26 マーヤ姐さん
早々と秋の風が吹き始めた首都バルトサーリ。
北半球はまだまだ夏だと言うのに、標高の高いこの地では首都をぐるりと取り囲む山々が紅葉に色付き始めており、収穫を喜ぶと共に、やがて来る厳しい冬に向けた準備のために人々は奔走し始めていた。
高揚感に包まれる賑やかな首都のとある場所、太陽も西に傾き始めた時間帯。参謀情報部三課のセーフハウスでは夕飯に向けた準備が始まっている。
今週は射撃の個人スキルを向上させるとの目的で、突入班の三人……バイパーとシルバーフォックス、そしてグリズリーの三人は毎日朝から訓練キャンプに入り、ぐったりしながら夕方帰って来る。
日々マスターチーフにみっちりしごかれる彼らのために、セーフハウスに残ったメンバーが、全員分の夕食の支度をするのだ。
厨房に今いるのは、狙撃犯の姉妹。
姉のフルモナと妹のハルヴァナが必死になって仕込みを行っているのだが、陸軍屈指のスナイパーチームも調理は苦手なのか、悪戦苦闘が続いているようだ。
「痛っ!」
「ハルヴァナ大丈夫?」
包丁で自分の指を切ったのか、ハルヴァナは作業を止めて苦悶の顔付き。慌てて駆け寄ったフルモナが見れば、左手の指先に真紅の筋が垂れている。
「気をつけなさいって言ったでしょ、あなた結構不器用なんだから」
「姉さんだって人の事言えないよう」
注意する姉のフルモナ、抗議する妹のハルヴァナ、二人とも揃って指先が傷だらけである事から、つまりはどっちもどっち。このハーフエルフたちは家事がからっきしな事は想像に容易かった。
夕飯のメニュー、本日のメインは鹿肉の赤ワイン煮込み。
ぶつ切りにした鹿肉とカットしたジャガイモを炒めて、大量に微塵切りした玉ねぎやセロリやニンジンを後から投入し、各種ハーブと水と赤ワインで煮込み、塩コショウとバターとヨーグルトで味を整え出来上がり。
今『マザーズネスト』こと、ホビットのマーヤが買い出しに出ており、彼女が鹿肉と人数分のバゲットを買って来る事から、このハーフエルフの姉妹は鹿肉の赤ワイン煮込みの準備段階として、野菜のカットを完成させておく必要があるのだ。
「あは、このままじゃハーフエルフの血液煮込みになっちゃうわね」
「もう、バカな事は言わないの。ちゃっちゃと早く終わらせないと、マーヤ姐さんが帰って来るよ」
三課は基本的に、いついかなる場所でもコールサイン・コードネームで呼び合う事が決まっている。いざ敵に捕まって拷問を受けたとしても、仲間の本名を自白しないためだ。
だが、軍属と言う立場と、作戦地域に投入されない念話オペレーターである事から、マザーズネストことマーヤ・ルンテッソンだけは本名での会話が許されている。
ホビット族らしく背が小さく、あどけなさが残る容姿ではあるが、この三課のメンバーの中で一番の歳上である事から、皆から『マーヤ姐さん』と親しみを込めて呼ばれていたのである。
「ただいまあ、帰ったよう!」
「あ、おかえりなさい」
「買い出しご苦労様でした」
ハルヴァナとフルモナが噂をしていると、当の本人がニコニコ顔で帰って来た。
某国営放送局の幼児向け番組で司会進行する、歌のおねえさんに似た甲高い声と異常に陽気なテンションは、どうやら外出先で良い出来事に遭遇したようだ。
「あれ?マーヤ姐さん……?」
「その右手にあるものは……?」
ハーフエルフの姉妹が目を凝らす。何と、買い出しの荷物を背負ったマーヤの右手が、小動物の長い耳を掴んでいる。灰色のウサギが離してくれと言わんばかりにぴょこぴょこともがいているではないか。
「うわあ、可愛い!」
「ウサギさんだ、ウサギ可愛い!」
乙女心に火が着いたのか、フルモナとハルヴァナは仕込みを中断して玄関に駆け付ける。
にひひひ、街中で見るなんて珍しいから、まんまと捕まえて連れ帰ったよと、マーヤは得意げに笑う。さすが動物と通じ合う事が出来る、ビーストテイマー (猛獣使い)の血が流れるホビット族だ。
「ここで飼うのですか?」
フルモナがそう質問すると、マーヤの表情がガラリと変わった。アルプス山脈のふもとで老人と暮らす、無垢な少女のような表情が、残忍な悪魔の顔へと変わったのだ。
「フヒヒ!アンタたち何寝言みたいな事言っちゃってるのよ、食べるに決まってるじゃない」
「食べる?食べるんですか?」
「こんなに可愛いのに食べちゃうんですか?」
「あったり前よ、ウサギの肉なんてご馳走よ!私の故郷じゃ煮て良し焼いて良し……」
マーヤ姐さん半端無いっすと褒めながらも、ドン引きで涙目になる姉妹をよそに、ウサギ肉の素晴らしさを自慢げに話すマーヤ。
しかしその時、ハルヴァナでもフルモナのものでもない、少年の悲鳴が屋内を駆け抜けたのだ。
(ひやああああ!お願い、食べないでえええ!)と
ウサギが人の言葉を喋った、ウサギが自分たちの会話を聞いていたと、腰を抜かさんばかりに驚くフルモナたち。しかし、マーヤは何か脳裏にピン!と来る閃きがあったのか、なるほどなるほどと得心のいった顔付きだ。
「このウサギは使い魔ね。誰かが街の中で私を見張って後をつけていた……。そうよね?」
(ちがう、ちがうんです!街に今日たどり着いた旅の者なんですが、サイフを落としちゃって探してたんです!)
「怪しいわね、正直に言わないとこのウサギ食べちゃうわよ」
(正直に言ってます!そのウサギは僕の友達なんです、どうか食べないで!)
ポカンとするハーフエルフの姉妹を尻目に、マーヤはこの使い魔であるウサギを通じて、その主人であろう少年と会話をしている。もちろんマーヤが使い魔だと断言した以上、それを使役するのは魔法使いであるはずなのだが、聞こえて来る声があまりにも幼い。
マーヤはそれについて疑念を覚えており、質問できゅうきゅうと追い詰めているのだ。
「そうね、あなたが魔法使いならば、しっかり名を名乗りなさい。意味するところは分かるでしょ?」
(はい、魔術士が本名を名乗る時は、己の誠意と真意を見せる時。……僕は北極魔導協会の第十三階位見習いのエルモ。エルモ・ライホです!)
ふ〜ん……と、微妙な反応を示すマーヤ。
自分で言っておいて何だが、知らない名前を名乗られたところで「あ、はい」としかリアクション出来ないよと言う不完全燃焼の顔だ。
「なんかその声の子、ちょっと可愛そうになって来た」
「北極なんちゃらなんてサッパリ分からないけど、お金落として大変そうね」
フルモナとハルヴァナは既にエルモ・ライホなる少年に同情的になっており、マーヤの味方は誰もいない。
「ま、良いわ。食べる気も失せちゃったし、逃してあげる」
(ありがとうございます!ありがとうございます!この御恩は忘れません!何かお礼に……)
「サイフ落としたクセにお礼も何も無いでしょが。さあ、行きなさい」
マーヤは玄関の扉を開け、ポイ!とウサギを放つ。
自由になったウサギは一目散に駆けて行き、そして姿を完全に消した。
──その夜、仲間が全て揃って鹿肉のワイン煮に舌鼓を打っている最中にマーヤがこの話題を出したところ、グリズリーにこてんぱんに怒られてしまう。「秘密の隠れ家に使い魔を引き込むとは何事か!」と
さすがにしょんぼりしてしまうマーヤ姐さんであったが、その後、隠れ家を突き止めた敵から襲撃を受けると言うような騒ぎは一切無かった。
その代わり、二日後の朝に思わぬ訪問者が現れたのだ。
「す、すみません……サイフ落として二日も食べてなくて……食べ物恵んでください……」
玄関の前で倒れていたのは、ウサギを連れた旅の少年。使い魔を通じて名乗った駆け出しの魔術士、エルモ・ライホであったのだ。
「お礼どころか、タカリに来やがった」
毒々しいセリフを吐くマーヤではあったが、エルモが泣いて喜ぶほどに腹一杯食べさせたのは事実。
旅の少年はしつこいほどに礼を言いつつ、旅に戻って行ったのだが、不思議な縁がそこに築かれていた。
──旅の少年はその後、再びマーヤたちと顔を合わせるのだ
『参謀情報部三課に魔法使いがいる。光と闇を使い分ける強力な魔法使いが』
彼がそう噂になるまで、まだしばしの時間が必要であった。
◆閑話休題 編
終わり




