41 オ前ノ好キニハサセナイヨ
「うん?軍人か?」
「軍人だと?」
「何だ、何で軍人なんかが出張って来る?」
汚職警官たちが眼を凝らす先……
石造りの巨大な建物が、あちこち壊れて崩壊している廃墟に集中する。そこから何と、軍人が一人現れて広場に向かって歩いて来るからだ。
──ふむ、なるほどな──
汚職警官たちが揃いも揃って早々にオレルを発見して凝視し始めた事実が、一つの事実を浮き彫りにする。
──協力を強制されている魔法使いは、五大元素魔法による直接打撃攻撃を得意としていない。神聖魔法による戦闘補助魔法、光明と冥闇が得意か──
魔法使いの少年が汚職警官から強制され、既に何かしらの魔法を行使した事に気付いたのだ。
汚職警官たちに気付かれぬよう、ハーフコートの袖に取り付けてある小型のマイクを口に近付ける。
(コヨーテよりマザーズネスト、突入班に伝えろ。民間人救出時に閃光手榴弾を使用せよ。ターゲットは視覚強化の補助魔法を受けている可能性が高い)
閃光擲弾とは、フラッシュグレネード又はフラッシュバン、スタングレネードと呼ばれる非殺傷兵器で、三課が導入した新型装備である。
火薬があまりにも希少なこの世界では、魔法の力と工業力との結合が先に普及した事もあり、爆発物などには全て炸裂系や爆発系の魔法が原料として仕込まれている。
この閃光手榴弾も魔法によって炸裂して、範囲内の人体に影響を与えるのだが、この閃光手榴弾は人体破壊を目的として配備された物ではない。
火属性による高出力爆発による殺傷を目指さず、圧縮した神聖魔法のデイライト (白昼化)を炸裂させ、眩いばかりの光と炸裂の音響で、敵の視覚と聴覚を一時的に麻痺させるのだ。
蝋燭一本分の光量を「1カンデラ」と言う単位で表すが、この閃光手榴弾は一瞬で辺りを百万カンデラで照らすのである。
汚職警官たちがあまりにも早くオレルの存在に気付いた事から、汚職警官たちは暗闇の中でも物質を判別し易い視覚強化魔法を受けているか、明るさの補正強化魔法を受けていると判断。視覚がセンシティブ=敏感になっているならば、閃光手榴弾が絶大な威力を発揮すると考えたのだ。
そして、歩みを進めていたオレルは、いよいよ汚職警官の前に立った。
殺気を隠しもしないその空気は、オレルを殺して上納金を奪い返したいと言う露骨な願望にまみれているのだが、新生チャルナコシカを名乗った連中が簡単に警官を射殺するだけの残虐性を持っているのも承知している。
それで取り引きだと言われて来てみれば、軍人が一人だけでのこのこと出て来るあたり……汚職警官たちはビックリ箱でも貰ったかのように、酷く警戒している。
「来たのは……お前一人だけか?」
「そうだと言ったらどうする?私を殺すのかね?」
汚職警官のトップとおぼしき中年の人物がオレルに問いかける。恰幅が良く頭はハゲ上がり、眼鏡をかけた中年、、、どうやら彼は事前の人物情報にあったシュライヒ副署長と推察出来る。つまりは汚職警官の中枢がここに存在し、二度手間を省いて排除出来ると言う利点が増えた。
「貴様はどう見ても公国軍人だろ?貴様が新生チャルナコシカと言う事か?」
副署長はオレルの正体を探ろうとしきりに問い掛けて来るのだが、オレルはここで気付いた。
本来、取り引きのネタである押収ヘロインなど存在せずに、上納金だけ取り返そうと汚職警官たちが考えているならば、すぐにでも拳銃を抜いてオレルを射殺するはず。
なのに汚職警官たちのリーダーである副署長は、警官たちに殺せとは命令せずに、うろたえながら質問を繰り返して来る。
──オレルは派閥社会、このケースにおいては裏社会の派閥におけるパワーバランスの存在に気付いたのだ──
彼らは新生チャルナコシカと言う言葉に尻込みしているのではない。取り引き場所に軍人が現れた事から、裏社会の軍人ルートとの軋轢を回避しようとしている。オレルには彼らの姿勢がそう見えた事から、これを好機として新たな情報を得ようと閃いたのだ。
そして、閃いて口を開いたオレルの言葉には、強烈な毒が宿っていた。
まっとうに普通に生きていれば、さしたる意味は感じなかっただろうが、闇に生きる者ならば、どう返事をすれば良いか……どう言う内容の返事をすれば自分が生き残れるのか、気が狂いそうになって悩むほどの言葉をオレルはぶつけたのである。
『チャルナコシカのヘロイン利権に絡んでいたのは貴様ら警察ルートだけではない。チャルナコシカが壊滅したのに悠々と生きている貴様が、酷く不快だと我らが主人は仰っている。伯爵か男爵か子爵か知らぬが、貴様らの主人に言っておけ!ヘロインの責任はどう取るのかと』
その場しのぎで考えた、オレルの即興のブラフだが、この言葉は効いた。矢面に立っていた副署長だけでなく、その場にいた警官たちも震え上がってしまったのだ。
貴族の存在をチラつかせる事で、汚職警官と三課との闘いを貴族同士の裏の縄張り争いに変えてしまったオレル。これをチャンスに更なる情報を引き出そうと叩き込む。
「我が主人の情報では、チャルナコシカは謎の集団に皆殺しにされ、在庫のヘロインも全て奪われてしまったそうではないか。なんたる失態、なんたる愚鈍!貴様はどう言い訳を言うつもりだ」
「いや、あれはその……」
「答えられぬか、肥えただけの豚が!ならば貴様の主人と直接会って、この不始末をどうするのか聞いてやる。貴様の主人の名前を言え!」
「それは、それだけは勘弁してくれ!主人の名前など言える訳がなかろう!」
「この期に及んでまだそんな事を。ならば、エトネッヴとの取り引きから退け。今後は我々が管理する」
「そ、それもダメだ!そんな事したら、我々の命が……!」
額からびっしょりと脂汗を垂らして慌てふためく副署長。しかし、ここで副署長の身体に異変が起きる──前後不覚の表情で、身体をブルブルと左右に震わせ始めたのだ
「副署長!」「シュライヒ副署長!」と、異変に気付いた部下たちが彼の名を呼ぶも、副署長は白眼を前面にして黒目がまぶたのふちをグリングリンと回転させ、やがて鼻と口からビシャビシャと血を垂らし始める。不思議だが、これで彼は立っていられるのだ。
オレルが背筋をゾクリとさせるほどの嫌悪を放ち始めた副署長だが、ピタリと動きが止まった。誰もが息を飲んでその光景を見詰めていると、副署長は白眼を剥いたままオレルに向かって話しかけたのだ。
「……ギギ、ギギ、駄目ダヨ、オレル・ダールベック。オ前ノ好キニハサセナイヨ……」
まるでハウリングを起こしながらスピーカーから溢れて来る音質。この世では無いどこからか発せられたような、周波数の合わない気味の悪いフィルターのかかったラジオ放送。
汚職警官たちは、聞いた事の無い音質の声に身震いする中、オレルだけはこれが何を意味しているのかを悟る。
──副署長は何かしら悪魔と契約しており、これは契約不履行のペナルティ。悪魔による強制的な魂の剥離作業だと
だが、冷静に分析もしていられなくなった。
副署長は最後の言葉を残して、ずううんと地面に沈んで動かなくなったからだ。
「オ前ラ、コイツヲ殺セ!オレル・ダールベックヲ殺セ!殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ……ギャアアアッ!」
不気味でおぞましい悲鳴が辺りに響き渡った瞬間、汚職警官たちの表情がガラリと変わる。この状況が整理出来ないまま、ひたすらオロオロしていただけなのだが、何か悲鳴に支配されたかのように悪意剥き出しの顔へとガラリと変わり、オレルに向かって銃を抜いたのだ。
(チッ、ここまでか)
せっかくの情報収集もここまで
未練がましく次の手を考えた所で自分の身が危ない
綺麗さっぱり気持ちを切り替えたオレルは、いつ上がるのかと望遠鏡越しにじっと見詰められている自分の左手を、いよいよ勢い良く上げたのだ。