローセンプラドか?──
目が血走らないようにと、力を抜いてリラックスしながら、極めて理性的であろうとするランペルド。「犯人」「負の頂点」を炙り出すには、まず自分が冷静であろうと自分自身に課している。
だが意外だった。ランペルドが「アークヴェストの英雄」を口にした途端、それまで怪訝な表情を浮かべていた大公アレクシス・ヘイデンスタムが、まるで人が変わったようにキラキラとした笑顔に変わったのだ。
「アークヴェスト英雄?……そうか、そうかなるほど!彼がアークヴェストの英雄かあ!私としたことが不甲斐ない、まさか公国英雄の名前を忘れるなどとは恥ずかしい限り。卿らよ、私の発言は忘れて欲しい」
自嘲気味に笑う大公アレクシス。その毒気の無い笑い声にランペルドは拍子抜けするのだが、この若くて煌びやかな青年の笑いを、どこまで信用して良いのか判断出来かねている。
「ヤーズフェルト卿、ヤーズフェルト卿は軍事に精通しているのではなかったのかね?卿も私と同じく勉強不足ではないか」
大公アレクシスが、あはははと無邪気に笑えば笑うほど、若き闘牛ヤーズフェルトの顔が真っ赤に染まって行く。そしてランペルドをギロリと睨むその瞳は、大公の前で恥をかかされた恨みに満ち満ちている。ーーそれもまた逆恨みのたぐいではあるのだが、この流れでランペルドを睨むと言う事は、ただ単に恥をかいた怒りだけでは無いように伺える
「そのアークヴェストの英雄、オレル・ダールベックにまつわる噂が、私の耳にも届いておりますの」
大公の笑いで軽やかになってしまった場の空気を引き締めるように、突然ライル夫人が割って入る。
彼女も平静を保っているように見えるのだが、一瞬だけヤーズフェルト公爵に向かって侮蔑の視線を投げ掛けたのを、ランペルドは見逃してはいなかった。
(何だコイツ、使えない若僧ね……。そう言う目つきだったな。貴族諸侯で結託して、大公を焚き付けているのか?)
「大公殿下、そのアークヴェストの英雄オレル・ダールベックは、今現在は中佐の階級まで昇進して独立部隊を率いているそうです。どうやらその部隊が首都管区の警察を出し抜いて、麻薬取締りを行ったそうなのです」
「ライル夫人、それは本当かね?かの英雄が首都に巣食う悪党を退治したと?」
「ええ、仰せの通りにございます、大公殿下。首都を騒がせたのは、オレル・ダールベック中佐に間違い無いかと」
わざわざ夫人が「中佐」と言う階級を強調するあたり、先程ランペルドがダールベック「大尉」と発言した事について、嘘くさいなと神経を尖らせ、ランペルドの噂をどう切り崩そうかと思案した結果にも見える。
──いずれにしても、今年起きた首都騒乱とオレルを結び付ける事が出来る者は、麻薬組織の会計士がオレルの部隊に拉致された事を知る者。そして会計士を暗殺した者の派閥でなければ、オレルの名前など出せないのだ
(大公殿下にご注進するヤーズフェルト公爵、そしてライル夫人の構図。つまりこの二人が闇の頂点に君臨しているのか?)
このまま、ライル夫人が主導権を握り「とある関係筋から入手した噂」の披露が続くかと思った矢先、エサイアス・ローセンプラド侯爵が満を持して登場する。
テーブルの上に両手を置き、身を乗り出すような勢いで口を開いたのだーーそれも、ランペルドを嘲笑うかのような下卑た笑みを浮かべて
「くくくっ!マルヴァレフト卿もお人が悪いですなあ」
「うむ?それはどう言う事かね?ローセンプラド卿」
「私てっきり、マルヴァレフト卿はオレル・ダールベック中佐と知り合いだと思っていましたよ」
「何を唐突にそんな事を。私は昨年、彼の活躍を新聞で知った。それだけだよ」
「おやおや、ならばマルヴァレフト卿、ヘルムート・ラーゲルクランツ少将の名前はご存知ですよね?」
「ああ知っとるとも。若い頃、南部戦線で同じ部隊に配属されたのが縁でね、今でも一緒にマス釣りなど一緒に行っとるよ」
「おかしいですねえ!ラーゲルクランツ少将は陸軍総局参謀部、参謀情報部の司令官だ。オレル・ダールベック中佐は今年になって、その参謀情報部所属になったんですよ」
多分、エサイアス・ローセンプラドは……
いや、ローセンプラドだけでない。ライル夫人もヤーズフェルトも承知している。彼らはマルヴァレフト家とオレル・ダールベックとの関係を全て把握していて詰問して来ている。
だからと言ってオレルとの関係を認めてしまえば、マルヴァレフト家から参謀情報部に資金が流れている事すら認めた事になり、大公命令で止められてしまう可能性がある。
もっと悪く考えば、不正資金と判断され刑事罰の対象になるかも知れないし、そうなれば五大貴族としての地位は失われる。もちろん、オレルの軍における立場は悪くなるばかりか、汚職とみなされ懲罰対象になる可能性もある。
(公国の闇に巣食う悪党どもを退治するためにダールベック中佐は立った。私も彼に賛同した。だからここで私が根を上げる訳にはいかん!ここで私が負ければ、公国に日の出は無い!)




