七人目
「……そろそろ、仕事を再開していただけませんか?」
スマホで撮った猫の写真を眺めていたところで、助手がそう言いながらティーカップを机に置いた。
「人がペットロス症候群に襲われてる時に、その仕打ちはあんまりじゃない?」
「まず、あなたは人ではなく神ですし、そもそもあの猫は別にペットではなかったのですが」
細かいことを気にするわね、この助手は。
「……お、これはハーブティーか」
「ええ、ハーブティーはブレンドのし甲斐があって楽しいですよ」
私がティーカップに注がれている飲み物を一口飲んだところで呟き、それに助手がそう答える。この辺りはいつもの流れだ。
「それよりも、早いところ仕事に戻ってもらいませんと私まで残業させられることになるので、そろそろ仕事を再開してください」
あー、確かに残業はしたくないわね。
「仕方ないか。それじゃ、七番札の部屋の人、入ってきて」
そして私はスマホの写真を閉じて、仕方なく次の人を呼んだ。すると入ってきたのは、小太りの男だった。
「……これ、どう反応していいのか悩むわね……さて、まずはどのような世界に転生したいか、要望はある?」
「そんなの決まっている、二次元の世界だ!」
「無理」
そんな要望を聞いた直後、私はそう即答した。
「無理……だと……」
「そもそもの話なんだけどね、二次元なんていわば虚構としてでなければ存在し得ない存在なのよ。そして現実存在が虚構に移行するなんてのは、根本的に不可能なの。というかね、なんで物理存在が平面存在になろうと思うのか、私には正直言って理解できないわ」
なのだけど、なぜかここに来る人で二次元に行きたがる人ってのがちょいちょい現れるのよね。
「なんだよ、神様なんて名乗ってる割にはそんなこともできないのかよ」
「仕方ないでしょ、神って言われても私はその末端に位置する存在なんだし。それに二次元なんて現実でうまくいかない人が逃げ道として模索するような世界なんて存在すらしてないし、してたとしても選ぶことはたぶん許されないと思うわよ」
相手がそういう態度でくるなら、私もそれに応じた対応をさせてもらうことにした。
「次元の壁も超えられない奴が、偉そうなことを言ってるんじゃねーよ」
「まともな生き方ができなかったせいで生き残ることすら出来なかった奴に言われたくないし、そもそも次元の壁とやらを超えたいなんて現実逃避以外の何物でもないでしょうに」
「俺が死んだのはそもそも世の中が間違ってるからだろうが!」
「いやちょっと待って、この死因はどう考えても世の中まったく関係してないじゃない! 自分が生きてきた世の中に冤罪きせてるんじゃないわよ!」
「なんだと! 俺に非があるとでもいうのか!」
「なんなら君の死因をここで声出して読んでやろうか? 学生でもなく働いてもいないくせに、ヲタ人生の毎日の中で寝不足いきすぎて、挙句の果てにテクノブレイクで昇天とか、たぶん公表されたら死にたくなるくらい恥ずかしいわよ。もう死んでるから、恥もへったくれもなさそうだけど」
困った、これなんか不毛な口論を始めてる気がする。まったく……ここにはちょいちょい現れるのよね、ああいう態度がデカくて面倒な奴。本当に面倒よね。
「さて、無駄な言い合いはこのくらいにして、ちょっと提案があるんだけど……前に君みたいに二次元の世界に行きたがってたのがいたんで、その時に考え抜いた際に出てきた妥協点ってのがあってね。二次元の世界は無理なんだけど、二次元の存在に転生させるのは可能なんだよね」
なんでそんな答えに辿り着いたのか、いまだに自分の事ながら疑問を持っている。
「で、それで構わないなら、その方向で話を進めるけど……」
「なんだ、二次元に行けるんじゃないか。なら何も問題はないぞ」
態度はデカいままだが、それならそれで容赦なくやれるから悪くはないかもしれない。まぁ、私が言っていることを正しくは認識してなさそうだけど。
「なら後は、何か欲しい能力ってある?」
「無双できるようなやつが欲しいな」
さてと、今日最初に来た人と同じような感じの希望が出てきたわけだが。
「無双って言われてもねぇ……それじゃ曖昧すぎて検索に明確な答えがひっかかってこないのよ」
そもそも、二次元の存在にする時点で相当の制限がかかってくるのだから、あまり選択肢なんてないんだけどね。
「何を言っているんだ、要は一方的に敵を倒せる能力というだけだろ。どこが曖昧なんだ?」
「……それじゃ、その方向で勝手に決めさせてもらうけどいい? なにしろ、これ以上の交渉は無意味だってことに気付いたわ」
そう言って私はスマホに呪文を表示しようとした。
「それじゃいくらなんでも無責任だろうが!」
こいつこのまま冥府の底に落としてやろうか。
「だいたい、無双するだの一方的だの、アニメだかゲームだかでもそれなりに具体的な能力を形成して表現してるでしょうが。それができないくせに無責任とか言ってくるんじゃないわよ。なんか凄いエネルギー波をぶっ放せる程度の具体例を出してから他人の責任を追及しなさい」
なんでこんないい歳した大人を教育する立場になってしまったのか。しかもこいつはすでに死んでるのだから、転生するのでもなければ放っておけばいい存在なのに。
「それなら簡単な話だ。敵を薙ぎ払えるほどの力と、敵からの攻撃を耐え切る防御力があれば、それで無双できるだろうが」
「オッケー、それなら身体のブーステッド化だけでそれは賄えるわね」
ようやく決まったので、スマホに呪文を表示させることにした。
「ひとつ気になったんだが、日本の神様なのに英語とか普通に使ってるんだな」
「神の世界もグローバルってるのよ。そもそも、このスマホだってアメリカの方から回ってきたものだし」
もっと言うと、戦時中でも神は英語をバンバン口にしてたくらいだし。
「よし、それじゃ始めるわね」
そしてスマホに呪文が表示されたところで私はティーカップに注がれたハーブティーを一気に飲み干して、一息ついてから私はその呪文を口にし出した。
「……なんだこの異様な呟きは……」
まぁ、呪文を唱えてる時の私は異様でしょうね。それは自覚してる。前に見学に来てた知り合いの神がおもむろに私が呪文を唱えてるのを動画で取ってて、それを見た時に私が思ったことと同じ事を彼は言っている。
そんなこんなで私の呪文は続き、それに合わせて彼を囲んでいる円の光が徐々に強くなっていき、一際強く瞬くとその光が消えた後には彼の姿はその場から消えていた。
「さーて、お一人様二次元にご案内完了」
姿が消えたのを確認した後、私はそう言っていた。
「お疲れ様です……そういえば今まで聞いてきませんでしたが、二次元の存在、とは具体的にどういうものなのでしょうか?」
「そういえば、この辺りのことはあまり聞いてこなかったわね」
「ええ、あまり関わり合いになるべきではない世界かと思いまして」
酷いこと言ってるけど、その気持ちは凄い分かるわ。
「……どう説明したらいいのか……『絵画の魔物』って知ってる?」
「いえ、聞いたこともありませんけど」
日本はおろか地球でも実在はしないとはいえ、そこそこ知られてはいるレベルの都市伝説のはずなんだけどね。まぁ、彼はある意味でリアリストだし仕方ないか。
「この世界だと、絵に描かれた人物の目が動いたりとかいうわりと有名なオカルトが一番近いけど、所詮は都市伝説の類で実在はしてないからね。ただ他の世界だと、目どころか人物像そのものが動いたり飛び出してきたり、逆に絵の中に閉じ込めにきたりと、わりと有名な存在らしいわよ。動くだけならオカルトで済むけど、実害があるゆえに『絵画の魔物』なんて呼ばれ方をしているわけ」
「なるほど……つまり、そういう絵画に転生をさせたと」
「細かく言うと若干違ってて、『絵画の魔物』には絵そのものを指す場合と、絵の中に描かれた何かを指す場合があるの。で、今回は後者の方に転生させたわけ。そうした三次元という立体存在を絵画という二次元の平面存在にシフトさせるということを、『二次元の存在』に転生させるということになるのよ」
まぁ、そもそもの話として人間を人間以外の存在に転生させること自体はよくあることなので、これにわざわざ別の扱いっぽい名称を付けることそのものがアレかもしれないけど。
「二次元の世界に行きたいって人は大抵は二次元で描かれてる女の子が目的なんだけど、描かれた絵画ゆえにそこに描かれていない限りそんな存在は一切いない上に、絵画ゆえに世界の端が存在して他の場所へ行くこともままならない閉鎖された二次元もどきの世界で、彼はどうやって生きていくつもりなのかな」