32 一匹狼と監視者 ~戦闘開始~
首都の中心にある凱旋広場は、昼間は朝市の露店が並んだり、夜は屋台の露店が並んだりと、昼夜を問わず人気のスポットとなっている。
日中に溜め込んだ太陽の熱が、あっという間に星空へと消えて行く晩夏の夜。空気がひんやりと肌を締め付け、一枚羽織らないと身体の芯まで冷えるこの夜、バルトサーリ管区警察警備隊の、ファルカー・ゴルトベルク巡査部長は凱旋広場の噴水前でベンチに座っている。
屋台で酒をあおり上機嫌の男たち、星空に見守られながら愛を囁く恋人たちなど、老いも若きも様々な理由で、この時間・この場所を楽しんでいるのだが、ゴルトベルクは一人で遅い夕飯にありついていた。
茶色い紙袋から取り出すのは、マスの切り身やジャガイモをフライにして香辛料を振りかけた、バルトサーリでは定番のファストフード。
ゴルトベルクはこれを無造作にほうばりながら、ズボンのポケットに入れていたスキットルを取り出し、中に入っているキツめの蒸留酒で胃に流し込んでいた。
すると「またせたな」と言う声が風に乗り、ゴルトベルクの耳をサワリとくすぐる。
「オレル・ダールベック……あんたか」
「所用で遅れた、すまない」
ゴルトベルクの前に現れたのはオレル。
昨晩ここで二人は会い、オレルはゴルトベルクに宿題を残した──諜報部員としてオレルの元で活動するか否かの結論だ
「それで、どうだ?汚職警官とそのルートを暴く気になったかい?」
同じベンチには座らずに、隣のベンチに座って他人を装うオレル。ゴルトベルクもオレルの意図は承知しているので、横を振り向いたりせずに視線を紙袋に落としたままだ。
「ああ、俺はやるよ。と言うよりも、今日の昼間から始めているんだがね」
「ほう、それは随分と気が早いな」
「やると決めたら人の号令なんか待ってないさ」
「それで、感触のほどはどうだ?」
「真っ黒に近いな。どうだろう?俺に一週間くれ。汚職警官と貴族との接点、組織的な闇は俺が全部暴いてやる」
ベンチに浅く座り、両の太ももに腕を置いて手を組むオレル。うつむくように石畳に視線を落としていたが、その瞳が輝く。
「……我々は警察じゃない。汚職警官をムショに入れて更生を促す組織じゃない、殺しが前提となる組織だ。同僚だった者も平気で殺すぞ。その覚悟はあるか?」
「好きにしてくれ、もともと獣人はカヤの外なのさ。同僚なんかいないし未練もない」
「分かった、契約成立だな」
低くドスの効いていたオレルの声が、いささか軽やかになった。
「ファルカー・ゴルトベルク、これからはコールサインとして“マーヴェリック”と呼ばせて貰おう」
「マーヴェリック?いや、俺は別に本名でも良いんだけど」
「名前には細心の注意を払え。我々が敵に捕まって拷問を受けた際、君の名前を口走る可能性もある」
「なるほど、おっかないね。それであんたの事は何て呼べば良い?」
「私の名前はコヨーテと呼んでくれ。私との連絡手段や報酬については、次の機会に説明しよう」
「分かった、それまでに汚職の構図を突き止めておく」
オレルはゆっくりと立ち上がり、タバコを取り出して火を着ける。
ゴルトベルクは紙袋に手を差し込み再び食事を始めるのだが、オレルの異変には気付いてはいない。気付いていたとしても、無関係を装う手筈にはなっているので、そのまま食事にありつくしか無いのだが
(私を監視している者がいる。そのまま静かに聞け)
オレルの小声が風で流れて来る
ゴルトベルクも小さな声を聞き逃さぬよう、獣の耳に全神経を集中させる
──私と契約した際にプレゼントを用意すると言ったな。連続獣人殺害事件解決の突破口を。
顔と腕と足だけになった遺体が飾られている様子から、猟奇殺人だ邪教の儀式だ、獣人排斥団体の仕業だと巷では話題になっているが、「ある」物と「無い」物について考えてみろ。
顔と腕と足はある、そして胴体が無い。今年になって頻発する事件で胴体だけが後になっても出て来ない。それは、胴体に価値があるとは考えられないか?
つまり胴体とは何だ?内臓がぎっしり詰まった臓器の宝庫じゃないのか?
「獣人の身体は人間より回復力が高い。獣人の臓器は高く売れると言う事か……」
他人を装いながら、ついついポツリと呟くゴルトベルク。その表情は真っ青に蒼ざめながら、瞳には真っ赤な炎がメラメラと燃え上がり始めている。
ゴルトベルクの熱波を感じて好感を持ちながらも、監視者の眼を気にするオレルはそっぽを向いたまま。そして彼の考察の結論を風に乗せて、その場を去ろうとする。
──この国の闇では人身売買組織が蠢いているのは知っているな?世界的に奴隷売買の風当たりが強くなって来ているから、新たなビジネスとして移植用臓器の売買を始めた可能性が高い。
マーヴェリック、今は麻薬ルートに専念しろ。それが終わったら好きなだけお前の敵を狩り出してやる。
それを最後にオレルは歩き出した。
ゴルトベルクに背を向けながらも、彼が最後に風に乗せた言葉がこれだ。
(二分経ったら離脱しろ、人混みに紛れて迷路を進むように帰れ。私は監視していた者を炙り出す)
新たな仲間となったマーヴェリック 「一匹狼」に背を向けた事で、その表情を見られはしなかったのだが、もし見られていたらどのような感情を抱いたであろう。
オレルは謎の視線の先に待つ監視者に向けて、腹の底から湧き上がる殺意を楽しんでいたのだ。つまり監視者を何処かにおびき寄せ、情報を得るだけ得て始末するための笑み……悪意と娯楽の混じり合った残忍な笑みを口元に浮かべていたのである。
思いもしない場所とタイミングで、オレルの静かで苛烈な闘いは始まっていたのだ。