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アンドロイドと創造者と文の少女

 幻想技術惑星FINAGST。惑星に迎えられたヤナタが最初に目にした風景は緑地が並び続ける誇らしげな表情をした自然の公園だった。その誇るような緑に溶け込むのは緑の都に設置された半透明のドームだ。アクリルのような素材で作られた巨大なドームは目につくところで3つほど。広がる雄大な空間にヤナタは一瞬の感嘆符とともに小さなうめきを漏らしていた。形見透が慎重に設計されたラジーな石段に足をかけて降りようとするのをN型アンドロイドのホノカが追う。ヤナタも一泊遅れて足を大きく左右非対称に伸ばしそれまで踏みしめていた沃土の支配が石と入れ替わることになる人工物へと取り付いた。風の音、さえずり、そして落葉を踏み抜く音。ざざささぁざざさささあぁ、ちゅちゅ、ひゅう、きぃきぃ、ざっざっざざさっ。ヤナタはまるで上空に置いてあるように感じてしまう空の抜けるような青さを樹枝のさざなみに邪魔されて、緑、青、茶、の網目模様に変わってしまう様を眺めながら、ひざに手を置き、息を深く吸いながら歩く。前を行く形見透とN型アンドロイドのホノカの背が、遠くなっては近づいて、近くなっては遠くなる。落葉が一つ。透の頭の上をすべるようにかわして、将来の樹下の栄養となるべく多勢の同僚と混ざり合う。

「あき風にまとまる木々は涼しそう」

 透は息を大きくはいた後、小さく、小さく、そう呟く。ヤナタには聞こえない距離であり音であり、その小さな呟きをたった一つ、高感度集音センサーでとらえたホノカは、小さな機械音の後、唇を持ち上げて視線を落とし、困惑した表情を作って対応する。

「樹木には感覚神経は通っていないと、ホノカは記憶しています」

 再び機械音。とらえられないと信じていたものがとらえられてしまった。一瞬の硬直。樹木と樹木にかけられた透明色をした蜘蛛の橋が髪の毛に絡まるのを防ごうと払って壊そうとする形見透。粘り気のある細く輝く糸が払いのけた手に絡まって上手くとれてくれない。手首をスナップさせて糸のはしけを振りほどく。少し遅れた。ようやく功永ヤナタが二つの影法師を足元に捕らえる距離に近づいてくる。

「そうね」

「ホノカの記録違いではなくなによりです」

 機械音。それから少しぎこちなく唇が動きえくぼが生まれる。そうして構成された微笑み。そのように設定されている身の上では一体そのことに気づかされた上でそうするよう設定されているのか、それとも気づかないよう設定された上でそうするよう設定されているのか。

「そうだとしたら木々や風はまとまるのかしら」

「ホノカは林と気団という名称があるものと記憶しています」

 透は空をさえぎる枝葉を見上げるわけでもなく視界に納めながらそうたずねる。ホノカの答えに透は沈黙のままにうなずく。それから最も手近なドームを指差すとN型アンドロイドのホノカに足があげつづけてくる提案をついつい告げてしまう。

「少し遠いと思うのだけど」

「ホノカの画像処理による距離測定では約1KMです」

 機械音は緑の都に不釣合いにあるいは釣り合いすぎて響く。立ち止まる二つの影にようやく追いついた功永ヤナタは、それから足もとの石段の先と降りてきた元とを見合わせ、一息に思い切り新鮮な空気を吸い込むと気合の掛け声とともに棒足を前へと動かす。

「ヤナタ」

「何」

「疲れた」

「そうだね」

 か細い泣き声のような声が形見透から伸びて、汗ばむヤナタはその当たり前すぎる言葉に同意した。透は石段の上の落葉を掃きだしてちょこんと座り込むと靴擦れしているのか足の側面をしきりにさすっていた。つられてやはり同じように疲れていただろうヤナタも木に背を預ける。空気椅子の一歩手前で大きい傾き、小さな傾き、のすねとももへ体重を分散させ楽な姿勢をとりだらけてしまう。透は足をさすりつつ靴に入り込んでいた木の葉のかけらを吐き出させる。そのまま何か考え込んでいた透。やがて一言口にする。

「ヤナタ。こういうときの展開に従うの」

「気が紛れていいかもね」

 これにも同意するヤナタ。屈伸運動でひざの笑いが収まると少しは笑がこぼれてくる。視界に透とホノカを納め、ぐるりと首を一周させる。

「おんぶ」

「展開的にはありそうだけど、パス」

「どうして」

「途中で倒れそう」

 なるほどとうなずいた形見透は眼鏡を外してそれから凹面を眺めた後、そのままかけなおす。靴の裏と裏とをくっつかせて落ち葉を払い落とした後、ヤナタに言った。

「それなら競争ね。ドームまで」

「別にいいけど」

 透は立ち上がってスカートを払う。ヤナタは前屈をやって見せてから笑いながらそう答えた。ドームを見下ろす二人は風と木漏れ日を浴びて大きく息を吸い込む。

「冗談なのに」

「どこから」

「どこからでしょう」

 笑う二人の耳に機械音が響く。ヤナタは少し驚く。ホノカが前かがみになって両手を後ろに向け手のひらを上に向けていた。

「おんぶ、ホノカいつでもできます」

「どうしょう」

「乗せてもらったらいいと思うよ」

 そうして形見透はN型アンドロイドの振動吸収設定の歩みに身を任せ、ヤナタは残りの距離を二人に遅れながら歩き終えた。

 ドームは近づいてみると相当の大きさだ。アクリルのような偏光材でできたドームは三つの影が近づくとそのままの姿を映して返す。功永ヤナタは胸ポケットの感触を確かめる。ドームのゲートの緩やかな誘導による音声案内は続き、手順に沿って二人は入力作業を行う。ホノカは物品扱い。入力を続けていく。天の川学園初等部創造課Z―404。惑星エコノスロロニーニ。特筆する病歴なし。ヤナタは透が入力するのを横目で見ながら半信半疑で入力したのだが許可がでた。

「音声案内を終了致します」

 その音声でヤナタと透と物品扱いのホノカはドームの外からドームの内に移りこんだことになる。ドームの中に入って目に付いたのはパジャマ。寝巻き姿のたくさんの人がいる。歩いたり、しゃべったり、機器を操作したり。中の小さな集落、“村”は家屋を効率的に並べてはいたがそのデザインはまちまち。足元を這い回る無数の毛むくじゃらの生物が床から常にものをその毛にくっつけては取り上げて走り回っている。

「どうするの」

 形見透がそうたずねるのに対して功永ヤナタは何も答えない。周囲を見回しては目を細めてそれから目を見開いてを繰り返す。それからホノカに向かって何かをたずねるとうなずいて笑う。ヤナタは、「何か食べたいな」とそう口にして村を進む。

 足元を這い回る毛むくじゃらに気をつけて大きく足を上げながら歩くヤナタ。透はホノカから聞き出した情報とともに眺める先にあるパジャマ姿の幻想技術惑星FINAGSTの住人に困惑する。透の困惑の様子を言うなら、足元に毛むくじゃらが通りかかるのも気づかずに踏みつけそうになって慌てて足をあげるような具合だ。ホノカはヤナタの指示通り“村”をつぶさに記録する。

「食べるのはいいけどどうやって」

 形見透はそう言い視線の先でいじくられている機器の様子を伺ってみる。機器の小さな部品が取り除かれ新しいものに変えられる。そのまま取り外された小さな部品は床に投げ捨てられて静かに毛むくじゃらが迎えに来るのを待つことになる。

「このカードじゃだめなのかな」

「どうかしら」

 二人が話し合いながら、一つの機械が旅人の訪ねた“村”の景色を収める。そのままその3つで構成された集団は小さな“村”の小さなレストランに入り込むと3つしかない小さな丸い波模様のテーブルに腰を下ろす。二つのテーブル。ビア樽。カウンター奥に並ぶお酒の瓶。掲げられた幾何学模様をした抽象絵画。周囲を見渡すヤナタはカウンター奥で小さな表示端末と格闘している女性に向かい体を乗り出すと声をかける。

「あの、支払いのことだけど」

「ん、いいの。これは趣味だから」

 表示端末上に踊る長い文字に悪戦苦闘の女性がおざなりに返した返事にヤナタは綺麗な手書きのメニューを手にとって眺め始める。透は胸ポケットからボールペンを取り出してしきりに音を立てていた。ホノカは小さくまとまった店内をその視線の内に収めると待機モードに移行してまぶたを閉じて休息する。

「ニュイングムの黄粉和えとキニシグラサス魚の連子揚げ。下さい」

「ご免、品切れ」

「鳥のゴールドボイルと精巧麦の煎り汁で」

「それも」

「じゃあ白麦飯と朱豆発酵スープを」

「あるけど今は時間がない。ナミジの練りパンとフウコ牛のミルクにしてくれないと困ると私はさっき思いついたとこ。どう」

 カウンター奥の女性が表示端末を握る片手を慌しく行き来させたかと思うと、その手がカウンターに向かって伸ばされる。カウンターテーブルの上にはバスケットに乗せられた小さなパンが六切れと牛乳がグラスに三杯分注がれていた。

「わかりました」

 ヤナタは不承不承うなずくとカウンター上におかれたバスケットとグラスを三人が腰掛けることに決めたテーブルへと運び出す。バスケットを中央に静かにグラスをそれぞれ三人の前に。ヤナタはパンに取り掛かり、透は牛乳を少量ずつちびちびと口に運ぶ。ホノカは休んだまま。二つ目のパンに取り掛かる前にミルクを4分の1のみ干したヤナタは、透がボールペンのようなものを回しながら、器用に牛乳をちびちびと飲み進める姿を口に残る牛乳を飲み干しながら見つめてみる。

「ね、ね、形見さん。そういえば、そのボールペン。凄いよね。どうなっているの」

「汝の信じるままに」

「なにそれ」

 形見透はボールペンを回すのを止めるとパンを一切れ手のうちに収め様々角度から眺めてみてそれから小さくちぎって食べ始める。切れ端を3つお腹に詰め込んでしまうと再びボールペンを回し始めてからヤナタに向かって話をそらす。

「香奈元覆返のこと探さないの」

「探すけどさ。あの、あ、そうだ。それじゃ手始めにここから始めようかな」

 ヤナタは3つ目のパンをほおばり残った牛乳を流し込むと、カウンター奥の女性の前に向かっていく。何度かのどを鳴らして飲み込みきったことを確認したヤナタは表示端末とのにらめっこを続ける女性にたずねかける。

「あの。ちょっといい。この辺に香奈元覆返という人、いますか」

「ん、何だって」

「香奈元覆返って人のことを何か知りませんか」

「香奈元覆返。何だって。香奈元覆返だって」

 どうやらにらめっこに負けたのは機械ではなくカウンター奥の女性の方であるようだ。反復される名前の点呼の後、その女性は釘付けだった表示端末から顔を離すと大きく笑い始めて、笑って、笑い、笑いこけた。

「香奈元覆返。あの香奈元覆返のことなの。NH未認証系アンドロイドを開発していた、あの香奈元覆返」

 名前を連呼してヤナタに向かって念を押す。

「そうですけど」

「知っているよ。あの奇人のことだろ」

 ヤナタは目を丸くすると、足元で転げまわるあの毛むくじゃらがぶつかって逃げていく姿に目を移すまでのたっぷり三十秒の間、カウンター奥の女性のことを視界の中央に据え置いたまま、まるで彼女が磁石でヤナタは鉄でという感覚。

「HN未認証系の奇跡をもう一度やって見せようとそう今でも頑張っているけどね。多分、そろそろここに来るころだ」

「あの偶然すぎておかしくありませんか」

「だから笑ったのさ」

 もう一度の笑い声。ヤナタは席に戻ると何度も首をひねりながら形見透へここに香奈元覆返が来るらしいことを伝えたのだが、彼女の方はといえばさも当然そうに、「でしょうね」と口にしたきり、ボールペンを回す作業に戻ってしまうので、ヤナタにしてみればまたも首をひねらざるを得ない。バスケットの上に一つだけでちょこんと残されたパンを盗み見ながら、ヤナタは体中の疑問で透にぶつかった。

「どうしてわかるの」

 その短い言葉にさまざまな問いを注入して。ヤナタが注入したであろうさまざまの問いの中から最も直近の言葉を連想したのだろう。透はボールペンを回して自分の世界を作りながらその一端を垣間見せた。

「あなたは会いたいと口にしたじゃない」

「そうだけど」

 ヤナタは口の動きをそこで止めて、回転酔いにも負けはしないボールペンのようなものを一点に見つめる。そうして額に手を当てるとしばらく考え込む。起こったことと今の言葉をあるいは。結び付けているのだろうか。それとももっと他のことだろうか。まぶたを閉じて休み続けるホノカに向かって静かにこう口にするときもヤナタの視線は透の手の中で静かに回転するものからそらされることはなかった。

「ホノカ、一応、牛乳とパンを口に入れておいてくれないかな」

「はい。ホノカ、わかりました」

 機械音。グラスの牛乳が飲み干される音。パンが飲み込まれる音。聞きながらヤナタは一度のどを鳴らした。そうして食べつくされたテーブルの上で時間だけが過ぎてゆく。ヤナタは退屈そうに顔を両手で支えながら、透はボールペンを回す作業を続けて、ホノカは再びまぶたを閉じて、過ぎ行く時間に沿いながら食後のなだらかなときを過ごす。扉が開く音がしたのはそんな時間が三十分を過ぎたころであった。

「どうせナミジの練りパンとフウコ牛のミルクしか今日もないんだろうな」

 皮相に笑う一人の男がカウンター席に座るのをヤナタはテーブルに突っ伏しながら見るでもなく見るでもなく。つまり見ることはなかった。テーブルとくっ付き合った顔。ふたを開けっ放しの接着剤のようにその唇からは透明の液体が漏れていた。ヤナタは確かに食後のなだらかな時間を過ごしていた。

「はい。これ。それとあそこにお客様が来ているよ」

「お客だと」

 椅子の上で背中越しに振り返る男は作業着の上に白衣を着ている。不釣合いな格好だ。男はヤナタたちのテーブルを確認すると、食事に取り掛かる。常連客と店の主人は時に会話の花を咲かせて食事時を彩った。腹持ちは重く足取りは軽く。男はカウンターを立つとよだれの海に落ち込んでいるヤナタたちのテーブルへと向かう。

「用があるのは」

 男が透、ホノカの順にたずねると、透は沈黙のままヤナタの幸せそうな顔を指差した。男はおやおやと顔を振ってから、ホノカに向けた顔を硬直させる。凝視ののち視線を外して透に向かって問う。

「N型か」

「そうです。名前はホノカ」

「そうか」

 男はもう一度だけN型アンドロイドを一瞥してから、用がある張本人に視線を移した。そしてまたも凝視する。じっと見る。静かに眺めた。沈黙とともに冷徹な視線がヤナタをとらえた。静寂と注がれる視線。辛抱強く待たれる重たい視線。

「起こさないのか」

「起こしたほうがいいですか」

 つまり男は透がヤナタのことを起こすのを待ったわけだ。透は静かにボールペンを回転させるとヤナタの頭上で、

「えい」

 と掛け声をかけて何かにぷつりと穴を空けた。何もない空白。そこで確かに何かが抜ける音がする。存在しないはずの静かな音が感じ取られなくなるとともに、首をのけぞらせたヤナタがよだれを撒き散らして目を覚ます。その目が周囲を見回した。視界に入るものを見渡すと寂しそうにその目が伏せられてゆく。ヤナタの口からいくつかの名前と思しき言葉が呟かれた。形見透は意外そうに目を瞬かせるとヤナタの落ち込む様子を見つめていたが、やがてまた静かなボールペン回しの作業に戻ってゆく。

「何か用なのか、お前」

「誰ですか。あなた」

 男は眠気とそれに続くちょっとした感情を振り払おうとしているヤナタに問いかけ、ヤナタは問いかけに対して問いかけを返し、頭を振ってしっかりする。

「香奈元覆返だ。そういうお前は」

「功永ヤナタ」

 名前を告げてからヤナタは目の前の男とその名前の意味するものをつなごうとするように考え込んだ。なんといってもヤナタが天の川学園に到着してからこのときまで一日も経過していないのだ。夢見心地に切断された記憶と記憶のつなぎ目に時間がかかるのは仕方なく当然のことといえるだろう。

「香奈元覆返、本物なの。NH未認証系アンドロイドを創った」

「ああ、そうだ」

 男は、香奈元覆返は苦々しい顔のまま笑うと、自身の固く強張りかける顔の前で指を振る。そうしてその指を見つめると指を止め、それから一点を深く見つめた。同じように深く息を吸ってそれからゆっくりと吐き出す。その動作の間中、ヤナタはあふれ出そうとする眠気のかけらを閉じ込めようと格闘しながら微量の涙を携えたまま見つめていた。

「香奈元覆返だとも。NH未認証系アンドロイドの試作機を創りそうして持ち去られてしまったな。お前のような若い奴が、なにか、俺のことを笑いに来たのか。そうだ。俺は怒っていないとも。そうとも怒ってなどいるものか。過去は克服したとも。ああ、そうだとも。会いたいと抜かしておきながら面と向かってあくびをかみ殺すような奴が過去を掘り返そうとやってきたとしても俺が怒ることなどありえないね」

 一息に、ではなかったが、勢いに乗せて香奈元覆返はそう言い切った。奥歯を噛み締めて瞳を少なからずしっとりと濡らしてしまいながら。ヤナタは少なからず大きな声で紡がれた話が終わると両手で耳の後ろを押して一度閉じさせてから、テーブルの上に乗せていた腕を組み合わせて香奈元覆返のことを見つめた。十分な間を置いて首を振る。

「笑いなんかしません。どうしてなのか今も気にしているみたいですけど、そのアンドロイドのことが気になるのか。とか、そういうことを聞きに来ただけです」

「聞いてどうするのかな。ヤナタ殿。夏休みの自由研究の補修にでも提出するのか。それとも話のネタにというやつかな。全くどこの学校だ。一体、どこの学校がこんな無神経なガキを作りやがるのか」

 少しむっとしたように視線を厳しくすると押し黙ったヤナタ。香奈元覆返は例えにして問いかけて、口を開いたのは形見透。例えでなく答えを返す。その眼鏡の奥から少なからずの動揺によって言葉の制御を失いかけている大人の姿を射すくめていたのは透き通るような綺麗な黒目だった。

「天の川学園」

 香奈元覆返がその言葉を飲み込むのに丸々二十秒以上は要した。つかの間には皮肉を返そうというのか唇が言葉を紡ぎだそうと軽く開かれていたのだが、そのまま十秒、二十秒。時が理解と混乱による交代の合図を告げたのはそのときだ。開き続けていた口からは言葉が漏れる。

「天の川学園。知っている。俺は確かに知っているぞ。そうだ。そしてあの時も。あのガキが口にしていたたわごとだ。お前たち。お前たちは知っているのか。あのガキのことを。あの小さな王さまを知っているのか」

 言葉は確かめるように用いられ、記憶の海から引き出された塩っぽい味をした遠い言葉の分子が結晶化して一つの塊をなす。香奈元覆返はその言葉によって導き出されようとするものに血相を変えた。蒼白になりそれから紅潮する。明らかに香奈元覆返は形見透に期待しつつ、それでいて恐れを抱くように声を震わせてたずねる。

「知っているわ」

「NH未認証系アンドロイドは。俺の、俺の。どうしている。あいつはどうしている」

 香奈元覆返の声は急かすような音程へと変わる。急速に広がる期待に満ちた声は時を巻き取るのを急かすようだ。透はボールペンの頭を打ちつけて音を出し、それから首をかしげてしまう。一人の大人が大人であることを忘れている。透は香奈元覆返の上に浮かぶ表情の変化を少しばかり意地悪く見ていたヤナタへと視線を移す。

「聞いたら。今、話してくれそうよ」

「そうだね」

 うなずくと問う。

「香奈元さん。NH未認証型のこと、あなたのこと、少しだけ話してよ」

「聞いてなんになる」

 そう問い返されたヤナタとしては、返す言葉を捜すしかないのだが、それがうまくいかない。必要なのは理由。それを考え出すことを始めると際限がないが、考えなければ事実があるだけだ。功永ヤナタにとっても理由は必要なものだ。なぜならば彼もまた“なぜ”と問う身であるのだから。

「あの創造しなければならないから、参考に」

「何のことだ」

「どう創ってどう接したかそれを知ろうと思って」

「知ればどうにかなることか」

 香奈元覆返は首を振ると話しを続けながら気にしていた視線の先に向かって問いただす。透に向かって問いただす。

「で、あいつはどうしている」

「会ったことはないわ。王さまは仕事を依頼していると言っていたわ。何をしているかはわからない。さがしている子がいるけど。どこでなにをしているのか」

 言葉を聞き終えると香奈元覆返は瞳の奥で輝かせていたものもそのままに黙り込んだ。N型アンドロイドのホノカを見つめる香奈元覆返。ヤナタは考えていた。静かに立ち上がるヤナタはホノカを見つめる目へと反射率に従い向かおうとする光をさえぎった。反射光を自分のものに置き換える。ヤナタは後ろのホノカを親指で指差しながら香奈元覆返を真正面から挑戦的に見つめる。

「この子はホノカ。N型アンドロイドのホノカ。あなたが創ったNH未認証系アンドロイドには、名前、なかったのかな。どう呼んだの、香奈元さん」

「なぜ俺にそうこだわる。お前、それは、あったさ。あいつの試作段階のコードネームは“因果”だった。計画の中止が決まったころには俺はハツルと呼んでいたが」

 香奈元覆返はいくつかの感情を過ぎ去らせた後、さえぎられた視線と思考に困惑という停止線にゆるやかに居場所を移す。言葉をしぼりだした後に、驚いたように口を閉じそれから咳き込む。わざとらしく鼻をすすりあげる。ヤナタの続く質問に香奈元覆返はさらなる困惑にさらされる。

「ハツル。香奈元さん。あなたはハツルを創ったのかな、それとも創らされたのかな」

「ヤナタ、といったな。それは、侮辱か」

「違うと思う。経済惑星エコノスロロニーニではあなたに依頼を出した彼らがNH未認証型アンドロイドを開発し所有していたのだと聞いたから」

 香奈元覆返は怒りの後に黙り込んだ。静かに鼻をなでる。不愉快そうに眉をしかめ、功永ヤナタを見回す。それから形見透を一瞥し、そうしてN型アンドロイドのホノカに視線を移すと一言だけ口にした。

「お前は、このN型アンドロイドの所有者か」

「ホノカの機能については所有していると思いますけど」

「そう思うのなら俺はお前にハツルの機能を創ったと答えるだろう」

 香奈元覆返は片目を静かに揺らしヤナタの背後で休み続けるホノカのことを眺めていたが、おもむろに形見透に向かっても同じ問いを繰り返す。その口調はあざ笑うかのようで細くとがる両眼が挑戦的に問いかけていた。

「お前は、どう思う」

「経済都市エコノスロロニーニにおいては。この地においてもそう。彼女は物品扱い。ヤナタの所有物。ただし違うとらえ方をする場所もあるかもしれない」

「同じような疑問を抱いたことがある。俺も。だから今でも創ろうとしているのさ。あいつと似て異なるものを。あるいはそれ以上のものを」

 形見透は香奈元覆返に向かってボールペンを突きつけながら、空中で“C”の文字と“自”の文字を描いてみせる。静かな輝き。功永ヤナタには確かにそう見えた。香奈元覆返はボールペンのペン先を見つめていた。大きく目を見開くとそれから静かに首を振った。その手が一瞬だけ伸ばされようとした。困惑はまだ香奈元覆返をゆるやかに縛っていた。

「ヤナタは聞いた。同じことを私も聞くわ。あなたは創ったのかしら、それも創らされたのかしら」

「わからないな」

「そう」

 心底わからない、そんな顔だった。額に手を当てると静かにまぶたを閉じて首を振る。足もとで毛むくじゃらが這い回る静かな床ずれの音が支配する。功永ヤナタはわからないことがわからなくても一向に構わない。静かにボールペンを回す透の眼鏡が反射してくる光をしばらくの間は不思議な表情で眺めていたが、やがて香奈元覆返の沈黙を破り捨てさせる声を発した。

「香奈元さんは、もう一度ハツルに会ってみたいんだ。ね、そうでしょ」

「お前。会わせてくれるのか」

 返答。その口調はいとわしくも哀調を帯びてはいた。ヤナタの表情の変化を見ながら勢い香奈元覆返が保つ困惑の停止線は破られた。

「無理だろう。そう無理だ。ああ。そうとも。お前の思っている通りだとも。そのことは否定しない。俺はそのことは否定しない。あのガキがあいつを連れて行こうとしたときのことだ。こう思ったよ。こんな馬鹿なことがあるか。とな。あのガキは言った。お主とともにあってこやつは何をなすというのかと。そうともおれは打ちのめされたよ。だが、それだけとは思うなよ。いいか俺は絶望しているとも。そうだとも。やつはこうも言った。お主のことはいつかその日が来るときまで忘れさせることにしよう、と。だがな、やつは何の連絡もよこしやがらないし、俺は待つことに疲れた。目的を失ったことに疲れた。エンターテイメントでよくある台詞があるだろう。“待つわ”だとか。“いつか、きっと”だとか。本当にできると思うか。そんなことは、そんなことは、」

 香奈元覆返はそう二度目を小さな声で呟くように吐き捨てると残りの声を押し殺してしまう。功永ヤナタを睨み、空いているテーブルから椅子を一脚掴むと、ひったくるように引き寄せた。

「過去のことだ。俺は新しいアンドロイドを創る。協力者は集まらなかった。エコノスロロニーニのやつらがやるようにはいかない。だが、NH未認証系と同等かそれ以上のものをとそう思っている」

「満たされるの」

 ボールペンを突きつけた透が尋ねる。香奈元覆返は現在の立ち位置を取り戻すと不適に笑って椅子を傾けた。行儀も悪く椅子をこぐ。軋みを響かせながら揺れる椅子の上で静かな自重された答えが返る。

「時の経過に伴いあるべきものも異なり行く。手に入らないものを懐かしむ歳ではない。この世の可能性に絶望するほどには若くない」

 功永ヤナタは二人の会話に首を振りながら聞いていたのだが、何を思ったのかカウンターに向かうと奥で表示端末との格闘を続ける女性に向かって声をかける。椅子を滑らせて腰掛ける。

「いい」

「何」

「お酒。下さい」

「未成年者には売れないの」

「お行儀がいいね」

 ヤナタは口を尖らせてそう言うといかにも残念そうに指を鳴らしてみせる。カウンター奥の女性は笑いながら表示端末から目を逸らし奥の酒棚を見つめる。視線と腕が二つの瓶の間をさまよい、それから伸ばされた視線と腕がとらえた一本のお酒が取り出されてヤナタのところへやってくる。

「酔わないやつ。微量だし、空けるときに分解酵素が入るようになっているから」

「有難う」

「はい、有難う」

 ヤナタはお礼とともにこの惑星では使われていない硬貨を一枚カウンターに置き、片手に瓶を持つと、カウンターに置かれていた栓抜きを手にした瓶と交差するよう人差し指と中指で器用に挟む。それからグラスを4つ。開いた手の間に挟みカウンター奥の女性が注意する声とともに危なっかしく歩きだした。席に戻る。香奈元覆返はヤナタを面白そうに眺めていたし、形見透はボールペン回しを続けながら、時折、目線だけでヤナタを眺めてみる。N型アンドロイドのホノカは静かに休息中。

「どうした。どうして酒を呑もうなんて思うんだ」

「出会いと別れに。多分そろそろ帰る、そうだね。帰るころあい、だと思う。だから香奈元さんとハツルの物語に。あなたの新しい探求に。そして小さな王さまに」

 栓を抜くと液体が漏れる音がしてお酒と瓶上方にあった液体とが混ざってゆく。静かな音がする。空だったグラスに発酵液が注がれてゆく。一つ目のグラスが満たされようとするとき。香奈元覆返はヤナタを嗤う。

「柄じゃないんじゃないかな。そういうのは子供の役割ではないだろう」

「そう、それだったら冒険行の締めくくりに」

 功永ヤナタが答えながら二つ目のグラスが空白を失おうとするとき。形見透は功永ヤナタを見つめてそれから口を開く。

「何一つ終わっていないのに」

「そうかも。そうか、どうしようか。あ、ホノカはお酒呑めるのかな」

 功永ヤナタが考えながら三つ目のグラスに薄い色をつけるとき。N型アンドロイドのホノカは功永ヤナタにうなずきと機械音を返す。

「ホノカ、お酒の分解は可能です」

「よかった。よし。それならこの功永ヤナタの天の川学園入学とこれから先のNEAR予知システムにもわからないであろう未来を祝って」

 功永ヤナタが掛け声とともに四つ目のグラスに非日常を入れ込むとき。カウンター奥の女性が静かにグラスを取るとカウンターの上の開きかけのボトルを傾ける。

「私も奇妙な出会いに」

 少しく大きな声が店に響く。

「ねえ。私も呑むの」

「呑みたくないの」

 透はたずねて考えて首をふる。静かな祝いは行われ、乾杯にガラスがぶつかる音が響く。香奈元覆返は一口でグラスを干すとテーブルにグラスを静かに置いた。ヤナタは口元に残る奇妙な味に舌を出しながらグラスを傾け、透は牛乳のときと同じようにちびちびと吸う。ホノカのグラスは一瞬で空だ。カウンター奥の女性は表示端末を眺めながらゆっくりと味わっていた。

「ヤナタとか言ったか」

「そうですけど」

「お前、天の川学園にいるんだろう。もしあいつに会ったら伝えてくれないか」

 そうして香奈元覆返はささやき、功永ヤナタは耳に収め、形見透はボールペンのペン先に記憶を止めた。ホノカの集音機は記録し、香奈元覆返はそのN型アンドロイドを一瞥した。ヤナタが先に述べたように帰るときはそこまで来ている。

「そういえばお前、さっきNEAR予知システムと言ったな」

 香奈元覆返が思い出したようにそう口にしたのはそのときだった。そうして口にされる香奈元覆返の話が終わるか終わらないかの内に、形見透がボールペンの切っ先を振るうとき、確かにこの短い出会いと別れは終わりを告げたのだった。

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