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Act.4

 その晩、いつもよりも早い時間に就寝した遥人は夢を見た。


 遥人の目に真っ先に飛び込んだのは、いつもの桜の木。

 だが、何かが違っている。


(何なんだ、この違和感みたいなやつは……?)


 怪訝に思いながら立ち尽くしていると、ほんのりとした香りを風が運んできた。


 遥人はハッとして振り返る。


「トキネ……」


 知ったばかりのその少女の名を口にする。

 しかし、少女は遥人のことなど見向きもせず、するりと通り過ぎて行く。


「おい、ま……!」


 『待て!』と言い終える前に、また、背後から別の気配を感じた。


 遥人は忌々しく思いながら眉間に皺を寄せたが、もうひとりの存在を目の当たりにしたとたん、目を見開いたまま絶句した。


(――俺……?)


 そこにいたのは遥人――いや、遥人にそっくりな青年だった。

 ただ、年格好は同じように思えたが、目の前の青年は遥人よりも体格に恵まれ、肌の色も若干黒い。


(まさかこいつが……?)


 そんなわけはない、と思いたかったが、トキネが話していた遥人の過去の姿の条件と見事に合致する。

 それに、遥人にはこれが夢なのだという自覚があったから、存外すんなり腑に落ちた。


(もしかしたら、トキネにとってはこれが〈現実〉だから、この世界に入り込んだ俺が見えなかったってことか?)


 そう考えると、先ほど、トキネが遥人の存在を無視したことも納得がいく。

 いや、納得させたかった、というのが本心だったが。


「――トキネ」


 青年はやはり、遥人の存在に気付くことなく通り過ぎると、桜の木の前に佇むトキネの名を口にした。


 トキネは青年との逢瀬を喜んでいる。

 遥人は思ったのだが、彼女は笑みを浮かべるどころか、眉根を寄せ、何とも言い難い複雑な表情で青年を睨み返した。


「こんな所まで呼び出して、いったい何のつもりですか?」


 そう青年に訊ねるトキネの口調からは、遥人が知っている穏やかさが微塵も感じられない。

 トキネは相変わらず、青年に険しい視線を投げかけながら、なおも続ける。


「わたくしはもう、あなたとは逢わないと申したはず。わたくしとあなたがこうして逢うことで、周りを傷付け、苦しめてしまう。それはあなたが一番お分かりのはずでしょう?」


「なら、どうしてそなたはわたしの呼びかけに応じた? 届けた文を読まず、いや、読んだとしても黙殺することだって出来たはずであろう?」


「それは……」


 トキネは唇を強く噛み締め、青年の真っ直ぐな視線から逃れようと俯く。


 青年が、一歩、また一歩とトキネに近付く。

 そして、彼女の前で立ち止まると、華奢な身体をすっぽりと包み込んだ。


「すまない……」


 青年から、謝罪が紡がれた。


「わたしはそなたを愛している。その想いは今でも決して変わらない。されど、そなたを伴侶にすることは出来ぬのだ……」



 伴侶にすることが出来ぬ――



 遥人は青年の言葉を訝しく思い、首を捻る。

 だが、その理由はすぐに分かり、同時に衝撃を受けることとなる。


「――何故、そなたとわたしは兄と妹なのか……」


(兄と、妹……?)


 一瞬、耳を疑った。

 しかし、青年は確かに、自分とトキネを『兄と妹』なのだと言った。


 遥人の中に緊張が走った。

 ふたりのやり取りをジッと見据えたまま、唾をゴクリと飲み込む。


「兄妹でなかったら、そなたをここまで苦しませなかったであろうに……。年老いて死ぬまでずっと、そなたと添い遂げられたであろうに……」


「――運命とは、非常に残酷なものです……」


 それまで黙って抱かれていたトキネが、くぐもった声で訥々と語り出した。


「わたくしはずっと、あなたを――ハルヒトさまをお慕いしておりました。ハルヒトさま以外の方の元へ嫁ぐ気は全くございませんでした。――それなのに、急にハルヒトさまがわたしくの兄だと申されても……、受け入れられるわけが……、ございま……」


 そこまで言いかけて、トキネから微かな嗚咽が漏れてきた。

 肩を小さく震わせ、〈ハルヒト〉と呼ばれた青年の胸元に顔を押し付ける。


 ハルヒトは何も言わなかった。

 ただ、幼子のように泣きじゃくるトキネの頭に自らの顎を載せ、先ほどよりも強く抱き締める。


 遥人の目の前でトキネを抱いているのは、過去の遥人。

 察したものの、まだ実感が湧いていない。

 代わりに、どんな理由であれ、トキネを傷付け、哀しみのどん底に突き落としたハルヒトに対し、言いようのない憤りを覚えた。

 もちろん、ハルヒトもハルヒトで苦しんでいるに違いないが、トキネに比べたら大した傷ではないだろう。

 遥人は心の底から思った。


 やがて、トキネがハルヒトの身体を押しのけた。

 瞳は痛々しいほど涙で濡れている。


「ごめんなさい。取り乱してしまって……」


 そう言いながら、トキネは着物の袖で自らの口元を覆った。


「分かっているのです。どんなに泣いて縋っても、ハルヒトさまと結ばれることは決して叶わないことぐらい。ですが、今だけでも、ハルヒトさまに寄り添いたかったのです……」


「トキネ……」


 トキネの名を口にし、ハルヒトは手を差し伸べたが、トキネはそれを、そっと振り払った。


「わたくしのことは、どうかお忘れ下さい。先ほども申したでしょう? わたくし達が逢うことで、周りを苦しめてしまう、と。ですから、二度と……」


 そこで、トキネはハルヒトに向けてニッコリと微笑んだ。

 遥人も初めて見る、最高の幸せに満ち溢れた笑顔だった。

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