47 ゲヘナ・ウォーカー
首都バルトサーリの飲食街。どちらかと言うと料理をメインにするレストラン街ではなく、飲み屋街の一角に、『バール・ドランメン』がある。
鹿や猪など山の肉料理をメインとして様々な料理を提供するのだが、市民の評判は上々であり、週末ともなれば満席の時間が続いてなかなか席に座れない。
その『バール・ドランメン』に今、オレル・ダールベックは足を踏み入れた。まだ昼過ぎの明るい時間で店も休業中なのだが、オレル・ダールベックが訪れて店の扉を特定のリズムでノックすると、老た店主が中から出て来て「どうぞ」と、当たり前のようにオレルを招き入れる。
まだ準備も出来ておらず、テーブルの上に反転した椅子が乗っている店内を、脇目も振らずに奥へと進む。そして黒いカーテンで隠された壁にたどり着くと、カーテンを除けて現れたドアノブを握る。
ギイイイと渋い音を立てながらドアが開くとそこは下階段。オレルは当たり前のように階段を下って行った。
「あら、またいらしてくれたのねオレル・ダールベック。私は嬉しいわ」
地下でオレルを待っていたのは、落ち着いた雰囲気のバーであり、異世界転生人ギルドのロビー。そしてカウンターにたたずむ女性が、オレルに笑顔を投げかけたのだ。
「マリールイス・アルムグレーン、今日俺がここに来る事を君は知っていたはずだ。いるんだろ?」
オレルはズボンのポケットから金貨を一枚取り出して、親指でピン!と弾く。クルクルと高速回転を始めた金貨は、ゆるやかな放物線を描いてマリールイスの手のひらへと収まった。
「ええ、奥の個室で待ってるわ。あなたの目的が私でなくて残念」
マリールイスは媚びを作りながら苦々しい表情で指を差す。その指が示す方向にあるのはもう一つの扉。ビップルームの入り口だ。
マリールイスは戯けた表情で鼻息を一つつき、カウンターから身を乗り出しオレルの耳元に顔を近付ける。
(オレル・ダールベック、気を付けてね)
マリールイスのくすぐったい囁きに戸惑いながら、ビップルームに進むオレル。
彼女の警告は一体何を意味しているのかは分からないが、昼間に会った「あの貴婦人」が扉の向こうで待っているであろう事は容易に想像出来る。
さっきはよくももて遊んだなと小さく呟きながら、ノックもせずに扉を開けて中に入った。
ビップルームのソファに腰を埋めていたのは、オレルの予想通り昼間の貴婦人。すれ違いざまに、アムセルンド公国の隣国パルナバッシュで高純度ウランの精製を始めたと教えてくれた女性だ。
「失礼な人ね、ノックぐらいするものよ」
貴婦人は優雅に脚を組み替えながらオレルをそう責めるも、不敵な笑みを浮かべながらオレルを歓迎している事から、本心で怒ってはいない事が伺える。
「あなたがギルドに来いと言うから来た。さっきの続きを全て話してくれないかな?」
オレルも負けず劣らず不敵な笑みで返し、早く本題を切り出す事を要求する。──乞うような態度に出ないのは、マウントを取られて遊ばれてしまうからと、オレルは考えたのだ
「ならば私の自己紹介から始めましょう。私の名前はジョスリーヌ・バイルホイス、異世界転生ギルドのアムセルンド公国支部の支部長です。お初にお目にかかると挨拶しながら、お久しぶりとでも言っておきますね」
「おかしいな。私の認識では、異世界転生ギルドの公国支部長は白ヒゲの老人だったのだが」
「ふふふ、それは時代遅れの情報よ。彼は今年の初めに亡くなりました、よって序列二位の私が支部長です。ほとんど顔を出さないあなたが悪いわ」
「なるほどね。それで、私の事はどうせ知っているのだから、自己紹介など省略して構わないな?」
「ええ、あなたの事は充分知っているから構わないわ。ギルドのメンバーたちも知らない、私だけが知る驚愕の情報もあるのだけどね」
挑戦的な瞳で見詰めるジョスリーヌに対抗するように、オレルの表情が一瞬だけ険しくなるのだが、極めて冷静を装って表情を押し殺す。自分の過去に触れられたくないのか、この話が続くのを回避しようと試みているのである。
本来ならば「貴様は何を知っているんだ?」と相手を問い詰めて、不都合な事実を掴んでいるようならば、有無も言わさずに殺してやろうと言う気も起きて来るのだが、都合の悪い事に目の前にいるのはギルドの支部長。軽々な解決策で幕引きをする訳にはいかないのだ。
「工業文明世界において自殺した会社員、圧政の王国で立ち上がった革命の魔導師、大したイベントも無く老衰死した武闘家……ふふふふ」
オレルは今すぐにでもこの会話をやめたいのだが、どうやらジョスリーヌはこの会話を楽しんでいるよう。毒々しい笑顔を露骨にぶつけながら、オレルの細かな反応を凝視していたのである。
「異世界転生ギルドには、三回の転生を経験していると申告しているが、嘘はいけないね【ゲヘナ・ウォーカー】。一番内容の濃くて汚らわしい人生を申告していないでしょう」
ゲヘナ・ウォーカー、直訳すると地獄を歩く者なのだが、何を意味しているのかは現時点では分からない。だがしかし、この名前をぶつけられたオレルには劇的な変化が起きる。ーー何と、強大な殺気を隠しもせず放ちながら、悪意に満ち満ちた残忍な瞳でジョスリーヌを睨み付けたのだ。
「くくく……なるほどなるほど。道理で貴様の放つオーラにデジャヴを感じた訳だ。楽園の守護者、人間の守護者、大いなる力の執行者、貴様は無垢なる狂信者だったか」
「覚えていてくれて光栄よ、オレル・ダールベック。いや、煉獄の旅人、汚辱の詩人、不名誉なゲヘナ・ウォーカーよ」
隙間風の対流すら許さないほどに、二人の間に緊張が生じる。髪の毛一本動いたり、瞬き一回がきっかけとなって、殺し合いが始まってもおかしくない状態だ。
「クソ天使が。核爆弾の情報で俺をおびき寄せてどうする積もりだ?前世の決着でもつけるつもりか?」
「ふふふ、感動の再会はここまでよ。この先はビジネスライクで進めましょう」
こうして、異世界転生人ギルドの支部長は、殺気が渦巻くビップルームにおいて、現世が置かれた危機的状況について説明を始めたのである。




