おかしな学校とおかしな王様
天の川学園の初等部創造課Z―404の生徒は現在6名。それに加わることになるのが功永ヤナタだ。ヤナタは繋がらない携帯電話を何度もいじる。電池残量を何度も見る。旅路の後、なぜ電池が無くならないのだろうとそう考えていたのだろう、首をひねってそれからちょっと髪の毛をなでてそれからパタンという音ともに諦める。6名はその周りにいる。綺麗な透ける色をした肌に化粧の色を乗せていくシワル=シヨハ、固い表情にままもくもくとノートへと書き込みを続けるバカバット、沈うつな表情で考え込む今先=F=洋介、そしてYPNMの自走音楽空間に入り込み音域に合わせて声と髪を振り乱している御前崎瑠奈、完全武装をした兵士姿で迷彩服が印象的なアリス=ディアナ、そしてEBROの速読、復読、タイムシェア・リーディングを利用して凄い速さでe―bookと現実の本を読み込む形見透。広い教室にたった6人。それが二足歩行型の造型のみで構成される初等部創造課Z―404だった。
功永ヤナタとその6人と初等部創造課が出会いはそうして始まった。その日のことだ。といったところで日の概念をあらわす時計も日月の周期性もここにはどうやら存在しないようで、ヤナタは何度も教室の回りを、特にあるべき黒板の上と窓の外を見回したのだけど、何も見当たらず、いくら待ったところで授業が始まる気配も、誰かが近づく気配もないので、近くの席で綺麗な姿勢で座っている女の子に話しかける。ヤナタには本を読みながらもう片方の手でボールペンをいじっているようにしか見えなかったために、聞いてみることにしたのだろう。
「ねえ」「ねえ」「あの」
その後も功永ヤナタは何度もたずねたのだけど返答が返ってこないため、自分の口の前で手を開いて閉じてとやってみて、耳を掘ってみてから、ゆっくりとお腹の辺りに空気を吸い込んで聞いてみる。
「あのさ」
「何、さっきから」
口にしていちべつの視線を投げかけてそれから、ようやく写るものが普段に認識していないものだと気づいたように彼女は眼鏡の上の狭い額に手を置くと、その眼鏡を外し、そのままの姿勢でずっと近づいてヤナタを見た。
「見ない顔」
「今日から、なの」
納得の印に目を細める女の子はそれから左手でボールペンのようなものをカチッと音を立てて髪を額に垂らすのを避けるよう手を添えながら額を下げて口を開く。
「形見透、よろしく」
「功永ヤナタだよ」
それから、また傾けた額と本を戻すと、彼女は静かな本をめくる音とボールペンのようなものをころころと転がす音だけを返す作業に戻ってしまう。
「ねえ、授業はいつ始まるの」
「ここでは自分でやるの。知らないの」
はらりっ。
本のページが落ちる音に交わるように声が飛ぶ。功永ヤナタは首を傾けて、静かに考えていたのだけどやがて、困ったように口にした。
「ね、何すればいい」
「あなた何をするのか決めてないの」
傾げるように髪を揺らす透は眼鏡をその中央の押さえから最も離れたところであるふちのはしを親指と薬指で撫でて滑るように中央に向かわせてゆくと、跳ね上げるようにその指と指とをあわせた。困ったように周囲を見渡した。
「決めてないのなら今先君に聞けばいいと思うけど」
本にしおりを挟み、それからパタンという音が放たれると同時に、机の上にコトッと静かな音ともに本が置かれる。それから視線の先にある椅子に座ったままの男を今先という名の男を指した後、優雅に行ってくればと手が動く。今先と呼ばれる男はどこか沈うつな表情のまま目線を一点に合わせて集中していた。その目が左右に動き独り言が何度かもれてくる。
「ね、あのさ」
乾いた音とひどい衝撃。ほほが張られると同時に何かが向けられていることに功永ヤナタは気づかされた。横を見ると完全武装をした女性がヤナタの前に立っていた。
「な、何」
「戦闘創造の邪魔だ。この能無し」
そうつぶやく腕の先で握られたナイフは功永ヤナタの首に触れる寸前の距離に当てられていたのだが、ヤナタがそのことに気がつくのはもうしばらく後のことだ。ヤナタの頭の中にあったのはおそらく創造の言葉。天の川学園初等部創造課Z―404。
「創造、あ。そうだ。ね、ここは何をすればいいの」
「名前を言え」
ヤナタがその冷たい感覚に気がついたのはそのとき迷彩服の女性がその危ない刃物を首筋に当てつけたためであって、ヤナタが何かの感覚を持っていたからではない。功永ヤナタはゴクリとなるのどに突きつけられたものを感じながら答えを返す。
「功永ヤナタ」
そのまま恐れを抱きながら冷たい刃の背をつかむと、その切っ先を少し指先で触れてみる。鋭い痛みとともに焼きつくような感覚。
「アリス=ディアナ、だ」
刃を引き抜きつぶやくように迷彩服の女性アリスはその低いアルトを披露すると、小さな絆創膏を迷彩服のポケットから取り出して差し出してくる。
「ナイフに触れるだと。無茶なことを。危険なことだとわからなかったのか。貴様そんなことで戦闘創造ができると思っているのか」
絆創膏が手に乗るとアリスはもう一度ヤナタのほほを張りつけて、目を怒らせてそう叫ぶと、ナイフを腰のベルトにかけて席に立てかけてある銃を踏む。それから、銃を蹴って滑らせるとその後を追って行ってしまう。
ヤナタは絆創膏のセロハンをはがして恐る恐る指先を見てみたのだが指の先が酷い切り傷で爪から2センチは切れていた。本来なら出てくるはずの血もあふれ出しそうな液面の表面張力を形作ってはいたがそのまましばらく待っても出てこないのであり、痛みも最初の一瞬を除いては全くしない。ゆっくりと絆創膏を張ると一瞬真っ赤に染まったけれどその後を見ていると直ぐに元の白と茶色の組み合わせへと戻る。呆然とした功永ヤナタ。我を忘れた様子で迷彩服の女性アリスをしばらく見つめていたけれど、やがてもとの目的どおりに今先と聞いた男の席に向かう。
「ねえ、あの、」
「何か用なのか」
今先は目を移ろわせるのをやめてヤナタに向き合う。染めた髪色は茶に輝きエナメル線が光を大きく反射するように輝いてみせる。椅子の上から斜めに功永ヤナタを見上げそれから顔の前で腕組みするとその切れ長な両眼が功永ヤナタを見つめた。
「あの、ここでは何をすればいいの」
今先は無言で立ち上がると功永ヤナタの手を取って驚いた声を無視して歩き出す。小気味のいいリズムで床石を蹴る今先の歩幅は長い。足が床を押したかと思うともう次の足が床を押している。
「名前は」
「え、功永ヤナタ」
その言葉を聞きながら今先は視界の端に移るもう一人のクラスメートの姿を一瞬目を細めてそして足を直列に上げ軍隊式に止まる。
「やあ、アリス。今日は何との戦いを考えているのかい」
「今日はその男に邪魔されたので邪魔というものを想定して戦闘創造を行っている」
「それでは、よい戦闘を」
「よい戦闘を」
それからまた油断していたヤナタの腕が外れそうになるくらい唐突に手を引いて歩き、そうして椅子に座りリズムをせわしなく繰り返している女の子の席に近づいていく。そうすると凄い音。“enough to love of the world 夢に学んだ勇気のこと”それに続くようにリズムに合わせてなる音が突然鳴り響いてヤナタは目が白黒。ぱちぱち、きょろきょろ、ぱちぱちぱち。繋がれた手が話される。また体重移動でふらつくヤナタ。その目の前で女の子が足を叩きつけてまるでリズムに会おうとでもしているよう。
「瑠奈。ちょっといいか」
耳元でささやくようにそうつぶやく今先にようやく気づいたように体をのけぞらせた瑠奈という名の女の子は耳元に詰めていたYPNMのイヤーパットを外すとその足のゆれを治めて視線の先と何かを照合させる時間の後、今先の名前を口にした。
「え、ああ、洋介君ね、何。え、あの誰」
ヤナタはまた手をつかまれてそれから瑠奈と聞かされた女の子の前につかみ出される。ひっくり返ろうとする腕に「いたた」と痛みにもがきながらヤナタは自分が紹介されていることを知った。
「功永ヤナタ。なあ瑠奈、俺これからこいつと一緒に王さまのとこ行くけど、どう。一緒に行くか」
額を叩いて考え込む瑠奈はイヤーパッドを外したまま、チラッと後ろの席の形見透のことを見つめてそれから答える。
「透、誘っていい」
「ああ、構わない」
「それでそのヤナタは何をやっているの」
問われてからまた白黒。その後ようやく光が戻るヤナタの目。首をちょこんと傾けて見せるのだけど腕がひっくりかえって斜めであるのだから、瑠奈からみると頭を真っ直ぐしようとしているようにしか見えない。
「それを知りたい、と」
瑠奈は大きくうなずくと今先洋介、そう下の名は洋介だ、とともに歩き出しながらもう片方の耳を塞いでいた音楽空間構築機YPNMのイヤーパッドを外すと笑いながら浮き上がるように跳ねて歩く。
「新しいのが来たのね。私、御前崎瑠奈。そういえばヤナタはもう透とは挨拶したの」
弾むような瑠奈の問答。今先洋介の手がヤナタの腕を引っ張ってゆくのに今回は調子を合わせられた功永ヤナタ。視線の先で持ち上げた本をさらさらめくる形見透のことと今時分を引っ張る一人の男を見比べる。
「今先君を教えてくれたよ」
「そう。透のが私たちのところでは多分二番目くらいに難しいのだと思うよ。私。透は私のがそうだって言うけどね」
「何が」
「何ってヤナタが聞いたことでしょ」
聞いたこととそう口にされて順路を追う頭が少しばかり周回遅れになりそうになるヤナタは全くわけのわからないことを疑問符として口にしてしまう。
「僕が聞いたのって、今先君のこと」
「違う違う。まあ透に関して言えば全く関係ないってわけでもないけど、私が言ったのはこれから何をやるかってこと」
功永ヤナタの頭がようやくのことで回転を始める。自分が知りたかったことに思い至らされて今や遅しとヤナタの口が開かれたのだけれど、それより先に二人の会話が始まってしまい、その口はぱくぱくと金魚のように空気を食らう。
「やっほー。透。これから王さまのところに行くんだけど行かない」
「行かない」
「あ、そ。もうそろそろ透も新しいのがいると思って誘ったんだけど、まだ大丈夫なんだ。それなら今先君とヤナタと私で行くね」
「うー。あ、あれ、言われてみるともう新しいのを入れたほうがいいみたい。やっぱり私も行く。瑠奈」
「よーし、それじゃ行こう」
そうしてヤナタはその日のうちには創造課の何たるかも知らないままに天の川学園の受付を再び通りチナミに再開することになる。相変わらず今先洋介に手を引かれて歩む功永ヤナタに今先は説明口調で教えてくれる。ここがZ組みとY組みの分かれ目でそこから先は異なる性質の奴らがいるから最初のうちは入っちゃダメだ、とか、ここから見える大雲海のプールはいずれ行くべきだろうな、とか、それからこの校舎の揺らぎのありようを解明しようとしてはダメだ、とか。形見透と御前崎瑠奈はお互いに何かかみ合うようでかみ合ってない話を繰り返していて、やがてその種が尽きたのか、校舎の門を通るころになると手を引かれているヤナタと手を引く今先洋介のガクガクと揺れる繋がれた手の動きを少しだけ笑ってみたりもした。
「ね。あの子供じゃないからさ。別に手をつながなくても」
功永ヤナタも笑われていい気がするわけがない。引っ張ろうとする洋介にそう口を開いてそれから笑いながら言う洋介の言葉がグサリとヤナタの胸を刺した。
「だってヤナタはなんだか動きが遅いからさ」
「遅い、かな」
そうこうするうちに受付ののれんを潜った天の川学園初等部創造課Z―404の三人と新しく入った一人。チナミの美しいグラデーションがさざなみを打ってざわめいてそれからその口からソプラノの少し硬い声が漏れるのをヤナタは見るでなく、聞くでなく、それでいて何となく把握した。
「はい。天の川学園受付のチナミなの。用件と名前とレストリビュート番号を教えてね」
「用件は王さまのとこへ行くこと。名前は今先=F=洋介、御前崎瑠奈、形見透、それから功永ヤナタ。レストリビュート番号は初等部創造課Z―404」
チナミの髪があわ立つようにグラデーションの色の波を伝えて虹の橋が移動するさまを眺めているヤナタに見られている当人が気づくと声がかけられる。
「荷物のヤナタ。チナミのちょっとした忠告も無視して王さまのところで働くことにするのですか」
チナミの声が少しむくれたように髪の毛のグラデーションと同調するように泡立った。ヤナタがどう言ったらいいのか考えていると、その様子を見ていた今先洋介が笑いながらチナミに答える。
「いいや。違うよ、チナミ。ヤナタは俺たちと一緒に王さまのところに行って何をやるのかを決めるのさ。それにしても荷物とか、一体、何」
「MK星生新神運輸からの預かりモノですから。チナミ確かめたときにヤナタのことをそう聞きました」
今先洋介は先ほどの教室で陰鬱そうにしていたのが嘘のように笑い、それからチナミに向かってヤナタの腰の辺りをつかむ真似をしてまるで荷物のように扱っておいてヤナタが何かを言い出す前に口を開く。
「それでは確かに預かりました」
「よろしくお願いしますと、チナミは言っておきます」
微笑する二人の女性の前で功永ヤナタはむっとして歩き出す。そうしてのれんをくぐろうと大またで入り口に近づくと口にした。
「ほら、動く荷物だね。これで満足。この荷物は全く運ばれずに済む、かも」
と口にしてむくれてしまう功永ヤナタはずんずん先に進んで鉄格子の校門の近くまで歩んでゆく。のれんの中から現れた今先洋介と御前崎瑠奈が慌てて走り門に近づく功永ヤナタのワイシャツの背中をつかんで引き寄せる。引き寄せたのは御前崎瑠奈のほう。それから苦しそうにする功永ヤナタの目に映らないところでチナミのほうを指差しながら忠告を教えるとようやく首絞めシャツにかかっていた手を離す。
「チナミの認証が終わるまで門に近寄っちゃだめ。わからないかしら。私たち初等部は許可を取らないといけないの。奏禅宴神効退潮宮区に入れるわけもないのにどうして、あ、いや、わからないわよね。チナミの話しじゃ今日来たばっかなんだから」
ヤナタはしばらく体を前のめりに倒して大きく息を吸ったり吐いたりを繰り返していたのだけどやがてようやく目線を御前崎瑠奈に合わせると口にした。
「馬鹿力」
「馬鹿に言われたくない。そんなこという奴には私、何も教えてやんない」
御前崎瑠奈はそう口にすると舌を出して人差し指を左目の下に持ってゆくとベーってやってそっぽを向く。今先洋介は笑いながらのれんを潜り返してチナミと一言、二言会話してそれから形見透と話しながらもう一度のれんを潜り返す。
「いいけど。どうする。そろそろ門をくぐれるころなんだが」
形見透は口にしながらも今先洋介を気にするように眺めては左手につかむボールペンのようなものを縦に回転させたり横に振ったりを繰り返す。御前崎瑠奈は今先洋介と並ぶ形見透と功永ヤナタを見比べていたけれど、少し額を右手人差し指で叩くとコツコツという音とともに視線を安定させて、一歩の足を後方にずらして後ずさりしようとする功永ヤナタに手を差し出して口を開く。
「仲直りしましょう。どうやったところであなたは来たばかりの新米、私と喧嘩しようってわけじゃないんでしょ」
「それもそうだね」
功永ヤナタはそう言って手を握ったのだけど、少しだけその手が暖かくて、ほんのりとしていて、その日に触れられたチナミの手と比べていたヤナタは何故だか少しだけ目の前の女性に親近感を覚えたのだけど黙っておいた。その視線が自然と書院造の建物に掲げられているのれんの奥の受付に向かっていたことも黙っておいた。
「何、長々握ってるの」
「え、温かいなと思って」
「うわ、何言ってんだか」
そうこうしながらその4人は鉄格子の門を開いて順番にくぐったのだけれど、最後にくぐってみるヤナタがみんな消えることへ少し恐怖を感じながくぐってみると、驚いたこと。そこはもう巨大な宮殿区の前だったのだ。王さまの宮殿と周りの街区。ヤナタも幽―0号に運ばれるときに見たはずなのだけれど、その印象よりもとても大きいことに少しだけ物怖じした。
「さ、行こう。大雲海のプールや説明鳥の永劫森林、全方渇絶の園工砂漠には今日のところは用もないから。真っ直ぐいけばいい」
今先洋介はそういうとあの大またとまでは見えないけど素早い歩きで先に進み、整列している門番たちの中で最も綺麗な西洋鎧を着込んだ男性に向かって口を開いた。
「天の川学園のものだけど」
「かしこまりました」
20名の整列していた門番が門の前に並ぶと力の限りに押される門は微動だにしないようにも見えたのだけれど、その中央部が少しずれるような音をあげたかと思うとそこから徐々に大きな扉は開いてゆく。全長500メートルはあるんじゃないかなという高さと横幅は10メートル足らずの門が音を立てて開いてゆく。ぎいぃいぎぎぎぐぐぃぎいぃいぎぎぃぎぎぐ。開くのはようやくのことだ。ヤナタの感覚で丸々一分程度の後、門番は開き終えた扉の前に並列に立ち4人の通過を見守った。
「瑠奈、透、お前たち王さまに会うか」
「私、会うよ」
「私も」
「じゃ、俺はここで別れるから。この前行った街に用事が残っているんだ」
今先洋介、形見透、そして御前崎瑠奈の順に門内のぐちゃぐちゅに広がっては狭くなって蛇行したかと思うと直進する街路を歩みながら口を開いて最後にもう一度今先洋介がそう口にする。二人の女性はしばらく非難がましい目で今先のことを見ていたのだけど、やがて功永ヤナタの方に振り向くとそれぞれに口を開いた。
「まず私たちが王さまに会って用事を済ませるから、あなた、」
「あなたが王さまに会って適正を見てもらったら、私たち、」
二人はお互いの重なる言葉を聞いて笑う。それから、方向を変える今先洋介に手を振って、そうしてもう一度、功永ヤナタに振り向きながら歩く。と、街の風景が加速されてゆく。砂のように風景が流れていく。
「結局、これから王さまの前に出るんだし、そうすれば勝手に進むわ」
「それもそうだね、瑠奈」
風のように運ばれる3人の目に王宮が迫ってくる。きらびやかな王宮。全てがエメラルドによってできているわけじゃないけど、それは綺麗な形だ。だけど同時に柱石の底に文字の形の弾むものが敷き詰めてあったりして理解ができない形でもある。
「止まって下さい」
綺麗な顔だ。問題はその下にある。薄いベールと肌もあらわな姿をした何といえばいいのだろう。踊り子とでも言えばいいのだろうか、三人を止めたのはそんな姿の女性だった。
「こんにちは、ルル」
「あら瑠奈に透、そして、あら。この子は新顔なの」
「ええ、ヤナタ。功永ヤナタ」
ヤナタは御前崎瑠奈に押されて紹介されるように前に出るとルルと呼ばれた踊り子姿の女性に向かって頭を下げる。それからヤナタはそっと盗み見る。沙羅紗というものなのだろうか。ヤナタの目線が泳ぐ。すーい、すい。目線を浮かせても薄い羽衣を纏うど派手な格好がどうしても視界に入ってきて困惑する。
「瑠奈、今日の王さまは見ての通り、ほら、この衣装見てよ。ね。王さま、今日は専制君主スタイルなの。だからこの子の相手をしてくれるか私にはわからないわ」
「何とかなるでしょ。ね、透」
「でも、あの王さま、私苦手」
ルルはその踊り子衣装のまま跳ねるようにその場を退くと瑠奈、透、ヤナタの順に目線を移し、緩やかに髪をウェーブさせると、さらさらと落ち行く髪を滝のように滴らせながら話しかける。
「ようこそ。天の川学園の生徒たち。我が主、王さまに代わって歓迎の挨拶を述べさせていただきます」
ルルのすらりとした肩から伸びる手が王宮に向かって優雅に払われる。すると、その手からふわりと『鍵、キー、GDRO、開けゴマ』のどれとも読めるきらめく文字が浮かび上がって飛びはねると、交響曲のクライマックスのような音が立ち上がり、じゃんじゃじぃしゃんしゃしゃとぅとぅじゃん。と功永ヤナタたちの耳を打った。『天の登石、OPEN、大当たり』と様々に輝いた王宮の扉が開いてそこから子供が描いた絵のようなぎこちない手が伸びて、にょき、とヤナタたちを手招きする。
「じゃね、ルル。ありがと」
「どうも。ルル」
「あの、どうもすみません」
ルルは三様の挨拶に目を伏せたまま頭を下げて、それから王宮の中に向かって向き直りその姿勢のまま三人が扉をくぐるのを眺めていたのだけど、やがてその後引く背中が消えてなくなると彼女は一度だけ肩を鳴らして、宮殿前の入り口にコキリという音を響かせた。それからゆっくりと沙羅紗を揺らして立ち上がると次の来訪者を待ちわびた。
王宮の中である。天井では巨大な蛍がこうこうと明かりを照らし、玉虫がびっしりと並ぶ壁からはにょきにょき生えたきのこのようにみえる手が大きな羽扇子を手に往復運動をクランクシャフトのように繰り返している。わさわさぶーぶーふわふわ。
「全く」
瑠奈の長い髪が浮き上がって目に口に入り込む。透は頭を両手で抑えて髪が飛ばないようにし、ボールペンのようなものを胸ポケットにしまう。ヤナタはといえば最初こそ虫が飾りつける王宮に驚いていたが、やがて髪が吹かれるまま反復される大きな羽扇子の前で口をあけっぴろげにしてのうなり声。あー、あー。髪の毛をオールバックにしながらなぜか楽しそうだ。
「あの王さまの考えることは。毎回毎回。いい加減、理解が及ばないわ」
「そうかしら。容姿に合わせて見せるための悪戯の類だと思うわ」
瑠奈は髪の毛をまとめて後ろで留めながら透に向かって同意を求めるようにたずねかけ、透は片手で頭を片手でスカートを抑えながら同じように同意を求めるように反対の意見を述べた。二人はお互いにかみ合わない話とともに同意に反対の意見を求めながら、忌々しそうに風の悪戯を押さえつける。
「ところで王さまは、さ。どういう人なの」
ヤナタはきのこのような手が疲れをしらずに行う往復運動の端で手を伸ばしてみて、その直接式の動力が風を起こそうとするのを邪魔してみようと試みながら、風の流れの作用により少し吹き上がりかけてしまっている瑠奈の足元の方を一瞥するとそうたずねてみる。
「王さまがどういう人なのかとか。それはつまり王さまよ」
「そう。王さま」
ヤナタは二人の言葉にほほの辺りを二度、三度とかいてみてそれからうなりつつしばらくの間は考えていたのだが、やがて諦めたように首を振った。それから今までよりも大きな歩調で長い廊下を歩み、別れてしまう通路も、障子戸の扉も、飛行機タラップを模した扉も、『ご自由にお食べください』と書かれた白い粉の扉も、わき目を振らずというわけにもいかず一目見てそれから振り切るように瑠奈と透と並んで歩く。蛍火と玉虫色の廊下は移り始め、機械仕掛けの廊下、お菓子の廊下、草花が敷き詰められた廊下、そして四季を彩った廊下とうつろいゆく。彼らがどう通ったかというとこういう具合だ。機械仕掛けの廊下は御前崎瑠奈がイヤーパットと一緒に取り出した万能製作器具KNOCKという名のカッターで配線を繋ぎなおして、お菓子の廊下はチョコレートの沼に靴下を脱いで素足を黒く汚し、草花が敷き詰められた廊下は透が熱心にボールペンを鳴らす音に踊りだして通路が現れ、そして四季の部屋ではきつく錠が課せられている部屋の数々をよせばいいのに覗こうとするヤナタを二人が一発ずつ殴る、とこういう具合だ。
「そろそろよ」
「そうね」
「そうだと、いいね」
その口の根も乾かぬうちに噂もかくやのスピードで三人の前に一際輝く扉が迫り来る。もう驚き果てていたヤナタと最初から平然としたものである女性たち二人の眼前に向かい、光りを発しながら飴細工色の光沢を帯びる琥珀の扉は迫り来て、その硬質な反射光から見てピンクダイヤモンドと思わしき取手に彼ら三人の手を乗せる間もなくおのずから開きゆく。同時に響き渡ったのは機械的な放送音だ。『王さまのおなり』という感覚のまま続く宮内放送とともに扉の内に取り込まれた三人の前に現れたのは階段と薄いカーテンと小さな玉座に腰掛けている何者かの影があった。
「雨風に日もよきかな。何用か。旅人たちよ」
「で、どっちにする透」
「先にヤナタのこと聞いといたほうが後々楽だと思うの」
ぼそぼそと行われる相談の後、ヤナタ本人のあずかり知らないところでヤナタの処遇を検討する王さまの前の御前会議が行われることとの決定がなされたのだが、そのことがあのような問題を引き起こそうとはこのときの会議出席者の誰にもわかるはずがなかったのであった。さて、王さまと向き合う間、透と瑠奈はそういう感覚で進むことを承知していたがここに承知していないものが一人いた。
「あの天の川学園の創造課において何をなすべきか承ろうと思いまして」
「何、創造課と。ところで創造課に属しておりながらそのような創造性もない質問をなすお主は何者かな」
「功永ヤナタです」
「うむ。かの有名な功永ヤナタとはお主のことであったか。さも、あらん。さも、あらん。ところで御前崎瑠奈に形見透よ」
鷹揚にうなずく影はその細長く伸びる頭の部分をヤナタから御前崎瑠奈、そして形見透に向け傲慢な手つきで招き寄せるように右手の親指以外の指を折り曲げておいでの形をつくる。
「はいはい、何なの。王さま」
「何か、王さま」
「功永ヤナタと我が会うのは何度目かな」
「初めてよ。今日が始めて」
「何とそのようなことはあるまい。御前崎瑠奈よ、お主余を愚弄するか。まあよい形見透よ、我と功永ヤナタが会うのは何度目かな」
傲慢な影は瑠奈の返事に驚いてそれから自身の判断の絶対性が破れたことに納得がいかない様子で玉座のひじ掛にひじを乗せ、ほお杖をすると、その握り締めた手をぐーと握り締める音とともに透に向かって詰問の鋭くも柔らかい声音を投げかけた。
「私の記憶でも始めてかと」
「何と形見透よ。御前崎瑠奈よ。そのようなことがあるはずがないではないか。余が会ったことのないものが、なぜ今余の面前におることができるというのか」
驚愕のまま金属がさざなみの音を立てるとカーテンが開いて、飛び出した影はそのまま足音も高らかにツカツカと叩きつけられる踵の悲鳴を響かせると、玉座と三人との間に横たわっていた43段の階段をときには一足飛びのこともあればときには一段ずつのときもある不規則な動きで飛び越した。影から飛び出したのはマントを羽織りティアラを頭に載せた小さな少年だった。少年はヤナタの元に一直線に向かうと瑠奈と透の二人に向かって顔を振ってそれから聞いた。
「このものと余が会うのは本当に一度目かな。御前崎瑠奈、形見透よ」
『さように心得ます、陛下』
二人は同音の言葉をそれぞれソプラノとアルトで輪唱させると優雅に王さまに向かって腕を大きく振り上げると酌礼する。そうするとティアラを頂きマントに包まれた小さな少年はぎこちなくうなずき、
「そうか」
そう一言だけつぶやいた。それからショートカットの髪に乗せられたティアラを直すとヤナタを見上げて睨みつける。
「汝、我に会うのが始めてかな」
「さように心得ます、陛下」
ヤナタが二人の真似をして酌礼するのを見上げる小さな王さまは、瑠奈と透の二人を視界に収めながら包まれたマントの表裏を何度も交代させる。憂鬱そうに一言のため息をつきそれから肩を落とすと瑠奈に向かって声をかける。
「このものが何をすべきか。それはこのものが知っておる。我は最後の経済都市エコノスロロニーニか幻想技術都市FINAGSTに向かうことを勧めるであろう。あの両地に置かれたNEAR予知システムを用いるとよいであろうと我は考えている」
それからヤナタを見上げた小さな王さまは瑠奈に平手を突き出して待ての合図をすると再び43段の階段を今度は一瞬のうちに登り切り、それから待ちわびる女性に向かって問いかける。
「それで御前崎瑠奈よ。お主は、あのものを見つけ出したかな」
「まだよ、王さま」
「それではまたあのもののオブジェクトを漁りに来たのだな」
「ええ」
「よろしい。それで形見透。お主はこの宮殿そのものである我がコレクションの鑑賞に参ったのであろう。その様子だと最も大切な目当てにはすでに逃げられた後のようだが」
玉座に体を沈める小さな王さまは御前崎瑠奈の返事にうなずき、形見透に向かっても笑いながらうなずきかけたのだが、思い直したようにほほを歪めると、だみ声を作り意地悪く一言付け足した。
「その様子では王さまは行き先をご存知のようですが」
「いや、知らぬ。だが、気になるのなら功永ヤナタとともに行くとよい。向かう先で会うかもしれぬし、会えぬかもしれぬ」
そこまで口にすると王さまは少し退屈そうに背中を深く玉座に預けると足を伸ばして椅子に背中で腰掛ける。
「うむ。専制君主役は疲れる。次は暴君にしよう」
「それがいいんじゃない。王さま。それじゃ、私、借りるから案内してよ」
「それでは私はしばらくこの宮殿のコレクションを眺めさせていただき、その後、ヤナタが迷う、などということがないよう後から向かおうと思います」
「そうか。では手を貸せ、御前崎瑠奈。起き上がれぬ」
瑠奈と透の言葉にうなずいた小さな王さまは手を伸ばして階段をリズムよく登りきった瑠奈の手を取り立ち上がると、それからヤナタに向かって投げたのだが、見るのは二回目であるヤナタにとってそれは相変わらず不思議なものだった。文字がゆらゆら浮いてヤナタに近づいてくると思うと、『物、SK、にゆこむのさ』という具合に形を変える。
「功永ヤナタよ、行くがよい。結ばれた街々をめぐるがよい。その我が与えしものをつかむといい。最初の行き先は経済惑星エコノスロロニーニに設定してある。後は導きとともにあるだろう。では旅人よ、よい旅を」
小さな王さまの声を最後に功永ヤナタは輝く文字とともに彼方へと消えてしまい、そうして瑠奈と透を導く王さまは専制君主らしく気ままにそれでいて優雅に大きなひとつのあくびをくれた。