一人目
異世界転生……
いつの頃からか、さも当たり前のように人々の間で出始めていた言葉である。
所詮は空想上の産物……と断ずることができればこちらとしては楽だったのだが、人間の想像力は凄いというか『現実は小説よりも奇なり』とはよく言ったもので、困ったことに実際にそのシステムがこの世には存在しているのだから、なんともいえない話である。
そして異世界転生というのは、本来は各世界の各地域で最も位の高い神が、条件に合致した人を比喩抜きで星の数ほどある世界の中から選んだ世界へ転生させる、という端から見てると頭がおかしいんじゃないかと思うような膨大な手順を踏まえる作業を、古来よりずっと行い続けていたのだが……
「なんか最近、バカみたく転生希望者が増えていてのー……このままだと我の仕事が増えすぎて死ぬほど忙しくなるから、とりあえず力をそっちに分けてやるゆえ、これからはお主がこの作業やってくれ」
という完全にぶん投げられる形で、本来ならば八百万の末端にいるような名も知られぬ私が、この異世界転生という役割を押し付け……もとい賜ったことで、新たにそういう神としての仕事を始めることになったのだった。
「こちら、朝の一杯でございます」
朝、これから今日の仕事を始めようとしていた私に、助手をしているタキシード姿の男がそう言ってコーヒーの注がれたカップを机に置いた。
「……毎日のことで今更なんだけど……なんで毎回味が違うの?」
「趣味で様々な国のコーヒー豆を取り寄せて、独自にブレンドをしておりますので」
「……暇なの?」
「他に仕事がないもので」
まぁ、いいか。実際、私もこの仕事に着く前はやることがなくて暇だったし。これくらいの趣味は持ってた方がいいかもしれない。
「それじゃ、今日も始めますか……正直、あまりやりたくはないけど」
「本音が漏れてますよ」
そりゃ、本音のひとつやふたつは口に出したい仕事だもの。
「じゃ……待機所の一番札の部屋の人、入ってきて」
私がそう言うと、少し間を空けて入口のドアが開き、若い男性が一人入ってきた。彼はそのまま、この部屋の円が描かれた中心付近まで歩いてくる。
「んー……なるほど、はねられたか……ありきたりな死因だね」
手元にあるスマホには、目の前の男性のプロフィール的なものが映っている。これを見ることができる神は私を含めて一桁しかいないけど、プライバシーなんて死んだらどうでもよくなる良い例ではある。
「さて、まずはどんな世界に転生したいか、要望はある?」
「自分が活躍できる世界で、おなしゃす!」
なるほど、ここに来るような連中で最も多い『明確な目標は無いけど、とりあえず活躍して認められたい承認欲求の塊』みたいなやつか。生前は平凡な生き方をしていた奴に多いんだよね、こういうの。
実際に目の前にいる男性の経歴を見てると、天才レベルの作家ですら彼を主人公にした作品を書けといわれたら挫折する、それくらい平々凡々なものしか情報が出てこない。とはいえ、高校生で帰宅中にトラックにはねられたというタイミングだけは平凡から脱してはいるけどね。
「……えーと……それじゃあ、転生するにあたって、どういう能力が欲しいですか?」
転生させる際には特別にひとつだけ特殊な能力を付与するのが、異世界転生をさせる際に行わなければならない義務なのである。というか、そうしないと大抵の人は転生直後に死ぬ。
「活躍できる力が欲しいっす」
……さて困った。こういう具体的な意見がないような奴を転生させると、どんなチート能力を与えても一ヶ月以内に死ぬ。その確率は、私がこの役割についてからいまだに八割超えをキープし続けているのだから間違いない。頼むから具体的な考えを示せない奴は、異世界転生しようとしないで欲しい。
「ふーむ……困ったな。そういう感じの返答だと、君がせめて一ヶ月は生き残れるような世界と能力を探すの、ちょっと時間かかりそうだね」
「いやちょっと待って、俺そんなに頼りなさそうに見えるっすか?」
「大抵の人は適当に能力を与えたら使い方を把握する前に死ぬのよ。これは学校でトップクラスの成績を取ってるような奴でもそうなんだから、君なら間違いなく出オチ系デッドコースに突っ込めるわね」
「いやいやいや、俺って意外と運が良いんで」
「いやいやいや、運が良い奴がなんでここに来てるのよ」
そもそもの話として、本当に運が良いのならばその若さでここに来ることはない。それは断言できる。本当に運が良い人は天寿を全うしているものである。
「せめて与える能力だけはちゃんと具体的に申告してくれないかな。でないと……」
「でないと?」
「転生させること自体が無駄だと判断されて転生は取り止め、そのまま君は輪廻の流れに放り込まれて魂を漂白され、別の人間、別の人格として生まれ変わるだけ。間違いなく君としての記憶は残らないわ」
もっとも、それが魂が進んでいくべき本来の道であり、異世界転生というのは外法に近い『かろうじて許されている超法規的措置』のようなものなんだけど。
「といっても、どういう能力があるのか分からないっすよ」
「人間が思いつくような能力なら大体は再現可能よ」
とは言っても、下手にランクの高い能力を選択したら、今度は転生できる世界が狭まって希望通りの世界を選べなくなる可能性があるんだけどね。
「思いつくのならねぇ……なら、ゲームに出てくるような勇者っぽい能力ってできるっすか?」
「考えてなお曖昧ね……でもまぁ、少しは絞り込むヒントにはなるかな……勇者っぽい能力……一番簡単で現実的なのは、人の家のタンスを無断で開けたり、壷を割ったりして中身を持ち去っても、その世界に存在する全ての法をもってしても裁かれない能力かな」
「それほぼ盗人っすよ」
でも、勇者の項目で一番最初に来るのがそれだからねぇ。
「それ以外だと……勇者で出てくる能力の項目数、やっぱ多いわね」
「そういえば気になったんすけど、神様もスマホ使ってるんすか?」
私がスマホで検索していると、そんな疑問を投げかけられた。
「前にアメリカの方で神列に加わった人が神も使えるスマホを作ってね。それ以来、大体の神はこういうの使ってる」
「マジっすか」
私がスマホを使ってることに対する疑問と回答は、これで何回目なのだろうか。神がスマホを使うのが、そんなに変なのか?
「さて、本題に戻るけど……攻撃的なのと守備的なの、どっちの能力がいい?」
「どっちも」
「無理……いや、無理じゃないけど、それをやると与える双方の能力が平均値をとろうとするから、能力を把握する前に死ぬか、器用貧乏になって中途半端に生き残るかの二択になるよ。どっちにしろ、たぶん君が言うような活躍はどう足掻いてもできない」
そして転生させるからには、その私の労力に見合っただけの活躍してもらわないと私が困る。
「じゃあ攻撃的なので。たぶんそっちの方がカッコ良さそう」
単純かつヤバそうな理由だけど、性格的には割と合いそう。
「それじゃ、そっちの方向で世界を絞っていくね」
ようやく話が進みそうで安心した。しかし、今はスマホのおかげで手早く調べられるけど、これが無かった頃は机の周りが資料だらけで大変だったな、とふと思い出していた。
「ふーむ……ここなんか良さそうね。一応は勇者っぽい生き方ができるかも」
「ホントっすか?」
まぁ、何が勇者っぽいかは人によって違うから、断言する気はないけどね。
「さて、決まるものも決まったし、さっさと転生させますか!」
そう言った後に私はカップに残ったコーヒーを飲み干し、スマホに映っている呪文を口にする。困ったことに、転生させる世界はその世界ごとに呪文に使う言語とかいろいろと異なるせいで、いちいちカンペが必要になってくる。昔はさらに紙の書類を探して必要な呪文をメモに記入してカンペを作るという手間がかかったせいで、転生させられるのは一日に多くて四、五人が限度だった。本当にスマホは便利だ。
そして私の呪文が続いていくにつれ、男性を囲んでいる円が光り始める。
「あの……これ……」
彼が戸惑っているのは分かるけど、こっちも呪文を中断するわけにはいかないので無視する。
「気にしないでください、転生させるための儀式的なものです。まぁ、厨二病的なものだと思っていれば気になりませんよ」
そこで助手がそう説明してくれた。有能なのだが、たまに余計なことをする。今回の場合だと、後半の一言はいらない。
そんな中、光る円を囲うようにゆっくりと文字のような模様が浮かび上がってきた。こうなると、あと少しで彼を異世界に飛ばせるようになる。などと思っていたのもつかの間で、次の瞬間には光が瞬いたかと思ったら、そこにはもう男性の姿はなかった。
「さて、一人目終了っと」
私は一息つくと、小さな声でそう呟いていた。
「……それで、彼はどんな世界に?」
少しだけ間を空けて、助手がそう尋ねてきた。転生させる度に聞かれる恒例行事である。
「いや、勇者っぽい能力を選んだってことは、そういう活躍をしたいんだろうなって思ったから、とりあえず魔王がいた世界に転生させたわけよ」
「魔王がいた……過去形ですか?」
「そう、過去形。二年くらい前にその魔王が天寿を全うしちゃったんだけどね。だけどそれに誰も気付かなくて、いまだに人間と魔王軍との戦いが終わらないっていう世界があったから、そこに飛ばした」
私はそう話した後、軽く一息ついて、
「ああいうタイプの人は、活躍して世界を平和にした後のことは考えてないことが多いからね。大抵の場合、平和になった後は魔王を倒すような力を持った人が新たな脅威になるとして、そのまま排除されるパターンになる。なら、最初から魔王なんて代物を倒さなくてもいい世界に飛ばしておくのがベストなのよ。まぁ、どうせもう会うことはないんだから、当人が満足していようがいまいが私には関係ないんだけどね」