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永い一日

 セルヴィアたちがドーイを見送ったのと同刻、カルラは大広間の上階、張り出した観覧テラスを歩いていた。玉座の間に近づくにつれ、その歩みは小さく、遅くなっていった。朱塗りの大扉の前に立ち、カルラは金色の獅子がくわえている円環の金具に触れた。

「王弟妃陛下」

 優しく呼びかける声は、カルラを驚かせはしなかった。振り向くと、そこには見慣れない女官が給仕の支度をして立ち、深々とカルラに頭をさげた。

「急なごあいさつで失礼いたします。今日から王弟妃陛下付きの侍女となります、メヴィー・ソテロウと申します。至らぬこともございましょうが、心をこめて王弟妃陛下に仕えさせていただきます」

 カルラは人形のように大きな目をしばたかせた。

「こんな時に、私に侍女がつくとおっしゃるの?」

「畏れながら申し上げます。こんな時だからこそです」

 カルラはメヴィーの頭からつま先までをじっくり眺めた。結い下げた赤毛が、旧給仕用の華やかな緑衣の官服に映えた。白く丈の長いエプロンには染みもシワもない。丸眼鏡で半分隠れている顔には、化粧をしていなかった。

「ここにいれば戦争に巻き込まれますのよ。いつ命を落とすかも知れない」

「元よりその覚悟でございます。不躾ですが軍部に属す身ですので、いざとなれば王弟妃陛下にこの命を捧げます」

「まだお若いのに、命を捧ぐだなんておっしゃらないで」

 近くへ、とカルラが呼ぶと、メヴィーは音もなく歩み寄った。

「私は、誰かが傷つくのは嫌です。戦争のことでお話があります。王弟陛下か大臣の行先を知っておいで?」

「王弟陛下は上の寝室でお休みです。大臣閣下はサルベジア大陸にご用事で」

「ずいぶん遠くへいらっしゃるのね」

 カルラは少し考えたあと、メヴィーを伴って尖塔に引き返した。一階の、庭を臨む応接室で、カルラはソファに腰をおろした。

「メヴィー、お茶を淹れてくださる? すこし休みましょう」

「かしこまりました」

 金糸銀糸の絢爛な刺繍の一部のように、ソファの肘掛にカルラの細い指が置かれた。

(不安、疑惑、そして暴力……今までになかったものが城じゅうに溢れている。負の感情が皆の心をむしばんでいく。そして私も)

 思いつめた表情のカルラの前に、薫り高い紅茶が置かれた。

「どうぞ、カルラ様」

「ありがとう」

 カルラは自然にメヴィーの白い手をとり、優しく包みこんだ。メヴィーはカルラの手の温かさにひどく驚いたが、おくびにも不自然さを出さなかった。

「とても冷たいわ、まるで氷のよう」

「私の一族は皆こうなのです。カルラ様の御手が冷えてしまいますよ」

 メヴィーは自然に手を抜き取り、カルラの斜め前に立った。

「とてもいい香り」

 カルラは微笑み、予備のカップにも紅茶を注ぐと、メヴィーの前に置いた。

「どうぞ、あなたも召し上がって。紅茶はお好き?」

「これは望外の喜び、もったいないお心です……有難く頂戴します」

「まだ熱いわね。メヴィー、紅茶が冷めるまで昔話に付き合ってくださる?」

「はい、カルラ様」

 遠慮がちで声が小さく、内外から優しさのあふれ出るメヴィーに、カルラはすっかり気をゆるした。メヴィーに椅子をすすめ、向かいに座らせると、カルラは紅茶の波紋を見つめながら話しはじめた。

「先代王弟の時代までは、王弟城にも五人ばかり女官がいたそうなの」

 あらゆる争いを好まない当主に代わるやこれ幸いと、ギオの代から廃止になった制度は多い。カルラはザティアレオス王家に嫁ぎ、仮にも王室に女官のひとりもいないと知った時はおおいに驚いた。が、慣れてみれば苦でもなかった。洗濯や掃除は王弟属の兵士たちの仕事であり、炊事はもちろん給仕と料理番が担う。身の回りのことは自分一人でもできたし、傍らにはいつもギオがいた。

「ただ、私は四人ものかわいい子どもたちに恵まれたのだけど、どうしても自分だけではお世話できなくて……」

 体の弱いカルラは子どもたちのこととなると骨をおった。ぐずって泣けば抱き上げてやるが、長くは続けられない。すぐに腕を痛めたり、腰を痛めたりして、ギオにも心配をかけてしまった。

「そんな時には女官がほしいと願いましたわ、でも、王弟城仕えの方々のおかみさんや料理番が交代ごうたいに、合間をみて面倒を見てくれましたの。とても嬉しかったわ……大臣も、子どもの相手がとてもお上手なのよ」

 メヴィーは静かにカルラの話に耳を傾けていたが、大臣の話が出ると顔を上げた。

「私をカルラ様の侍女にと推薦してくださったのはガヴォ大臣閣下です。軍部に籍を置いた頃より目をかけていただき、此度は私が適任であろうと仰って、カルラ様にお仕えせよと」

「まあ、あの方が」

 カルラの表情は曇った。少し前ならメンテスの名を聞いて安心したかも知れないが、今は正反対に不安と疑念が心に渦巻いた。メヴィーはカルラの訝しむ表情を和らげようとつとめた。

「我々【精兵連】は、命にかえて王弟陛下と御一族様をお守りするようにと命じられております。戦となれば不測のことばかり起こります。私がカルラ様にお仕えしお守りするように、王弟陛下にもご子息方にも【精兵連】の者が護衛としてついております」

 メヴィーはソファから床に移って正座し、心臓に右手を当ててゆっくりと誓いを立てた。

「カルラ様にはくれぐれもお体、お心ともに労をかけぬようつとめますので、どうかお側に仕えることをお許しください」

「わかりました、少なくともあなた自身は信用に値します。どうかお立ちになってメヴィー、一緒に、紅茶を……」

 カルラは軽く眉間に手をやってから、ティーカップに手をのばした。

 しかし、その手がカップを取ることはなかった。前のめりに倒れたカルラを、メヴィーが支えた。ソファに凭れさせ、カルラが深く眠っていることを確かめてから、メヴィーは紅茶の一式を片づけた。

 シンクを流れて行く紅茶から、ほのかな花の香りが広がった。


 カルラは昏々と夢へ落ちていった。カルラの目の前にメンテスが立っていた。カルラはすかさず問いただした。

「此度の開戦は王弟陛下の御意思ですか」

 夢のなかのメンテスは恭しく一礼して答えた。

「王弟陛下が直接の戦争を忌避なさろうとしていたことは承知しております。平和解決の道を探ることには、私も及ばずながらお力添えを……しかし事態は急。あちらが仕掛けてこようというのですから、最早、話し合いでは済まされません」

「国王陛下は私たちを謀反人とおっしゃるのね」

 カルラの視線の先に窓が現れた。雲一つない夜空に、星の輝きを打ち消すまばゆい月が凛と座していた。本棚やマホガニーの机が次々に空間を埋めていき、気づくとカルラはギオの書斎に立っていた。

 窓から差し込む白い光を背に受けて、メンテスの顔には深い影が落ち、双眸の怪しい光がより際立って見えた。

(心をえぐるような、強く惹きつける魔性の光)

 これまで一度も、メンテスの鴇羽色をした目を恐ろしいと思ったことなどなかったのに、カルラは身の危険を直感していた。

「刺激の強い話はお体に響きます。温かいもので気を落ちつかせてください」

 澄んだ香りが鼻をくすぐった。メンテスは華奢な造りのティーセットを取り出し、白磁のポットの中身をカップに注いだ。

「あの、結構ですわ」

「王弟妃陛下、ご心痛はいかばかりかと。しかし現実は酷なものです」

 言うなり、メンテスの姿は闇に溶けてしまった。カルラはいつの間にかソファに腰かけていて、目の前にはヴェイサレドの姿があった。

「国王陛下は、王弟陛下に御世継ぎのあることを妬み、恨んでいらした。歩み寄ろうとする王弟陛下を『謀反の意あり』とし、分家を一掃するとのたまった。内乱にかこつけてあなた方を国賊とし、一人残さず処刑せよと」

「皆は、皆は私たちを信じてはくれないのでしょうか」

「ええ。真実など見向きもされず、愚かな者どもは権力に流されるのです」

 うろたえるカルラの前に、メヴィーが現れた。

「戦わねば守れないものがある。戦わねば貫けない正義がある。いつの時代も、勝てば官軍、敗ければ賊軍……敗者の言い分には誰も耳を貸さない」

 カルラは乾いた口を動かした。

「もう止まらないのですね。戦争は始まってしまうのだわ」

「戦争です、カルラ様」

 メヴィーは一冊の絵本をカルラに差しだした。

 最初のページには、巨木の杉で作った断頭台と、縄でくくられ小突かれて歩く「元・王族」が描かれていた。

 オルガが首にかけられた縄をひかれ、目に涙を浮かべながらなにか訴えているが、雑踏にまぎれて誰の耳にも届かない。列の後ろでアリアテが「もう歩けない」と口を動かして泣きべそをかいている。

『歩くのよ』

 優しく促す自分の声が暗闇に響いた。

 堅い石畳をどこまでも歩き続け、やすりもかかっていない断頭台の上へ膝をつき、天に祈る間もなく武骨な刃が首へと振り下ろされる。小さな子どもを憐れんでくれる視線などどこにもない。

「こういうことなのですね、戦争とは」

 戦って勝たなければ死ぬ。

 カルラは絵本を手放して膝をついた。漠然とした恐怖がおそい、白い光がにわかにかげった。暗雲は手のひらのように闇からのびてきて、凛然と輝く月を覆い隠した。


「ひどくうなされていらっしゃる」

 尖塔のゆるやかな螺旋階段を上がり、カルラを寝室へ運んだメヴィーは、王妃の額にうかぶ汗を拭った。

「ただ眠るだけではなかったの?」

 メンテスが「紅茶にでも煎じて湯気をかがせろ」とメヴィーに渡した花の名は【ユーク(死)・オ(の)・ホロ(夢)】。気化した毒素を吸いこむと昏睡し、心の奥底にある不安がふくれあがった悪夢を見続ける。やがて、心をむしばまれた者は、眠りながら死を迎えると言われる。

 メヴィーは花の名を知らない。カルラがどうなってしまうのかもわからない。

(様子がおかしい。いちど毒に詳しい人に診せよう……でも、どういうこと? メンテス様が王弟妃を危険な目に遭わせるだろうか)

 メヴィーはメンテスの最初の命令を復唱した。

「命にかえて王弟一家をお守りしろ。たとえ、この私を殺すことになっても」

………………………………………………………………。

 国王勅令を受け、ゲッテルメーデルの白き司もまた騒然としていた。

 庁舎の上から下まで役人が駆けずり回り、彼らの頭上を黒いツバメが何羽も飛び交っていた。

「サンタナシティ、ロワンジェルス、セヴォー、フィールト、ブォーノ、セスナより返報!」

 会議室では、書記官が忙しく広げた羊皮紙の上に、舞いこむツバメたちを迎える作業が続いた。ツバメは紙面に触れるとたちまち姿がほぐれ、文字となり、短い文章を紙面にしるした。

 【飛燕(ひえん)】は、緊急時に用いられる伝達魔法である。最大で三十一語、インクで書きつけた文字をツバメの姿に組みかえ、宛先へ飛ばす。文字のツバメは、あらかじめインクに染みこませた独自の「香り」をたよりに、対となる羊皮紙【止まり木】まで飛んでいき、再び文字へと還る。初歩的な術だが、わずかでも香りの違う止まり木には寄りつかず、音速にせまる飛行速度から第三者に捕まるおそれもない。有事において、これ以上確実な伝達方法はなかった。

 今朝方、国王城より「謀反の咎により王弟一族を処す」という飛燕が舞い込んだ。白き司から返報を飛ばすより早く、次には王弟城から「一斉蜂起す」との宣誓が送られてきた。

 国王の勅令も理不尽だが、王弟の挙兵も類を見ないほど無謀な判断だ。

「隣り合う峰の山城同士が戦争などと、奇々怪々」

「広報部から記者室に号外を刷らせてよいか伺います」

 伝令が声を張り上げると、アバデが挙手した。

「ならぬ」

 会議室は水をうったように静かになり、居合わせた者はアバデの言葉に耳をすませた。

「元老院を招集する」

 元老院。実権は無いに等しいが、その影響力をもって白き司における実質の最高決定機関である。主に、国を揺るがすほどの大事であるとき、元老院はいずれかの所属議員の一声で招集される。会議室は元老院召集にどよめいた。

「広報部より返答、国民には知らせないのですか、と」

 問われたアバデは厳しい顔つきで答えた。

「内乱で終わらせるためじゃ。民のすべてを人質に取られとうなかったら、いたずらに巻きこんではいかん」

「お伝えしました。広報部は了承しました」

 伝令は一礼し、別の連絡を伝えるために軍隊長らのもとへ走った。会議室にはもとの喧騒が戻る。

 アバデは椅子に腰をおろし、深いため息をついた。

(やれやれ、ヴェイサレドの案じたことが起こりよったわ)

 内乱の首謀者はメンテス・ガヴォで間違いない。メンテスの目的は、懇意にしている王弟一族を王位に就かせることか。それとも、自らが実権をとり、この一国を掌握するためか。

(いや、一国どころの話ではないかも知れん)

 アバデは久しく忘れていた寒気を覚えた。


 正午、玉座の間を改装した大会議室に、元老院議員、一般議員、各部署の代表、軍隊長らが改めて招集された。

「此度の内乱は、大臣ならびに国王相談役メンテス・ガヴォの主導するものと見たがよいじゃろう。彼奴は計り知れぬ。大いに警戒するが最善の策じゃ」

 アバデは好々爺の顔を捨て、厳格な口調で告げた。黒幕の名を聞いたほぼ全員が椅子から立ち上がり、互いの顔を見あったり、アバデに注目したまま石のように固まったりした。

 大臣メンテスの裏切りは、寝耳に滝をうたれたようなものだった。メンテスが名実ともに国王の側近となって以降、ザティアレオス王政は安定していた。国王がメンテスの言いなりだという噂は静観できなかったが、それで問題が起こるどころか、国は平穏無事、民にも笑顔が絶えなかった。

 それが何故、一転して平和を脅かそうというのか。

「メンテスは国王家と王弟家、どちらかを潰そうというのか? それとも双方を亡き者にしようというのか……いずれにせよ、我々は両家を牽制し、内乱の抑止につとめるべきだ」

「この国の王はザティアレオスⅩ世、まずは国王城に援軍を配備し、陛下の安全を確保することが最優先であろう」

「カラデュラ城下町の民を護衛し、必要とあれば避難させるための準備をととのえることこそ先決。混乱を広げぬよう、迅速に対応しなければ」

 ざわめきのなかで、クワトロだけは他人事のように構えていた。

(読みかけの本のページを繰っていたほうが有意義だよ)

 上の空のクワトロが向けた視線の先で、青年が立ち上がった。

「メンテス・ガヴォを討ち取るべきだ」

 大会議室は水をうったように静まりかえった。議員たちは身を乗り出し、声の主に注目した。

「【竜伐隊】の者か」

「第六分隊副隊長オルフェス・ラ・ウィンド、申し上げる。無用な血は流されるべきでないと私は思う。今回の内乱は、首謀者を無力化すればすべて終わる」

 並居る軍隊長らのなかにあって、彼は二十代の若輩とは思えない存在感を放っていた。第六分隊、通称【竜伐隊】は、カレスターテ最強の生物である竜族とも渡り合う特殊部隊。その名を聞いて(おのの)かない者はいない。

(箔がついたねえ、女性陣の絶大な支持を受けている色男くん)

 クワトロは頬杖をつき、しげしげとオルフェスを眺めた。

 使命感と正義感とに溢れた若者の熱気は、凍りかけていた人々の心を揺さぶった。

「首刈りか、悪くない。エンデ殿、メンテスの略歴を」

 クワトロは面倒そうに右手の人差し指を持ち上げた。重たそうな水晶の指輪が淡く光り、書庫の目録を中空に投影した。

 司書は一階書庫の管理も担う。書庫には膨大な書面や資料が眠っており、中には、仕官者の試用期間中の成績を記した帳簿、通称【お役人の通知表】もあった。一年目の官吏は決まった役職に就かず、あらゆる分野での力を試され、結果を記録され、適当な各部署に割り振られる。

 そこに、メンテスの弱点が見えるかもしれない。

「官吏試用期間中の成績、メンテス・ガヴォ」

 クワトロが発言すると、目録の一文が金色に光った。水晶に手をかざすと一巻の羊皮紙が煙のように現れ、これをとって、クワトロは待ち構えている議員に手渡した。

「かたじけない」

「終わったらすぐ返してね、禁帯出だよ」

 クワトロは冗談めかして口の端をつりあげると、腕を組んで背もたれに体を預けた。

 羊皮紙を手にした議員は朗々と内容を読み上げた。厭味ったらしいほど優秀な成績に辟易しながら、面々は作戦を練った。すべての発言は書記が書き留め、内容は一人ひとりの手元に配られた白紙に同時進行で複製されていった。

「試験を首席で突破したとあるが、適性検査の結果では、魔力は引き出すことすらできなかったとある。魔道で攻めれば効果がありそうだ」

「うむ、剣の腕前は群を抜くとある。魔道を用いたが無難であろう」

「暗殺者を仕向けるという手もあるぞ。白き司の地下牢にはうってつけの男が囚われておろう」

「冗談にしておけ、あの男は我々では御しきれん。解放したが運の尽きじゃ」

 クワトロは盛り上がる議会を傍目に、アバデの様子を眺めていた。白紙に移されたメンテスの成績表を、アバデは懐かしそうに見つめていた。そして目を伏し、軽く咳払いをした。議員たちは黙してアバデを振りかえった。

「何ものが相手となるか見極めるまで、下手に動かぬがよい」

 議員たちは黙って頷いた。元老院に権力はないが、彼らの言うことは常に正しかった。

 別の元老院議員が挙手し、落ちついた声で提言した。

「それが我ら元老院の総意じゃ。わしらは、牽制により開戦までを長引かせる、あるいは中止させる案を進言しよう。あくまで抑止力として、国軍の一部をカラデュラ王城に派遣するというのはどうじゃな」

 議会は元老院の意見を採択し、派遣される部隊についての協議にうつった。結果、即日移動が可能な部隊から優先的に送り込み、大部隊を分割したものを随従させ、現地で再構成することになった。機動力に長けた竜伐隊は、真っ先に先鋒の候補に上がった。

「念のため国王城に飛燕を送ろう」

 援軍を送る故、それまで挙兵を待たれたし。飛燕は昼中の空に放たれた。

 軍隊長らはオルフェスを囲み、作戦を確認した。

「わかっていると思うが、内乱や方々の争いに首を突っこむなよ。まずは先鋒として情報の収集、現実に何が起こっているかを見極めることにつとめてくれ」

「はっ」

 オルフェスは命をうけ、颯爽と会議室を飛び出していった。その後ろ姿をアバデは複雑な心持ちで見送った。

「次代を担う頼もしい若者が、みすみす散るようなことはあってはならん。やはり戦争はようない。ようない……」

 議会は一時休止となった。午後の再開までに各部隊の派遣、情報収集が行われる。午後の議題は戦争の抑止と、万が一開戦となった場合の対策、さまざまな事後処理についてだ。

 白き司は中立機関だが、実際には国王派と王弟派が庁内を二分していた。議会に集った者も、大半は派閥に属していた。

「王弟陛下がこのような暴挙に出られるとは未だもって信じ難い」

「王弟制度を早々に廃し、王家を本家一家に定めるべきだったのだ」

「なに、現国王には世継ぎがないではないか。分家制度の廃案には賛成だ、王弟一族の継承権剥奪は撤回されるべきだという点でな」

「それを言うか! それこそが事の発端ではないか」

 どこかで言い争いが起こると、元老院議員がそれをたしなめた。

「叶わぬことを仮定し争うより、まず戦を止めることじゃ。ひとたび戦火が起これば全てはおおいに傷つき、何もかもが有耶無耶になってしまう」


 クワトロは午後の議会に出席しないつもりで、白魔道士の詰め所に向かっていた。羽織った純白の上着が、足早に回廊をゆくクワトロの背で翼のようにはためいていた。白き司の東端、白魔道士詰め所の入り口にクワトロが立つと同時に、扉が内側から開いた。

「よう。アバデさんが、お前は午後の会議には出ないのかって」

「……ただいま」

 クワトロは、アバデの伝言を受けたこの男がどうやって先回りしたのかは敢えて聞かなかった。

 ゼイーダ=ハーベライザ。二十一歳にして、魔道部隊という大隊の士長補佐を務める逸材だ。特徴的な濃い水色の髪は、髪色が青ければ青いほど高い潜在能力を誇るという【水魔道士】の中で屈指の実力者であることを示す。

 水魔道は全魔道の頂点とうたわれ、攻防を兼ね備えた「完全なる魔道」とも呼ばれる。高い潜在能力と由緒正しい血統が要求され、学べば使える代物ではないため、水魔道士はそれ自体が希少な存在だ。ゆえに、水魔道士は常に期待され、ゼイーダのようにエリート街道を進むことになる。

 白き司に所属する水魔道士は、ゼイーダと、魔道騎士部隊を率いるダフォーラ隊長の二名のみ。両名とも名門の貴族であり実力派だが、能力や権威を笠に着ない性格で周りから好かれていた。

 そのゼイーダが唯一の友人になった経緯は、クワトロ自身にもよく解っていない。

 ゼイーダはソファに寝そべり、詰め所の白魔導士に出してもらったお茶をすすり、焼き菓子をつまみながら尋ねた。

「白魔導士は作戦の要だろ。それを派遣しないつもりだって?」

「アバデなら解ってくれると思うけど、回復術はタダじゃない。無限でもない」

 クワトロは上着を部下に持たせ、不機嫌な表情でソファに腰をおろした。

 白魔導士は通常、軍が動けば、いかなる任地にも数名が同行する。戦では、いかに効率よく確実に傷を癒すかということも重要だ。傷病の的確な回復は兵力や兵糧の温存、加えて、戦後の復興に向け余力を残すことにつながる。

 しかし今回に限って、クワトロは代表者として全面的に同道を拒否した。クワトロは白魔道士の限界を誰よりも知っている、それゆえの判断だった。

「クワトロ、お前一人でも行けば百人力なのに」

 ゼイーダの目は務めを果たせ、と主張している。仕事となると、ゼイーダは面倒なほどまじめだった。

「一度に複数の人間を癒すなんて荒行だ。本来の魔道の域を超える。それが当たり前だと思われたら困るよ……過ぎる力は規律を乱す……それに、今回は行くだけ無駄になる」

「上着を脱いだってことは、本当に協力する気はないんだな……この内乱がどう転ぼうと、俺は王立軍として国王のために戦うよ」

 ゼイーダは焼き菓子を頬張り、紅茶で飲み下して、質問をかえた。

「お前、ガヴォ大臣のこと毛嫌いしてたよな。もしかして最初から、こうなる事を予測していたのか?」

 クワトロは無表情に答えた。

「まさか。僕以上に何を考えているか解らない男のことなんか知らないよ」



 ゲッテルメーデル南の砦門(さいもん)は高々と格子が上げられ、居並ぶ騎馬の軍は出発の号令を待っていた。そこへ、オルフェスが鎧を鳴らして駆けつけ、白馬の前でひざまづいた。

「オルフェス、代行ご苦労であった。で、状況は」

「遠征の許可がおりました。情報収集につとめ、内乱には手出し無用と」

「そうか」

 高圧的な態度と声音とは裏腹に、白馬に座す騎士はあどけない顔をして、年端もいかない少女に見えた。艶めく黒髪を風にあそばせる白磁の人形のような女騎士こそが、竜伐隊長セキル・エレノアールである。

 セキルのまとう鮮やかな紅梅色の鎧は、彼女が弑した竜の鱗から鋳造された。単独で竜を討伐した人間など片手で数えるほどしかおらず、中でもセキルの戦歴は猛者の最たるものといえる。竜に向けられた並々ならぬ殺意と憎悪から、いつかしか彼女は【竜殺しの魔女】の異名をさずかった。

 セキルは一呼吸おいて白馬の頭をめぐらせ、部下たちに告げた。

「待ちくたびれたわ! これよりラティオセルム大陸はカラデュラ王城へ遠征を決行する。何事を見聞きしようと隊列を乱すな、続け!」

 応、の大合唱の後に、蹄が地をうち鳴らして一斉に駆けだした。

 ゲッテルメーデル周辺は砂漠や荒野といった不毛の土地に囲まれている。見晴らしは良いが足場は悪い砂丘を、馬脚は一糸乱れず、砂塵を巻き上げてカラデュラ王城を目指し直走った。

………………………………………………………………。

 レピオレン湖は広大な面積に島国を有する世界(カレスターテ)最大の塩湖であり、ラティオセルム大陸とサルベジア大陸とを隔てるようにして鎮座する。両大陸から細長くのびた山脈に囲まれ、北東の切れ間から高潮や満潮によって外海の海水が循環し、常に波のたゆたう様から「内海」とも呼ばれた。

 また、いまだ解明のおよばない独自の生態系が築かれている。



 サルベジア大陸の西端、港町フィールト。ラティオセルム大陸の東端サンタナシティへ至る貿易船が寄港する、有数の港町である。行商の要である航路や港町には様々なものが集まる。人に、獣に、大量の荷を負った馬。街道には店の軒先に粗末な幌を張り出す即席の市場がたち、往来を狭めていた。

 また、サルベジア大陸は乾燥と強風に見舞われるが、フィールトはレピオレン湖の潮風に守られ砂害や旱魃が少ない。湖底の形状から高波も起こらないため、住みよい土地として移住する者も多かった。

 しかし今日は、雑踏とは違う喧騒が町の空気を震わせていた。

「船は出ないのか?」

 波よけの石積みよろしく港に集った者たちは、口々に同じ疑問をとなえた。

 白き司から晴れて解放された、王弟方武官長兼大臣相当官ヴェイサレド・シオもまた、この港で足止めをくっていた。

 停泊する巨大貿易船【サンタナ号】の乗組員は、押し寄せる人の波を懸命につき返すだけで、何も答えなかった。

「いつになったら帰れるんだ」

 大きな声が上がった。苛立つ人々の怒気が熱を帯びはじめ、いよいよ一触即発の様相となった。そこへようやく、人海を掻き分け、役人がタラップに飛び乗った。若い役人は緊張して曲がった口を薄く開け、丸めた通達の反りと格闘しつつ、文面を読み上げた。

「緊急事態! 協議の結果、当港は封鎖するものと通達する! えー、市民においては中立地点への避難を勧告し……」

「緊急事態? 避難って何だ。何があったんだ」

 役人を遮って誰かが叫ぶと、次々に声があがった。

「ラティオセルムに家族がいるのよ、帰らなきゃ」

「いったいどこで何があったっていうんだよ。おい、教えてくれ!」

 漠然とした不安と恐怖がその場を支配した。

 若い役人は困ったように首を振るだけだった。口止めされているか、彼自身、何も知らされていないのか判然としない。

 ヴェイサレドは苦い顔をした。眉間に寄せられた深いしわは、憤りではなく、底知れない悲しみをたたえている。彼は港に背を向け、立ち尽くす人々の間を抜けて街道を進んだ。着込んだ甲冑は行軍する騎馬のごとく鳴り響き、人垣は自然とヴェイサレドに道をあけた。

 噴水広場を南へ抜けると、簡素な白土造りの役所にも人が集まり始めていた。そのざわめきの中から、一人の青年が足早にヴェイサレドのもとへ参じた。

「シオ武官長」

「セリ、すぐに発つぞ」

 王弟城からヴェイサレドを召喚するため遣わされた、馴染みの部下である。頷いたセリの顔は青ざめ、かわいた唇を何度も舐めていた。ヴェイサレドは低く、ゆっくりと促した。

「王弟陛下の御元へ急ごう」

 セリを伴い、ヴェイサレドは市街地を抜けた。白き司から借り受けた馬は行儀よく二人を待っていた。彼らは郊外へ馬を走らせ、家も畑もない湖沿いの窪地で下馬した。それぞれの馬の鞍を外すようセリに命じると、ヴェイサレドは片手を地面と平行に掲げた。

赤銅(あかがね)の月に染む影より来れ、渡りの風に汝が翼を預け賜え」

 ヴェイサレドの足元と数歩先に同じ魔法陣が描かれ、赤い光を帯びた。

「Lru’fgh(ルルーフハ);je(ジェ)

 耳なれない発音の言葉を合図に、魔法陣から何者かが躍り出た。赤いたてがみから一対の角を生やし、喉まで裂けた口から二股の長い舌をのぞかせて、ムカデのようにいくつもの脚をはやした巨大な蛇が顕現した。ヴェイサレドが有事の移動手段として召喚する遣い魔、通称【リンゴー(※)】と呼ばれる魔獣である。

 二頭の馬は粛々と待機していたが、セリが両手を打ち鳴らすと、弾かれたように港町へ駆け戻っていった。リンゴーは走り去る馬を残念そうに眺めていた。

「やあリンゴー、あれはご飯じゃないよ」

 リンゴーはセリにも慣れており、おとなしく二人分の鞍を置かせた。シュルシュルと喉から風の音を漏らし、主たちが跨るや、リンゴーは号令もなしに大きく体をうねらせて宙空へ躍りあがった。その背中には四対の紫紺の翼がひらき、蛇行しながら、風に乗ってどこまでも湖上を滑っていく。

「シオ様、この国に何が起ころうとしているのでしょうか」

「何であろうと、起きてしまったことは終わらせねばならん。我らの為すべきことは、王弟陛下とご一族を命にかえてお守りすることだ……時にセリよ、妙なことを聞くが」

「何でしょう」

「国王陛下のご様子と、王弟陛下のご様子は似ているか?」

 セリははっと息を飲んだが、すぐに否定した。

「国王陛下は、先月謁見しました折もまるで生気がない目をしておられました。しかし、王弟陛下は普段と何ひとつ変わらぬご様子でした。ゆえに臣下もおおいにうろたえています」

「そうか」

 はためく外套がはらむ風の冷たさに、ヴェイサレドは顔を上げた。夕陽が地平線に沈もうとしている。ヴェイサレドは目を細め、一国が迎える夕暮れを憂えた。

「やはり私がついておくべきだった」

 ヴェイサレドが深いため息とともにもらした言葉は、空を切る蛇の翼に隔たれて、セリの耳には届かなかった。

※リンゴー ヴェイサレドの召喚獣、魔物の一種。有事の移動手段として呼び出される。

       「リンゴー」は、魔界の言葉で「人喰い」を意味する。

       従順に言うことを聞くかどうかは、召喚術師の実力しだい。

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