四人目
「おのれあの猿親父、日に日にどんどん逃げ足が速くなっていってるし!」
「お疲れ様です」
部屋に戻ってきてそのまま席に座った私に、助手はそう言いながら少し白みがかった半透明の液体が入ったコップを机に置いた。
「……スポーツドリンクか」
「あの状況からだと、おそらく走り回られていたかと思いまして」
一口だけ飲んだ後に呟いた私の言葉に、助手はそう説明をしてきた。確かに走り回ったし、この状態だとこういう飲み物はありがたいけど。
「そういえば、あの猿親父は何であのタイミングでここに来てたのよ?」
「特に理由はなさそうですけど……生前からこういうことには割と勘が鋭かった人ですから、たぶんそういうことなんじゃないでしょうかね」
害獣か、あの男は。
「……さて、次にいくわよ。四番札の部屋の人、入ってきて」
私がそう言った後、部屋には眼鏡をかけた男性が入ってきた。さっきとは違って良くも悪くも普通そうだ。
「……さて、轢かれての登場は本日二人目なわけだけど……まずはどんな世界に転生したいか、要望はある?」
「いえ、特にはないのですが……ひとつだけ」
ひとつだけ……か。さっきの奴みたいにふたつもみっつも出してこなけりゃいいけど。
「僕は枕が変わると寝られない体質なので、枕だけでも持っていけないでしょうか?」
枕ときたか……たまにいるのよね、この世界のものを持ち込みたいって人は。
「残念だけど……世界間の物質の行き来は原則としてできないのよね。というか、君が死んでから一週間くらい経過してるから、枕はもう処分されてるんじゃない?」
まぁ、処分する暇が遺族にあったかどうかというのはあるものの、枕の処遇なんて私にとっては別問題なので、実際に処分されたかどうかは知ったことではない。
「それじゃ……僕はどうやって快眠を得ればいいんですか?」
「ちょっと待て、転生するにあたって最初にする心配にしては、それはちょっと問題あるんじゃない?」
「何を言ってるのですか、快適な睡眠が取れなければ何事もうまくいきません!」
うん、言ってることは分かるし正しいよ。でも……
「永眠してここに来た人が睡眠について熱く語ってるって思うと、ちょっと面白いわね」
おっと、うっかり本音が口に出た。
「まぁ、それはそれでどうでもいいか。となると、与える能力はどんな枕でも眠れる能力か、快眠がとれる自分の望みの枕を作り出す能力のどちらかになるわね」
「いや、そんな能力を与えられると言われると、それはそれでどっちもどっちかと……」
まぁ、眠れる能力か枕作れる能力かって言われてもね、双方共に私から見てもどうかと思う。
「でも、快眠を得たいのならその二択……いや、ちょっと待って、枕を作り出すような能力の方向で考えたら、イメージしたものを作り出す能力、という範囲を広げた能力にするのはどうかな。それなら、自分の望む枕も作れるでしょ」
「確かに」
さっきの奴と違って話の分かる人で良かった。
「となると、やっぱり転生させる世界が問題になるわね。漠然としたものでいいから、なにか要望ないかな? なければランダムで吹っ飛ばすけど」
「ランダムってのは、ちょっと怖いですね」
そうでしょうね。最悪、地獄の一丁目にご案内だし。
「できれば平穏にのんびりと暮らせればいいんですけどね」
「あー、どこの世界も平穏な時は平穏だけど何か起こると大変なことになったりするから、それを狙って転生させるのは難しいかな。平穏な生活を得られるかどうかは運任せだもの、今は平和だけど転生させた直後に大変なことになる可能性もあるわよ」
「いや、そういう運が悪いと毎週のように殺人事件に遭遇する的な確率は別にして考えてくれないですか?」
なにそのどこかのアニメに出てきそうな具体的な現象。
「だと、今の段階では特に戦争が起きているとか、魔王がいるとか、世界中で得体の知れないスポーツが流行っているとか、そういう平穏から程遠い世界は除外していいわね」
「最後のは、むしろ気にはなります」
私もちょっと気にはなる。それは仕方ない。
「それじゃ、文化レベルはどうする? 今の日本に近いものから、なんかよく分からないファンタジーしてる世界まで幅広くあるけど」
「一番楽そうなのは、日本に近い世界じゃないですかね」
「了解、それでちょっと調べてみるわね」
そう言って私はスマホを操作してみて、
「……困ったわね、イメージしたものを作り出す能力、これって無から有を生み出すって能力になっちゃうから、平穏な世界が出てこないわ……」
そうだった、あの能力って簡単にオッケー出してくれるから案外気楽にオススメしてるんだけど、考えてみるとこれ相当ランクの高い能力だったのよね。今までこれをオススメしてた相手はやれ活躍したいだの、やれ冒険したいだのという、いわゆる英雄願望の高い人だったから滅茶苦茶な世界でも許されてたからすっかり忘れてた。
「んー……なら、どうにかして能力のランクを下げてみるか……おそらく、有を有に変換する能力にシフトさせれば……やっぱり、要望に応えられそうな世界が出てきたわ」
「有を有って、どういう……」
「簡単な話としては、例えば拾った石を同質量の何か別の存在に変換させる、みたいなやつよ。もっとも、変換できるものには相応の制限が付けられるけど、さすがに枕くらいなら何からでも普通に作れるはず」
これで能力は確定したから、あとは世界なんだけど……
「……やっぱりというかなんというか、またあの世界がトップに出てきたか」
「……また?」
「君みたいなわりと見つけやすいはずなのに見つからないような要望を出す人を何度か転生させるのに送り込んだ世界なのよ。世界全体が日本に近い文化形態をしてるので、こちらとしても扱いやすいのよね」
まぁ、ちょいちょい転生者を送り込んでるせいで、たまに向こうの神から苦情が来るのがちょっと問題だけど。
「それって、他に異世界転生していった人と出会う可能性も……」
「あるわね。まぁ、そこまで狭い世界じゃないから、確率的には相当低いと思うけど」
どの世界でもそうなんだけど複数人を同じ世界に転生させる場合、転生する場所は均等に振り分けられるようになってるから、世界中を大冒険とかいう頭おかしいことをしない限り同じ転生者と出会うなんてことはないのよね。だから、破天荒な生き方を望まない人を中心に送り込んでるんだけど。
「ということで、この世界が最もオススメになってるから、その方向で転生させるわね」
私はそう彼に言った後、スマホを操作して呪文を表示させる。そしてコップに注がれているスポーツドリンクを一気に飲み干すと、その呪文を口にし出す。
「あの、急に何を……」
「気にしない方が良い事もあるのですよ」
毎回そうなんだけど、なぜこの助手は正しい情報を伝えるということをしないのだろうか。
そんなことを思いながらも私は呪文を唱え続けていき、それに合わせて彼の足元の円の光が徐々に強まっていく。そこで、
「あ、もう少し良い能力を思いつきそうな気が……」
そんなことを言われても思いつくのが遅い。こっちとしてはもう呪文を中断するわけにはいかない。
「こういうのを、時すでに遅し、というのでしょうね」
助手がそんなことを言っている。後ろにいるから見えないけど絶対に笑顔で言ってるな、これは。
そんなこんなで呪文を唱え続けていき、光を発する円を囲むように文字が浮かび上がり、その光が眩しく閃いたかと思ったら、そこにはもう彼の姿は消えていた。
「さって、今回はそこそこ楽な仕事で済んだわね」
「あの世界に人を送るの、これで何人目なんですかね?」
助手がそんな疑問を口にした。私はもう把握していないが、彼は全部記憶していてもおかしくないので怖い。
「少なくとも私がこの仕事を担当してから、余裕で三桁に突入するレベルだとは思うわよ」
「……そういえば、なぜその世界が全体的に日本に近い文化になったのか、今まで聞いたことありませんでしたね」
そういえば彼には話したことなかったわね。
「あの世界は昔いろいろとあって、一度人類が滅びかけたのよ。その時に唯一生き残った国に日本からの転生者が送り込まれて、そのまま勢い任せで世界全体を復興していった結果、世界全体で日本に近い文化体系が形成されていったって感じね」
たまにそういう感じで人類が滅びかける世界が発生することがあり、本来の異世界への転生はそういう世界を救い出すことを目的として形成された手法なのである。
「確かその世界に転生させたのが、日本で最初の転生作業だったって私は聞いてるわよ。考えてみると、当初はそういう世界を救うという目的で行われてきた転生が、まさか今や大衆娯楽レベルの勢いでやる羽目になるなんて、神様にだって分からなかったでしょうね」
「神様の一人であるあなたが言うと、妙に説得力がありますね」