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消えゆく炎

 朝焼けに東の空が白みはじめた。

 リンゴーの高度を下げて低い雲を抜けると、ヴェイサレドの目に遠くそびえる緑の峰が映った。

「ずいぶんかかってしまったな……このカラデュラの山に帰るまでに」

 西の空では夜が明けきらない。まだ旗や煙は上がっていなかった。

 ヴェイサレドはカラデュラ郊外にリンゴーを下ろし、召喚を解いた。翼持つ蛇が消えるやいなや、突然空が暗くなり、セリが鼻をひくつかせて叫んだ。

「シオ様、罠です!」

 一瞬遅れて魔術の気配を感じとったヴェイサレドは、その気配に覚えがあった。「これには害意がない」という経験がヴェイサレドの判断力を削いだ。二人は巨大な影に呑まれ、真の闇で茫然とするヴェイサレドの袖を、姿の見えないセリが引いた。

「シオ様」

「無事か」

「はい、今のところは。この空間はいったい?」

「我々に危害を加えるようなものではない。だが警戒は怠るな」

 ヴェイサレドはこの術を、ひいては術者のことをよく知っていた。だからこそ、暗闇で老爺の笑う声が響いても、さほど驚いたりはしなかった。

(ガヴォ大臣の様子がおかしい今、この者も信用には値しない)

 身構えるヴェイサレドに、老爺は穏やかに告げた。

「どうか話をお聞きくだされ、この爺やの頼みでございます」

 老爺は二人に、セヴォーで見聞きしたことを包み隠さず、客観的に語った。ヴェイサレドは黙りこみ、セリは乾いた口で尋ねた。

「なぜ? なぜ、我々にそんな話をしてくれるんだ?」

 しかし、老爺は問いに答えてはくれなかった。

「お許しくだされシオ殿、貴方にはこの戦が終わるまで、ここに居ていただく」

 ヴェイサレドは憤っていたが、怒りに点けるはずの火は起こらなかった。ただ冷たい感覚が体の芯を凍えさせ、己の無力を思い知って歯噛みした。



 時計塔の掃除番がはしごをのぼり、点灯夫がガス灯の明かりを消して回る。静かに城下町の一日が始まろうとしていた。

 八百屋は野菜の詰まった木箱をこじ開けながら、ふいに山城を眺めて大きな声を上げた。

「おうい、旗が揚がってるぞ」

 立ち並ぶ露店の主たちがぞろぞろと通りに出てきて、一様に山の双子城を眺めた。

 隣り合う城それぞれの鋸壁から高々と掲げられた両王家の紋章。本家国王の旗が天を表して青く染められているのに対し、王弟一族の旗は大地を表す真紅に染まり、まるで戦火と流される血とを暗示しているかのようだった。

「祭日だったか?」

「いんにゃ。御触れも出てねえうちから旗が揚がるなんてなあ、いったい何があるってんだ?」

「カラデュラの王は世界の王」

 まだ安穏とした空を仰ぎ、しみじみとヴォルフェ族(※)の老婆が言った。

「この世の中すべてを巻き込む災いが起こる……」


 王弟ギオ、挙兵。

 宣戦布告を受けて立ち、国王城に揚がる蒼い旗は、ラティオセルム・サルベジアの国旗。片や、王弟城の紅い旗はグリフォンを象った王族の旗印である。

「我ら【革命軍】、王弟陛下のもと政と人心を正道に導くものなり!」

 高々と鬨の声を上げ、革命軍の重装兵たちが進軍を開始した。彼らが中央広場――国王城と王弟城のちょうど中間である主戦場――へ到達すると、王弟城を囲む砦壁(さいへき)の上にも兵士が配列された。弓兵の一団である。両城の砦壁は、ちょうど短弓の矢が届く距離だった。縦長の矢狭間(やさま)を設けた板壁が砦壁にずらりと並ぶ。少々旧式だが、王弟城の砦壁が内部に空洞のない造りである以上、いたしかたない。

 砦壁上には数少ない魔道士の姿もあった。彼らの任務は魔術による派手な攻撃ではなく、防戦の(たす)け。魔道や飛び道具の類をなべて撃ち落とすことだ。

 進軍の足をいったん止めた歩兵中隊の背後から、ものものしく攻城兵器が持ち出された。矢や砲弾をかろうじて防ぐ程度の鋼鉄板を屋根にした、旧式の破城鎚(はじょうつい)が一基。力自慢が五人がかりでやっと振るえる鎚は、一説によれば【グラム=クロム】という、魔法の守りさえ討ち破る鉱物でできているとか。

 攻城兵器を確認した国王軍に緊張がはしった。防衛線より内側の眺望塔(ちょうぼうとう)から戦場を見張る兵士が、双眼鏡を顔に圧しつけたまま声を飛ばす。

「破城鎚、一基! 敵軍より赤色の魔法弾を確認、進撃を開始しました!」

「来よったわ、逆賊めが」

 眺望塔を作戦室にかえて集った将校たちは、作戦図上に黒白の駒を並べた。かくして内乱の火蓋は切って落とされた。

「射かけ! 逆賊を一人として近づけるな!」

 国王軍の弓兵たちは、砦壁内部より狭間(さま)をとおして矢の雨を降らせた。革命軍は重装兵や騎士の盾、鎧に守られながら、(やじり)のなかを国王城砦壁めがけて進み続けた。

「破城鎚の進路を護れ!」

 革命軍は、国王城砦壁の堅牢な扉へ突撃を試みた。国王城は両城の敷地一帯を守る外郭をのぞいても、二重の壁に守られていた。広場に面する外側の壁が、いま革命軍が前にしている砦壁。その内側にはまだ城壁が控えている。門をひとつ壊して終わりではない、王城への道を切り開くまで、なんとしても破城鎚を損失するわけにはいかなかった。

「攻城兵器に的をしぼれ! ()!」

 無数の火矢にまじって、砲弾が攻城兵器を運搬する兵士を襲う。彼らの鎧や盾には攻撃を跳ね返す術がかかっているが、守りの呪文は長続きしない。それは破城鎚も同じだ。

「破城鎚部隊を守れ!」

 革命軍の弓兵、大砲を扱う技巧兵らも一斉に応戦した。

 石造りの砦壁に矢を放ったところで効果はないが、メンテスの集めた精兵らは鏃に爆薬を結んだ矢を、大きく弧を描いて射かけた。着弾すると同時に中規模の爆発が起こり、土煙と爆炎が目くらましの役割を果たす。

 砲弾は一直線に国王軍砦壁の狭間をめがけ、爆裂した。彼らの働きによって弓矢の脅威は減ったが、厄介な相手が肝心の門を守っていた。

「その鉱物を仮にグラム=クロムとしても、人力で以て一度に破れる魔法防壁(バリア)の数はせいぜい一枚。この九重に張られた結界を突破するのは無謀というもの……第二(ツヴァイ)、やっぱり私、白魔道士班に加わりたい」

第四(フィーア)、油断はするな。第六(ゼクス)第七(ジーベン)。持ち場を離れるなよ」

 門の上に現れた、深い紺色のローブをまとった四人の魔道士たち。国王軍の魔道士で【数字を持つ者】の実力は、一人が一大隊――およそ千人の精兵――に相当する。幸い守りに徹しており、攻撃をしかける様子はないが、彼らを突破するとなればかなりの時間と労力を要するだろう。

「扉にとっつけ!」

 そうとなれば時間は惜しい。歩兵たちは一気に走り出した。門扉まであと10キーマ(※)と迫ったところで、国王軍は突如、開門した。魔法防壁がとかれ、かたく閉ざされていた門扉が音を立てて開いていく。無論、国王軍が降伏したわけではない。

「い中隊、広場への進軍を開始」

 国王軍、眺望塔。通称:鳥瞰(ちょうかん)と呼ばれる兵士が双眼鏡を握って報告した。将校のひとりは自慢のひげを撫でつけ、白い駒をひとつ作戦図に置いた。

「寄せ集めの編成だが、元々はひとつの大隊を構成する兵士たちだ。連携とまではいかなくとも良い働きを期待できる」

砦門(さいもん)は突破されないかね」

「こちらの進軍中に、取り回しの悪い破城鎚は下手な動きをせん」

 盤上と広場とで、同じ戦争が進展していく。

………………………………………………………………。

 一方で、王弟城内は異様な静けさに満ちていた。

 王弟ギオは自ら戦場に出向き、メンテスの護衛のもと、軍隊の指揮をとっている。カルラはギオをいさめようとして心労がたたり、寝室で休んでいる。

 そのように、セルヴィアはメヴィーというただならぬ侍女から聞かされた。

(メンテスの姿は、あの演説以来一度も見ていないが……)

 兄弟たちは守備の硬い玉座の間に控え、身を寄せ合っていた。

「おたあさまどこ、こわいよ」

 オルガの柔らかな絹のドレスにしがみつき、アリアテは震えていた。

「大丈夫。きっとすぐに終わるわ。そうしてまた、お父様とお母様と私たちと、皆で幸せに暮らすのよ」

 優しく答えながら、オルガは脳裏をよぎった悪夢の影にはっとした。妙に現実味を帯びた、おどろおどろしい戦火の夢。不安を拭い去るように、オルガは幼いアリアテの頭を静かに撫でた。

 ゆりかごの中で、泣き疲れたテオが眠っている。妹たちと弟とを守るようにして、セルヴィアは長剣の柄を握り、静かに座していた。


 尖塔四階、王弟と王弟妃の寝室。

「あ、ああ…あ……たす、たすけ……ひい……」

 開け放たれた大窓から飛びこんできた影は、情けない声を上げて床にうずくまった。見れば、彼の肩は砕け、わき腹は血が滲み、額から高い鼻を避けて顎まで血の筋が流れていた。

「手ひどくやられたようで」

 メヴィーは感情のこもらない声で言ったが、ドーイには聞こえていないようだった。

「たすけて……いたい、たすけて……メンテスさまぁ……」

 普段の食えない態度はどこに消えるのか、ドーイは打たれ弱いにも程があった。泣きべそと冷や汗をかき、うなされるように主を呼び続ける。やがて落ちついてくると、ドーイは回復魔法の込められた呪符を自らの傷口に宛がおうとした。

「ああ、ここにディエロが居たら、私のことをひどく笑っただろう」

 涙ぐみながら取り出した札は、しかし、メヴィーに素早くひったくられた。

「何をする」

 ドーイはいじめっ子を睨むような目をして、口をぱくぱくと開閉した。

「カルラ様に使わせてほしい」

 メヴィーは真摯に頼んだ。事情の呑み込めないドーイだったが、王弟妃の名前を聞くと即座に頷いた。自らの命よりも主の命令のほうが重い彼にとって、王弟一族は命にかえて守るべき存在だ。

「お、お怪我をなされたのか」

 息も絶え々えのドーイに、メヴィーはこれまでのいきさつを話した。ドーイは怪訝な顔をして黙りこみ、静かに首を振った。

「残念だが、毒や呪いにその札は効かない。込められた術は血止めと肉体の再生だけだ」

「呪い……ではないと思う。それなら私の力で解いて差し上げられたはず」

 メヴィーは落胆し、札をドーイに握らせてやった。ドーイは彼女の氷のような手にビクッと指先を跳ねさせ、不意な動きにわき腹を痛めてうめいた。

 傷が癒えると、ドーイは落ちついた声で提案した。

「ここは爺や殿にお任せしたほうがいいだろう。戻られるのを待つしかない」

 メヴィーは黙って頷き、不安げにカルラの寝顔を見つめた。


 上がった跳ね橋、閉ざされた双子城大門の内側で、骨肉の内乱は続く。

 国王軍砦門から出陣した中隊は、攻城兵器めがけて突進する小隊、扇形に広がり革命軍を迎え撃つ小隊の二手にわかれた。さらに、門の内外に別の小隊が待機し、再びかたく扉が閉ざされる。結界も元通りに修復された。

「守りを捨てたか?」

 革命軍はわずかに動揺した。

「なめやがって!」

「逸るな! 冷静になれ」

 この程度なら蹴散らせると判断された、と思い激昂する兵士もいた。相手の神経を逆なですることも確かに国王軍側の作戦にはあったが、真実、「蹴散らせると判断」したのだ。

 眺望塔では将校たちが余裕をもって作戦を進めていた。

「下手に被害を大きくする必要はない。火はくすぶっているうちに消してしまうのが得策だ」

「どれほど小さな火種でも、大火となり一国を滅ぼすかも知れぬからな。徹底的に潰すぞ」

 将校たちは駒を操作しながら、葉巻の煙に言葉を乗せた。

「これは戦争でも内乱でもない、単なる暴動とその鎮圧だ」

 国王の正義は国家の正義。自分たちの正当な立場は盤石にして揺るがないという信念は、彼らの自信であり驕りであった。

 平時、国王の軍隊は大部分が政府機関・白き司に常駐している。それでも挙兵当時の王城には二個大隊の2000名に加え、騎馬近衛兵団50名、騎馬隊200名、魔道士57名が控えていた。

 一方の革命軍は、メンテスによって招集された兵士たちの頭数も含め、一個中隊200名、二個小隊120名。

 両者の戦力は単純に考えて兵士2000名分。そのうえ、国王付きの近衛兵団や数字持ちの魔道士は、一人ひとりの戦力の桁がちがう。革命軍の動きを観察していた軍師らは、数にものを言わせて一挙に叩き潰す動きに出た。

「そのうち『白き司』からの増援も来よう……その前に鎮圧してしまうかも判らないがな」

 将校が葉巻を灰皿に立てかけるや否や、鳥瞰が声をあげた。

「前線に動きあり!」

 双眼鏡の向こうで、国王軍の軽装兵たちが宙を舞っていた。

「むぅうん!」

 革命軍の騎士に、1と半キーマはある中幅の長剣を振りまわす豪傑がいた。長剣の両刃には炎を模した独特の起伏があり、次々に相手の武器をひっかけ、騎士は剛腕をふるってなぎ倒し吹き飛ばしの大躍進だった。

「はっはっは、国王軍の一撃はこれほど軽々しいものか! 恐るるに足らん」

 騎士の名を、ギュスタフ・フェルデロイ。元・国王軍所属、白き司にて中堅の騎士に数えられる猛者であった。

「裏切り者のギュスタフだ」

「笑わせるな、元より忠誠を誓わぬ相手を裏切ることなどできようか。わしは天下をとるぞ、メンテス殿のもとでな!」

 予てより、彼はメンテスに忠誠を誓う【精兵連】の一員であり、国王軍としての自覚は持ち合わせていなかった。

「戦場では力こそが正義よ! さあさあ、押し返すぞ!」

 革命軍はギュスタフの鼓舞に応え、徐々に侵攻を再開した。眺望塔の鳥瞰が叫んだ。

「中方より『千人盾』を確認!」

「ち、動きよったか。こちらも少し兵を出すとしよう」

 二個大隊を解体した四つの中隊は、未だに「は中隊」「に中隊」の二軍が控えている。強者揃いの騎馬隊も、魔道兵もいる。兵力にしろ実力にしろ、革命軍などに後れをとるはずはなかった。

 将校は伝令を呼び、砦門へと走らせた。砦壁の内側から砦門の上部へ繋がる螺旋階段を駆け上がり、伝令が魔道士四人に指示した。

「開門! これより『ろ中隊』を広場に投入する!」

「忙しいこと。簡単に言ってくれます。ツヴァイ、やっぱり私」

「不機嫌になるなよフィーア、作戦の遂行が最優先だ。解いたらすぐ張るぞ」

 国王軍は新たに200名の中隊を広場に投入し、戦場は騒然となった。

 必然的に、両軍とも確実に敵を倒す実力者を前線におき、中堅は戦況を見極めて中方と後方とに分かれた。重装兵は後退し、門の守護につとめた。

 拮抗する前線は、革命軍いちの巨漢の登場によって荒れた。

「我が盾に防げぬものはなし、者ども続け!」

 巨躯をうねらせ、男は吼える。【千人盾】の異名を冠する元国王軍・三番軍隊長は、攻城兵器に引けをとらないほど巨大なオリハルクロムの盾を構え、自慢の剛腕で国王軍を圧し潰して前進し続けた。希少な鉱物オリハルクロムは砲弾をも跳ね返し、もはや【千人盾】を止める術はないように思われた。

「隊長に続け!」

 革命軍は【千人盾】の切り開く血路になだれ込んだ。

()ェ!」

 轟音とともに火薬の塊が幾度も爆発した。国王軍の砦壁に備わる黒鉄の大砲が三門、【千人盾】に照準をしぼり、数回の容赦ない爆撃がなされた。しかし大盾を6分の1キーマほど押し返すことはあっても、【千人盾】の快進撃は止まらなかった。

 もうもうとたちこめる黒い煙が晴れると、【千人盾】はついに国王城門までの路を開いていた。大男は大盾を高々と掲げ、背後に控える破城鎚部隊に「行け!」と叫んだ。しかし、鋼の体と称される【千人盾】も、砲弾を防ぎながら無傷ではいられなかった。着弾の圧により彼の指の骨は砕け、爆発の熱によって体には火傷を負っていたが、男は気力だけで大盾を掲げ続けた。

 破城鎚部隊は【千人盾】の切り開いた路を猛進した。

「いけない、戻れ!」

 とっさに叫んだのは、中方で敵軍の侵攻を留めていた師団長補佐クレオ・シアンだった。戦の経験が浅くとも、彼の嗅覚はたしかに危険のにおいをかぎとった。まるで狩られる獣の心地がした。

一矢百撃(いっしはくげき)! 【狩人】だ! 退け!」

 先鋒の一団にいた誰かが気づき、声をあげたが、すでに遅かった。

 狭間に潜むことなく、門の上に堂々と立つ弓兵は、一挙に五本の矢を長弓につがえ、放った。弧を描く矢が目標に到達する前に、弓兵はさらなる三撃を短弓に持ち替えて放つ。

 鏃は正確に革命軍歩兵の喉や眉間、間接など、鎧の穴をついて穿った。たった一人の弓兵に、一度に八人もの兵が倒される。

「くっ バケモノが!」

 応戦しようと槍をもち、投擲の構えをみせた兵士には、腕に装着した機械弓で鋭い一撃を見舞う。【狩人】が軽く曲げていた腕をピンと伸ばすと、機械弓の弦がはじかれ、目にも留まらぬ速さで矢が射出された。無論、それを見切って避けることは至難の業である。

 槍を構えた兵士は肩に矢を受けた。ひざまづいた負傷兵を見て、革命軍の歩兵らは震撼する。厚みがないとはいえ、銀鋼(ぎんこう)の肩宛を鉄の鏃が貫いたのである。石つぶてが鉄の装甲を破るに等しい威力であった。

「怯むな、押せ! 退かなければ勝機はある!」

 【千人盾】の鼓舞にはっとした数人が、破城鎚にとりついて進行を手伝った。

 兵法において、国王軍に属する【狩人】をはじめとする精鋭、最高峰の機動力と戦闘力を誇る騎馬近衛兵団を一介の兵卒一人として換算することは、作戦の破綻を意味する。彼らが戦場に出れば戦局は傾かざるを得ない。

「近衛兵団の姿はない。だというのに、精兵一人でこれだけ手ごわいのか」

 王弟城にもともと仕える兵士の多くは、物見やぐらや塔にこもり、固唾をのんで戦況を見守っていた。

 無精ひげを生やした見張り番が双眼鏡を下ろし、首を振った。

「うちの奴ら、押されてるんじゃないか。先鋒が中方まで押し返されてる。このままじゃ【千人盾】と破城鎚が国王軍のなかに取り残されちまうぞ」

「国王軍が入りこんだらもう止められねえ、うちの城は向こうと違って単なる住居だ。攻めたり守ったりするようにはできてねえんだ。そのことを、王弟陛下はよくご存じのはずなんだが……」

 見張り番が再び双眼鏡を覗いたとき、国王軍がさらなる動きを起こした。

(ケモノ)族!」

 国王城の高々とそびえる砦壁(さいへき)を内側から飛び越し、広場の中枢に着地した男。人の姿(※)に似ているが、つり上がった目の黒い縁取り、大きな三角形で先割れした耳、長い尾など、明らかに人ではない。薄茶色の短毛に覆われた腕を大きく振りながら、男はにんまりと笑った。

「ラ・カラ族は舞踊の民。さあ、狩りの舞を舞おうじゃないか」

 ラ・カラ族――カラカル――は両手を扇のごとく広げた。指の先から押し出された爪はナイフのように鋭く、間合いにいた革命軍を一瞬で切り裂いた。

 獣族は、とうてい並みの人族がかなうものではない。腕に覚えのある者でも、人智を超えた野生を前にして成すすべなく倒れていく。

「ラ・カラ族。国王軍にも獣がいるとは聞いていたが」

 騒ぎの中心へ、ようやくクレオが到達した。ラ・カラ族の男はクレオを振り返り、鼻やヒゲをひくひくと動かした。

「お前も獣だな? だが幼い、まともに狩りができるのかよ。お手並み拝見といかせてもらうぜ」

 男は臨戦態勢を崩さず、さらに獣に近い状態へ体を変化させた。否、戻したといったほうが正確だろうか。腰から足先までは人の骨格から獣族の骨格へと組み変わり、瞬発力は単なる獣の上をゆく。

 弾丸のような速さで突進してきた男を、クレオは正面から迎え撃った。

「僕は十五だ。リヴェラ族では成人として認められる年齢に達している」

 クレオは身体をかがめた。前傾した体の輪郭は見る間に膨れ上がっていく。鎧のパーツを繋ぐベルトが軋み、兜が転げ落ちた。革製のブーツは所々が裂け、ズボンの臀部が尾てい骨までずり落ち、長く太い尾が垂れる。全身を硬質な黒い体毛に覆われた、巨大な二足歩行の豹がそこに立っていた。

 黒豹は向かってくるカラカルの爪をかわし、流れるように渾身の一撃を見舞う。右腕の一発を横面に食らったカラカルは、地べたに叩き落とされ、二転三転しつつ体勢を立て直した。

「リヴェラの小僧……ああ、お前の顔は忘れねぇ! 覚えておけ、このラ・カラ族のザハカを……」

 ザハカは口元の血をぬぐうと、四つ足で跳躍し、群衆のなかに消えた。

 深追いはしない。クレオは冷静に戦況を見極め、瞬時に人の姿へ転じて歩兵の加勢に向かった。半獣の状態はかなりの体力と精神力とを消耗し、長期戦には不向きだ。それに……

(獣になりきると我を忘れる……今は冷静に戦うべき局面、あまり本能を解放しないほうがいい)



………………………………………………………………。

 本隊を追ってセヴォーに到着したオルフェスらは、可視化された絶望を味わっていた。

「むごい!」

 巨大な噛み跡を体に残した隊長を見つけたとき、女性隊士は嗚咽をもらしてチェルノーシュの亡骸にすがりついた。セキルの正体は誰も知らなかったが、誰も驚かず、ただひたすら悲しみに暮れた。

 オルフェスたちはまず隊長の墓穴を掘り、彼女の愛刀の破片を墓標とした。おそらく、彼女はこのひた隠しにしてきた姿を、他の者にさらされることは望まないはずだ。

 セキルを弔ってから、彼らは宛てもなく町を歩いた。空気は冷え切って渇き、静寂が鼓膜に刺さる。とても生存者がいるとは思えなかった。

 鉄塊と化した市庁舎を茫然と見上げていた時、彼らは地響きを感じた。規模からして野盗や小隊の類ではない、一大隊はあろうかという馬のひづめの音が耳に届きはじめた。

 町の東門へ様子を見に行くと、王立軍旗を掲げた大隊が押し寄せてきた。彼らは、先に町に入ったグエン・アルティディエ・グラトリエ大隊長の軍だという。

「隊長と副隊長を追うあいだ、我らも飛竜の襲来を受けて遅くなった。そちらは竜伐隊だな。町の……この様子はいったい?」

 町の小さな門から辺りをうかがっただけで、大隊もまた雰囲気の異様さに気づいたようだった。オルフェスは落ち窪んだ目を地面に向け、ゆっくりと首を振った。しばし沈黙が流れたが、兵士長が発言した。無理に己を奮い立たせようとしたのだろう、妙に張りきった調子だった。

「ようしっ まずは人命救助が優先、我らも助力するゆえ、速やかに行動しよう!」

 誰しもが心の整理がつかないまま、亡きがらと化した町をさまよった。

 三時間に及ぶ捜索の後、やはり生存者はいないという結論に至った。鉄塊に覆われた市庁舎の中にも、あったのは屍だけだった。

「隊長! 副隊長!」

 聞くに堪えない悲痛な叫びが、廃墟の中ほどから延々と上がった。

 オルフェスたち十数名の竜伐隊と、千余名のグエン大隊は、手分けして亡骸を埋葬することにした。竜伐隊の騎馬の遺骸は、大隊の兵士たちが荷車を持ってきて運び出してくれた。

 広場の地面を等間隔に掘りながら、大隊の兵士長がぽつりと言った。

「竜のなかに毒を吐く種類はいるのか?」

「いや、話に聞いたことはない」

 オルフェスは急にやつれた顔で返事をしながら、遺体の小山を見つめた。外傷のある遺体はもちろん見た目にも死因がわかる。だが、セヴォーの遺体の半数以上は外傷がなかった。市民に至ってはかすり傷ひとつない。

 一方で、遺体の中には喉を掻きむしっていたり、体を捻って苦悶の表情を浮かべていたりするものもあって、確かに毒か呪いか、そういった類の力が働いたことがうかがえた。

 オルフェスの隣に、目を真っ赤に泣きはらした女性隊士が並んだ。

「神話の中になら登場するわ。毒を統べ花を守護する、魔王アルワーインドの腹心の一族として。でもあり得ない、そんな竜が実在した記録はどこにもない」

「毒竜。たしかに、そんな者が存在すれば世界が終わりそうだな」

 兵士長は納得したようにスコップを置いた。

「毒ではなく、おそらく魔素の影響だと思う。あれだけの亜竜が一ヵ所に集ったのだから……隊長は、全滅した部下に代わって戦い抜いたのかも」

 女性隊士は涙を流れるままにした。竜の返り血を浴び、遺体に触れた体では、目を拭うこともできない。

 オルフェスは顔を上げ、あらためてセヴォーの町並みを見渡した。そこにはたしかに、瓦礫と同化しながら腐臭を放つ、おぞましい亜竜らの死骸が存在していた。

「ここは死のにおいが強すぎる」

 オルフェスは呟いた。時おり荒野を渡る風がなければ、一時間と居られないほどに、町には死が充満していた。それも、突然に大きな力によって強制された無念の死だ。

 愛馬シルバを、負傷した隊士に任せて城に戻らせたのは正しい選択だった。

「オルフェス、これからどうする。竜は去ったようだが」

 隊士の一人がスコップを置いてオルフェスの肩を叩いた。

「俺たちにはやるべきことがある」

 それを聞いた兵士長が敬礼の姿勢をとった。

「そうだ! 我々も作戦については飛燕で知らされた。竜伐隊には先鋒としてラティオセルムの状況を、混乱の真実を見極める大命がある! ここは我らに任せて行ってくれ」

「しかし、竜伐隊は半壊し、隊長も……」

 珍しく弱気になって言いよどんだオルフェスの肩を、隊士はより強い力で叩いた。

「竜伐隊長はお前だ、オルフェス! しっかりしろ、セキル隊長が浮かばれないだろう!」

 オルフェスは弾かれたように立ち上がった。何もかもの整理がつかないままだが、新しい目標に向かって進めば、せめて凍えそうな胸の痛みは忘れられる気がした。

「すまない、行こう。兵士長殿には感謝いたします」

「なんの。ご武運をお祈り申し上げる!」

 ラティオセルムへ。セヴォーを後にしたオルフェスのもとへ、白い牡馬が駆けて来た。

「グラナダ、無事だったか」

 セキルの愛馬は黙って頭を垂れ、オルフェスに騎乗を許した。あぶみに足を駆けて背中に乗ると、グラナダは不機嫌そうにいなないた。疲弊して汗のにじむ太い首を叩いてやりながら、オルフェスは残った隊士十数名とともに、ブオーノへ引き返した。



………………………………………………………………。

 ラティオセルム、双子城をつなぐ大広場。

 激突する鋼の盾、打ち合った末に折れる鉄の剣。あちらこちらで火花が散る。

 戦況は国王軍にとって芳しくないものだった。隣り合う城という、特殊な環境が将校らの誤算を招いた。城の守りは外部の敵を想定して建築される。地続きで隣り合う城からの侵攻になど想定にない。深い堀も、山城ならではの断崖も、城までの険しい山道も……国王軍にとっては、増援を遅らせるだけの歯がゆい代物となっていた。

 国王城の眺望塔では、広げた作戦図を囲み、将校らが険しい顔を並べていた。

「第一から第三までの防御呪符は戦線の外側……罠も城内と回廊以外では、すべて戦域の外だ。ここは白兵戦で耐えるしかない」

「ここまで戦力が拮抗しようとはな。『は中隊』も投入したというのに」

「せめて呪符の場所や罠を、防衛線の築ける範囲へ動かしていれば……」

「その暇を与えずに攻め込んできたのだ。ひとつの罠を仕掛けるのに数日、魔法陣なら数週間。もっと大がかりな仕掛けもある」

 鳥瞰の報告に合わせ、補佐官が作戦図上のコマを動かした。革命軍の黒駒が国王城へと勧められ、国王軍の白駒がひとつ取り除かれた。渋い顔でそれを見守ってから、将校らは再び議論をはじめる。

「敵も然るもの。こちらが打った布石は功をなさなかった。それでいて、向こうの捨石よ。ここまで我々を苦しめるとはな」

 嫌な戦い方だ。将校の誰もが、胸のうちにわだかまるものを感じていた。革命軍の戦術は、時間が経つほどにその効力をあらわしていった。雑然と素人考えの陣形で仕掛けてきたかと思えば、国王軍が少数ずつに分断され、取り囲まれ、いつの間にか追いつめられている。そこへ相性の悪い相手を確実に当ててくる。

「もはや言うだけ虚しいが、もっと早く動きをつかめなかったのか?」

 メンテスの裏切りから挙兵まで、わずか三日間の出来事であった。挙兵までの極端に短い期間も、今日の国王軍を追いつめるための布石であったというのか。

「増援は?」

 劣勢に追いこまれた国王軍の頼みの綱は、白き司から駆けつけるはずの本隊との合流であった。第一から第六までの中隊で構成された千人を超える大隊、それぞれの隊長は一騎で竜に匹敵すると言われるほどの手練れである。彼らの戦力が加われば、確実に戦況は好転する。勝利は確約されるのだ。

「しかし……増援といえば、奴らの戦法も妙なものだ」

「やはりそう思うか」

 将校らは再び顔をつき合わせた。

「時間稼ぎをしているとしか思えん。時間が経てば有利になるのは我が国王軍であって、王弟軍の連中は自らの首をしめることになる、というのに」


 混乱を極める戦場で、国王城砦門を守っていた魔道士の一人が「盾の呪文」を叫んだ。

「ジーベン! 何をしている、持ち場を離れるな!」

 別の魔道士が彼を叱責した。

「陣形を乱すな、この門のみを死守しろ!」

「だが、ツヴァイ……」

 仲間がひとり、またひとりと倒れていく。その中にジーベンは、顔なじみの門番が老体をおして戦場に立っているのを見つけた。老兵は命の危機に瀕していた。敵の鉄球が老兵の側頭めがけて振り下ろされ、とっさに物理攻撃を跳ね返す「盾の呪文」を唱えるべく、ジーベンは一瞬持ち場を離れた。

 だがその甲斐もなく、視線を戻した先に老兵の姿はなかった。かわりに鉄球を振りまわす敵兵が、次なる一打を投げかけるのが見えた。

「一瞬でも気を抜くな! 誰か一人でも離れれば魔法防壁は不安定になる。敵にここを破らせるわけにはいかないんだぞ、聞いているのか?」

 ジーベンは茫然自失していた。答えのかえらない問いを、どこへともなく投げかける。

「何故? ……何故なんだ。我々は国王の軍隊だぞ、どうしてこんな」

「あいつらだってそうサ。あっちも、王家に仕える正義の兵士でショ」

 背後、それもぴったりとはりつくような距離からの返事に、ジーベンは飛び上がった。反射的に振り返ると、祭事の仮面をつけた道化師が華やかなポーズをきめて立っていた。

 道化師は軽やかに飛び上がると、ドーラアングルを叩き鳴らして度肝をぬきつつ、魔道士四人の前に立ってていねいにお辞儀をした。

「何者だ、何故こんな所にいる! ふざけた格好をして」

 ツヴァイが怒鳴りつけてもどこ吹く風、道化師は仮面のついた顔を傾け、さも楽しそうに飛び跳ねた。

「パレードいっぱいできるでショ。だからネ。遊びに来たんだヨ。楽しいコトが好きなだけ、サ♪」

「道化め」

 ツヴァイが舌打ちすると、道化師はドーラアングルを叩き鳴らして訂正した。

「道化じゃないヨっ! 人形師だヨっ! 見たらわかるでショ! 操ってた人形の世話がやーっと終わったノ。パレードに間に合ってよかったナァー♪」

 自称人形師がご機嫌で叩くドーラアングルの調子に合わせるかのように、戦争は激化していった。

 大広場は蹂躙され尽くした。植え込みの木々は砲弾によって倒れ、くすぶり、花々は鉄の靴底で無惨に踏みしだかれた。溝には赤々と染まる湧き水が流れ、不気味な文様を石畳に浮かび上がらせた。

 歩兵たちが打ち合い、矢と大砲とが飛び交い、金属がぶつかり合い……爆発、怒号。溢れるほどの音が混ざり合い、刺となって突き刺さる。戦い続ける兵士たちの頭に、胸に、戦いを見守る人々の心に。



 戦火から二重の壁で遠ざけられている国王城内は、嵐の中の静けさか、異様な雰囲気に包まれていた。

 国王軍属騎馬兵団は近衛兵と名乗ることを許された、王に信頼された部隊である。城内という狭地においては得意の戦術を封じられるが、機動力は騎馬のないぶん削がれても、彼らの巧みな槍さばきは無双の名を冠する。

 近衛兵を率いる隊長アイーシャ・リオナは、自慢の槍を手に戦場を駆け回る姿を「ヴァルキリー」とあだ名される。武術の腕前もさることながら、彼女には高位の療術師としての一面もあり、攻防一体の優れた戦士であった。

「アイーシャ殿、これは一体どういうことですかな」

 そのアイーシャが持ち場を離れて玉座の間に現れた。非常時とはいえ、獲物の槍をたずさえたままである。宰相の老爺は驚きのあまり瞬きをした。ほんの一瞬であった。瞬きの暗転のうちに、宰相の腹は槍で貫かれた。

「ばかな。国王様、お逃げください……」

 常軌を逸したアイーシャの行動に、まだ整理がおいつかない。それでも宰相は王の身を案じた。長年、国王の右腕として仕えてきた宰相――その地位も、メンテスが大臣となってからは有って無かったようなものだが――忠心から国王のため、粉骨砕身して務めてきた男。すっかり老いた彼の末路はあまりにあっけなく、不条理なものであった。

 アイーシャが槍を一払いすると、宰相の体はぼたりと床に伏した。次いで、彼女は豪奢な椅子に座す国王そのひとを仰いだ。

 一部始終を眺める国王の目には、何の感慨も悲哀もない。国王ザティアレオスⅩ世は、玉座の前に仁王立ちしたアイーシャに、しわだらけの虚ろな顔を向けているだけだった。

「糸で繰られなければ動けもせず、道化の声音であたかも喋っているように見せかけ……もはやお前は人間ですらない、ままごとの人形よ」

 意思などまるでない、喉から何かの音が発せられることすらない。

「お役目大義でありました。それでは国王陛下、ご機嫌麗しゅう」

 守りの術も堅牢な鎧もない国王の、ただの人間の体を貫くのに、抵抗もなければためらいもない。アイーシャの槍は一閃、国王であった傀儡の命を貫いた。

 抜け殻から引き抜いた穂先を見つめながら、彼女は呟く。

「こればかりは只人も王も同じ、か……終わった。行くぞ」

 赤い血を一振りで払い落とすと、アイーシャは騎馬兵の一団を引き連れ、颯爽と玉座の間を後にした。



………………………………………………………………。

 再び戦場。

 よもや国王が討たれたなどとは露しらず、両軍は激しい闘志をぶつけあっていた。体の、心の、命の削り合い。すり減っていくものは武器や鎧だけではないが、生と死の瀬戸際に立つ彼らには思慮する猶予などない。誰もが怒れる亡霊のようになり、一心不乱に刃をうちおろした。

 狂気が戦場に浸みはじめた頃、アイーシャをはじめ名だたる猛者は国王城から姿を消していたが、気づく者などいなかった。

 クレオは一時後退してギオの護衛についた。王弟ギオは重装兵と魔道士に囲まれ、王弟城砦門の外で戦の指揮をとっていた。

「ギオ様、感服いたしました。このまま行けば国王城も落ちましょう」

 ギオは騎士のおべっかにあいまいな笑みを返した。その仕草は真にギオらしかったが、戦場に立って軍隊の指揮をとる現状が、そこはかとなくギオらしくなかった。

(それに、よく、ガヴォ大臣が許したものだ。セピヴィア外交の折にはたしか、海賊が出るからといって執務を放り出し、無理やり王弟陛下に同道したはず。自分の立場を危ぶめてまで守ろうとした王弟陛下を、その大臣が戦場に立たせるのは……やはり何かがちぐはぐだ)

 しかも、過保護なまでに王弟一族を守ってきたメンテスが、この一大事にギオの傍らにいなかった。メンテスの所在は知れない。

「ギオ様」

 そこへ伝令が慌てて駆けてきた。

「ご城内へ、カルラ様の御容態が」

「なに」

 ギオにとって最優先すべきは、何をおいても家族のこと。王弟妃の急変に取り乱す姿はまさにギオそのものであり、クレオはより困惑した。

「お戻りください、戦は責任をもって我々が」

「……すまない。ありがとう」

 隊長らを労いながら、ギオは砦門へと引き返した。伝令はその後をすぐには追わず、クレオに顔を向けた。

「クレオさんにも言伝を預かっています」

「僕に?」

「ええ、何でも国王城地下牢を警戒されたし、と……ただ、私も伝え聞いただけでして、どなたからの提言かはわかっていません」

「地下牢だと」

 嫌な予感がする。クレオは獣の勘でそう思った。このタイミングでギオが城内に戻ったことは幸いだったかもしれない。


 国王城の地下一帯は牢獄になっており、様々な罪を犯した者らが収監されている。苔と漏水が石畳を黒く染め、不潔なにおいが鼻をつく。換気用の小さな窓から、新鮮な空気と陽光とがわずかに取り入れられた。

「う、うえ……さわがしい……」

 最奥の独房に囚われた者は、掻き消えそうな声を振り絞り、小さな窓へ届かぬ手を伸ばす。骨と皮の全身が震え、彼は今にも息絶えそうなほど弱っていた。

「……だ、れ」

 外界と切り離され、鬱屈とした静けさのなかにある地下牢に、何者かの足音が響く。地上の看守部屋から続く階段を、怪しげな者が下りてきた。目深に被ったフードと地味な外套、口元を覆う布。種族すら定かではない。

「おーい、出してくれよォ!」

「戦争やってんだろ。俺たちも暴れさせてくれよォ~!」

 囚人たちは色めきたち、興奮した獣のように唸りをあげた。

 フードは囚人らに目もくれず、中央の通路を足早に進む。最奥の、壁をくり抜いたような独房の前でぴたりと足を止めた。

 独房のなかには死にかけた囚人がひとり。うずくまり、乾いた口を半開きにしている。腕や足は枝きれのように細り、胴体の厚みは肋骨や骨盤のはりだした部分にしかない。落ち窪んだ目だけが光を失わず、外光を受けてきらりと光った。

 囚人と目が合うと、フードはひざまづき、口を開いた。

「彼のお方より伝言です。お前に再びの自由をやろう、飽きるまで食ってくるがいい、と」

 フードは頑強な鉱石でできた格子に触れると、呪術師が十五人がかりで施したという複雑な呪いを解きはじめた。あまりの呪いの強さに、施した当人たちでさえ、解呪の際には呪いが跳ね返ると言われる術。それを何の詠唱もなく、フードは精神の力と生まれ持った直感だけで解き放っていく。

 パキ、と乾いた音がして、何者にも突き崩せない鉱石の檻が玻璃のように砕け散った。囚人はよたよたと暗がりから這い出し、顔をあげる。体中こけた骨と皮だけの姿に、双眸だけはぎらぎらと光り、乾いた口からは数年ぶりの垂涎がしたたった。

「は、ら……へった、な」

 暗がりから薄暗がりへ、明るみへと出てきた囚人は、ヒトに似て非なるもの。青い毛並みに全身を覆われ、長い獣の耳と尾を持ち、白い牙と黒い爪は鋭く尖っている。獣の種としては銀狼族だが、彼の場合、個を示す名のほうが知れ渡っていた。

「ルワーン!」

「バケモンを解き放ちやがった!」

 囚人らは怒号を上げた。

 ルワーン・ヴェルナエレナ。ラティオセルムの者なら赤子でも知っている、世紀の大罪人の名だ。生まれつき、高い魔力のために毛並みが青く光り、凶悪で粗暴な性格から狼の群れをはみ出し者として追われ、好んで人族を食った。

 旺盛で底なしの食欲と破壊衝動のまえに、滅ぼされた村や集落は数知れず。果ては同族すら喰らい尽くすと恐れられ、国中がこの狼を殺そうとした。

 国王軍の分隊が出向くものの殺すことかなわず、五賢者の一角と稀代の白魔導師クワトロ、当時最強の呪術師の力を以てしてようやく捕えた「怪物」である。伝承によれば、ルワーンを弱体化させるまでに、呪いをかけた呪術師数名が命を落としたとか。

 語り部が逸話を伝承し、母が子をしつけるためにその名を口にするほどに、ルワーンの犯した罪は重く恐ろしい。

 フードは独房の囚人から優先的に解放していった。子どもをさらって食べたという猟奇殺人鬼、自身の開発した武器の切れ味を延々と辻斬りで試し続けた狂気の鍛冶屋、放火魔、戦犯……言葉を介さず、人の心など持たない鬼どもが、再び自由を与えられる。贈収賄が発覚し捕えられていた議員は、悪鬼どもに囲まれ、おどおどと覚束ない足取りで階段をのぼっていった。

 錚々たる面子を見た雑房の囚人らは口を閉ざし、おとなしくなって隅へ固まってしまった。

「スリ、強盗、殺人、詐欺、暴行……罪に重いも軽いもない。どの房も等しく解放して差し上げるよう申しつかっております」

 フードが通路を挟んだ左右の雑房の封印を解きはじめると、囚人らはぎょっとして止めようとした。

「お、おいっ 姉ちゃん、俺たちはその、いいよ……」

「そうそう、ちゃんと罪を償いたいし」

「俺たちなんか外に逃がしたってしかたねえよ」

 しかしフードはまるで聞く耳をもたなかった。

「じゅる」

 飢えた獣の爛々と光る双眸が、フードの背後から、舐めるように囚人らを見まわした。囚人のひとりと目が合うと、ルワーンは背筋がこおるような笑みを浮かべた。

「うわっ やめろ! やめろって! やめ」

 破れた札を剥がすフードのわきをかすめて、風のようにルワーンが雑房に滑り込んだ。惨憺たる光景を前に、向かいの雑房では呼吸をする音すら消えてしまった。その雑房もまた、ルワーンの食事のあとには何も残らなかった。

「皮肉だな」

 ルワーンはすっかり満ち足りた顔で言った。手指の返り血を舐めながら、ばさばさした尾をゆったりと左右に揺らしてフードの前を通りすぎる。

「俺を捕えたのが呪術師なら、俺を解き放つのも呪術師か……腹が満ちて気分がいい。いつになく、最高にいい。恩に免じてあんたは食わない」

 フードは一言も返さず、惨劇の残骸を前にしても無表情でいる。彼女の横で足を止めたルワーンは、すん、と空気をひと嗅ぎした。

「いや、食えない、か? まあいい。あんたの名を教えておいてくれよ」

「メヴィー・ソテロウ。主はメンテス・ガヴォ」

「わかった。あんたと、あんたの主は食わないと誓おう」

 言い終えたかと思えば、ルワーンの姿は溶けるように消え、彼が走り去った方向へ流れる風だけがメヴィーの周りに吹いていた。

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