13 拉致、そして拷問
二つの月明かりに照らされた首都バルトサーリは、満天の星々も手伝って、外灯など必要が無いほどに足元を明るく照らしている。
ここ、バルトサーリの飲食街も、週末であると言う理由もあってか、老若男女が賑やかな夜を迎えていた。
飲食街の一等地に店を構える高級レストラン『ビフ・リットメル』。高級なステーキやグリル料理を提供するこの店は、古くから貴族層の絶大な支持を受けて今に至る。
文明が近代化に傾倒しつつある昨今では、貴族層だけでなく市民側でも巨大な資産を持つ経営者などのブルジョワ層や、研究者や思想家などの知識層もこの店のグリル料理に舌鼓を打つようになり、『ビフ・リットメル』は一種のステータスシンボルとして君臨していた。つまり、並の市民や労働者では扉をくぐる事すら叶わない店なのだ。
その『ビフ・リットメル』の入り口扉が開き、お辞儀するドアマンの前を悠々と、二名の客が出て来た。二人ともスーツ姿の恰幅良い中年男性で、酒もしこたま入っているのかご機嫌である。
「いやあ、コズロフさん、何から何までご馳走していただき、まことにありがとうございます」
「いやいや、そんなにかしこまらないでください先生。私のささやかな気持ちです」
それと……と、言いながら
ゴテゴテした腕輪や指輪が目に痛い、成金趣味丸出しの中年男性は、葉巻を咥えたままスーツの内ポケットから茶色の封筒を取り出し、先生と呼ぶその男に渡した。
「先生、先生のおかげでカラタス貿易通商も軌道に乗ったんだ。これからも頼みますよ」
「これはこれは……!コズロフさん、こんなによろしいのですか?」
「わはは!遠慮なく貰ってやってください。また明日の晩に出荷があるもんで、じっとしてても大金が転がりこんで来るもので」
「いやはや、至れり尽くせりのご配慮、感謝いたします」
俗に言う「お車代」なのか、それとも賄賂などの後ろ暗い金なのかは分からないが、受け取った男性は上機嫌で挨拶し、そしてこの成金趣味の男性を見送る。
『ビフ・リットメル』の道を挟んだ反対側には、黒塗りの高級車が停まっており、成金男の部下らしき若者たちがドアを開けて出迎えており、成金男の乗った車はほどなくしてその場から去って行った。
成金男から「先生」と呼ばれていた中年男性も、その車を見送ると、月明かりと星明かりに導かれつつ、徒歩で家路につく。
バルトサーリの飲食街を抜け、水路沿いの道を住宅街へ。家々の灯りも落ち始めており、昼間の喧騒が嘘のように静寂が街を包み、石畳を叩く男性の革靴の音だけがカツカツと辺りに響くだけ。
──今まであんな美味い肉は食った事が無かった
あんな上等な蒸留酒は、飲んだ事がない
肉だけじゃない、前菜もスープもパンも
嗚呼、良い金ヅルを見つけたなあ。また連れて行ってくれないかなあ──
先生と呼ばれていた男は夢心地のまま、頬をゆるめて帰路についていたのだが、それが彼の命取りだった。
突如目の前が真っ暗になり、月明かりも星明かりすらも遮断された漆黒の世界に落ちたかと思った瞬間、自分の両腕を背後に回されガッチリと拘束され、両足すらも完全に拘束されてしまったのだ。
つまり「先生」は、あっという間の刹那の時間に、頭から袋を被せられ、両手を背後で拘束され、両足も拘束されてしまったのだ。
「う、ううっ!うううっ!」
何が起きたのか全く理解出来ず、大声で叫んで助けを求めようとするも、頭から被された袋の口に紐が入っているのか、キュッと首を軽く締められたショックで言葉を発する事が出来ずにいる。
「……暴れるな、暴れたら殺す……」
袋が隔てた外から、先生の耳元に囁く声が聞こえたかと思ったら、遠くからドロロロ!と車のエンジン音が迫って来る。
結局「先生」は、単独なのか集団なのかも分からない、何者かによって、強引に拉致されてしまったのである。
……時間にしてどれぐらいだろうか?車のトランクらしき場所に閉じ込められ、何時間も経ってはいない。
数分なのか、数十分なのかは分からないが、あっという間に車のエンジンは止まり、先生は担ぎ出された。
視覚と手足の行動を奪われ、恐怖のあまり過呼吸気味にハアハアと荒い息をしていると、急に天地が回転する感覚に襲われ、そのままドスンと無造作に椅子に座らせられた。
相変わらず自分を誘拐した者たちは声すら上げず、呼吸の音も聞こえて来ない。ただ分かるのは、板張りの床がギイギイと鳴る事から、何かしらの屋内に連れ込まれたと言う感覚だけ。
静寂の恐怖に耐えられず、ガタガタと震えていると、ガチャリと扉の開く音がする。そして足音がこちらに近づいて来た。
「顔を出してやれ」
その命令に周囲は動き、先生の視界を奪っていた袋が取り除かれる。
「ハアッ、ハアッ……ここは?」
息の詰まりそうな閉塞感から解放され、慌てて周りを見回すと、窓一つ無い古びた小屋のような場所で、オイルランプの灯りが弱々しく揺れている。
周りを取り囲むのは、黒い目出し帽を被った黒ずくめの者たち数人と、何故か目の前にはベレー帽を被った陸軍の軍人がいるではないか。
「公認会計士のカールハインツ・ヘッケンだな」
「あ、ああ……。それよりも、ここはどこだ?私に何の用がある?」
「私の質問にだけ答えろ。あまり手間を取らせるようなら、面倒臭いから殺す」
「ちょ、ちょっ!分かった、分かったから、答えるから!」
怯えるヘッケンの前に仁王立ちとなり、射抜くような冷たい瞳で見下ろす軍人。震えるヘッケンを前に、淡々と語り出す。
「麻薬組織チャルナコシカの売り上げ金を、カラタス貿易通商に移してマネーロンダリングしているのが貴様だと言うのは既に知っている。貴様が事務処理のために、丘陵地帯の麻薬工場の事務所に赴いているのも知っている」
この軍人は、自分と麻薬組織との繋がりを知っている。そして警察に通報して警察が捜査に乗り出すのではなく、誘拐と言う形を取って自分を拉致し、情報を聞き出そうとしている。
──もみ消せない!毎度のトラブルなら、組織が警察のあの人に袖の下を送ってもみ消すのも可能だろうが、この軍人はダメだ。取り引きに応じるどころか、まるで自分を野犬の腐乱死体のように見詰めて来るではないか
「ヘッケン、貴様に聞きたいのは一つだけ。あの丘陵地帯にある麻薬製造工場の、内部の様子だ。間取りと警備員の数を教えろ」
「な、な、何をする気だ?聞いてどうする?それに、私がそれをバラしたら……」
「私の質問にだけ答えろと言ったはずだが」
「ひ、ひいいっ!」
軍人は一歩前に出て、ヘッケンの至近距離に躍り出る。拳を作ればその場で殴れる距離だ。
「私は陸軍に所属しているオレル・ダールベック中佐だ。名前を知ったからには生かしては返さんぞ」
「いやいやいや!今、自分で言ったんじゃ……!」
「はっきり言うぞヘッケン。麻薬組織は我々が壊滅させる、お前たちを庇って来た汚職警官たちもだ。そこにお前とお前の妻、そして可愛い娘と老いた母親四人分の死体が増えたからと言って、別にどうとも思わん」
「何で、何で私の家族がここで出て来るんだ!家族だけは、せめて家族だけは!」
「罪の無い市民たちを薬漬けにして、その命と財産を貴様らは金に変えたんだ。そして貴様はその病んだ金で家族を養ったんだ、家族も同罪だろ?」
ヘッケンはとうとう失禁し、涙と鼻水を垂らしながら嗚咽し始める。
「質問に答えなければそれで構わん、時間がもったい無い」
ふん!と鼻息を一つ鳴らし、オレルは黒ずくめの部下たちに指示を出す。
「今からヘッケンの家に行って家族を皆殺しにして来い。そして首を切り落として頭だけ持って来い。最後の別れくらいさせてやろう」
──待って、待ってえええええ!
ヘッケンは落ちた
完全に降伏し、自分と家族の安全を保証してもらう代わりに、全ての質問に答えたのである。




