十二人目
「さてさて、次で午前の仕事は終わるわね」
あと一人で午前中のノルマが完了するので、たぶん私のテンションは少し高めになっているんだと思う。
「なんと言いますか……もの凄い障害物競走をやっていたかのような午前でしたね」
そう言いながら助手はコップを机に置く。
「……水?」
「水ですよ。昼食前なので、こういうものの方がよろしいかと」
なるほど、確かに味覚をリセットできるのはいいかも。特にさっきはスムージーだったから、割と口の中に味が残ってたもの。
「それじゃ、さっさと終わらせてさっさとお昼にしましょう。十二番札の部屋の人、入ってきて」
私がそう呼ぶとドアが開き、そこからなんか痩せ細ったロンゲの男が入ってきた。
「……早速本題に入るけど、どのような世界に転生したいですか?」
「人を切り刻んでも許される世界へ」
「無いわよそんな世界」
私は調べることもなく速攻でそう言い返していた。ガチでとんでもない人が来たもんだけど、どうしてこんなのがここに来れたのか……
「……ああ、未遂どころか敢行すらできなかったタイプか」
調べてみて分かった。彼はそういう願望はあるものの、それを行う勇気がなくて何もしないまま階段で滑って転げ落ちて死んでしまったと。
「君の望みってのは、たぶんその世界的にはそういうのが許されるかもしれない世界はあるけど、それやると場合によっては地獄行き確定するレベルの罪が魂に刻まれるわよ」
選別担当の神達も魂の功罪とかだけで選別して罪が刻まれてないからといってここに来させるの、いい加減どうにかして欲しいわ。その辺のルール、そろそろ見直してくれないかな。
「まぁ、当人がそれでもいいっていうならそういう世界は探すけど……それで、転生するにあたってどのような能力が欲しいですか?」
「切り刻むのに恐怖を感じず躊躇しなくなる強靭な心が。できればカエルの解剖で手が震えないようなやつ」
恐ろしいくらい微妙な能力を希望してきたわね。というか、カエルを解剖するのも軽く怖がってるのが、なんで人間をザックザックしたいとか思ったのか、ちょっとその思考回路を分析してみたいわ。
「それは能力というか君の心構え次第だと思うけど、余計な能力を与えるとダメそうな思想をしてるからそれでいくのが一番かも」
「いやちょっと待って、そう言われると本当にそれでいいのかちょっと迷う」
「でもその能力じゃないと、人をザックザックするのが怖いんでしょ? そういう心構えのままそれとは異なる能力を与えたら、たぶん何もすることなくまた死ぬわよ」
そんなことになれば送った先の世界の神からクレームが飛んでくるのは自明の理だから、こっちの心が穏やかにならない。
「それじゃ、それに上乗せで容易に切り刻めるようにできれば……」
「無理。基本として与えられる能力はひとつという制約があって、そのひとつが内包できるような類似した系統なら複数の能力を得ているような感じになるってのは可能だけど、君の場合は最初の要望が精神的な能力なのに対して、追加で出したものは明らかに身体的な能力だから、そのふたつを内包させて与えるのは不可能なのよ」
「つまり、究極の二択が目の前にあるということか……」
人を刻みたくて欲しい能力を究極の選択肢にしていいのかどうか……まぁ、それは彼の人生でのことだし、それを究極にしたとしてもこっちに実害はないけど。
「よし、それなら躊躇なく人を切り刻める方を頼む」
「そっちを選んだのね。なら、その能力をベースに世界を選ぶ訳だけど……できるだけ候補を絞りたいから、もう少し細かい希望ってないかな?」
精神面をどうこうするだけならランクは低いので、望む世界の条件はともかく候補は膨大になりそうだから、もう少し私が楽をしたくてそう尋ねた。
「いや、人を切り刻める世界って、そんなにないでしょ」
「あ、そこは一応は理解してるんだ。そうなんだけど、選べる世界の割合としては少ないけど総数としては膨大になるから、その辺をさらに絞り込みたいの」
実際、割合が一割程度だとしても億に達するくらいの数が出てくるため、これは本当に重要なことではある。
「あと、その条件で優先的に出てくる世界って人を切り刻めるかもしれないけど、自分も切り刻まれる可能性の方が圧倒的に高くなるってことは理解しておいて。酷い時は行った直後にあの世へゴーするから」
「あー、確かにそれは嫌だな」
転生直後に殺されるなんてのは、そりゃ普通は御免被るわよね。
「それと……これは言っておくけど、たぶん人を殺すこと前提の存在を受け入れる世界ってろくでもない世界である場合が多いから、ある程度は覚悟はしておいてね」
「いや、そんな覚悟がいらないような世界がいいんだが……」
まったく、要求がめんどくさいわね。
「……そういえば、これは聞いておいた方が見つけやすくなるだろうから聞くけど、なんで人を切り刻みたいって思ったの?」
飛ばす世界を探しやすくするためなのと、ちょっと興味が沸いたのでそう質問をしてみた。
「いや、肉を切る感触が好きなんだ」
「いや待って、カエルの解剖だけでそういう認識に至れるの?」
「いやいや、どちらかというとスーパーとかで肉塊を買って切るのが好きだっただけで」
恐ろしいレベルで人生を踏み外した感じがするわ、彼は。
「そういえば、人を切る感触ってどんなものなの?」
そこでふと私は助手にそう聞いてみた。
「肉だけならいいのですが、骨を断つ衝撃って意外と身体に響くのですよね。もっとも、主な獲物は槍でしたので、太刀で斬るという感触とはあまり縁ありませんでしたが」
生々しい話が出てきたわね。
「というわけだから、とりあえず穏便なところで食肉加工職人を目指す方向で世界を探す方でいきますわね」
「口調が若干怪しくなりましたね」
助手がそう言ってきた。
「なんで妥協点が安全圏を求めたんだ?」
「いや、妥協しないなら戦場ど真ん中に放り出す方向でいけるんだけど。なにしろ君の希望を全て受け入れると、そういう物騒極まりない世界がほぼ検索上位を占めるからね。というか、どっかしらで戦争でも起こってないと、君の要望は世界の方で内包できないだろうし。まぁ、君がそんな物騒な世界でもいいって妥協してくれるなら、私もその方向で決めるけどね」
そして、その方向で決める方が私としては楽ではある。
「どちらかというと、平和な方がいいんだが」
「はっきり言って、平和な方は君が不要なんだけど」
なんか、このまま彼の要望と私の仕事を楽にしたい気持ちをぶつけ続けると、似たような問答を何度も繰り返しそうな気配がする。こういう要望を捻じ曲げてこない人はこっちの妥協には乗ってこないし、かといって私が妥協したとしても今度は転生できる世界が出てこない。たぶん五本の指に入るくらい、私が相手にしたくないタイプの相手だ。めんどくさい。
「平和でかつこんな危険な思想を受け入れられそうな世界ねぇ……お、おぉ?」
スマホで検索結果を眺めているのがいい加減飽きてきたところで、ふとある世界の情報の断片が目に入ってきた。
「うわー……こんな世界なんかあるんだ……よし、この世界でいこう」
「なんか説明なしで話を進められるのは怖いんだけど」
「いや、別に戦場に放り込むようなことはない、いたって平和な世界だから大丈夫よ。ただ、君がやりたいことがかろうじて世界に容認されてるってだけ」
私はそう答えた後、スマホに呪文を表示させつつ水を一気に飲み干した。
「それじゃ、これ以上時間をかけるのもあれだから、一気に送るわね」
そう押し切るような感じで、私は呪文の詠唱を開始した。
……いやね、怪訝な目でこっちを見るのは気持ちは分かるけど、たぶん彼の方が怪訝な目で見られてもおかしくない思考回路してると私は思うのよ。納得いかない状況よね。
それでも呪文を唱え続けていくと彼を囲む円が光りだし、呪文に合わせてその光が徐々に強くなっていく。そしてその光が一際激しく瞬いたかと思ったら、円の中にいた彼の姿は消えていた。
「ふぅ……強引に持っていったものの、終わって良かったわ」
それを確認した後、一息ついてから私はそう呟いていた。
「それで、どのような世界に転生させたのですか? なにやら具体的な説明を避けておりましたが」
「避けてたというか、説明のしようがなかったというのが正しいところよ。なにしろ、特に突出したような部分の無い、普通の世界だもの。強いてあげるなら、環境は中世の頃の地球かな?」
もっとも中世ヨーロッパみたいな世界はわんさかあるから、これが特徴のない普通の世界の基準になってる節はある。
「それだと、彼の希望が叶えられるような感じはしませんね」
「そうでしょうね……ところで、『切り裂きジャック』の話って知ってる?」
「唐突に話が飛びましたね」
「そうでもないわよ。あれってそもそも実際に起きた事件なんだけど、未解決のまま時代が進んでいったから今のような存在と化したわけなのよ。そしてその話が徐々に世界中に広まっていった結果、各地で似たような話が次々と生まれていったという感じかな」
この場合は事件の犯人が明確になっていないからこそさまざまな推測が出てきて、それが分化していろいろな話になっていったというのが正しい認識ではある。
「それで本題に戻るけど、今回送った世界は平和ではあるものの、都市伝説的な存在が希少すぎてね。都市伝説ってのは人々の間に広まることで人間に対してある種のブレーキをかける効果があるの。狙いはそこで、彼に『切り裂きジャック』のような存在になってもらうために、彼をあの世界は受け入れたってわけ。彼の事件が世界に広がることで、各地に都市伝説のような逸話を作らせようって腹よ」
「考えようによっては物騒な話ではありますね」
そりゃ、彼がきちんと本来の目的を遂行するために本気で行動してくれたならそれなりに犠牲になる人は出てくるでしょうけど、それでもそれが必要になるのが世界というものではある。
「ま、人間が生きるために生命を搾取しなければならないのと同じで、世界も犠牲を搾取しなければならないのよ。というわけで、我々神も何か食べないと精神的な感覚での存在を維持するのが大変なことになるので、私はこのまま昼食に出かけるわね」
「人を切り刻むなんて話の後に、よくそんな食欲が沸きますね」