信用の創造と矛盾した残り物の詰め合わせ
今先洋介は自らの腕を押さえながら乱舞とともに現れては消えてゆく眺めを、自らが作り出したものを、憂鬱そうな微笑とともに視界にとらえたままひざをついていた。回転する流れと繰り返される列塊と色の変貌に向かって洋介は憂鬱そうに笑って思い切りその在りようを吸い込んで独り叫び声を上げた。その口元は裂けるように広がり、その瞳は全てのものを睨みつけるように鋭く見据えられていた。
「俺は、確かに、ふ、は、確かに、そうだとも」
叫びながら立ち上がった今先洋介は狂ったように幻実なる文字たちと色たちとが織り成すたまゆらのダンスに向かって口を開いて流れるままに打ち寄せるままに打たれ続けた。時折、黄金のごぼうを無造作に振り払っては蠢くものたちを切り裂き、その悪戯な奸敵にきらめく残滓を与えては、皮相な笑みを浮かべて憂鬱そうに笑っていた。
御前崎瑠奈はカッターでもって文字たちを、色たちを、幻像たちを、切り裂いては異なる意味を与えていた。徐々に蠢くものたちを侵食してゆく。きれいな円形のものが細長い線となり、薄くきらめいていた線形を形作っていたものたちが浮き上がって大きな波のように蠢き始める。瑠奈は耳元でささやくように流れてゆく音曲のリズムに身を任せて、染み込むように溶け出してくる蠢きたちが奏でる哀愁の賛歌と、起草の晩歌を、東風で聞き流す。踊りだすようにある悲しみとともに詠われるように現れては消えていく、リズムの泡を切り裂いては変遷させてゆく。
「洋介。いいもの創っちゃってんじゃん。ちょっと惜しいかも。でも、さ」
瑠奈はそう呟きながら周囲を漂って絡み付いてくるぐちゃぐちゃとした粘液のイメージに向かってカッターを突きつける。破裂音とともに熱気に包まれる。空き空きとして晴れ渡る空間を蠢くものたちが埋めようとする中、瑠奈はその足もとを押し上げると駆け出してゆく。
形見透は蠢くものたちに囲まれて憂鬱に笑う今先洋介のことを、鋭く見上げるような、それでいてひどく落ち込んだ視線で見つめていた。ひらめく瞳が幾度と無く揺れ静かな雫をこぼしていた。胸ポケットに残されたものをつかむ腕と、そのつかむ腕をつかむもう一本の腕。雫が落下してその腕を湿らせた。
「今先君。どうしてなの。私、」
形見透は迷いとともにあった。胸ポケットをつかむ腕が硬く握り締められて、ボールペンと並べるように立てかけてあった眼鏡が傾いて揺れた。
アリス=ディアナは沈黙の歩みとともに周囲に漂う幻像たちを付き従えると功永ヤナタとホノカの側へと到達していた。ヤナタの瞳が見つめる先にある瞬く光を眺めながら口を開いた。
「愚かな。御前崎瑠奈と形見透を救わねばならぬと言うのに」
ヤナタは振り向くとその言葉の主を遠くに見ていた。アリスはトータルネックで温かそうにあごを覆いながら、迷彩服のズボンをチョコチョコ持ち上げて歩み来る。奇妙な色にまとわり付かれてある一色の色へと覆われつつあった。
「機械人形を相手に自分の望みどおりの姿を押し付け、強力行為をなしたとて何に成るというのだ。功永ヤナタ。闘争は相手がいなければ楽しみも半減だろうが」
「アリス。戦闘を創造するためにはここではきっとその姿にならないと駄目なんだね」
チョコチョコとその小さくなってしまった手足を動かして歩み続けるアリス=ディアナを見つめながら功永ヤナタはそう口にしてため息を吐いた。ヤナタは子供のように小さくなってしまったアリスを見た。ずり落ちそうになる迷彩ズボンを引き立てながらすり足すり足で近づく姿を一瞥したヤナタはホノカに向かって声を上げた。
「ねえ、ホノカ。ホノカの置かれた状況をさ、僕は思うんだ。この状況はさ、きっとNH未認証系と言われる香奈元覆返が創造した一体のアンドロイドのありようと同じなんじゃないかって。ハツルと彼の探求と同じじゃないかって。もし、そうだとしたら同じ結末は二ついらないだろう」
「同じ結末でしょうか」
「愚かな。全く愚かだ」
小さく瞬くものはヤナタの手から解き放たれたものは、ホノカの手の中にきれいなほどに納まってしまう。ホノカは光に魅入られたようにそっとその瞬きを両手ですくった。碇があった。アリス=ディアナはその小さく縮んでしまった体から発音がつまろうとする声を搾り出すとヤナタに向かって怒りの表情を向けていた。
「功永ヤナタよ。貴様は私を嫌なやつだと非難した。だが、貴様こそが嫌なやつだろう。機械人形に対してあたかも意志による選択が可能であるように見せかけてみせる。貴様は、貴様は、ナイフを無意識につかんでしまうような男だ。無策極まりない。機械人形には真の選択が与えられなければならぬ。それが、」
「アリス。ホノカは中心に置かれているよ。今先君が何を考えてこういう風にしたのかはちょっと分からないけどね。無限に変化する係数への停止役を欲しただけなのかもしれないし、形見さんへの何かのメッセージがあったのかもしれない。ちょっと分からないかな。でも、アリス。これは、ホノカが選ぶんじゃない。違うんだ。だって、ホノカを所有していることになっているんだから、そんなことをしたら強制と同じだからね」
功永ヤナタはホノカの姿を見つめながらどこか遠くを見るように、一連の流れを見下ろすように口にした。ヤナタはアリスのつまずきつつある声を遠くに聞いていた。黒蝶を飲み込み、赤黒いゼリー状の物体が体の中へとしみこんでくる。何かに侵されていくのが感じられた。アリスは周囲を飛び交う情報の群れであり実体を待つものたちを吸い続けながらもなお小さくなってしまうと、ずり落ちてしまった迷彩ズボンを引き上げることもせずに歩き続けた。ホノカに向かって、掴み取られたまたたきに向かって歩きながら、ホノカの奥を見つめる功永ヤナタに声を上げる。
「功永ヤナタ。そこまで分かっているのにゃら、その機械人形に与えていりゅもにょを奪い取りゅのだ。全てを与えりゅにゃ。そりぇは今じゃにゃい。機械人形としてあつかうにょだ。そうすればバランスが、取りぇりゅだろう。聞け。今先洋介の誤算もしょこにありゅと私はこの愚かしい蠢きどもに、にゃ、ささやかれていりゅ。どうだ。お前もささやかりぇていりゅはじゅだ。従うにゃ。従うゆえに、」
「アリス。君はやっぱり嫌なやつだね」
「そうだりょうか」
「そうだよ。だって、考えてみたらいいのさ。そうしてみたい誘惑に駆られていないわけがないんだから」
ホノカがその腕に綺麗なまたたきを抱いたまま、視線を移して功永ヤナタのことを眺めていることを小さくなってしまったアリス=ディアナは知っていたし、その口から発されていくなまじっかな言葉はどちらかといえばヤナタではなく彼女の言うところの機械人形に向けてのものだった。アリスは歩くことに飽くことも無く進み続けた。
「機械人形。お前はどうだ。お前は人を助けにゃければにゃらにゃいはじゅだ。功永ヤナタに受け取ったもにょとお前に与えらりぇていたもにょを返すにょだ」
「ホノカは何かを返すのですか」
ホノカは抱きかかえているまたたきのことを眺めた後、視線を移し、そのままヤナタのことを見つめ続けた。ヤナタはもう立っていることにも疲れきったようだった。あえぐような息を漏らしながら両手をかき分けるように差し出して、そのまま座り込んで口を大きく開いて遠くを見つめていた。ホノカは立ち上がった。
御前崎瑠奈はヤナタと小さくなってしまったアリスとそれからホノカのことを視線に収めていた。最後の一つ幕の奇妙な重性の壁に遮られてそのまま立ち往生となっていた。奇妙な障壁性に阻まれたまま、瑠奈はヤナタが何かに流されることへ逆らうように喘ぐ姿を見つめていた。細くくびれた腕を差し伸ばすと彼我を別っている重々しい障壁に向かって何度と無くカッターを突き立てる。あるいは空いた手を持って、その流れ行く足もとを蹴り上げて、立ち向う。
今先洋介は憂鬱な笑みとともに漂うものたちに支配されてしまおうとしていた。その憂鬱な笑みにヒビが入ろうとするとき、必死の抵抗があった。塗り替えて、塗り替えて、塗り替える。吸い込んだ異形のものを、漂うものたちを、きれいな煙にして吐き出していく洋介は憂鬱そうな表情で、時折、ごぼうを振り回していた。
形見透は最後まで震えていた。何かを恐れるかのように胸に収めたボールペンをつかんでいる腕を震わせて今先洋介の奇妙な闘争を眺めていた。何度も口を開きかけて、つかみ取っている腕を震わせて、足元を見下ろして。
ホノカが近づいたのはヤナタであった。そのまま近づいてゆくと功永ヤナタに向かって声をかける。
「ホノカは何を返せばいいでしょう」
功永ヤナタは苦しそうに腕を伸ばした。空気をかき分けて何かを探るように、何かをつかむように、腕をかき回した。首が振られるような、あるいはうなずかれるような。ヤナタはおぼれていた。押し寄せてくるものに。極めて強力な何かにおぼれそうになっていた。ひょっとすればヤナタには実際の水が見えていたのかもしれない。ヤナタはただかき分けようとして何かにつかまろうとしていた。
「機械人形。役割を、いたっ、いぃい、うぅうう、果たすにょだ。中核から動けたにょにゃら、そにょあとに行うべきも、わかっていりゅはじゅだ」
アリスは踏みつけた迷彩服に足を取られて額をぶつけた後、一度しゃくりあげてから顔をあげるとそう言った。ヤナタは仰向けにあえぐように開いていた口を静かに閉じると首を振った。ぱくぱくと何かを取り出そうとするように口があえぐ。
「いけ、ない」
「ホノカは役割を果たすべきでしょうか」
「おぼれる、のは。だから、必要ない、よ」
ホノカはそう言うと、かがみこんで、うつろう瞳で漂うヤナタと同じ目線まで視線を落とした。それから抱き寄せる光を体内に取り込んだ。視線を見上げて足蹴でもって奇妙な壁を砕こうとする瑠奈を見つめる。
「ホノカは知っているのです。ここを壊してしまうと洋介がどうなるのかを」
「私も、知っていりゅ。だから、返せと言っていりゅ。他に方法はありゅまい。功永ヤナタから受け取った力を返すにょだ。やつから受け取った力はひょっとすりぇば」
アリス=ディアナはそう言うとホノカの視線の先で格闘する御前崎瑠奈のことを眺め見た。足蹴にして、横なぎにカッターを振り回して、ヘッドバットに、腕の打突。なのに、どれも駄目なのだ。瑠奈は叫んだ。瑠奈は奇妙な壁に額を擦り付けて叫びながら腕を押し付けて叩き続けた。
「しょうか。お前にょイメージが中核にありゅのだにゃ。貴様、瑠奈とともにオブジェクトを探索したにょだにゃ。そうだにゃ。お前の稼動期間は功永ヤナタによってもたらされていりゅ。そうにゃのか。そにょ過半を占めりゅようにゃ出来事が、ここで何度も再構築さりぇていりゅとしたりゃ。しょうか。今先洋介が創造しようとしたにょは」
「小さな女の子。あなたは先ほどから何と戦っているのですか。ホノカには理解できません」
ホノカは滑りこけたまま持ち上げられた顔の上で上唇を噛締めておでこをさすっているアリスに向かってそう口にするとヤナタの腕をつかんだ。
「ヤナタ。ホノカは洋介と透の言い争いを聞きました。ここが消えてしまえば洋介は大変なことになるのだから危険すぎる。そんなことには協力できない。そう透は口にしていました」
瑠奈の腕がヤナタたちと自身を別っていたものを揺らす。大きく揺らす。カッターが振られて爆音が響いて大きく揺れた。
「ホノカは小さな王さまに言われていたことを覚えています。ここでは人として振舞われよと。あの小さな王さまは他にも色々と口にされました。ヤナタがおびえるイメージのこともホノカは今、受け取りました。ヤナタ。ヤナタがあのときに言ったことが少しだけわかる気がします。休息モードが有用なときもあるのです。きっとヤナタは今、少し休むときなのです」
ホノカはそう口にすると功永ヤナタの額に向かってそっと手を乗せた。その短い頭髪を掻き分けてヤナタの視界をさえぎると断ち切って閉じさせた。ヤナタは奇妙なうめき声を上げていたが、やがて沈黙とともに動作を続けることをやめた。
「人を傷つけることになります。ホノカ、きっと廃棄処分ですね」
静かな輝きとともに文字たちの、色たちの、幻像たちの、乱舞は消えた。ホノカを中心に置いた今先洋介のうつろな試みは途切れてしまった。黒点が覆って全てを覆いつくすとヤナタたちは、全ては、締め出されて開放された。奇妙な文字たちは、色を駆って、幻像を用いて、教室内を覆いつくしていた。うんかのごとくとはかくのごとしかな。そんな感覚である。冬のプールのような感覚。水面に浮き上がる種々の藻のように漂っては光をさえぎってしまう。蠢くものたちは、鏡を見つめていたシワル=シヨハを、ノートを取り続けていたバカバットを飲み込もうとしていた。教室内を飛び回って、駆け回って、ワー、ワー、と。蠢くものたちは各々の領分に応じて戦い合っては、協力し、競い合っては、馴れ合ってゆく。黒板の中から転がり落ちると真っ先に動いたのは御前崎瑠奈だった。功永ヤナタに近づくと静かな微笑みとともにあるチナミの胸倉をつかみ上げる。持ち上げられた先にある動じない表情を眉と鋭く射すえる瞳で締め上げながら口を開く。
「ホノカ。あんた、どうして解放した。止めるべきだったのに。あんた、どうする気。それに、どうした。ヤナタを、どうした」
「今先洋介の最終制御は内部性によって規定されつつありました。ホノカは一つの統合性を優先して規定を受け入れるしかありませんでした。残りのものたちが暴れているのです。ヤナタは、ヤナタの恐怖は、小さなもの、です」
「何言ってるのかわかんないのよ。あんた」
瑠奈はそう口にすると、ホノカのことを睨み、ヤナタのことを一泊の空白とともに見下ろした後、一声呟いて走り出す。形見透がぽろぽろと零れ落ちてゆく目で見つめる先にある今先洋介に近づくと声を出す。
「洋介。洋介。どうなっちゃうの。どうすればいい。あんなもんがばら撒かれちゃったらどうなる。洋介。答えろ」
「瑠奈。瑠奈か。俺は、俺は、駄目だ。甘えすぎた。キウノが口にした通りだ。中核領域が確固として、周辺が拡散していく一方だ。周辺に至るときは長い、あまりに長い。何も無い。長すぎる」
今先洋介はその周囲にすさまじい圧縮度で異形の蠢きを漂わせていた。答えとともに、その手に握っていた黄金のごぼうを取り落として、憂鬱そうな笑みを情けなく歪ませた。眉を落とし、泣き出しそうなくらいに瞳をプルプルと震えさせた。洋介の口元から歯と歯が噛み合わされる音が響く。
「いいから。洋介、どうにかして。透、ねえ、透、透も見てないで手伝ってよ」
今先洋介の顔が取り巻かれているものの中で苦く歪む。
「やめろ。瑠奈。透を関わらせるな」
その言葉をいい終わるとき。今先洋介の表情はどこか皮相で憂鬱な笑みへと戻っていた。ぐちゃぐちゃと、ねちょねちょと、さらさらと、しずしずと、まとわり付く黒塊たちに覆われながら、今先洋介はのろのろと立ち上がった。
「今先洋介。なじぇだ。功永ヤナタによって機械人形におけりゅバリャンスは取りぇたはじゅだ。なじぇ、この侵食は終わりゃない」
アリスはヨチヨチと歩みながらその小さな体を持ち上げて、後背に追うている銃を掛け声とともに構え上げた。バランスを取りながらよろめいてそのままに歩み行く。
シワル=シヨハは椅子に座って小さなコードとディスプレイをいじっていたのだが、周りで蠢く黒塊がうっとおしくなったのか手を払うと、ちょこんと持ち上げた鏡越しに状況を見つめることにしたようだ。やがて鏡は光をとらえて、はじき出し、小さな姿になってしまって、ももの辺りまであるトータルネックに身を包むアリス=ディアナを照らし出した。シワル=シヨハはそのまま首をかしげてたずねてみる。
「ほぁ、アリス。どうしたんだよ。ちっちゃくなっちゃったんだね」
「うみゅ。より純な戦闘創造を求めたにょでな」
よたよたと銃を持ち上げるアリス=ディアナの姿は危険極まりないものだった。その銃口がまるでどこに向けられるかわからないのだ。本人でさえ銃弾の行方も、反動の行方も、起こりうる事態さえわかりはしないだろう。
御前崎瑠奈は功永ヤナタの側に近づくと置いてあった額の手を払いのけた。ホノカのことを鋭く睨んだ後、ヤナタの座り込んだまま垂らされている頭をガクガクと揺らす。払われた手を表裏と三度回転させて見つめたホノカは、立ち上がってヤナタと瑠奈のことを眺め悲しそうに口元を動かした。
「瑠奈。ホノカは何を返したらいいのでしょう。人のように振舞うことは難しい」
「あんた、そんなこともわからないの。いい。誰だって、誰だって難しいのよ」
瑠奈はホノカのことを一瞬の間見上げてそう言った。瑠奈は透とヤナタを見比べながらヤナタの肩をゆすぶり続けた。強く、強く。
「ヤナタ、起きろ。早く起きないと、私が、今度は私が、違う、今度も私が、そうだ。あんなのってないんだよ。卑怯だ。私が、私が支配するんだ。完全に不意打ちだったからさ。だから、だから、」
功永ヤナタは凪ぐように揺られている感覚を受けていたのだと思われる。功永ヤナタは夢を見ていたのだ。ある昼下がりの海の夢を。さらさらと押しては返す真砂の音を。揺籃として永劫に繰り返されるべき昼下がりの浜辺のイメージを。海中をさまよって。ちこちこと水中を歩む蟹たちと、ふむふむとゆうらうヒトデと海草たちと、ぴょぴょとしてすらりと近づいては泳ぎ去る魚たち。それからぱやぱやと水面をなでてゆく巨大で平らな足たち。功永ヤナタは気泡を吐き出すこともできずにある制止した風景を眺めていたのだと思われる。思われると、そう言わねばならぬことは非常に残念だ。なぜなら、ここまで、なるべくのものとして知りうべきもののみで功永ヤナタたちについて描いてきたのだから。功永ヤナタが実際にはどのようなものを見ていたのかはわからないとしか言いようが無い。だが、水と彼のものが視認した幻像から言って明らかではあると感じられないだろうか。どうだろうか。否定しえない事実が一つある。功永ヤナタが御前崎瑠奈につかまれた肩の先で揺らされている場所からこういった言葉を口にしたことは事実なのだから。
「もう、泳げないよ…」
「泳ぐ、泳ぐって何のことよ。ヤナタ。いいから起きろ」
功永ヤナタは御前崎瑠奈によって47回頭を振られて、23往復のうなずき運動を繰り返した。揺らされた最後の1回で御前崎瑠奈のきれいに裂きわたったカッターブラウスの隙間からそのすらりとした腹部が覗いている光景が、ヤナタが意識の覚醒とともに見たものだった。そのままぱちぱちと瞳をしばたく。
「よし。いいな。よし。ヤナタ。見えてるよね。よかった。で、さ、あの」
御前崎瑠奈は感情表現を思い切りに現して抱きついてしまうと、瞳を大きく見開いて眼前にあるどこか遠くを見ている二つの二重まぶたと薄い唇が視線をさえぎってしまう姿に、あわてたように口ごもった。瑠奈は突き放すように離してしまうとホノカのことをキリリと見上げて深刻そうな振りをする。
「あれ、ホノカ。違う、瑠奈。ホノカ、瑠奈。あ、そうだ。御前崎さん。ねえ、どうなったの」
「そうなのよ。そう。それそれ。それなの。ヤナタ。え、そう。あんたホノカと一緒に透をどうにかして。私は洋介に止められたからさ。ちょっとね。あんたさ、そういうの得意でしょ。私は、その」
瑠奈はヤナタに向かって周囲を見回すように首を回してみせると立ち上がって蠢くものたちの塊を睨み、形見透、次いで今にも黒き蠢きにおぼれてしまいそうな今先洋介を睨みつける。
「ほんとに、もう。あいつらが厄介なんだから。ほら立て、ヤナタ。いくわよ」
今先洋介に憂鬱な笑みを浮かべたまま、周囲を蠢く文字列と色々におぼれそうになりながらも歩み行く。歩みながら今先洋介は大きく腕を振り回し、飛び回っているものたちを一時に腕の中の星の紋章に収めてゆく。
「キウノ=象=ハイエログリフ。俺は、確かに、そうだ。だが、見てみろ。どうだ。そうだとして収穫はあまりに少ない。キウノ。そうなのか。あんたも、そうだったのか。なあ、どうなのかな」
独り呟く洋介は千々に散り行こうとする異形のものたちを歩みとともに行く先々で取り込むと机に向かってうつむいたままのバカバットに向かって声をかけた。
「やあ、バカバット。バカバット。まただ。いいよな。バカバットはそうやって手元と頭の中にあるものだけいじってればいいんだから」
「お前もそうすればいい」
「無理だね」
「無理だな」
バガバットは見向きもしない。今先洋介のことも、蠢くものたちのことも。バカバットは洋介との会話の間もノートに記し続けてゆくことをやめようとはしなかった。筆記具が滑る音がススとして響いてゆく。
功永ヤナタとホノカは御前崎瑠奈が切り裂く蠢きたちの間を抜けて凍ったように胸を押さえて泣きじゃくっている形見透へ向かって近づいていた。形見透は繰言ともにそのぽろぽろと零れ落ちてゆくものを吸い戻そうと、少しでも止めようと上唇を一生懸命噛締めていた。
「形見さん。どうしたのさ」
功永ヤナタは形見透から三メートルほど手前の地点でそう声をかけて透の注意を引き戻そうと試みたのだが、どうも、うまくいきそうにも無かった。ヤナタはうつむき続ける透に近づきながら自身の手を何度と無く不思議そうに眺めているホノカと向かい合う。
「ホノカ。今先君と形見さん、一体、何を喧嘩したの」
「喧嘩なのでしょうか。ホノカにはわかりません」
「ヤナタ。あんた、喧嘩のわけないでしょ」
ホノカは手の平を返しながら疑問符を浮かべ、瑠奈は少しイラついたように声を上げた。ヤナタはうなずくと促すようにホノカを見る。ホノカは透の脱力したように閉ざされた聴覚を刺激しないように穏やかに声を上げた。
「ホノカは、聞きました。そして知っています。洋介の望みは証明することでした。ホノカは連れて行かれた黒板の中で透が洋介をののしる姿を見ました。馬鹿、今先君の馬鹿、と。透がそう声を上げるのをホノカは聞きました」
「うん。ホノカ。とにかく、さ、形見さん。形見さん。形見さーん」
「聞こえてる」
功永ヤナタは形見透の耳元で声を張り上げて三度叫ぶ。三度目で透は噛締めていた唇を離し静かな声を上げた。
「今先君、どうなるかわかる」
「知ってる。今先君が本来制御させるつもりだったものはもう無くなっちゃったから。今先君、後は失敗と一緒に消えちゃうんだ」
まるで他人事のようにそう言って形見透はその視線の先で蠢く異形を吸い尽くそうとしている今先洋介のことを眺めていた。胸元で結ばれている腕が強く、強く、握り締められた。立てかけられていた眼鏡が揺れる。耳に残る音が立った。ヤナタは瑠奈に振り向くとその短い髪の毛を引っ張り上げて、かき回した。瑠奈の表情がみるみる内に曇っていくのをヤナタは始めて見た。
「どうして」
「洋介のやつ、そこまで」
「どうして」
「ヤナタ。洋介が創造した世界は確かにあった。洋介は」
「どうして。よくわからないよ。御前崎さん。ぱっと見だけど今先君は成功した。成功したじゃないか。ホノカは無事で制御された。そうなのに」
「そう、かもね。でも」
瑠奈は首を振った。透はただその視界の先の人物を、歩み、黒塊を集めて回る今先洋介の姿を眺めていた。ヤナタは沈黙した。そうして、透に向かってそのひっくり返しては眺めていた手を差し出し、水跡をそっとたどるようにしてふき取ってゆく、N型アンドロイドのホノカを静かに見つめていた。
「透。透はホノカと名づけてくれました。ホノカは透を背負いました。そのときはわかりませんでした。でも、今はわかります。手は暖かいものです。透は暖かい。だからホノカは、透の力になりたい。そういう気持ちです。透もきっとそう言う気持ちのはずです」
「知ってるわ。そんなの知ってるに決まってるじゃない。でもどうしようもないんだもん。どうしようもないじゃない」
ホノカはさらさらと伝わるもので手の甲を濡らしながら微笑むとアンドロイドらしい、あるいはアンドロイド役としての領分の限界に近い言葉を口にした。
「ほら、ホノカは感じます。透は暖かい」
功永ヤナタは短い髪の毛をかきむしりながら、御前崎瑠奈はほほの辺りをつねってみながら、N型アンドロイドのホノカとその名付け主である形見透ことを眺めていた。ヤナタはホノカの透の目元に掲げられていた腕をつかみ、ホノカの言葉にまたたいてくるくると目を回している透の腕をつかみ、それからほほの辺りをつねったまま唸るようにしていた瑠奈に向かって引き具した腕を引き出した。
「形見さん、今先君の力になるってことでしょ。なら行かなきゃ。行って最後まで言ってしまわなきゃ」
ヤナタはそう言うと蠢く塊を吐き出して、それから、薄くなってしまった、それをもう一度飲み込んだ。見上げる。教室内に漂う蠢きたちは増殖の速度を、その頻度を弱めつつあった。全てを今先洋介が飲み込みつつあったから。
「こうやってね。消え行くのかな。あのさ、御前崎さん。吸い込んだときに分かっていたんだ、本当は。でも、今気づいたよ。今先君は、この、こっちのほうが目的だったんじゃないかってちょっとそう思うんだ。変かな」
「馬鹿。何言ってんの。ヤナタ。そんなわけ無いじゃん。洋介はあんたなんかと違って真面目に創造してるわよ。ま、その結果がこれだけど。透のことも放っちゃって、あいつ何考えてんだか。ね、透」
「瑠奈。違うと思う。私もそんな気がしてたんだ」
形見透は震えていた腕を強く握り締めた。胸ポケットのボールペンを掴み取る。透はボールペンで手の内で円を描くとそのまま自身の足を動かして歩みだす。その歩む先にある今先洋介はその積荷を増して追いたてられるように教室を漂う蠢くひとつかみの綺語たちを腕に向かって吸い込むと教室内を眺めながら歩く遊覧行の最中だった。あるいは単直に言ってしまえば掃除機であり、実際にも後片付けと言えるようなものだった。教室内に浮遊するものたちはその姿を消しつつあった。形見透は寄る辺もなく漂って消え行く蠢きたちを動かしてゆくボールペンの先にある輝きによって塗り替えて、その鋭い瞳に焼き付けて歩んでゆく。蠢くものたちを鑑みて、睨みつけ、走り出す。囲まれて埋もれてしまいそうな今先洋介に向かって。
「今先君。待って」
「透、俺に構うなって言わなかったか」
今先洋介は振り向いて黒塊に飲み込まれた半身の奇怪に黒ずんだ姿を影の奥から振り向かせると口を開いた。
「駄目。だってまだ」
「透。会いに来ればいいのさ。だってお前は、そうだろう」
「まだだから」
「透」
「だったら、」
功永ヤナタは御前崎瑠奈とホノカとともに静やかに近づくと形見透の背中と消え行く今先洋介の姿を眺めていた。ホノカは少し震えるように体を揺り動かすと、ヤナタに向かって口を開いた。
「ホノカはやはり傷つけてしまったのでしょうか」
「そうだね」
「何言ってんの、ヤナタ。そんなわけ無いじゃない」
「ホノカにできることはあるでしょうか」
御前崎瑠奈と功永ヤナタは押し黙った。三人は押し黙って静かなときを過ごした。今先洋介と形見透との静かなときを沈黙とともに過ごした。
「闘争は何とありゅべきなにょだりょうか。銃口はどこに向けりゃれりゅべきなにょだろうか」
「ふぁ、アリス。洋介を撃つといいと思うよ」
シワル=シヨハの両腕の中でだっこされるように持ち上げられているアリス=ディアナは、銃を両腕で持ち上げたままその銃口を覗き込んでいた。
「洋介を、だと」
「だって、だって、今の洋介には」
「洋介は撃てにゃい」
「ふぇ、どうして」
「撃ちゅ意味がにゃい」
アリス=ディアナはそう言うと銃口を覗き込んでいたつぶらな瞳を持ち上げた。話題に登った張本人である今先洋介と形見透のことを見つめた。
「それでも撃つべきだと思うな。私。私、正しいこと言ってるよ。アリス。でもね、でもね、そうするとバッドエンドが回避できなくて、だから、私、あれれ」
「しょうか」
「そうよ」
アリス=ディアナはシワル=シヨハの腕の中で一度だけ不器用に銃を構えた。今先洋介の姿を銃口から伸びる平行線の交点につかまえた後は、空白の時間をシワル=シヨハとともに過ごすことにした。
「今先君。洋介。洋介。待って」
銃口の先にあった今先洋介に向かって形見透は口を開くところだった。のど元に残されている言葉を、口にすべき言葉を吐き出すところだった。蠢くものたちの影に飲み込まれてゆく今先洋介に向かって。形見透はボールペンのペン先で空中にいくつもいくつも文字を描いた。ヤナタたちはそこから伸びる光たちが今先洋介を包んでいるものたちを引き剥がそうとしているのを静かに眺めていた。
「遅いんだよ、透。いいかげん、俺も疲れた」
「遅くないもん」
透は文字を描き続けた。ぶつけていた。今先洋介を規定しようとする、あふれ出してしまったものたちを、ある源たちを引き剥がそうと透は描いた。
「もう、いいだろう」
今先洋介はそう口にするときも憂鬱そうな笑みを浮かべたままだった。そうしてそのまま黒く蠢くものたちに吸い込まれるようにしてその残っていた影を覆われた。銃声が響いた。連続するように何回も何回も。音の後に飛び来るものたちは今先洋介を覆っている蠢くものたちを打ち抜いて行く。形見透は眼前を過ぎ去る銃弾たちとともに絶望的なものに立ち向かおうとしていた。止めようとしていた。腕の先で幾条も、幾条も、文字の上に文字を書き連ねていた。御前崎瑠奈は視線の先にある透と洋介を見つめながら功永ヤナタに向かって口を開いた。
「創造課ではさ。創造が上手く行かなきゃどうしようもないんだ。それが決まり」
「御前崎さんは今先君が上手く行かなかったと思うの」
「わかんない」
功永ヤナタは御前崎瑠奈にそう聞いた。無駄口の上に無駄口を重ねた。形見透がとがらせたその瞳の中に胸ポケットをつかむ腕を震わせながら保っていたのであろう燃えるような衝動を眺めながら、ヤナタは瑠奈とともに静かに残る時を過ごしてゆく。
「ね、御前崎さんはどうしてここで眺めることにしたの。今先君と形見さんの側、行きたかったんじゃない」
「私、そんな野暮じゃない」
「信じてるんだ。二人のこと」
「そんなんじゃない」
功永ヤナタは御前崎瑠奈を片目でとらえながらそう言い、御前崎瑠奈は答えとともに胸ポケットに忍ばせていた漆黒の花弁に人差し指を押し当てた。御前崎瑠奈はその尖り気味の瞳を緩やかなため息とともに緩めると、再び訪れた沈黙のときを形見透への注視によって消化することに決めたようだった。
形見透の声には怒りと嘆きと疲れとそしてある心情があった。叫ぶように口にして、それから空域にボールペンを走らせると、埋まらないものを埋めていく。
「馬鹿。洋介の馬鹿」
広大な領域に及ぶ書量を持って、EBROのタイムシェアを用いて、自己増殖的に増加してゆく輝きたちは、瞬く間に透と洋介を覆う様々な色と影たちを照り返して行く。発散する文字の群れは、洋介を囲む、覆っているものたちを塗り替えてゆく。
アリス=ディアナは銃弾を撃ちつくそうとしていた。八の字型に足を開いて衝撃を吸収しているシワル=シヨハの腕の中で最後の銃弾を放るところだった。
今先洋介は自ら創り出したものに覆われ、支配され、省察のときを過ごしていた。その憂鬱そうな微笑は誰に向けられることもなく続いていた。それはあるいは自嘲と呼ばれるものだったのだろうか。それとも、ありうる予想された結末に向けての笑いだったのだろうか。そこに脈動する蠢きたちを切り裂くものがあった。飛び交う一瞬の動性だった。一条の銃弾があった。研ぎ澄まされた鋭利な殺傷物は、貫通し、静かに洋介の足を薙いだ。鈍磨した感覚が非常のときにも非情のときにも常なるもの感覚を取り戻させる。
「いっ、いつうううう」
今先洋介の足がひざかっくんと折れ曲がった。倒れこむように両手を前に突き出しながら転ぶとそのまま転げまわる。銃弾が打ち抜いた辺りから、洋介を囲む文字たちの列が、色々の踊りが、黒塊が、波が収縮するように人体の形に集中する。洋介の体が露になると覆っていたものが覆われて闇の中に浮き上がった洋介の体の表面で収縮に取り残されたものたちが波打って少しくぞわぞわと蠢いた。
「洋介」
形見透の突破口はそこにあった。そのまま滑るように空に置くように有限の空間に無数の文字たちを飛翔させ輝きを描いていく。洋介の肌をなでまわると猛るように這って増殖しようとする蠢きたちを文字の群れたちが逆転して収束させてゆく。うめいて転がる洋介の周りで蠢くものたちが静かに集積してゆく。綺麗な虹色の輝きがあった。朗々と輝いて結晶化してゆく。今先洋介は痛む足に手を添えていたが、瞬く輝きの化粧である宝石を見つめると痛みで妙に歪んでしまった笑い声を上げた。大の字になって妙にすっきりしてしまった初等部創造課Z―404の教室の天井を眺めた。それからボールペンを滑るように動かし続けている透へと視線を移した洋介は笑った。
「透さ。いい加減にしろよな。俺、もう何も無いじゃん」
「洋介の馬鹿。そんなの、私、知ってるんだから。ずるいの。今先=F=洋介。ずるい。卑怯なのよ。洋介の馬鹿」
「ルぁー、もー、パネぇ。カラムなよな。透」
今先洋介はそういいながら憂鬱そうな笑みを浮かべて形見透のことを見つると、横向けに倒されている足元付近に転がって輝いている宝石を手に取った。
「クラムダウン宙鉱か。こんなに綺麗にしちゃってさ。全くさ、もう何も残ってねー」
「そんなのわかってる」
今先洋介はもう片方の手を伸ばし足元で光るもう一つの輝きを手に取ると、それから、半身を起こし上げて近づきつつあった人影に向かってその輝く金属を放り投げた。
「そら、お前のせいだぞ。アリス。おかげでさ」
「洋介。闘争せねばにゃらぬ。何も無いにゃらば」
「それはアリスだけだって」
だっこしていたシワル=シヨハはその片腕をアリス=ディアナから解き放つと、放物線を描いて飛び来る銃弾をキャッチしながら、体勢を崩しておっとっと。小さなアリスを落っことしそうになりながら足踏みする。
「ほぇ、危ないよ、洋介。えっと、それから、はい、透」
立て直したシワル=シヨハはそれからアリスに銃弾を渡し、その代わりにその小さな手から受け取ったものを透に向かって手渡した。
「これは」
「絆創膏」
透はうなずくと洋介の側まで近づいて、その息が感じられるところまで近づいて、一瞬だけの笑い顔とともに、洋介の足の上で張力をいっぱいに押し広げていた赤い水液に封をする。
功永ヤナタと御前崎瑠奈はホノカとともにその情景を眺めていたのだが、瑠奈は透が絆創膏を貼り付けるために洋介へと近づく姿を見ると、傷ついたような顔をして、顔を背けた。そのまま首を一回転させてしまうと、一度、飛び跳ねて、それから、ヤナタの頭に乗っかっている短い頭髪を腕でぐりぐりとかき混ぜた。
「あー、ほんと、ヤナタ。あんた。役に立たないやつ」
「ん、そうだね」
功永ヤナタは頭髪をつかむ御前崎瑠奈の腕を引き剥がそうともがきながら、不思議とうなずいていた。
「ホノカ、無事でよかったと思います。それでも、洋介を傷つけたことには変わりないですが」
「そうだね」
ヤナタはつかまれた首の先からそう漏らし、瑠奈はそう言うヤナタの頭をつかまえただまま歩き出した。
「役立たずの癖に、生意気」
「そうだね」
ヤナタはうなずくとそのまま引っ張られるままに歩調を合わせるように浮き上がらせた足をわくわくとばたつかせた。
「よ、瑠奈」
「や、洋介」
単調ないつもどおりの挨拶を交わす二人。
「どうだった。創造、私、失敗したかと思った」
「さな、どうだろう。ヤナタ。ヤナタ。ほら、ヤナタ。取っとけ、これ」
功永ヤナタは撃ち抜かれた足をなでながら、既にして立ち上がろうとする今先洋介の手から離れてゆくものを目で追ってゆく。瑠奈の腕が離れるのを感じると泳ぐ腰のまま伸ばした手でつかみとろうとするヤナタは、そのまま、こてんと倒れこむ。
今先洋介は形見透に向かってその肩を預けて笑った。
バカバットはカリカリと音を立ててその情景を見ると机に向かいノートを取った。
瑠奈は透に近づきながら近づかなかった。ある距離まで。そこで、そのままちょっとだけ躊躇ってちょっとだけの声を出した。
「無茶な透」
「瑠奈ほどじゃない。それに、きっと私の力じゃないと思う。ホノカの手が本当に暖かかったから。きっとそうなんだと思う」
透はそう答えて瑠奈を困惑させると今先洋介の肩を支えてあげながら笑いかけた。アリス=ディアナはシワル=シヨハの腕の中で銃弾を見つめると、それからポツリと感慨を漏らすと大きなあくびを一つ打ち上げた。
「やはり、洋介を撃ちゅべきではにゃかったにゃ」
「でもでも、バットエンドじゃないよ」
答えに向かってシワル=シヨハを見上げてから眠そうに眼をこすったアリスはそのままぐっすりと眠り込むことになる。そうして、それから、今先洋介は押さえてもらっている肩をそのままにして透に負ぶさったまま、転んでいるヤナタに向かって手を差し出した。
「消えてしまったほうが良かったような気がするけどな」
「今先君。消えてしまうのは、ん、どう、なのかな。ところで、御前崎さん」
「何」
「あのときさ、どうしてあんなことしたの」
「あのときって」
「それは」
ヤナタはそういいながら手の中で輝く透き通る宝石のことを見つめていたが、どこかその焦点は遠くを見つめることになる。