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首都バルトサーリ郊外のとある場所に、奇妙な建物が建っている。
ゴミゴミした街を飛び出して、パノラマのように広がる青々とした草原を駆け抜けた先……首都を三百六十五度取り囲む山々の裾野に、それはポツリと存在して人気を放っている。
ベニヤ板のような安っぽい板材で周囲をぐるりと囲み、その中には人が実際に住めるのか疑問が湧く、板材だけで作られた寒々しい建物。
そこは実は訓練施設、アムセルンド陸軍参謀情報部三課のオレル・ダールベック中佐がリクエストして作られた秘密の訓練キャンプ。普通の兵士を特殊な兵士に変えてしまう、奇跡の訓練場であったのだ。
この施設の責任者はマスターチーフ(上級兵曹)のクラース・オーストレム。老兵ではあるが、肉弾戦の鬼としてその戦歴を重ねて来た猛者であり、「地獄を喰らう男」の異名で知られる伝説の兵士である。
そのマスターチーフの怒号、怒声が今日も空に響いているのだが、何やら兵士たちの姿がおかしい。今までは三課の兵士たちの姿しか無かったのだが、今日はやけに大人数なのだ。
「遅い遅い!動作がいちいち遅い!目的意識の無い訓練は、自分のためにならないぞ」
「そこの班!全員で同じ方向を見てどうする!潜伏するであろう敵位置の想定、スナイパーポイントの有無、自分たちが移動するポイント、それを分担して瞬時に判断しろ!そして情報共有しろ!街の表情は逐一変わるんだぞ!」
「ハンドサインをしっかり覚えろ!今ポイントマンが出した拳はストップだろ!」
参謀情報部三課のメンバーは、現在八名。その中でもこのキャンプでレクチャーを受けていたのは、突入班の三名とスナイパー班の二名。合計で五人ほどしかいないはずなのだが、今現在ここには三十名近くの兵士たちが、ヒートアップするマスターチーフの怒鳴り声を、その一身に受けていたのだ。
その部隊の正式名称は「アムセルンド陸軍中央防衛大隊付き首都治安維持中隊」。長ったらしい名称なので治安維持部隊と呼ばれる、首都バルトサーリの治安を守る部隊である。
今日はその中隊に所属する九つの小隊の内の一つ、第一小隊三十名の兵士が、マスターチーフに師事を乞い、地獄の特訓を受けていたのである。
治安維持部隊が何故、参謀情報部三課専用の秘密訓練キャンプでトレーニングを受けられるようになったのか……事の経緯はこうだ。
時代を追うごとに治安維持部隊の意義が変質し、平和になった首都の治安維持部隊は、実戦部隊と言うよりも儀礼やイベントに正装で参加する、儀仗兵的な意味合いが増して来ていた。
田舎の貴族令嬢が指揮官となった部隊、お飾り部隊、見せ物部隊……軍上層部ではそう言う見方があった事は間違い無く、浮いた存在であったのは確か。
しかし、部隊の指揮官であるテレジア・クロンカンプ大尉とオレル・ダールベックとの出会いが、部隊に変革をもたらしたのだ。
重装戦士、剣士、銃士 (マスカティアー)、魔法使いなどなど、古き良き時代の部隊編成を続けて来た治安維持部隊であったが、オレルと出会ったテレジアは、オレルと言葉を交わす事で、古き良き時代が既に終わっていたのを自覚したのである。
そして、未だに広々とした戦場で突撃と後退しかしない部隊の運用方法に疑問が湧き、オレルに相談したのである。
【治安維持部隊が都市型戦闘をまるで想定していない。このままではこの部隊には存在する価値が無い】
テレジアの相談に対して真摯に対応したオレルは、ミラクルとも言うべき謎のルートを使って、治安維持部隊に軍最新鋭のライフル小銃を支給させるとともに、秘密訓練キャンプで都市型戦闘のトレーニングを受けさせる段取りをつけたのだ。
かくして、テレジア・クロンカンプ大尉率いる治安維持部隊は、貴族令嬢が結婚相手を見つけるまでの腰掛け部隊から脱皮を始めたのである。
ピイイイイッ!
キャンプ内に笛の音が鳴り響く。マスターチーフが休憩時間を伝える笛だ。
その音が兵士たちの間を駆け抜けると、もう立ってはいられないとばかりに、兵士はだらしなく地面に大の字となって沈んだ。
「十五分休憩したのち、訓練内容を交替する!射撃練習班は都市戦トレーニング場へ、都市戦トレーニング班は射撃練習場に移動しろ!」
……サー、イエッサー!
大声を出してマスターチーフの指示に了解はするものの、兵士たちの疲労度は高く皆が皆地面に横たわってウネウネしている。
いかに普段から身体を鍛えていないのかバレバレだなと、マスターチーフは小さく苦笑しているのだが、さすがに見過ごせない光景を目の当たりにしてしまったのか、彼は突如大声を上げた。
「クロンカンプ大尉、クロンカンプ大尉殿!ちょっとこちらへ!」
そう。今日ここには小隊の指揮官と共に最高指揮官のテレジアも来ており、私も是非と訓練に参加していたのである。
そして休憩の号令で立っていられず、地面に沈んでしまったテレジアを見たマスターチーフが、これはマズいと心を鬼にして、テレジアを個別に呼んだのである。
「マスターチーフ、何事であろうか?」
お飾りがジャラジャラ付いた儀仗用制服を着ず、バケツをひっくり返したような制帽も被らず、この日のためにと髪の毛をバッサリ切り落としたテレジアは、野戦戦闘服を汗と泥でびっしょりにしながら、息苦しそうに駆けて来た。
「クロンカンプ大尉殿、休憩中に呼びつけてしまって申し訳ありません。大尉殿に一言ご忠告があるのですが宜しいでしょうか?」
「マスターチーフ、この施設管理者は貴官である、つまり先任士官はあなたです。私を部下だと思って遠慮なく申してくれ」
自分の娘と見間違うばかりの年齢差の中でも、やはり階級は階級。マスターチーフは丁寧な言葉遣いでテレジアに話しかけるのだが、彼女は彼女で気持ち良いほどに筋道をしっかりと通した。
「よろしい、大尉殿。それでは言わせていただきます」
忠告があると言った事から、自分の不器用さや不甲斐なさを追及されるのかと身構えたテレジアであったが、不思議とマスターチーフの表情に怒気ははらんでいない。むしろ好意的に見ているようにも感じるのだが、それでもさすがは兵士の教育担当、叱責ではなく理解を促すような言葉を並べ始めた。
「大尉殿も士官学校で習った訓示を心に秘める、優秀な士官であると小官は感じております。【アフター・ユーとフォロー・ミーの精神】それを使い分けの出来る立派な士官だと」
実際にこの「アフター・ユーとフォロー・ミーの精神」を使い分けろと言う訓示は、アメリカ陸軍士官学校にもある。
アフター・ユーとは「お先にどうぞ」 そして、フォロー・ミーとは「私に続け」
陸軍士官はこの言葉を正しく使い分けて、部下の兵士たちから常に尊敬される人物であれと言う教えなのだ。
「部下だけに新しい訓練を押し付けずに、自分が先頭に立ってそれを体験する。非常に立派な立ち振る舞いだと小官は尊敬しております。だからこそ、休憩と同時に部下たちと大の字になって地面に横たわるのは、残念に思います」
「あっ、それは……マスターチーフ、すまない」
「そうです。どんなに苦しくて切なくても、あなたは一介の兵士じゃない。立ち上がって部下たちの顔を見回して、声をかけてやるべき立場だと忘れないでください」
「マスターチーフのおっしゃる通り、私が失念していた。次回からは士官として立ち振る舞う事を約束する」
未だにゼイゼイと息が切れ、ハードトレーニングで筋肉に負荷がかかり、華奢な身体をガタガタと震えているテレジアは、それでも精一杯のから元気で謝罪と善処を約束する。
マスターチーフはそれを好意的に受け止めながらも、士官である以上、兵士に混ざって訓練はしなくて良いのでは?と、彼女に対して特別な休憩を提案するのだが、テレジアは断固としてそれだけは拒否すると鼻息が荒い。
「マスターチーフ、新しいんだ。あなたの教え全てがかけがえも無いほどに新しくて、私は今の内に身体に叩き込んでおきたいのだ」
普段ならば、ですわ、ですわと語尾に貴族令嬢の痕跡を残す彼女も、気付かぬ内に軍人口調になって必死だ。
「この訓練は、理屈で分かってどうなるものではないと判断した。跳弾が飛んで来る角度、スナイパーの気配、路地裏に飛び込むタイミング、理屈じゃなくて身体に染み込ませていなければ、私は実戦で指揮が執れなくなる」
「ご立派です大尉殿。その覚悟があるならば、私もこれ以上は申しません。大尉のご随意におやりください、ただ……」
「みなまで言わないでも良い、マスターチーフ。士官としての揺るぎない姿を維持する事を約束する」
──なるほど、オレル・ダールベックも、なかなかに人を見る目がある。
マスターチーフはニコリと笑い、テレジアに休憩は残り十分ですと伝えて彼女に休息を促す。
しかしテレジアはテレジアで、この鬼の上級兵曹を見つめながら感じていた。オレル・ダールベックの人の輪は素晴らしい と
「……朝に出発したはずですから、もう今ごろは首都圏を抜けているでしょうね」
「中佐は大した方です。麻薬組織エトネッヴも壊滅させたそうじゃないですか」
「しかし今回は全てが謎のまま、私にも何も教えてくれないまま旅立ってしまいましたわ」
「ダールベック中佐の事、ご心配ですか?」
「マスターチーフも野暮な事を。ふふっ、心配はしておりません、むしろ……」
「むしろ何でしょうか?大尉殿」
「むしろ楽しみですわ。どのような勝利を勝ち取って凱旋して来るのか。ええ、そうです、非常に楽しみです」
そうですな……と、マスターチーフはテレジアから視線を逸らし、南の空を見上げる
ひつじ雲に覆われた清々しい秋の空、北から流れる爽やかな風が、オレルたちの背中を押しているようにも思える。
「休憩してください大尉殿。見違える姿になって、中佐が帰って来た時に驚かしてやりましょう」
「そうね。三課から援軍の依頼を受けられるような、強い部隊を目指しましょう」
テレジアは笑顔のまま振り返り、部下たちの元へと帰って行った。
◆ 亡国の姫君 編
終わり




