その紙、大切な物なり。4ぺージ
生温かい風を全身に受けながら、自転車を漕ぎ進める。夏休み真っ只中のこの季節は、たったの四十分、二万円もしない自転車を漕ぐだけで額に汗が出てくる。家から持ってきたアメ玉のうち、一つを口の中に放り込んだ。糖分でも塩分でも、もうどっちでもいい。
かんかんに照りつける太陽を感じながら、蝉の大合唱を耳に入れながら、俺はせめて学校の中、部室の中は空調が効いていてくれと、願わずにはいられなかった。
そう、できる事なら昨日の図書館の様に。
花山南高校の校門をくぐり、駐輪場に自転車を停めた後、上履きに履き替えて休館に向かう。
夏休みで人が少ない学校は、とてもとても静かだった。遠くから聞こえる運動部の掛け声。吹奏楽部の練習なのか、遠くから聞こえる管楽器の音。文化祭に熱の入った団体か、人の声も聞こえる。そんな様に、休館に向かう途中の渡り廊下は静かだった。
そんな渡り廊下を渡りながら、俺はふと思い出す。昨日の、寂しそうに、懐かしむ様に、旧友の事を相談して来た香織。
結局図書館では結論は出なくて、あの後少し会話をして別れた。香織は別れ際も悶々とした表情でいたが、もう一度鳴川町に行く気は無い様だった。
その古馴染み達と、何か気まずくなる様な事でもあったのだろうか? それとも、ただ何と声をかけたら良いかが分からないのか。
こんな事を俺が考えていても仕方がない。そう思って思考を切り上げようとした時、もう一つ、思い出した。
そういえば休館とは、昔授業をしていた校舎を改造した物だった筈だ。そして、今までに行われた休館の修繕工事は、耐震性を上げるものだけ。
つまり、空調設備など無いのだ。
あーあ、気付かなきゃよかった。部室の中も暑いと分かった途端、帰りたくなってきた。帰ってエアコンをつけた部屋でアイスを頬張りたくなって来た!
夏の暑さと学校の設備に対して心の中で文句を言いながら、俺は文芸部の室前までやって来た。
無駄に装飾された古めかし木製の扉。この扉を見る度に思うのだが、昔の教室はどれもこんな扉だったのだろうか?
まぁ、今は関係ない。扉を開けて、部室に入る。
「あ、龍夜」
部屋には先客がいた。文芸部の部員で、ショートカットの女の子。名前は原田 紗良。どうしてなのか会話はほとんど単語で話す、明るい活発な娘だ。
「お、紗良だけか? 少し遅れたから、もうみんな来てると思ってたんだが」
しかし、部室には紗良しか居なかった。香織と、あと部長さんはどうしたのだろうか。子猫とか拾ってこなければ良いんだけどな。ここ学校だし。
「灯、職員室。香織、まだ」
「職員室?」
職員室に用事なんてあるのか? まさか本当に子猫とか拾ったのか? そしてそのまま職員室に? まさかな。でも、念のために聞いておこう。
「紗良、灯はどうして職員室に?」
そう尋ねながら俺は部室にあったパイプ椅子に座った。特にやる事も無いので、入り口の近くに座った。
紗良は、俺と長机を挟んだ所で、部室にあるあの大きな棚のところで、何やらゴソゴソと手を動かしているらしい。
「重要、話、先生、直談判」
姿は机に遮られて見えないが、紗良はいつもの様にそう答えた。
「先生に呼び出されたのか?」
「違う。灯、向かった」
「そか。何の用事だろうな」
やっぱり猫かな。
「多分、違う」
じゃあ犬か? いやいや、それは無いだろう。じゃあなんだ? もしかして、まだ同好会としても成り立っていないのに、部室を持っている事が問題になったのか? いや、それなら灯自ら職員室に行かないな。などと考えを巡らして居ると、不意に紗良が作業を止めた。
「所で龍夜、これ、見つけた」
そして、そんな事を言いながら立ち上がり、俺の方を向く。
紗良が抱える様にして持っていた物、それは
「扇風機?」
羽の無いタイプでも無く、リモコンタイプでも無く、カチッと言う小気味良い音を立ててスイッチを入れる、ちょっと古い扇風機だった。
「何で扇風機があるんだよ」
「分からない。あったの」
紗良はそう言って、扇風機を床に置いた。
扇風機があるのは凄く嬉しい。クソ暑いこの季節、扇風機が起こす風がとてもとても嬉しい。
だけど、部室に扇風機がある理由が分からない。ここは休館だぞ。
俺が扇風機を訝しく見つめていると、紗良はその扇風機からコードを取り出し、近くにあったコンセントにプラグを射し込んだ。
直後にスイッチが入れられると、歪なモーター音を立てて扇風機が動き出す。見た目は古く、ぼろっちいように見えるのだが、問題なく風を送れるようだ。
「龍夜、疲れた」
扇風機を取りだした紗良はパイプ椅子に座って、長机に突っ伏した。御苦労さまとねぎらいの言葉をかけてやる。そして、アメ玉を持っていた事を思い出した。
「紗良、アメ玉いるか?」
今二、三個持ってるんだ。と、ポケットから袋に入ったアメ玉を取り出す。
「頂戴」
紗良は勢いよく顔をあげながら言った。目を見ると、ランランと輝いている。
「ほらよ」
取り出したアメ玉のうち、一つを手渡す。紗良はそれをさっそく袋から取り出し、その小さなアメ玉を大きく開いた口に放り込んだ。
その瞬間、部室の扉が勢いよく開け放たれる。
扉を開いて入ってきたのは、ここ文芸部の部長、日之道 灯だった。