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日常

 広大な平面の海洋に四つの大陸と大小の島々が浮かぶ世界、カレスターテ。西端の大陸ラティオセルムのカラデュラ地方に【王都】はあった。

 南のセピヴィア大陸、南西のギドロイ大砂漠……世界中の各国にはいずれも王族がいて、中心には都が置かれたが、カラデュラの王都は別格だ。【人族(ひとぞく)】の最初の王はカラデュラの地に立った。大きな魔素の流れに包まれて常に霧深く、大樹という天然の要塞に囲まれた王国は、神の住まう土地とも呼ばれる。一年をとおして涼しく過ごしやすい気候は、人族だけでなく、【獣族】や【シルウァト族】などにも好まれ、多様な種族がカラデュラに集っていた。


 中央の噴水広場まで続く石畳の両脇に、青果店や布屋、金物屋などが軒をつらね、大通りは常に雑踏していた。外から来たもの、都に暮らしているもの、入り乱れて夕べの買い出しに顔を並べる。

「活きのいい魚が入ったよ! 港の集落から仕入れたばっかりだ」

「いいわねえ、トウモロロコシのフレークが余ってるのよ。甘辛いタレで仕上げたらいいかしら」

 鮮魚店で足を止めた主婦に、三軒隣の青果店から声がかかる。

「ズワジャベリーのソースを合わせりゃ絶品だよ!」

 夕餉を前に、路地では噂話がとびかい、街角では大道芸が披露され、旅人や観光客などが財布の紐をゆるめていく。市場の一本隣の街路には宿屋が立ち並び、袖引き合戦が行われていた。

 かつて草木の生い茂る山野を切り拓き、レンガのひとつから築き上げられた王国は、ゆるりとした繁栄の流れのなかにあった。

 王都の花めくさまを見守るように、小高い丘二つに渡って城がそびえる。強固な(くるわ)に守られた城が【現国王】の、辺境の一領主のように質素な城が【王弟一族】の居城だ。山野から切り出した花崗岩を礎とする現国王城は、白くまばゆく、せまる夕闇のなか木立の闇にはっきりと浮かび上がった。一方で、同じ花崗岩を積み上げているはずの王弟城は、暗く影に沈んでいた。

 王弟城、西の回廊。格子もない窓には雨砂、寒熱よけのまじないが施してあり、さわやかな風だけが吹き抜けていく。風の行方を追えば、大理石の床の上を、西日をうけた石柱の影が縞模様をつくってのびていた。

 一階の厨房から胃袋をくすぐる夕餉のにおいが漂い、見回りの兵らはそわそわと落ちつかない。彼ら兵士を含め、城に仕える者はほとんどが城下町に居を構え、平時は定刻になると家路についていた。今時分、城に留まっているのは損な当番兵たちだ。そうでなければ客人か、まじめな官吏か。それとも、供もつれずに城内を散策している風変わりな大臣閣下か。

 窓のひとつに人影がもたれかかり、異国情緒に満ちた鼻唄をすさんでいた。

 独特の雰囲気をもつその男は、西日に目を細めながら城下町を眺めていた。襟首や袖口をぐるりと毛皮で囲んだ外套は彼の背中を大きく見せた。しばらくして窓から離れた彼が目の前を通りすぎると、兵はすかさず敬礼した。彼は珊瑚玉か鴇羽(ときは)を思わせる目を細め、菫色の髪を揺らして笑みを返した。

 【現国王ザティアレオスⅩ世】の右腕、メンテス・ガヴォ。仕官してわずか十年目、三十歳で国政の頂点たる大臣、且つ国王相談役にまで成り上がった。ザティアレオス王権において最大の切れ者と噂される男である。

 メンテスは出自が謎に満ち、手段を選ばず出世に臨んだことから敵も多かった。しかし、敵すらも懐柔してしまえる何かが彼にはあった。メンテスを快く思わない者はそれを揶揄して「魅了の能力(チャーム)(*)」などと呼ぶが、あながち間違いでもないだろう。

 回廊をゆくメンテスの足もとに夕陽が鋭く反射した。豪奢な上着の下に着込んだ鉄壁の鎧が、一歩踏み出すごとに活版印刷機のような音を立てた。魅了の能力をもってしても抱きこめない「敵」の送りこんだ暗殺者が、あらゆる物陰から彼の命を狙っているのだ。

 階段をおりると給仕が待っていた。

「こちらにおいででしたか。王弟陛下、王弟妃陛下、ご子息様方がお待ちかねですよ。アリアテ様は、椅子にお立ちになっております」

「とんだお姫さまだ」

 メンテスは苦笑し、王弟一家との夕餉の席に急いだ。

*魅了の能力チャーム 主にセイレーンや人魚などの魔物が持つ能力。

  海上に現れ、魅了の力をもった歌声で人間の男を惑わし、溺れさせたり、船を沈めるとして船乗りに恐れられている。

………………………………………………………………。

 ラティオセルム大陸は、巨大な内塩湖「レピオレン湖」を挟んでサルベジア大陸と繋がっている。サルベジアの王家は古代に滅び、カラデュラの王家が代わってこれを治めてきた。現在、サルベジア大陸の中心都市ゲッテルメーデルには【白き司】と呼ばれる政府機構(コーカ)が置かれている。かつてのゲッテルメーデル城を流用した庁舎は城そのもの、都市も城下町の体をたもっていた。

 夕暮れの鮮やかな光と闇とに包まれながら、ゲッテルメーデルでも人々のにぎわいが残響していた。市場の雑踏や市街地の喧騒をはなれ、静なる白き司へと目を向ければ、煌々と魔法のろうそくが照っていた。日が暮れようが、夜が来ようが、次の朝日がのぼろうが、白き司は眠らない。

「ずっと明かりがついてるねえ。つかさの人たち、おなか、すかないんかな?」

 父を西門まで迎えにきた少女が、白き司のひとつの窓を指さして無邪気にたずねた。父は幼い娘に手を引かれつつ、頭に巻いた布をとって汗をぬぐい、笑って答えた。

「お役人さまだって、働いた分うんと食うぞ。さあ、俺たちも夕飯にしような」


 白き司の内部は入り組み、ありとあらゆる執政の部署がつらなる。元が城であるため不都合な間取りも多いが、住み込みで働く役人たちにとっては勝手知ったる公の家だった。

 二階の廊下と螺旋階段で繋がる張りだしの塔は、書斎を改装した図書室になっている。司書を勤める男はクワトロ・エンデ。【稀代の白魔導師】という肩書を持ち、白き司における大臣相当職を担う高官でありながら、表舞台に立つことを嫌う男だ。一介の平役人の仕事を好み、図書室司書の座を得てからは、まさに水を得た魚である。

「二週間後に返してね。はい」

 慣れた手つきで日付印を貸出し証に捺すと、クワトロは口元にだけ笑みをたたえて書籍を手渡した。

 カラスのような黒髪に陶磁の肌、若々しく中性的な顔立ちといった絵画じみた見目の良さに惚れたとしても、彼の性根を知れば誰でもよそよそしく接する。クワトロのおよそ白魔導師らしくもない冷酷で残忍な性格は、しばしば悪魔にたとえられた。

「さてと」

 クワトロは自分が読みかけている本をたたみ、軍関連の書籍をあつめた一角に向かった。普段から人の立ち寄る棚ではないが、この、机に突っ伏して眠る緑の柳頭がいるときはとくに閑散としている。

「起きなよ」

 柳頭のどこが顔だかわからないが、クワトロは遠慮なく後頭部らしきところを平手打ちした。眠っていた男が顔を上げる。軍服の上を髪が流れていき、切れ長の鋭い眼光がクワトロをとらえた。しかし、「ヘビをにらみ殺す」といわれるほどの威圧もクワトロには通用しなかった。

「最近は眠りが深いね。僕、ずっと殺気出してたのに」

 柳頭の軍人メシュタポは、後頭部を掻いてあくびをした。

「ああ、だから、一番安全なところで」

「図書室は仮眠室じゃない」

 メシュタポはへらへら笑い、わかったよと片手を振るあいだに再び眠りに落ちてしまった。クワトロはため息をつき、洗い替えのテーブルクロスを引きだすと、メシュタポごと机にかけた。


 白き司の三階、会議室前の廊下では、対照的なふたりが話しこんでいた。背の高い男の表情は険しく、対する小柄な老人はほがらかに笑み、落ちついた声で言った。

「王弟陛下の末王子殿が、の……血とは因果なものよ。母君と同じ病とは」

「いまだに信じ難いことです」

 落胆する男の肩には届かないので、腰あたりをたたき、ひとの好い老爺は労いの言葉をかけた。

「おぬしのように忠実で慈愛にあふれた臣下を持って、王弟陛下――ギオ殿も誇りであろうな。そう気落ちするなヴェイサレド」

 国王に仕える派閥とは袂を分かつ【王弟属】の武官長であり、大臣相当官を兼任する男の名はヴェイサレド・シオ。彼は常に戦場でまとう鎧を着込み、自ら王弟一族の盾と名乗る。強く気高い騎士だが、やつれた頬が苦労の多さをもの語っている。

 ヴェイサレドは額を抑えながら声をふりしぼった。

「実は、アバデ様に相談したい儀は他にも……」

「ふむ。そちらのほうが本題かのォ」

 ヴェイサレドの相談を受けている好々爺はアバデという。政府(コーカ)の最高機関【元老院】の古参議員であるアバデは、執政において絶大な影響力を持ちながら、確かな心のある人徳者として知られていた。

 アバデは、親を亡くしたヴェイサレドに養育者を紹介した恩人であり、度々ヴェイサレドは私的な相談をすることがあった。養育者も他界したいま、ヴェイサレドにとって真に頼れるのはアバデだけだった。

「ガヴォ大臣の事なのですが」

 ヴェイサレドは深いため息をはさんで続けた。

「もともと私の考えなど及ばぬ方ですが、このところ魔導師や軍部のものと密会し、何やら謀をめぐらせている様子で気にかかるのです」

「ふむ。ガヴォ殿は王弟陛下にもお仕えする身……おぬしが案ずるのもわかる、わしも目を光らせておこうて」

 アバデはたくわえた白ひげを撫でながら、ふと顔を上げ、夕空に点々と現れはじめた星をながめた。

 今、ザティアレオス王政は変化の潮流のなかにある。


 ――初代カラデュラ王の時代、実の兄弟であった「賢王」と「慈王」とは、骨肉の争いをさけるための法をしいた。兄王を本家、弟王を分家とし、【本家に有事の際も、原則、分家が王権を得ることはない】という定めによって、王権をめぐる争いを後世にも起こさぬよう取り計らった。

 鉄の約束は、互いを信頼しあい、互いを思いやる優しさから生まれた。しかし血を分けた兄弟の絆も、時代とともにねじれていった。

 国王ザティアレオスⅩ世には嫡子がない。齢五十五、おおよそ五十年の寿命である人族にすれば、かなりの高齢である。対して、王弟ザティアレオスⅪ世は二十八歳、男児、女児ともに二名ずつの子にも恵まれていた。ただし、王弟の序列は形式上与えられるだけの数字であり、一族は継承権を持たない。

 現国王家と王弟家との血のつながりは薄く、それぞれに仕える家臣らはいつしか対立するようになった。政府は【国王本家を支持する国王派】、【王弟分家を支持する王弟派】に二分され、政はもとより、後継ぎ問題も二大派閥のせめぎ合いとなっている。国王派は「本家筋の王侯貴族から養子をとるべき」と主張し、王弟派は「かつての約を改め、王弟の嫡子にも継承権を与えるべき」と唱えた。王弟の嫡子に継承権が与えられることはすなわち、王弟派に力を与えることを意味する。当然、実権を保守したい国王派はこの意見を一蹴した。

 後継ぎは国の存亡にかかわる問題で、当然、国民の関心も高い。白き司の二階にある広報部記者室では、活版印刷機がうなりをあげて朝刊を刷っていた。

「昨今は国民までも【国王派】だの【王弟派】だの、いよいよ派閥のいざこざも表面化してきたな」

 いつ内紛が起きても不思議ではないほど、派閥の争いは激化していた。

「国がまた荒れるなぁ」

 壮年の記者のつぶやきに、作業中の職員の手が止まる。記者室につめていた者たちは顔をあげ、おだやかな夕暮れを迎えた城下町の屋根を眺めた。

「ガヴォ大臣は中立を貫きますかね。それとも、最終的には国王につくんでしょうか」

「お前、大臣閣下はどっちについても即内戦の一大事だぞ。そうなりゃ最後、俺たちにできるのは祈ることだけだ」

 壮年の記者はガラスのパイプで眠気覚ましを吸うと、刷り上がった朝刊の梱包を続けた。

 ただ一人、国王派にも王弟派にも属さず、両者のあいだを自由に行き来する【(かけはし)】。それが大臣メンテス・ガヴォだった。

………………………………………………………………。

 カラデュラ王弟城の一階には豪奢な大広間があり、前王弟の時代には絢爛な舞踏会が催されたこともあった。きらびやかな水晶のシャンデリアが当時を象徴しているが、いまは何のパーティも開かれない。色あせた絨毯をたどり、大階段をのぼれば玉座の間だが、こちらも現在は使われていない。金箔も布地もはげた、誰も腰かけない玉座がぽつんと取り残されているだけだ。

 主塔には音楽堂や図書室、劇場、娯楽室、大食堂、王と王妃のための寝室など、王族が暮らす城として最低限の贅沢がそろっていたが、そのどれもが使われていなかった。大食堂にいたっては、貴族を招いて王が会食する場所のはずが、一般の兵卒に解放されていた。現在の王弟一族の生活圏は、中庭と、そこに面した狭い尖塔だけだ。

 王弟ギオ・イセルガナ・シデヴィオ・ソルナテセ・カル・ザティアレオスⅪ世は、今日も今日とて、高齢の国王の代理として責務におわれていた。彼は日がな一日、執務室にこもり、大きな机の上に羊皮紙や書籍を山と積み上げた中に埋まっていた。王弟は議案の採択や伺いの目通しなど、王家の印鑑やら羽ペンやらを片手に、有能な事務員として忙しい毎日を送る。月に一度は外交官として他国に赴き、一週間ほど城をあけることもあった。

 ギオはふと書類から目を上げ、部屋がすっかり暗くなっていることに気づいた。書斎机のガタつく引き出しからマッチを取り出し、継ぎ足しつぎたしで太った蝋燭に火を灯そうとする。湿気たのかなかなか火がおこらないマッチと格闘しているところへ、優しい声がかかった。

「あなた」

 王弟妃カルラ・レオジア・サンセテト・ロクヴェル・ウィン・ザティアレオスは、セピヴィア王室からザティアレオス王家に嫁いだ。柔らかな手つきで扉を開けたカルラは、薄桃色の巻き髪を結い上げ、淡いブルーのドレスに身を包んでいた。今日初めて見る愛妻の姿に、ギオはしばし見とれる。

「お疲れではありませんこと?」

 カルラは少女のように幼い瞳をしているが、その微笑みは慈母の肖像のごとく、夫への愛情に満ちていた。

「根を詰めてはお体に障りますわ。息抜きに馬でもとベテ候がお誘いにいらしていたのよ……ついさっき、お帰りになりましたけれど」

 カルラの声は沈んでいた。そっと肩に置かれた、ほっそりした妻の手を握りかえし、ギオはため息をついた。

「心配をかけてすまない。ありがとう、カルラ」

 王弟妃カルラは生まれつき体が丈夫ではない。四人の子どもを産み育てるよき母親だが、大半のことは誰かの手助けを必要とする。ギオは日頃、カルラにはあまり心労をかけないように努めているつもりだった。

「私は大丈夫だ。こうして、君たちと暮らしている今が幸せだからね」

 カルラは黙って頷き、首をかたむけて窓の向こうを眺めた。黒々とした山の稜線が巨大な竜の姿に見える。

「おかあさまぁ」

 扉のほうから幼い声があがった。カルラは優雅に娘をたしなめる。

「アリアテ、お父さまの書斎に入ってはいけませんよ」

「おいしくのおしたくができました」

 四つになったばかりのアリアテは、口をおおげさに動かして喋り、ちゃんと言えたかしらと首を傾げた。ふふ、と手を口もとへあてて笑んで、カルラはギオの肩から離れた。

「あなた、下でお待ちしております。お夕食のしたくができたようですわ」

「ああ。アリアテはお腹がすいたろう。昼間、お前のはしゃぐ声がここまで聞こえてきたよ」

「あら、まあ。今日もよく遊んでいただいたものね、労ってさしあげないと」

 カルラは手の甲を口もとへもって行きながら、もう片手で、扉につかまっているアリアテの手をとった。母に手をひかれながら、アリアテは父を振りかえって元気よく手をふった。

「はやくきてね」

 ギオは暗がりから手をふりかえし、ふう、と息を吐いた。マッチの箱をわきに置き、インク壺のふたを閉め、蜜蝋の入れ物を片づける。書類にしおりをはさんで文鎮をのせ、羽ペンを天板の孔に挿すと、大きくのびをして椅子から立ち上がった。

「今日はこれで店じまいにしよう」

 できあがった分の紙束をかかえて書斎を出ると、よく知った男が壁にもたれて待っていた。毛皮の目立つ派手な外套は、食堂にでも置いてきたのだろう。

「やあメンテス、待たせたようだね」

「嘆かわしい。どこの王族がそんな大荷物を抱えて歩きますか」

 貸しなさいと言いながら、メンテスはギオの腕から書類の山をとりあげた。

「王族といっても、ね」

 ギオは自分の姿をかえりみて苦笑した。くたびれたベストに、腕まくりしたシャツには所々にインクの染み。手の側面や指先は黒ずみ、焦げた蝋のにおいがした。メンテスがおかしそうにこちらを見るので顔に手をやると、細かい字をひろうための拡大鏡の眼鏡をかけたままだった。どうりで歩きづらいわけだと、ギオは眼鏡をはずして鼻梁をおさえた。

 書類を器用に片手で持つメンテスと並び、ギオは昔なじみの友人と話すようにくだけた態度で喋った。

「昼間は大変だっただろう、おてんば娘の相手をありがとう」

「いい運動になりました」

 メンテスはさらりと返したが、ギオは思わず噴き出した。切れ者だの化け物だのと言われているこの男が、溢れる才覚も通用しない、四歳児に振り回されている様が目に浮かんだ。

 カラデュラ王政における大臣は、文官の各部署および軍部をとりまとめる役人の頂点であり、貴族と同等の位と権限が与えられる。加えてメンテスは現国王の信頼もあつく、国王相談役という宰相の担うべき役目も負う、比類なき最高権力者である。

 一方で、メンテス自身は派閥の問題など歯牙にもかけない男だった。王弟は補佐や護衛をつけることを許されず、兵士すら【王弟一族の監視】の名目でなければ城に置くことができない。しかしメンテスは、通例どおりギオがたった一人で外交に向かうとなれば扈従(こじゅう)し、度々日常の責務をたすけ、ついでに子どもたちのお守も引き受けてきた。

 この庇護を国王派も王弟派も歓待しなかった。メンテスが中立で公平な立場にあることで、国王派は王弟一族をないがしろにできず、王弟派は国王派に対して強く出ることができなくなった。そうしてメンテスが両派閥を牽制する形でバランスは保たれ、派閥の争いは内紛にまで発展することはなかった。

 公平な立場をつらぬく一部の穏健派は、メンテスを(かけはし)と呼び、抗争の抑止力としてたかく評価していた。

「こっちにばかり顔を出して、お前こそ本業は大丈夫なのか?」

「ええ、王弟陛下と違って有能な部下に恵まれておりますので……できればヴェイサレド・シオを王弟城に呼び戻したいところですが、生憎と私の権限を以てしても議会の可決は覆りません。彼も戻りたがっているのですが」

 五年前、王弟一族の護衛と補佐を務めたヴェイサレドが、ゲッテルメーデル議会の決定により国王属の軍部長に抜擢された。以降、彼は白き司で軟禁生活を強いられている。正当な評価による出世か、王弟派の力を削ぎたい国王派による目論みかは定かではない。

「ヴェイサレド、すっかり懐かしい名だ。元気でやっているかな」

「英傑ですよあの男は。未だに王弟一族の盾を自称しています」

 メンテスは廊下の端で待機していた小姓に書類を預け、ギオの一歩後ろから食堂に入った。長卓に座す面々は顔をほころばせた。

「間一髪。アリアテがもう少しであなたの食事にいたずらするところだった」

「それはご勘弁願いたい」

 上座近くの青年と談笑しながら、メンテスは下座の、アリアテの隣にかけた。

 調理場の隣にあるこの小さな食堂は、本来、料理人たちがまかないを食べるための場所だった。ギオは、大食堂を使用人や兵士たちに解放し、家族の顔を見渡せる小さな食卓を手に入れた。燭台のあたたかみのある火以外には照らすもののない、薄暗くこぢんまりとした食堂で、8人掛けの長卓を王弟一族と国家大臣とがうめる。

「だーじんいっしょ!」

「ええ、お呼ばれしました」

「およばえー」

 懐いているメンテスの隣で、幼いアリアテは浮かれてはしゃいで、つたないお喋りを滔々と続けた。見かねた長女オルガが向かいから制し、アリアテは渋々黙って腰をおろした。オルガはメンテスと目が合うと、困ったように微笑んでうつむいてしまった。オルガはアリアテとは対照的に物静かで、普段の挨拶にもはにかんだ笑みを返すのがやっとの手弱女だった。

 ギオは家長の席に座し、右手に王弟妃カルラ、三子アリアテ、メンテスと続く。左手には長子セルヴィア、二子オルガ、ゆりかごに寝かせられた末子ティオ。壁に備えつけられたホールツリーには、人数分の外套や帽子が窮屈そうにかかっている。

 料理が運ばれてくると、アリアテは皿を目で追い、自分の前に置かれた幼児食とメンテスのステーキとを見比べた。もの欲しそうな視線に気づいたメンテスは、困り顔で笑ってステーキの皿を遠ざけた。

「お姫さまのお口には、ブルー・ステーキは合いませんよ」

 メンテスは自然な手つきで子ども用の銀さじをひろうと、幼児食をひと口ずつアリアテの口に運んでやった。

「こいつめ。食べることは元々好きらしいけど、あなたからもらう食事にはいっそう幸せそうな顔をするんだ」

「おしめを替えてミルクもあげましたからねえ、もう母親のような心地ですよ」

「ガヴォさま、母親の私が代わりますわ。せっかくのお食事ですもの、ゆるりと気楽にお召し上がりになって。子どもたちもあなたとお話するのを楽しみにしていたんですのよ」

 和やかな笑いが広がる。

 食事の後にはテラスに移り、月明かりの庭を背に、セルヴィアとオルガが器楽演奏を披露した。

「アリアテったら、ずっとメンテス様のお膝を降りないのね」

「彼のことが気になってハープに身が入らないんじゃ困るよ」

 セルヴィアがからかうと、オルガは頬を赤く染めて小さく抗議した。

「お兄さまったら、そんなんじゃありません」

 いやに月が照っている。

 メンテスの膝の上で寝てしまったアリアテを、ギオが抱え上げてソファに寝かせた。カルラはティオをあやしながら演奏に耳を傾ける。

 おだやかなひと時。この一室だけでなく、都のあらゆる場所で、遠く離れたゲッテルメーデルで、異国の地で、同じような時間が流れている。

 願わくはこの平穏がいつの世までも続くようにと祈りをこめて、ハープとレシオンの調べは夜空に吸いこまれていった。


 時計が23時を打つ頃には、メンテスは国王城の大臣執務室で窓の外を眺めていた。目の焦点は合っていない。

「恒例の晩餐会はいかがでしたかな?」

 暗がりの姿なき声に向かって、メンテスは窓の外をぼんやりと見つめたまま言った。

「爺よ、俺は復讐を果たす。その時が来たようだ」

※1 人の姿に似ている……正確には、クルタナの姿。

人はクルタナそっくりに作られたが、獣族も元々、獣とクルタナの特徴を併せ持った姿をしている。

人より先にクルタナに似た姿につくられたため、「獣人(=人に似た姿の獣)」という呼びかたをすると大いに怒らせることになる。


※2 キーマ……距離、長さの単位。1キーマ=1m。

他、 キーラ 距離、長さ。1キーラ≧1km。

   ジェミ 体積。1ジェミ≧1立方センチメートル。

   ミトラ 面積。1ミトラ=1平方センチメートル。

  (1に満たない場合「半○○」「●分の●○○」


*魅了の能力チャーム 主にセイレーンや人魚などの魔物が持つ能力。

海上に現れ、魅了の力をもった歌声で人間の男を惑わし溺れさせる、船を沈めるとして船乗りに恐れられている。

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