37 今日は種を撒く日、明日は収穫の日
アムセルンド公国の首都バルトサーリの中に、夜に出歩いて犯罪に巻き込まれても、文句の言えない地域がある。
低所得者、流れ者、飢饉などで土地を捨てた放浪者や難民などが集まって作った地区は、治安が悪く、なかなかに管区警察も立ち入れない事から、殺人事件などの凶悪犯罪の温床となっている。首都バルトサーリの南地区最南端にある「スラム」と呼ばれる街がそれである。
そのスラム街も今は、昼間の喧騒を終えて夜を迎えている。
星空の下、虫の鳴き声しか聞こえない夜なのだが、人々が床に入るにはまだ早い時間帯だ。だがまるで活気が無いのにはもちろん理由がある。犯罪に巻き込まれる事を嫌って人々は屋根の下で息を潜めているのだ。
そしてそのスラム街の一角、周囲のバラック小屋よりもひときわ大きな建物の前に向かい、一台の車がやって来た。スラム街には全く似合わない、星々も鏡のように映すピカピカの黒塗りだ。
その車は、まるで何かの工場のような建物の入り口前に堂々と停車して、中から二人の男が建物の扉の前に立った。
(フルモナよりマザーズネストへ、駄菓子屋にポストマンが到着。繰り返す、駄菓子屋にポストマンが到着した)
(マザーズネスト了解した、引き続きレポートを頼む。バイパー、シルバーフォックス、グリズリーは現状待機で続報を待て)
スラムの一角にある工事のような建物、そしてその入り口に停車した黒塗りの黒と出て来た二名の男たち。その光景を遥か遠くから見詰める者がいる。
そう、その工場とは麻薬組織エトネッヴのアジトであり、黒塗りの黒から出て来た男二人は汚職警官。つまり駄菓子屋とはエトネッヴのアジトを意味し、ポストマンとは汚職警官を表現している。そしてその光景を逐一報告しているのは、三課の狙撃班であるフルモナとハルヴァナの二人であったのだ。
スラム街から1キロ以上も離れた住宅街のとあるビルの屋上、距離測定用の屈折型単眼鏡と、大口径スナイパーライフルのスコープで、闇の取り引きを監視しているフルモナとハルヴァナは、既に風の精霊を使役しており盗聴の準備も完了している。
扉の前に立って工場の様子を伺う汚職警官二人をズバリ望遠鏡の真ん中に捉えながら、風に乗って聞こえて来る男たちの会話を、マザーズネストに実況報告として念話通信を重ねて行く。
(中から武装した二人組が出て来た、ポストマンが紙袋を渡す)
(ポストマンが発言、、、いつも通り取り返して来てやったぞ……。警察に押収された麻薬を引き渡していると判断します)
(駄菓子屋からもう一人男が出て来た、手にはアタッシュケースを持っている)
(刑事さん、いつもすまないね。これ、約束の報酬ね)
(フルモナよりマザーズネスト、麻薬押収品の横流しと金銭授受を確認しました。状況成立、状況成立です)
汚職警官が署内から密かに押収した麻薬を回収し、エトネッヴ側はそれを受け取って賄賂を払う。この構図をフルモナとハルヴァナは視認し、諜報員マーヴェリックから提出された報告の真偽を裏付けたのである。
(マザーズネストよりオールユニットへ、状況成立により作戦決行段階に入った!コヨーテの指示が出るまでの間に作戦準備にかかれ)
マザーズネストから全員スタートラインに立てと指示が出る。後は指揮官であるコヨーテが「よ〜いドン!」と号令を鳴らすだけなのだが、フルモナとハルヴァナの二人だけは消化不良の顔でスコープを覗いたまま。引き鉄に指すらかけていない。
「一発も撃てないなんて残念……」
「今日は種を撒く日、明日は収穫の日。そう考えましょう」
そう、今日の作戦に関して狙撃班は偵察任務のみ。ここで二人は終了なのだ。
そしてここから力を発揮するのは突入班。バイパーとシルバーフォックス、そしてグリズリーの三名なのだが、不思議な事に彼らはスラム街にはいない。スラム街と首都の中心街を結ぶ道路脇に身を潜めていた。
路地裏に車を止めて、闇に溶け込むような黒い服で身を固めた三人は、どうやらその場が作戦のポジションのようだ。
(フルモナよりマザーズネスト、ポストマンの車が駄菓子屋から離脱、所定のコースで北上した)
汚職警官が車に乗り込み、首都中心街方面に移動を開始したーーフルモナのこの報告に重なるように、ついに指揮官からスタートの号令が出た
(マザーズネストよりオールユニット、コヨーテより交戦許可が下りた。繰り返す、交戦許可が下りた。只今をもってオペレーション・スナッチを開始する!)
オペレーション・スナッチ、横取り作戦とは、汚職警官の一掃を目的とするオペレーション・ティニングの前段階の作戦であり、要は汚職警官を引っ張り出すための撒き餌作戦。
フルモナとハルヴァナが会話していた通り、明日の本番に向けた準備作業だったのだ。




