28 「畏怖」 ファルカー・ゴルトベルク巡査部長の考察
バルトサーリ管区警察本部は、アムセルンド公国の首都中心とした管区を護る警察機関であり、様々な部署が置かれている。
殺人や犯罪などの捜査を行う刑事部や警備部などがその代表的な部であるのだが、ここに「警護隊」と言う珍しい組織が含まれている。
この警護隊は首都管区以外には存在しない特殊な組織であるのだが、要は主要五大貴族や高位の貴族諸侯が首都に集まった際の、警護を行う部隊である。
もちろん、本来の警護は警備部が管轄する事から、この警護隊に求められるのは、バルトサーリの街を貴族が移動する歳に、警察礼装を身にまとって先頭と後方を行くと言うような、見栄えの良い儀礼的な活動に従事する部署である。
アムセルンド公国が発足し、貴族による合議制がスタートした当初は、日々パレードや貴族の警護などで駆り出されて、華々しい活躍に彩られた人気の部隊であったが、貴族側が派閥化し始めた途端に、貴族の私兵や見栄えの良いお抱え傭兵集団がそれにとって代わり、警護隊は管区警察本部内においてもお荷物部署以外の何ものでもなくなっていた。
バルトサーリ管区警察本部が昼休みに入ってすぐ、昼食の買い出しが終わったファルカー・ゴルトベルク巡査部長は、警護隊のオフィスへと帰って来る。
オフィスと言えば聞こえは良いが、管区警察本部のビルの隅っこに追いやられた事務所は、倉庫のように薄暗く雑然としており、並んだ机の上にも無造作に書類の塔がそびえている。まるで闇の魔術師の研究室の様相だ。
他の警官は外食しているのか、昼休みのこの時間帯はゴルトベルク一人だけ。ただ、周りの机がやけに雑然とし過ぎてなおかつ埃っぽい事から、この繋がった六つの机一つ一つに、職員が充てられていない可能性もある。
周囲のオフィスからは壁越しに賑やかな会話が聞こえて来るものの、ゴルトベルクは気にもせずに自分の席に着く。
そして茶色の紙袋を机の上に置いて中からサンドウィッチを取り出して早速かぶりつく。ーー昼になると官公庁街に出る屋台のサンドウィッチ、ゴルトベルクのお気に入りだ
あっという間に食べ終わり、飲みかけのまま放置していた冷めたコーヒーで口の中をサッパリさせると、ゴルトベルクは机の上に足を放り出して椅子の背もたれに身体を預ける。何やら考え事をしているのか、その難しくも冴えない表情は、昼寝すらも忘れてしまったようだ。
──ファルカー・ゴルトベルクが思慮の世界に囚われている理由は、昨日の朝と夕方、二度に渡って会った男の事。彼の言葉が脳裏から離れないのだ
男の名前は、オレル・ダールベックと言った。
陸軍諜報部隊の責任者で、ランペルド・マルヴァレフト公爵からの紹介だと言って、千切った紙片に押し当てた公爵家の封蝋を見せた事から、ゴルトベルクはそれを信用し、改めて仕事上がりの夕方に会う約束をした。
一昨年に起きた退役軍人による連続猟奇殺人事件、犯人を逮捕して表彰されたゴルトベルクは、マルヴァレフト公爵の高い評価を受けた事から情報をやり取りする関係となっている。
だから目の前に現れたオレルと言う名の青年が、いかに瞳の奥に言い知れない深い闇を漂わせていたとしても、ゴルトベルクがそれを感じて背筋が凍ったとしても、公爵の紹介であれば嫌とは言えなかったのだ。
……昨晩、中央の凱旋広場、噴水の前で待ち合わせた二人は、多少の距離を取りながらベンチへと座る。
開口一番、俺に一体何を求めている?とゴルトベルクが発すると、オレル・ダールベックはズバリズバリと要点だけを話し出す。
「バルトサーリ管区警察本部を皮切りに、アムセルンドに巣食う汚職警官を一掃する。ゴルトベルクさんには情報提供者となって、内部情報を探ってもらいたい」
ゴルトベルクはベンチから飛び上がりそうになるのを必死に堪え、驚愕の表情を押し殺すように耳を傾ける。
オレルの話では、今年の春に新しい情報部隊を自分が設立させたとの事。アムセルンドの国家安全保障のために内密に動き、国内や国外問わず悪いヤツらを片っ端から排除するのが目的だと言う。
その第一段として、首都を中心に活動していた麻薬密売組織チャルナコシカを壊滅させ、リーダーを殺したのだそうだ。
「確かにチャルナコシカは壊滅し、リーダーも行方不明だと聞いている。それをあんた達が本当にやったのかどうかなんて無粋な質問はしないよ。それで、汚職警官の排除が第二段として決定し、俺に探れって言うんだな?だけどよ、麻薬密売組織はチャルナコシカだけじゃねえぞ」
「知ってるさ、もう一つの組織の名はエトネッヴ。南方民族のロキュス・ゼーマンを中心に作られた組織で、構成員は三十四名。バルトサーリ南区のスラムに拠点を構えてアヘンを売り捌いている」
「お、おい……そこまで知ってて……」
「勘違いするな、エトネッヴは間違い無く全滅させる。考えてもみろ、麻薬密売組織と繋がる汚職警官を炙り出そうとしているのに、その前に密売組織を壊滅させたらどうなるか。餌場に顔を出していた汚職警官が片っ端から顔を引っ込めて大人しくなったら、その方がやりにくいと思わないか」
ゴルトベルクは愕然とする。
警察の麻薬取締課並みのこの情報量、そして悪党は効率良く徹底的に排除すると決めたこの覚悟。正義のためにとか、街の平和を守ろうと心に決めた警察官ですら鼻白むほどのこの、一切のブレを感じさせない態度。
さながら、おとぎ話に出て来そうな、悪をもって悪を討つ魔王が今、ゴルトベルクに語りかけているような畏怖が身体を走り抜けたのである。
「まあ、あんたの覚悟は分かったよ。だがな、オレルさんよ。俺は殺人課から外れて閑職に回された身。力になれるか分からないぜ」
弱音を吐いた訳ではないのだが、ゴルトベルクは口にした事は事実。貴族相手のパレードや警護のスケジュール管理をする役目の自分は、あんたが望む働きが出来るかは分からないぞと釘を刺す……つまりは言い訳だ。
しかしオレルはそれを許さなかった。ゴルトベルクの置かれたポジション、それを活用せずにクサっている彼に向かい、度肝を抜くような言葉を投げかけたのである。
「ファルカー・ゴルトベルク巡査部長、あなたは現場主義を貫く優秀な警官だと聞いていたが、どうやら現場に固執し過ぎて大局が見えなくなっているようだな」
「馬鹿にしてるのか褒めているのか、さっぱり分からん、あんたは何が言いたい?」
「アムセルンド公国は貴族の国だ。貴族が集まり貴族が政治を行い、そして民衆は貴族に集まる。いわゆる貴族による派閥社会だ。麻薬密売組織が汚職警官にワイロを送って見逃して貰う、その金が全て汚職警官のポケットに入るだけなどと、甘く考えている訳はないよな?」
──そうだ、そうだった!獣人として差別は受けているが、俺は貴族と自由に接触出来る部署にいる──
「ふふ、目からウロコがこぼれたか?ファルカー・ゴルトベルク、この作戦を早々に解決させたら、私の部下にならないか?そのためのプレゼントも用意しよう」
「プレゼント?プレゼントって何だ?俺は必要以上の金なんかいらないぞ」
「金じゃないよ。……今年になって頻発する獣人の連続殺害事件。あの猟奇的殺人事件の突破口さ」
「なんだと!」
大声を上げながら、勢い余ってベンチから立ち上がるゴルトベルク。そのままオレルを見下ろすのだが、オレルもそろそろ頃合いかなと立ち上がり、身を翻した。
「明日もう一度ここで会おう。やるかやらないかは、その時に返事をくれ」
陸軍参謀部 参謀情報部三課、その責任者であるオレル・ダールベック中佐は、返事が楽しみだと言い残したまま、そのままスタスタと立ち去ったのである。




