お金と信用とアンドロイド
功永ヤナタは一人で街中を歩いていた。綺麗に揃えられた街並み。美しい色の白と黒が組み合わされた高層建築がこれでもかとずらりと並ぶ。街である。歩くのみである。人並みの巨大さがせわしなく蠢いている感覚。功永ヤナタは不思議とその感覚がなぜか懐かしくなる。立ち止まると、いつものようには決して鳴り出そうとしない携帯電話を眺めながら、ヤナタは静かに瞑目する。ガヤガヤとした声の波。アスファルトを叩く靴の小気味がいい音。流れ出る音楽。違うのは排気音が聞こえないことだけなのだ。街並みに乗って一階部分に併設するように設置されている機器から空中投影される商品情報を眺める。話の種に買っておきたいもの特集だとか、やめたほうがいいけど買ってしまいそうになるもの特集とか、買いたいけれど高いそんなときの代用品情報なんてもの。実例を挙げれば、N型アンドロイド、効カロリー携帯食料CDE型、高性能抗高齢化薬、など。空中に投げかけられる噴霧と光の束に見とれながらヤナタは歩いた。目的地はなぜだかわかる。なぜなら旅先案内ソフトがヤナタの脳内に既に情報を展開済みだ。経済惑星。惑星と同じ名の都市エコノスロロニーニ。首都エコノスロロニーニ。目指す場所はコウトラック区画の『人生のストック』という言葉の感覚を現す場所だ。並ぶ高層建築にあるいは入りあるいは出てあるいは眺めあるいは無視する人の波をかきわけ功永ヤナタは歩み出す。王さまから受け取ったあの文字はいつの間にか一枚のカードとなりヤナタの胸ポケットに忍び込んでいた。輸送機関が近づいていることにヤナタは気づいたのだが、一枚のカードの存在を認識したのはそのときのことだ。旅先案内ソフトが伝える情報では認識できないほどの高額な金額がこのカードには詰まっているらしいがヤナタはどうも信じる気にはなれなかったらしい。わらわらと動き始める人が足を止めて列を成し始めては消化される輸送機関の窓口に並んではみたものの、カードを両手で曲げてくにくにとUの字型のアーチを造りながら半信半疑は消えないまま列から出ようとしては戻ることを二回くらい繰り返した末、やがて観念したように輸送機関の窓口にそのカードを思い切って提出したのだが、それからはすんなりと進み、輸送機関はあっけないほどに目的地にたどり着いたのだった。経済惑星エコノスロロニーニの同名首都エコノスロロニーニにおけるコウトラック区画はこの惑星の主要交易産品である情報を提供しているらしいが、その大半は金の移動とそれに伴う情報だ。極めてギャンブル性の高いものを売っている。コウトラック区画では全てが金銭で表示される。そのありようの恩恵を功永ヤナタは多少こうむっている。文字が置き換わって胸ポケットにあるカード。そこには信じられない大金が入っていた。そうなると何かが始まりそうな予感がするものなのだが功永ヤナタはそうする気もなく目的の場所にだけ向かう。
NEAR予知システムは経済惑星エコノスロロニーニにとってもコウトラック区画にとっても必須な業者NEARライフ=レート=カンパニーの所有ビル17階に19階にずらりと並べてあるとヤナタは旅先案内ソフトの情報によって知った。このシステムは惑星エコノスロロニーニの全顧客、つまり惑星住民の全ての与信を請け負うことができるとされており、この会社は人生の価格を査定するのだとそう豪語しているということも知る。結局、足を止めることもなくヤナタはNEARライフ=レート=カンパニーをたずねた。仕事場に隣接する応接室で対応してくれたダブルのスーツを着込んだキャリアウーマンが妙に優しく接してくるものだから功永ヤナタは疑問のままその話を聞いていたのだけどやがて会話のずれに気づくと急いで本題を切り出した。
「まあ、私、てっきりNEAR予知システムでの労働希望者かと思って」
キャリアウーマンから返る答えはそういったもので、ヤナタが話しを繋ぎながら、とりあえず自分の立場に類似しそうなものとして短い人生経験の中から練り上げたものは旅行者案内ソフトが提供する観光客向けの格安体験プランとも上手く合致したようで椅子に腰掛けていたキャリアウーマンのうなずきと「それでしたら」の言葉を引き出した。そこから先の会話はキャリアウーマンから変わった正装の担当者の観光客向けの小話と運用にあたっての説明となり、ヤナタは合間に「なるほど」とか「はい」とかの相槌をはさむだけとなり、おおむね沈黙の中聞き役に徹することを余儀なくされた。
「我々はこう思っているのです。NEAR予知システムが存在するに至った経緯こそこの惑星エコノスロロニーニの本質を現していると。そもそもこの惑星エコノスロロニーニの住民は皆こう考えているわけですよ。人生とは生まれたときに定まった価値を消費するだけなのだと。それゆえ消費を加速させるためにこのコウトラック区画のような場所もあるのです。どうです実に合理的でしょう。我々は宇宙を支配しています。宇宙の格星系にある星の誕生と消滅を全て収支上に計上しています。我々は架空の支配権をそれぞれに持ちその架空のものを消費して暮らしているのです。(「なるほど」)どうですこの惑星にいらして。私が語る意味がよくわかられるでしょう。さてNEAR予知システムがここに存在する経緯についてでしたね。(「はい」)その経緯は幻想技術惑星FINAGSTからこのエコノスロロニーニにやってこられた、そう丁度お客様のような観光客でいらっしゃった技術者のかたがきっかけでして。技術者といってもかなり高度なことをなされていらっしゃったようですが、あのかたは派手に価値を消費なされたようです。色々と工面をなされたのですが最後にはついに幻想技術惑星FINAGSTで不出とされたNEAR予知システムの構築を請け負わされることとなられたわけです。もちろんここにあるものは幻想技術惑星FINAGSTにあるといわれている本物ほどの性能はありません。が、我々にはそれで十分でした。どうです素晴らしいことでしょう。見てください。我々はこのようにしてどうしてもといわれるお客様に対してはその将来の情報から導きだされる価値を対価としてお支払いすることができるわけです。工面がつかないとなればNEAR予知システムによる最適獲得状態に我々がお客様を導くわけです。はい。(「なるほど」)ところでお客様がNEAR予知システムで知りたいのはどのようなことでしょう。大したことでないようでしたらお止しになられたほうがよろしいかと。(「いえ」)ええもちろんそうでしょうとも、ですがもしよろしければ一つお話ししましょう。悲しいお話です。ある男性の悲劇といっていい話です。この場で悲劇は語ることはできませんからその部分を省くとして、つまり男性特有の将来展望の話でその男性と好意を持ち合っていた女性のことでNEAR予知システムをお使いになられたのですよ。そうするとその全てわかってしまうわけです。結局、この男性はNEAR予知システムから得るものは何もなく消費損になってしまったわけです。(なるほど)このシステムはある意味でつまらないものですよ。ですからそのことをよく理解された上でお使い下さい。我々は責任の転嫁先を常に確保したがるものでしてこのお話しをさせていただいたわけです。(「はい」)ええ。実際コウトラック区画で人生そのものを売却してしまうような人間でさえ何らかの補填先を我が惑星は用意しておいているわけでして。それでいかがですかお使いになられます。(「はい」)そうですか。ところで先ほど説明させていただいたようにNEAR予知システムの操作者として働かれるおつもりはございませんでしょうか。もしそのおつもりがおありのようでしたらぜひおっしゃってください。わが社はよろこんで歓迎いたします」
「見せてもらえますか」
「はい。それではこちらへ」
応接室のソファーは天の川学園受付にあるチナミのふわふわ椅子に比べるといまいちのものだったが功永ヤナタは長い独演会の間そこから受けていた恩恵に多少の未練を持ちながらも断ち切ると、ソファーに悲鳴を上げさせて立ち上がった。案内されるままに階段の段差を克服してゆく。10往復、15往復。高層ビル17階に到達したヤナタはNEAR予知システムが並べてある一室に通される。担当者は一台の空き機器の配線確認と起動調整をしながら機器の中で横になっているヤナタに向かって説明する。
「ところで何を知ろうとなされておいでなのでしょう」
「なぜ」
「いえ、NEAR予知システムが不調に終わった場合のフィードバックにお客様から伺っておかなければならないと決まっておりまして」
様々なチューブが繋がれたヤナタは色々の嘘を思い浮かべていたようだったが、結局、ほほを片手で何度か叩いた後に正直な話を打ち明けた。
「小さな王さまに言われて来たんだ。ここに行けば何をすべきか知ることができると」
「ははあ。小さな王さま。小さな王さまですか。ああ、ああ、あのお方ですか。我々を臣民扱いなさることを除けばおおむね我が惑星のお得意様ですね。一体、どこの星の王さまなのかは存じませんが。まあ、それを言えば我々惑星エコノスロロニーニの住人は皆、星の保有者であり王さまであるのですが、それは言わないことにしておきましょう。ともかくあのお方のお知り合いならばどんなこともありえるでしょう。と。はい。確認は終わりました。準備はいかがでしょう」
「ええ。準備はいいと思います」
「ではよき夢を」
ヤナタは見た。様々な夢を。綺麗な夢の結末とそれからそうではない夢の結末も。体に巻きつけられたチューブを外すと担当者の顔を見つめ、それから疲れたようにため息をついた。
「どうしよう途方もないもの。初等部なのに」
「お気に召されましたか」
「あまり。だけど役には立ったよ」
呆然と一点を見つめていたヤナタは担当者に声をかけられると思い出したように肩を持ち上げてみせる。ヤナタは立ち上がった足を屈伸させてみながら答えを返すと、大きな伸びをした。それから担当者に向かってうなずくと相手が機器の調整とヤナタの健康状態の確認を行うのを待った。
「はい。大丈夫です。それでどうです、お客様。NEAR予知システムの操作者としてここにしばらく滞在してみようというお気持ちが起こってはいらっしゃいませんか」
「今のところはね」
ヤナタは開放された両手を結ぶと指と指とをからませてアーチ型を作り、関節を鳴らしながらそう答える。うなずいた担当者とともに階段を滑り降り、カードの提示を済ませるとそれから外に出る。噴霧器から流れ出る薄い蒸気と光の束の投影が織り成すN型アンドロイドの宣伝をふと眺めていると旅行者案内ソフトからの情報でN型アンドロイドの製造会社のコウトラック区画の窓口を見つけると少し足を伸ばしてみるヤナタ。王さまの言うとおり後は自分でやるべきこと知るだけだ。歩み行く。うごめく大量の価値の波。経済惑星エコノスロロニーニ。窓口を訪ねてみるとそこでは機械的な表情をした機械的な受付が機械的に対応した。椅子に座ると示されたいくつかの選択枝。その中からヤナタは質問を選び探す。機械的な受付が機器に触れて対応すると投影映像の映話に人が映る。
「ようこそN型アンドロイド販売店コウトラック支店へ。今回のお客さまのご来店に伴うご要望はどのようなものでしょうか」
「N型アンドロイドの用途を知りたいと思うのだけど」
「N型はデータ管理、人員管理、スケジュール管理、受付などあなたの隣に一台の秘書機能から庭園管理、製造加工の臨時要員、日差しの強い惑星などでの肉体労働などといった心強いパートナーとしての機能まで。さまざまな用途に耐えうると自負しております」
「創造できるかな」
ヤナタは頬骨を人差し指でさすりながら自分に問いかけるようにしてそうつぶやいたのだが、投影映像先の相手が持つ集音機能はその小さな音をどうもご丁寧に拾ってくれたようだ。映像のぶれとともに眉がひそもうとする直線的な圧力と笑おうとする曲線的な圧力との奇妙な均衡上で並行に落ち着こうとの努力の後が映し出される。映話に映る真面目な顔の上で眉が印刷中の古い印刷機のように微細振動を繰り返してぴくぴくと震えている。奇妙な均衡に耐える唇が開かれる。
「あの。お客様。冷やかしは困るのです。たまに来られるのです。面白い冗談のつもりなのでしょうが、私などはこう思うわけですよ。また、その質問ですか、と。はは、全く。当社が承った伝説の依頼を耳にしていらっしゃったのでしょう」
「どういうこと」
ヤナタの表情を見て取った投影映像は会話のあてが外れて口を伸ばすように開いて意外そうな表情を浮かべたが、言いかけたことは継がねばならぬし、継ぐことが得意であるからこそこの男は映話の中に登場しているに決まっているのだ。
「我が社が幻想技術惑星FINAGSTの協力の元作成を試みたあの最高傑作HN未認証系アンドロイドの噂を耳になされたのだと思いましてね。さきほどのおっしゃりようにそうではないかと勘ぐったのですよ」
「HN未認証系?」
「お知りでないのなら構わないのです」
「今、急に知りたくなったかな」
「そうだと思いました。噂の類として広めてもらっても結構ですよ。宣伝程度にはなるでしょうから」
投影映像はそういうと飛び切りの営業スマイルを浮かべながら、下唇から2センチの位置に手を置くと小突きながら話の整理をするように一瞬だけその全開であったお口をクリップで止めるとそれからクリッピングを解除して社交の窓を押し開いた。
「当社、N型アンドロイド製造社は、当時、N型に代わる新たなアンドロイドの開発を企図していたのですが、それが先ほど申し上げたHN未認証系アンドロイドになるわけです。中核に納められた物質精製脳。通称はNH頭脳を搭載したあのアンドロイドは最高度に贅沢なもので、新たなタイプのアンドロイドとして売り出されるはずだったのです」
映像の肩が揺れて服の裾がつかまれる。揺らしながら布を刷くと目線が静かにヤナタの目をとらえて閉じられた口が開かれてゆく。ヤナタはどこを見るでもなく座っていた椅子にはさまれてしわになった着物を直す。興味はあるのだろうが、どこか遠くのことのように時折こっそりとあくびを噛みしめる。この都市で聞く二度目の長い話をうなずきながら慎重に反芻するように、というより長びく話に頭の中で話しを繰り返してみないと上手く入ってこないようすだ。ヤナタは目を何度もまぶたで濡らし、弛緩した集中力を奮い立たせながら耳を傾ける。
「もちろんわが社だけでのプロジェクトではありません。幻想技術惑星FINAGSTへの協力要請。わが社は何とかその力を借りることに成功しましたよ。それにより当時における最高レベルの傑作アンドロイドが誕生することが確定的となったわけです。(「それで」)それで。はい。終わりです。完成しませんでした。試作機一号の時点で気づいたのですね。高性能すぎました。お客様のニーズを完全に超えてしまっていたのです。はい。かのロボットの人工知能は演繹性と算術性の両方において完全な機能オーバーでした。圧縮空間拡張機能を搭載したことにより限界性までをも消し去ることに成功していましたからね。さらに言えば重力波消失から始まる物質の自己精製機能を搭載したことに至っては白眉といえるものでしょう。(「それで」)それで。はい。わかりません。そういったことを幻想技術惑星FINAGSTの技術者たちは語っておりました。中心開発者である香奈元覆返は、プロジェクト終了後に当時知られていた全数式と技術情報を詰め込んだ末にNH未認証系アンドロイドの試作機をあの噂に聞く小さな王さまに譲り渡させられたのだと聞いております。ともかくNH未認証系は我々にとっては完全に機能不足でした。単価の高さが桁違いでしたし、その上に量産体制に乗せるための方法で中心開発者の香奈元覆返ともめましてね。仕方なく上層部は資金回収のために噂のあの小さな王さまに試作機と権利を譲り渡したのだと聞き知っております」
投影映像のまめまめしく動いていた渇いた唇がそこで一息をつき、ようやくのことで功永ヤナタは姿勢を崩す。椅子から腰を少し浮かせて、それから窮屈そうに腰を正して座りなおすと投影映像にとらえられないよう少しだけ足を伸ばす。ヤナタはそうしながらも何かを考えていたのだ。小さな王さまがこの都市で色々な伝説を残しているらしいがそのことについてだろうか。はたしてヤナタは自分会ったあの王さまに触れてこの話の先に進むほうがいいのか、それとも触れないままに進むほうがいいのか。ヤナタは何かを無言で考える。
「それでお客様、N型アンドロイドをお求めなされるのでしょうか」
「ええ。N型アンドロイドを一台。できれは旅行者案内ソフトに出ているような映像関連装置つきで。それと今の話で出てきた幻想技術惑星FINAGSTの香奈元覆返への連絡法を教えてもらえますか」
ヤナタのちょっとした飛躍のある答えに投影映像は同じようにちょっと返答を待たせて自身の映像に代わって綺麗に彩られた自社の商品資料を展示させる。その姿が消えて感覚的には5分を超えない程度だっただろうか。映像を復帰させ自身を投影させるとその男は眉を落としていかにも申し訳がないという顔を作るとヤナタの質問に答えを返した。
「香奈元覆返への連絡は可能です。ですがその前に。どうも申し上げにくいことなのですがN型アンドロイドへの特殊装備については多少のお時間を頂くことになりますが、お客様、お時間のほうはよろしいでしょうか」
「どのくらいです」
「30分ほどでしょうか」
「構いません」
「それでは香奈元覆返への連絡先はお買い上げのN型アンドロイドへ登録しておくことに致しますがよろしかったでしょうか」
「ええ」
「そうですか。ではお支払いの確認のほうを」
「これでお願いできますか」
「そこの受付のM型にお渡しを」
ヤナタは先ほどから待機している機械的な機械を見つめるとそれから何か投影映像に向かって口にしようとしたのだけど止すことにしたのだろう空気を飲み込むとそれから用意していたカードを渡す。
「ではしばらくお待ちください」
言葉通りしばらく待つ。
「それでは型番、性別類型、容姿、類似限界点などのご希望の設定を受付のM型が行う誘導に沿って行ってください」
機械的な機械であるM型と呼ばれるロボットに向き直ると機械的な音声が響きだす。それからヤナタの前のテーブルに類型画像が数種類ずつ投影されていく。数秒間表示されたかと思うと次の画像が示される。それから次は男性姿、女性姿の選択。そうして容姿。少年期、思春期、成年期、といった大まかな区分わけから選択する。類似限界点。これは質問形式で表示された。発声類似性、行動類似性、それから生活類似性。そうしてもう幾つかの選択があったのだけどヤナタは恥ずかしくてそれ以上選択できず事前選択からの類推による任意のボタンをタッチした。それから付属設備設定。ヤナタは映像、画像系の処理の強化を選択した。細かな設定が続く。特殊状況下における行動順位性の設定を終えると長かった機械的な機械であるM型の誘導はようやく終わりだった。
「それではお時間のほうは30分後に」
「よろしく」
ヤナタは店から出ると視線を左右に振って景色を眺め、足どりもゆるやかに都市の散策を始めようとしたのだけど、そうすると急に腕をつかまれてしまった。眼鏡に落ちかかる髪の先端を払いのけているのは先ほどまで共にいた顔だ。形見透はヤナタの腕をつかみ少し怒ったように声を絞る。
「あなたはこの街のありようを理解していない。あのようなものに手を出して」
「あれ。君は形見さん、だったよね。どうしたの。わ、わ」
ヤナタは急に現れて急に怒り出す形見透に自動車にはねられそうになる鳥のように驚きの反応を飛ばすと、それから引っ張られる腕に合わせて従って歩調を一歩、また一歩と踏み出したが、そこでようやく足の動きを止めることを許された。
「どうしたもない。いい。ここは経済都市エコノスロロニーニ。私たちは仮にも創造課の人間なの。それに、よりにもよって。あんなもの」
「どうして。そのボールペン型のBOOKSだって旅行者案内ソフトに載っているもので」
ヤナタは透の眉間から伸びるまぶたが坂のようになる先をたどってその切れるように細められた瞳が眼鏡の奥で輝くのを凝視しながら胸ポケットのボールペンのようなものを指差した。
「知っているわ。でも元々はそうじゃなかった。いい、ここでは価値を消費する。その流れに全てが合わせてあるの。私たちは王さまから受けたもので守られている。でもここにあるものを見なさい。ここでは、ええ、私はあまりここのことがわからない。わからないわ。シワル=シヨハほどにはわからない」
形見透の鋭い視線はそこまで来ると急速に力強さと一種の輝きを失って、同級生の名が呟かれるとともに自信を揺るがせている消え入る声がするすると続くだけになった。功永ヤナタは苦しそうに揺れる透の瞳をレンズ越しに眺めると、何を言ったらいいのか迷うように口を開きかけて、そうして固まった口からまるで言葉を出すことによって言葉を選びながら、何か言えることを探そうとしながら、透の怒りとそれに続く沈黙に向かって何かを語ろうとした。
「言いたいこと、少しはわかると思う。形見さん、ううん。透は必要なことをきっと知っていると思うよ」
舌が引っ込められて閉じたヤナタの口は奥歯を二度噛み合わせて開こうとして閉じ、三度目でもう一度だけ透に向かう声を選び出した。
「でも、透にとってもここはそう悪いことばかりではないと思うよ。せっかくあるものを手にしてみないでどうするのさ。いずれは消えてしまうものなのに」
「知っているわ。嫌なくらいに」
形見透はそう言うとその潤みを帯びた悲しそうな瞳で眼鏡越しにヤナタを正面から見つめた。やがて、ゆっくりと首を振る透は、それから始めて会ったときのように、ようやく普段に認識していないものだと認識したあのときのように少し首をかしげながら、ゆっくりと動いてゆく視線でその先のヤナタを追った。
「語るものが違う。あなたと私は」
「消えないものに永く素晴らしきものに。あの学校にはそういうものがあったのかな。ちょっとわからない、かな」
追われるヤナタはそう答えると足を動かし始めた。本来の目的のままに足の向くまま散策する。透が後ろからついてきているのかどうかも意識せずペースも緩急さまざまに歩むに任せる。経済惑星エコノスロロニーニの首都エコノスロロニーニのコウトラック区画を様々な角度から眺める。歩むところに音がして生活となり、音ともに浮かぶ風景があれば、そこにはもう場所がある。当然のごとく綺麗に舗装された街路を囲むように並び続ける高層建築の群れの合間をぬって人並みは動く。時折、空に羽ばたくものがある。鳥影が落ちる。見上げると羽を羽ばたかせては風に乗っている。ばさばさばさばさ、すうっううう。あるいは浮き上がろうと羽ばたき、あるいは重力に囚われて落ちるに任せる。人は気にせずに歩き続ける。ヤナタも鳥影と空中を一瞬見比べるとそのままに歩みを続けてゆく。都市に広がるガラス窓がここにはない。透明張りの反射光に輝くシャレードは噴霧器と投影映像に置き換わっている。時折光のまぶしさを一面にとらえたまま離さずに、本来集めるべき人々の視線をとらえるはずが離してしまうあの窓は存在しない。もちろん、ヤナタのかつて暮らしていた町でさえもうそのような窓などほとんど淘汰されて失われてしまっているのだが。ヤナタは一通り歩き、立体映像を眺め、街の光景を表面的にとらえてしまうと、後ろで静かに空を見ながらついてきていた透のほうに振り返る。そうして少し慌てたように近づいてしきりに謝ってみせる。
「ごめん、考え事をしていて。でも、どうして。わざわざこうしてついてこなくてもよかったのに」
「そう。それで、どう帰るつもりだったの」
そう他人の口から聞いてみて功永ヤナタが何を思ったのかはわからない。顔を歪めた後、眉を落として疲れた表情を見せるヤナタは呟くようにして、
「わからない」
とだけ答えた。
沈黙のときを天の川学園初等部創造課の二人の生徒たちは歩んだ。立体映像が騒がしくたてる音が雑踏に紛れて響いてくる。『沈黙にはNOSのMTVを』それに沿うように立体映像の中に現れる立体映像が構築されてゆきそれから一体化する姿を二人は沈黙のまま視界の端に納めさせられる。
「形見さん。N型アンドロイドを受け取ったら幻想技術惑星FINAGSTに行こうと考えているのだけどどう行くのかわかるかな」
「幻想技術都市FINAGST、なぜ」
「人に会おうと思って。香奈元覆返という人」
「よしたほうがいいわ」
「どうして」
「幻想技術惑星FINAGSTの方向には必要な全てがあるから」
ヤナタは答えに困惑しながら何も返さない。そのまま敷き詰められた舗装を歩み、先ほどまで遠ざかる一方だったN型アンドロイド販売店コウトラック支店に向かう。なみなみと注がれた人の波は都市のコップで揺れて漂う。ヤナタは流れに身を任せること十数分、戻る先が近づくことを見定めると、形見透の歩調に合わせて近づいてゆくと二つに区切る言葉を倒置法で口にした。
「キャラじゃないんだよね、ちょっとこういうの」
「何が言いたいの」
透の透き通ったレンズが鼻白む。
「行きたいところがあるから行く、知りたいことがあるから知る、やりたいことがあるからやる、買いたいものがあるから買う、会いたい人がいるから会う。場合によってはそうしないと創れないものもあると思うから。さ、行こう。形見さん。かっこいいN型アンドロイドを引き連れて」
「なにを」
「つまりそれが進む方向かなってね。歩きながら、そう想像していたの。さっき」
人ごみの中で肩をすくませながら呟くようにそう語った功永ヤナタはそういい終わるとまた自分の歩調で好きに進み、周囲を見回しては視界に景色を、場所を、地点を、収めて歩き継ぐ。声を耳に通した透の方は少し立ち止まると眼鏡のフレームを何度か抑えてまぶたを瞬かせていた。それから慌てたようにヤナタの方に駆ける。ヤナタはN型アンドロイド販売店コウトラック支店にたどり着くと、M型と呼ばれるロボットから一体の商品を受け取って投影映像の挨拶を背に外に出た。
「形見さんが教えるのが嫌だったらこの子に聞くしかないけど」
「この子。機械相手に」
透とN型アンドロイドを連れて外に出たヤナタはそう言いながら説明書のページをめくり読み上げる。
「かして」
透はその説明書を取り上げると次々次々と手早にページを進ませて背表紙までをもめくりあげていたが、やがてヤナタに向かって説明書が空を飛ぶと、一息の深いため息とともにN型アンドロイドに向かって声をかける。
「C―404―5764―8977。名前は、名前はホノカ」
「あー。形見さん。ずるい。名前付けたかったのに」
功永ヤナタは説明書を握る手を伸ばして形見透を指差して叫ぶ。N型アンドロイドの認証音を聞くと肩を落としてがっかりする。透を恨みがましく睨みつけていた目は肩が落ちるとともに眉も落ち残念そうな表情へと移り行く。その目が説明書の方に未練がましく移るまでヤナタは透とN型アンドロイドを見比べては肩を落とす。その間、透は既にN型アンドロイドにいくつかの質問を行って詳細設定を確かめ始めている。その営々と続く質疑。ヤナタは合間をぬって、ようやくのことでたずねるべきことをたずねさせてもらう。
「仕方ないよね、うん。で、あの形見さん少し、いいかな」
「ええ。大まかなことはわかったから」
「いいかな、ホノカ。香奈元覆返への連絡方法を知りたいんだけど」
N型アンドロイドC―404―5764―8977。通称がホノカと定められたN型アンドロイド。女性類型で容姿は思春期型。映像、画像機能への強化を実行済。その他の詳細設定情報は後に譲ればいいだろう。ホノカは功永ヤナタの質問を受け、電子音を鳴らしてから回答を返すが、これも詳細設定の一つである。電子音により区別を成すための設定様式である。さて、設定様式にのっとりホノカは答えを返す。
「C―404―5764―8977番。私、ホノカはその情報の検索を行った結果、2件の該当情報を発見致しました。長短、いずれの情報からお伝えいたしましょうか」
「短いほうから」
「はい。香奈元覆返。幻想技術惑星FINAGST在住。人工頭脳開発へ携わる優秀な技術者。連絡先はニーモニックメールの457―679―8769」
「長いほうは」
「はい。現在、香奈元覆返の住所は知られていません。ニーモニックメールは2年以上開封された形跡がありません。幻想技術惑星FINAGSTが1年前に行った不定期移動者を対象とした住民確認では香奈元覆返は旅行中との表記となっておりますが、その行き先は現在わかっておりません。ただし、星間移動管理登録の一覧には香奈元覆返の署名の形跡がありません。惑星外への出星は行われていないものと考えられます」
ホノカは小さな電子音を発生させて報告終了の合図を示すと、待機状態となりヤナタと透をそれぞれ一度ずつ視認した。
「居場所はわからないということなのかな」
「どうする。わからない人に会いに行くの」
ヤナタは呟いて、透はそのヤナタに向かって問いただす。形見透の視線を受け止めながら周囲を見回したヤナタは足踏みの音を鳴らす。しばらくそうしたままヤナタは待っていた。それからもう一度周囲を今度はもう少し遠くまで見渡して何の変化もないことを確認すると透に向かい待ちぼうけに終止符を打つ。
「形見さん。とりあえず行こうよ。ここにいてもしょうがないから」
「今、何を待ったの」
ヤナタは胸ポケットに納めたカードを取り出すと、透にうやうやしく提示して見せた。カードをヒラヒラと揺らしてみる。手を伸ばした透はカードを見つめてそれからたずねたときと同じままの疑問を抱いて答えるヤナタを見つめていた。
「このカード。王さまが投げた文字のようなものだったんだけどね。それがどうにかしてくれるのかなとそう思ったの」
「幻想技術惑星FINAGSTに向かうのね」
ヤナタがうなずくと形見透は胸ポケットのボールペンのようなものを取り出し始めた。口を開こうとするヤナタに左人差し指を唇に当て沈黙の合図を送る形見透。それから彼女は人気の少ない高層建築の黒白の建材に向かってペンを銃のように構えると、漆黒の閃光が一閃、ペン先から虹色に瞬く文字を瞬く間に打ち出した。酷い衝撃風と轟音が都市の最も柔らかいある部分をかき消してしまいそうになる。音の後は、既に裂けていたはずの建材の壁が視線の先で裂けたように見えたかと思うと、もうそこには打ち砕かれた裂傷が現れている。あるのは恐ろしいほどの冷たさを感じる極限の裂傷。衝撃風の収束とともに裂傷は静かに収まる。裂けた後には扉が一つ。あっけに取られるヤナタに形見透はボールペンを回して見せて、それから、のぼりもしない煙を吹き散らすまねをしてみせる。
「どう。このことも旅行者案内ソフトに載っていたの」
「いいや」
帽子の代わりに眼鏡を押し上げてみる形見透に向かってヤナタは首を振った。一足飛びに扉に近づくヤナタは、そそとして近づきつつある透に振り向くと、おずおずと扉に手を伸ばそうとしながら、
「危険、じゃないよね」
と問いかける。
透はその扉を開くことでもって答えを返した。N型アンドロイド、ホノカに向かって手招きする形見透は扉の先に広がる緑とアーチ型建造物の庭園に向かって飛び込んでゆく。扉を抜けてゆく透に続くホノカ。後に残る功永ヤナタは扉の取っ手をつかみながら、しばし後背でうごめく人の波を見つめていた。あるいはこの騒動が引き起こさなかった騒動について思いを馳せたのかもしれない。やがて取っ手のきしむ音ともにヤナタの姿が吸い込まれると扉は自らを崩壊させて掻き消えてしまう。まるで消しゴムをこするゴシゴシという音が聞こえてきそうだった。天の川学園初等部創造課の二人を内に包含していた都市は二人とN型アンドロイド、ホノカを放出して普段の街並みから普段の街並みへの移行を終える。経済惑星エコノスロロニーニ。功永ヤナタはこうしてそのちょっとだけ自身の街に似た場所を楽しみ、悲しみ、嘆いて、過ごした。そうして舞台は巨大な高層建築の街から移り変わることとなる。