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音曲の少女と古いオブジェクト

 後ろからホノカと透が抜けて消えてしまう光の扉を見ながら、ヤナタは周囲を見渡してみる。甲高いものがぶつかり合う音がする。反射的にしゃがみ込むヤナタはホノカにたずねる。

「今先くん、見当たるかな。ホノカ」

「ホノカには見えません。ヤナタと、透、それと、分かりません。機能性の低下を意識します。凶器を振り回す二人の人間の姿が映ります」

 功永ヤナタはゆっくりと顔を上げて周囲を見回した。城砦造り。綺麗な石が積み上げられた洋式城だ。形見透は思案顔で剣戟を響かせる先を眺めている。ホノカは静かに首を振って困惑のシグナルを出している。それから透の視線の先だ。ヤナタたちが置かれた平坦な場所から続く階段上。カッターブラウスをだらしなくスカートの外にはみ出させた少女が完全武装の鎧を着込んだひげだらけの男と剣戟を打ち交わしていた。

「ねえ、形見さん、あの人は」

「瑠奈のオブジェクトに私たちだけ。全く。今先君の仕業か」

 形見透はそう呟くと鎧兵士が繰り出す剣によって薄く髪を散らす御前崎瑠奈に向かってボールペンで何かを描こうとした。と、御前崎瑠奈は突然振り返ると完一発、振り下ろされる剣を受け止めながら叫ぶ。

「不正は禁止よ。透」

「瑠奈。だけど」

「駄目ったら駄目」

 叫びながら御前崎瑠奈は宙を舞う。鎧戦士が突き出す剣は外れを引いた。だらしなく垂れ下がっていたカッターブラウスが重力と空気抵抗によってめくれ上がり、スリムなお腹があらわになる。鎧の隙間。後背の首筋に向かって瑠奈の剣が差し込まれた。音も無く静かに抜き取られてゆく細身の剣。証に残った血の跡をカッターブラウスで静かにふき取る。血にまみれた白き衣。

「ふう。終わりっと」

 御前崎瑠奈は石造りの城砦に備え付けられた階段を駆け下りて最後の階段を両足揃えてジャンプで降りるとそう呟いて、最上級の笑みを浮かべる。

「透。どうしたの、来てくれたの。ヤナタも。え、あれ、その子は」

「瑠奈。いっぺんに聞かれても答えられない」

「ごめん、ごめん」

 血にまみれたカッターブラウスを振り回して笑う瑠奈は透の背中を大きく叩く。

「で、その子は」

「N型アンドロイド、ホノカ」

 答えに瑠奈は額に手を持っていってそれから立ちくらむように顔を落としてその長い髪を流れるに任せた。

「あちゃ、ここに連れてきちゃったの」

「不慮のことだけど」

 形見透はそうつぶやくとボールペンを構えようとする。その手をつかむ御前崎瑠奈は首を振る。静かに抜き取った剣を肩に背負いながら、リズムを取るように上下に運動させる瑠奈は首を振りながら透に告げる。

「ここじゃ駄目なの。透」

「そうだけど」

「しばらく付き合ってね。このオブジェクトを攻略するまで」

 そう言って形見透に向かって剣を突きつけて見せながら笑う瑠奈は、ヤナタに近づくともう一度その細身の肩に剣を置いてから、とんとん、とやってみる。

「で、ヤナタ。あんたは何を創造することになったの」

「えっと」

「まさか、このN型アンドロイドとか言わないでしょうね」

「瑠奈、だっけ。何、言っているの」

「だから」

 御前崎瑠奈はそう口にすると剣を片手で静かに置き、足元を蹴って三度軽くはねた。左右に頭を振って髪を流す。それから置いた剣を拾い上げると剣の光度を確認するようにはしからはしまでを眺め、大きく吸った息を吐く。

「何をやろうとしているかってこと」

「何を、何をするのかな」

 ヤナタはそう口にした後そのまま黙り込んだ。

「瑠奈。ヤナタから無理に聞き出しては駄目」

「わかってるわ」

 気合十分。瑠奈は剣を腕とともに一回転させるとそれから足の屈伸を始めてしまう。透は瑠奈が準備運動を始めたことを確かめるように眺めると、振り返って警戒音を表現しようとし続けるホノカに向かい近づいた。

「大丈夫。ここではあなたの機能はほとんどが存在できないだけ。機能が縮小されているだけだから」

「ホノカ、お役に立てますか」

「ヤナタ、あなたが守るの」

「どういうこと」

 透の言葉にヤナタは惑う。警戒音を表現しつつけるホノカと、静かに寄り添って胸ポケットに納められたボールペンに大事そうに触れる透を見比べる。それから剣で二度、三度と空を切る瑠奈の姿を振り返ってみて、首をひねる。

「形見さん。ここ、なにかあるの」

「だから、わからないかな。オブジェクトの中だって」

 瑠奈は口にしてちょっとほほをむくませる。

「王さまの書庫に納められたある一つの意識が構築した世界の中の一つ。王さまにささげられた物語の一つ。小さな世界のかけら」

 形見透はそうやって口を開くとホノカの手に静かに触れて優しく包み込んだ。ホノカがおかしなものをみるように自身の手を包み込む腕を見る。

「ここでは制限を越えては存在できない。幻想技術惑星FINAGSTにおいて私がたいしたことができないのと同じ。ここではホノカは人として扱われている。ホノカを所有しているのはあなた。ここではあなたはホノカを守らなければならない」

「ま、そんなところ、かな。それじゃ、行くわ。透、ヤナタ、それと、」

 御前崎瑠奈はそう言って機能外の事態に判断停止に陥りかけるホノカに向かって片目を閉じて見せる。

「機械のお姫さま」

 再び始まる剣戟の音。周囲に満ちる雑踏がその剣戟さえも塗り替えてゆく。城砦が煙を上げる中。四つの影が駆け巡る。階段を叩く音、静かに焼け落ちる天井材。瑠奈は片手で剣を片手でホノカの手を取って階段をノンストップで駆け下りる。慌てて足元のふらつくホノカに向かって微笑んだ。ヤナタは静かにくすぶる黒ずんだ壁面を横目に続く石階を透とともに追々に足を飛ばす。駆け下りた瑠奈は剣をスカート脇の鞘に収めて一礼する。ホノカの手を優雅に取るとその腰周りを引き寄せて抱きかかえると、巨大な門に向かって走り出す。透は静かに言う。

「それ、ヤナタの役割」

「細かいことは言いっこなし」

 巨大な城門に向かうと、待っていた軽武装の兵士たちがうなずいて門を開く。瑠奈はホノカを抱えたまま門外に飛び出すと静かに降ろして騎乗の人に。鬣をなでるとその背をつかみ一跳びに跳び乗った。ヤナタは走り門を抜け、透は悠々と歩きすぎる。外で構える兵士の山々。御前崎瑠奈は馬上で白いカッターブラウスのだれた布をへその辺りで結びとめると、叫びだす。

「姫君よ。みよ。我々は行くだろう。あなたの見ないものの中に。我々は行く。戦いて、戦いて、戦い飽いたときに。また異なる返事があるでしょう」

「あなたは私に何をせよというのでしょう。私の小さな頭ではこの城砦のことだけで精一杯だったというのに。それにあなたの心は」

 ホノカが口元を押さえようとしながら大きく声を張り上げる。その目は驚愕といっていいものとともにあった。目が見開かれて静かに視線が目元に落ちる。走り回って少し息を切らせていたヤナタも同じように驚愕させられる。口が揺れ動いてヤナタに逆らうと瑠奈といつの間にか手の内に掴み取られた剣持て、その周りを囲む兵士たちへ声を放つ。

「逆賊め。討ち果たされてしまうといい。城砦は姫とともにあるのだから。私は守り手を求めたのだ。破壊者を求めてなどは」

 瑠奈は腰から剣を抜き放ってヤナタが舌を噛みそうになりながら行ったののしりを断ち切ると馬上で手綱を巻き上げて、一回り。その場で回転する。

「奥騎士よ。求めて応じた。それだけだ。姫は我々のところには降りてきては下さらなかった。仕方あるまい。我々は戦いとともにあるのだから」

 ホノカの目が勇敢な瑠奈の姿を一点にとらえる。呟くような声が漏れ落ちて馬上の瑠奈は破顔一笑、仰々しい典礼を返す。

「残酷な人。私が降りたとするなら、あなたはもう降りてしまった私のことなど気にもかけないでしょうに。私には城砦のことしかわからないのだから」

「戦いの中にあって確実なことなどありはしない」

 静かな澄んだ目線でもって口を開かされたホノカの手を取ったヤナタは忌々しそうに瑠奈のことを睨み付けさせられると、いななこうと首を持ちあげる馬の手綱を取って馬腹に足をかけて乗り上げる。ホノカの手を取って引き上げ続かせる。

「行くぞ。我ら戦いとともにある」

 瑠奈は馬上で叫び挙げると天に向かって剣を突く。沸きあがる歓声。高揚する熱気。あふれる声援。透はその間中、馬に乗るのにスカートを気にして手間取っていたのだが、静かに馬上にたどり着くと、上着のすそをまくって手綱を握る。それから、合図だった。進軍する。馬群と徒歩が砂埃を上げてゆく。

 周囲を見回すと周囲に撒き散らされる砂埃は変わらない。だが、城砦は姿を消し、あるのは見渡す限りの平野。瑠奈はその剣戟でもってさえぎる敵と切り結び声の限りに指揮をする。馬群が駆け抜けてゆく。劣勢だ。敵本隊近くまで到達した味方部隊は攻めくる敵の大群に囲まれつつあった。左翼の壊滅の後、そこから砂埃が近づきつつあるのがヤナタと瑠奈と透とそしてヤナタの背後にいるホノカの目に映る。

「来たか。行くぞ。精霊よ。我らとともに」

「逆賊。貴様、死ぬ気か」

「戦いに身をおくのが騎士たるもの。戦い無くして何の騎士か。我々の役目はどちらにしても今日に終わる。ならばなすべきではないか。騎士たるものとして」

 瑠奈は剣戟と馬蹄が奏でる戦場協奏曲の中奏に飲み込まれぬようにそう叫ぶと馬腹を蹴ると走らせた。その背中を見つめていたヤナタは敵の騎兵を一騎切り捨てると奪い取った馬にホノカを乗せる。それからヤナタの唇は一息の叫びで幕の間近を布告しようとの試みを行った。

「姫よ。騎士とは守ることではありましょうか。連綿たるものを。脈々たる系譜を。私はそう信じてきました。今でも多少は信じてもいます。私は奥騎士としての役割を超えぬように、あなたに付き従って参りました」

 ヤナタは唇の命ずるままに叫び、体の命ずるまま振り向いて剣でもって自然に背後から迫り来る敵を切りすさぶ。

「行こうと思います。騎士の時代の最後に姫の祝福を、あるいは、あるいは、私のために祝福を」

「ええ、祝福します。あなたのことを」

 二人が馬を寄せ合うと一時の間その視線が交じる。そうして寄り合った馬の上でヤナタは叫ぶ。

「ちょ。ホノカ。何」

 交わされた契約がうつろう物語の時を進める。静かに感じるほのかな感触。やわらかさに驚く間もなく離れるヤナタの唇は勝手気ままに動き続ける。馬首を返しながらホノカを守るように命令を下すと、走り出す馬上で振り返り一言が漏れて出る。

「我が主たりえたかたよ。別れのときが参りました」

 包囲しつつある敵本隊の正面、最も厚い部分に目を向けるヤナタは、かける騎兵をすれ

違いざまに貫くと剣を抜き取り、手綱を取った。風と一体になる。歩兵をなぎ倒し、揃いの槍衾に向かって予備の短刀を投げつけて崩すと、最も近く伸ばされた長槍を奪い取る。片手で振るって槍衾を崩させる。

「もうだいぶ姫とは離れてしまったな。奥騎士は残る力を振り絞り血河の淡い流れの源泉を築き上げると、」

「ね、どうしたの。透」

「つまり。私は、心理描写の解説ね」

 寄り添うように馬首を並べた透は朗々として読み上げるように語ると、無粋なクロスボウが繰り出す弓から体を背け馬の背の上で曲芸をしてみせる。ヤナタの腕がつかむ剣が目にも止まらないクロスボウの矢を叩き落す。ヤナタの乗った馬が飛ぶようにかける。従うように飛ぶような腕が振り回されると奪い取った長槍が二度、三度、回転する。横なぎに隊列の奥が崩れ、構えの無い徒歩部隊が露になる。投げ捨てられる長槍。

「奥騎士は敵本体まで近づきつつあった。かつて自らをその身分までに取り立てた古き主の下へと」

「あの、どうなるの、それから」

「それはもちろん」

 ヤナタの脇へと鈍い痛みが襲う。横腹に突き刺さった一筋の矢。ヤナタの腕がつかみとるとはかなくも折れてしまう一筋の矢。

「一筋の光陰が奥騎士を貫いた。湧き上がる熱い痛み。自然と浮かび上がる冷たい汗。ああ、残酷なる運命。奥騎士の脳裏には姫の姿が浮かんでいたことであろう。それはまるで奥騎士の行動を見越していたかのようだった。最後の守りに一隊のクロスボウ部隊。そこに時代の死神が確かに待ち構えていたのだった」

「痛った、ちょ、透、本当に痛いんだけど」

 周囲から放たれるクロスボウの矢の数々。ヤナタの腕がつかむ剣がその行く筋かを叩き落し、馬上の手綱捌きが幾本かの鋭い鏃をそらした。だが、無常にもヤナタの体をまたも一筋の矢が貫き通す。

「そうね。ちょっとずるしようか」

「駄目って言ったでしょ、透」

 クロスボウ部隊の隊列が崩れる。敵本隊へと側面から突きかかる十二の騎兵。その先頭に立つ御前崎瑠奈は一張り、二張り、とクロスボウ馬上で射ると、それから剣とともに風をとらえてきりもみにもんで切り裂いて突破してゆく。十二の騎馬は牙となり、鳥のように地表を滑空する。次々と厚みのある隊列が騎馬に横なぎにされて崩れていく。本隊付近でおこる騒がしさに左翼から迫りつつあった敵の土煙が速度を上げるのが遠目にもわかる。剣と剣とを結び合う。今は馬の速度に明かせて剣で持って殴りつけるのだ。目標は一つだった。近衛兵が待ち構える。瑠奈は馬上に上ると、ありえないことだが、そのままにそのまま飛び立つのだ。ふわりと浮いて。風にたくさんの黒髪を撒き散らして。吹き散らして。そうして滞空する少女のくちばしは目的とするものを突き刺したのだった。首に突き刺した剣を静かに抜き取ると迫り来る近衛兵を威嚇するようにして、必要な証を確保する。と、砂煙とともに横に広く広がっていた中で、残ることができた七人の騎士が集い立つ。

「歓声とともに結果が触れ回られる。左翼から巻き上がっていた煙は本隊から流れ行く人の流れに従うと反転を始め、右翼では勝利した味方の軍が中央本隊へ集結しようと、追撃を行おうと逃げ散る小動物たちの群れへと殺到した」

「それで、さ。痛くて、目がしみてくるけど、形見さん。どうしたらいいの」

「ちょっと待ってね。この後は、」

 七人の騎士へ残ったわずかな味方本隊と合流しようとする右翼への指示を託し終えた瑠奈はその勇敢さの、激烈さの、勝利の、その全ての証が突き立てられた旗の下、ぼんやりとした様子で死体の山を横目にしたまま、その切れ味確かな剣で持って積み上げられた物体をかき分け始めた。戦場の騒音の中にあっての静かな時間。おざなりだった剣を使った死体の押しのけがやがて激しいものになってゆく。静かな嗚咽とともにある。ゆるやかな戦場の後片付けには慟哭が伴って響く。徒歩の兵士が近づいて何かを呟くのを静かな涙とともにみる瑠奈は完璧に入り込んでいただろう。

「なぜだ。騎士の時代は、戦いの時代は、そうだとも。お前たちの勝ちだ。私とそしてお前たちの。だが、なぜだ。なぜ奴はいない。私は、私は、これから何と戦えばいい。何を、何故だ」

 御前崎瑠奈は理解の及ばない嘆きとともに心配する兵士に一言の指示を残し呆然と歩む。滂沱として流れ落ちる塩水にほほを濡らし、その鮮血にまみれた白いカッターブラウスの解けかかったお腹の結び目もそのままに足取りもおぼつかないまま歩いてゆく。やがて瑠奈は、つまずいた死体の先のものを、痛みをこらえるヤナタの姿を驚愕の表情で視認する。

「そのときだった。烙印された逆賊は、戦いの申し子は、焼け付くような涙の元、一人の死に掛けている騎士のもとへと近づき、青ざめて血色を失いつつあったその透き通るような顔に手を寄せたのだ。それから悲哀のままにその祝福された奥騎士の新緑の黒髪をかきあげ絶え行く血流の流れを浮かび上がらせると」

「え。透、この先は」

 瑠奈が入り込んでいたものから漏れ出すと、近づいてくるものに困惑するようにたずね返す。だが、透は朗々と続く調子を崩さずに声を続けたのであった。

「その青ざめた唇に向かって静かに口付けを交わしたのだった」

 静かな艶かしく柔らかな音とともに激痛に身もよじるヤナタの唇に瑠奈は唇を押し付けてそれから、その髪を静かになでる。

「ちょ、何よ。この展、騎士よ。奥の騎士よ」

 ヤナタの顔が歪みを増して苦しみに言葉にならない叫びを上げる。瑠奈の苦情を押し流して結ばれた交錯のときは進む。

「何故に敗れるのだ。私が、烙印された逆賊が、戦いの申し子たるこの私が、残ったとして何と戦えというのだ。姫とともにあるべきお前に、生き残ってしまった私は、私は、一体。いいか。戦いだ。戦うのだ。奥騎士。死の床にさえも」

 ヤナタの弱弱しくの伸びた手がその髪を静かに押さえては流すことを続けようとする瑠奈の腕をつかみとり、それから、絶える声に、搾り出されない声に、首が振られる。

「ときが来たのだ。新しき騎士よ。血の、」

 ヤナタが倒れ込むと戦場の喧騒の中にあった静けさは終わりを告げて、それから瑠奈と透とホノカは再びに整列された軍とともにあった。勝利の証を旗先に吊るして凱旋する瑠奈はホノカに向かって口を開く。

「あなたは奥騎士に祝福を与えたのだとか」

「私にはそうすることが正しく思いました。それでも、世の中には伝えられぬことが良いこともあるのです」

「あるいは」

 瑠奈のうなずく姿に首をかしげたホノカの姿とともに、全ての喧騒が幕を閉じる。透が一人だけ進み出て馬上において最後の一声を付け足すのが終わりの合図だった。

「後、戦いの申し子は覇者となったのだと伝えられている」

 ヤナタは目を開いた。痛みは遠く、透の顔が近くにある。眼鏡の奥で瞳がしばたかれるとようやく瑠奈とホノカに声をかける。

「よかった。助かった。瑠奈。ホノカ。気がついた。幕が早くてよかったわ」

「あんた」

 瑠奈はもとの白色に戻っている綺麗なカッターブラウスをまた元のようにだらしなくはみ出させたままでヤナタに近づき睨みつけた。そのまま腕組みした仁王立ちでヤナタの前に立ちはだかってしばらくは睨み続ける。その背中からにじみ出るように近づいてくるホノカは申し訳なさそうにヤナタに向かって頭を下げる。

「ヤナタ。ホノカ、よくありません。救急メディカルチェックができない。ごめんなさい」

「あんたも。それは、仕方ないって何回言ったらわかるのよ」

 瑠奈はそういうとホノカのことを見下すように視線を細める。直ぐにその様子は消えてしまいヤナタのことを睨むのだが。しばらく様子を見ていた透はボールペンの音を響かせて観察していたのだが、ふと気づいたように瑠奈の仁王立ちの腕をつかんで透を除く六つの視線から外れていたものを指差した。

「瑠奈。だったらヤナタの行為も仕方ないこと。それより、あれ」

「何よ。透の馬鹿。何があるって、あ、これ。これ。終わりのマロビ」

 形見透の指先をたどった御前崎瑠奈はそう呟いたかと思うと、先ほどの怒りが嘘のように飛び跳ねる。透の指が示していた小さなディスク状の物体を掴み取ると、ポケットから取り出したイヤーパットを押し当てる。透とヤナタ、ホノカも近寄ってくる。ディスク状の物体に押し当てられたイヤーパッドからあふれ出てくる小さな音声データ。

「奥騎士に関しては性別の明記を避けた。あの人物は特殊な立ち位置に用いた。どうだろうか。王さまの要求は厳しい。同じものをなかなか認めては下さらない。私が詰め込んできた様々なものもいずれは尽きるだろう。王さまに従い探求を進め始めてから相当のときが流れた。どうしてか。私は、愛について絶望的なほど貧しい筆致でしか描くことができない。理由は分かっている。なぜなら私には愛についての理解というものがないのだから。ときに王さまは別にそのようなものは求めてはいないのだとおっしゃられる。そうして私もそうするだろう。だが、もし、もしも、たどり着かなかったとしたら。私はそう思うと、この限りが無いはずなのに限られた世界に無性に愛を描かざるを得なく感じるのだ。絶望的な煩雑さの中で、私はいずれたどりつけないと感じてしまうようなときがくるのかもしれない。そう思うと私はきらめく世界のかけらを作ろうという作業に困難を覚え、既存の王さまと結ばれている世界を巡り描くことに非常な誘惑を持って駆られてしまうのだ。さて。この小品を王さまに送呈したときのことだ。戦いの申し子の下敷きは何なのだ。とたずねられたので、もちろん王さまですと答えておいた。もちろん散々な目にあった。王との間にそういった関係にある騎士の存在は入手した資料によると一種の高揚をもたらすことがあるらしいというので描いてみた。この場合には小さな王さまをそういうことのモデルに想像しなかったかというと嘘になる。なぜなら最も身近な王さまだからだ。そう答えるとまたしても散々な目にあった。どうしてだろう」

 音声データは一応のところはこれで終わりだった。

「全く。相変わらずね。何を迷わなきゃいけないのかしら。ある程度は楽しめるからいいじゃない」

 御前崎瑠奈はそういうと静かにディスクをポケットに収めてきびすを返すとイヤーパッドを静かにかざす。透とそしてヤナタ、ホノカに手招きする。小さく流れ出す音楽。“barn abele to 燃え盛る、燃え上がる”そうして始まった音が最高潮に達するとヤナタたちの視界から幕が消え、姿を持った風景が現れると御前崎瑠奈は一冊の本を折りたたむ。

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