其の一ヶ月、夏休みなり!6ページ
旅館に着くまでは、思ったよりも時間がかかった。電車を乗り継ぎ、バスで数分。直線距離では近いのにな。
「ここから更にバスで行くのか」
で、実はまだ着いていない。
キャスケットを目深に被り、袖の無いブラウスを着た灯は、地図を片手に、キャリーを引きながら、少し年季の入ったバス停を見上げた。
「周り、田んぼ」
夏らしい、麦わら帽子に青のサマードレスと言う格好の紗良は、そう言って、くるりとその場で一回転する。
「しかし、本当に何も無いよな」
俺は周囲を見渡しながら呟く。今は、合山駅にいた時ほど、周りの目線が少ない……と言うより無い。
俺の視界に映るのは、田んぼと、数件の民家と、山。ここは、花山市から直線距離で約五キロの町。鳴川町だ。
「目立つ建物と言っても、あのスーパーぐらいですしね」
赤いキャップ帽、Tシャツにパーカー。そしてイージーパンツと言うとってもラフな格好をしている香織は、相変わらず落ち着いた調子だ。
ふと、バス停を確認していた灯が声を上げた。
「皆、今は何時だ?」
「?どうしたんだ?」
「いや、バスの来る時間を確認していたのだが、四十分おきに書かれていてな」
バスの時刻表を、屈んで見ている灯の横で、紗良が携帯を取り出す。
「九時五十四分」
「そうか。では次に来るのは……十時十五分か」
あと二十分待つのか……。
ふと、遠くの方へ目を遣ると、数人の男女が道路を歩いているのが見えた。さっきまでどこにいたのかは分からないが、何故か髪の濡れている子が居た。……遠くなので、濡れている子が居た気がすると書き換えておく。
「夏だな……日差しが強い」
帽子を持って来なかった俺は、手で自分の顔に影を作りながら、ポツリと呟いた。軽トラックが一台、俺たちの前を通り過ぎる。
因みにこのバス停、屋根で覆われたベンチなどが一切無い。田んぼに囲まれた道路の上に、ポツンと停留所が突っ立っているのだ。だから、 ジリジリと、強い日差しが照りつける中、俺たちは立って二十分、バスを待たなくてはならない。
「暑いな。この町の人々は、このバス停を余り利用していないのかもしれないな」
胸のしたで腕を組みながら、灯がポツリと呟いた。
「ん?なんでそう思うんだ?」
隣に居た俺は、暇だったので、反応を見せる。
「バスは四十分に一本で、もしかしたら一時間に一本かもしれない。待ち時間が長くなるバス停でベンチなどが無い。このバス停は、今も使われているのだろうか?」
「…………田舎だから、皆歩いてるのかもな」
「…………では、歩くか」
「…………本当に?」
「冗談だ」
そう言って、フーっと溜息をつく灯。帽子を被っていても暑いのか、汗が頬を伝っている。他の人はどうだろう?と、香織の方を見てみると、さっきまで着ていたパーカーを脱いで、腕に抱えていた。
そう言えば
蝉の大合唱をBGMに、俺はふと考える。
山に行くのって、随分と久しぶりな気がするな……
「ん?そうなのか?」
頭の中で呟いたつもりだったが、声に出ていた様だ。灯がキャスケットの奥からこちらを見ていた。
「ああ。今考えて見たら、林間学校とか、そんなのでしか山に来た事が無い。家族で旅行に行くのも、街中か海だったからな。山にそこまで縁はない」
お爺ちゃんが山で暮らしてるって訳でも無いしな。むしろバリバリ都会暮しだ。
「家族で旅行……仲が良いのか?」
「さあ?言う程仲良く無いと思うぞ、俺は。旅行に行ってたのも、姉ちゃんが高校入るまでだったからな。灯は、家族で旅行とかしなかったのか?」
「………………いや……余りな。」
灯は、俺から目を逸らし、溜息をつくように、気怠そうに言った。
「バス、来た」
ふと、道路の真ん中でクルクルと回っていた紗良が、俺の後ろを指差して、声を上げた。
背景は田んぼ、空は快晴。灰色の道路の上で、麦わら帽子を被り、サマードレスがよく似合う娘が、空よりも明るい表情でこちらを見ている。その姿は、写真に撮って、どこかのコンクールに送りたい。
「おお本当だ。バスが来ている」
「ずっと立っているのは疲れましたから、座りたいです」
香織と灯の声を聞き、俺も後ろを振り返る。すると、赤い屋根のレトロなバスが、こちらに走って来るのが見えた。
俺達は荷物を持ち直す。バスは段々と近づいてくる。これより行うは部の合宿。夏の太陽輝いて、俺達の顔も、輝いた。