誰のための後悔
こんなはずではなかった。
私の人生で、こんなにも上手くいかないことだらけだなんて。
いつからだ。
いや、そんなのはっきりしている。
なぜ、私はこの女を選んだのだろう。
婚約者を、排除してまで……。
◇◇◇
私は、時を戻すことができるという噂の時計店を探していた。
(あれか……)
森の奥へ進んでいくと、一軒の小屋を見つけた。
「お前たちはここで待機しろ」
護衛をその場に残し小屋に近づくと、扉の横にある看板を確認した。
『時計店』と書かれた看板は、そこまで古さを感じない。
私は、扉を開け、中へ足を踏み入れた。
カランカラン
扉にかかっているベルの音に反応し、中にいた男が顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
しかし私は、その男よりも、店内の様相に気を取られた。
時計店だというのに、店内に飾ってある時計には、針が全くないのだ。
「どういうことだ?ここは時計店ではないのか?」
男は私のつぶやきにわずかに笑みを浮かべた。
「時計店ですよ。ただし、針のない時計店です」
「針のない時計店……」
もう一度辺りを見回す。ただ文字盤があるだけの時計に、時間の感覚が狂っていく。
「では、時を戻すことができるという噂は本当か?」
男に視線を向けると、男は穏やかな表情を変えずに言った。
「いつに戻りますか?」
「いつに?」
いったいいつに戻ることが正解だろうか。
婚約破棄を告げたところか。
いや、そもそも、それが正しかったのかを知る必要がある。
「では、5年前に戻してくれ」
「5年?」
「そうだ、5年だ」
「しかし、あなたのような方が、なぜそんなにも前に戻ろうなどと。──王太子殿下」
私は、この国の王太子、マクシミリアン・フォルシウス。
半年前に、私は愛する人であるマリアンを新たな婚約者に迎えた。
元々私にはエレオノーラという婚約者がいた。政略的に組まれた婚約者に想いはない。
それゆえ、私の愛する人に対する行いを許せるわけもなく、断罪したのだ。
エレオノーラを国外に追放し、秘密裏に抹殺するよう指示を出した。
しかし、現在、私の身の回りは、何もかもが上手く機能しなくなっていた。
執務でも、軍事でも、外交でも。そして、社交界でさえも。
現在の婚約者であるマリアンへの妃教育も進まず、このままでは半年後の結婚までに王太子妃としての振る舞いを習得することは難しいだろう。
(エレオノーラの時はこんなことは全くなかったのに)
エレオノーラを婚約者に据え置いていた時にはなかった問題に、頭を抱えていた。
あの婚約破棄さえなかったら……。
そもそも、本当に彼女に問題があったのだろうか。
それすらも疑問を抱いてしまうほど、今、マリアンへの疑念がある。
マリアンは、宝飾品をよくねだるようになった。
そして、王宮内の護衛騎士と逢瀬を重ねているのを目撃していた。
(戻りたい。戻ってやり直したい。私が選ぶべき、正しい道へと)
目の前に立つ、私の正体をきちんと見抜いている男に、改めて示した。
「正しき道を歩むためだ。私は、王太子なのだから」
店主だろう男がすっと手元に視線を落とすと、その手には懐中時計が握られていた。
「では、戻りたい時点を強く念じてください」
目を閉じ念じ始めた男を真似て、私も強く念じた。
◇◇◇
「マクシミリアン」
父に名前を呼ばれ顔を上げた。
目の前にはオデアン公爵夫妻とその令嬢エレオノーラの姿があった。
(エレオノーラ……少し前のエレオノーラだ)
幼さの残るエレオノーラがそこにいた。背筋が伸び、凛とした姿、だが、その表情は私が覚えている中でも比較的穏やかなものだった。
「こちらが、オデアン公爵家のエレオノーラだ。お前と同い年。お前との婚約を進めていく。それにあたり、エレオノーラには妃教育に取り組んでもらいたい。王城へ通うように」
国王である父からの命に、オデアン公爵夫妻とエレオノーラは頭を下げた。
目の前にいるエレオノーラは、正直なところ可愛かった。美しかった。
(そういえば、この時、彼女が婚約相手でよかったと思ったのだったな……)
エレオノーラとの交流は定期的に行われた。これは義務でもあった。
一度目のあの頃は、教育が順調に進んでいくエレオノーラに対し、滞っていた自分はその劣等感から、彼女を遠ざけるようになっていた。
(エレオノーラは何も悪くなかったというのに。しかし、あれでは無理もなかった)
顔を合わせれば、彼女に助言をされた。この勉強法が効率がいいとか、その分野は私が支えましょうと提案されることもあり、煩わしささえ感じていた。
二度目の人生で、王太子教育が始まったが、さすがに私にとっては二回目だ。すでに習得済みの分野とあっては、滞ることなく教育は順調に進んでいく。
すると、心に余裕も生まれ、エレオノーラとの交流もとても穏やかなものになった。
「エレオノーラ。困ったことはないか?」
「特にはございません」
「では、心配事でも?」
「なぜです?」
「最近、笑顔が減ったから……。私との時間はつまらないか?」
エレオノーラの様子を注意深く見るようになれば、その変化にも気づけた。徐々に彼女は、笑顔が減り、振る舞いや受け答えもどこか型どおりになっていった。
「殿下もそのような教育をお受けになりませんでしたか?表情から感情を読まれないようにと」
たしかに、教育の一つにそのようなことがあった。公の表情を使い分けろと。
「しかし、私と会っているときくらいは息を抜いてくれ。私的な交流だ」
「ですが、殿下との交流は公務だと、そのように教わっております」
(誰だ、エレオノーラの教育係は。そんな理由があったとは)
一度目のこの時期は、可愛げのないエレオノーラに嫌気がさしていた。その顔さえも見たくないと思うくらいに。元から政略的な婚約だ。愛がないのだからそんなものかと思っていた。
しかし、これは、彼女からしてみれば、そうせざるを得なかったのだ。
(政略的な婚約なのだからと、私との交流も義務であり公務の一つなのだと言われていたとは……)
「エレオノーラ。私は、君の笑顔が見たい。だから、私と二人の時には、笑ってくれないか?」
「ですが……」
「私が望んでいるのだ。公務ではない。君との交流は、私的なものと考えている」
この後、私はエレオノーラを好ましく思っているから、彼女との距離を隔たせるような発言はしないようにと、教育係に指示を出した。
心の持ちようなのか。エレオノーラを誇るべき婚約者だと思うようになっていった。
一を言えば、十をこなしてくれるような人だった。そもそも、言わずとも理解し、先回りするように私に配慮してくれる、そんな人だった。その配慮を、過去の私は馬鹿にされていると感じたり、煩わしいと思っていたのだ。
(そんなことはない。今となっては助かっているし、ありがたいとも思う)
となれば、私も彼女に何か返したいとも思うようになった。
大切にせねばと思うようになった。
婚約から4年が経ち、彼女を断罪したあの日まで残り半年となった。
もちろん、そんな日はやってこない。その心持で日々を過ごしていた。
「エレオノーラ。こちらを受け取ってくれないだろうか」
「そちらは、代々伝わる重要な古代宝石ではないですか?」
「ああ。代々王太子妃が引き継ぐものだ」
「ですが、私はまだ王太子妃ではなく、婚約者ですわ」
「もう、心は決まっている。君がいい。私の横に立つのは、君が良いのだ」
「そんなことをおっしゃって、もし心変わりなどされましたら……」
「そんなことは絶対にない。だから、君を確保しておこうかと思ってな」
私はエレオノーラの後ろに回ると、その首にルビーが輝くネックレスを飾った。
「……」
「そう固くなるな。この先、何があっても私が君を守ると誓おう。そういった意味も込めた」
私は彼女の手を取ると、唇を寄せた。
「ありがとうございます」
エレオノーラはわずかに微笑んだ。
来るべき日への準備は整った。
私は、二度目の人生ではエレオノーラを選ぶ。
だからこそ、エレオノーラがマリアンに何かする前に防げばいいだけだ。
ここまでのエレオノーラは何ら問題ない。むしろ王太子妃にも相応しい品格と、能力を備えている。美しくもあり、愛らしい。自分のことよりも周りへの配慮ができる人だ。
そう考えると、エレオノーラがマリアンに何かするとも思えなくなっていた。
──冤罪
その言葉が頭をよぎる。一度目の人生では、エレオノーラが何を言おうと聞く耳を持たなかった。マリアンの言葉だけを信じ、調査すらしなかった。
だから、二度目の人生では初めからエレオノーラの行動をすべて把握している。この先の彼女への脅威も防ぎ、彼女が罪を犯さぬように見守り続ける。そして、マリアンが今回も近づくようなことがあれば、彼女のことも目を離さぬつもりだ。
ある夜会のことだった。
この日も社交は問題なく進んでいった。
私のことをさりげなく支えてくれるエレオノーラ。これがあったから、何も問題が起こらなかったと今ならばわかる。相手の名前や家格、さらにはその背景まで頭に叩き込んでいるエレオノーラのおかげで、スムーズに会話が進んでいく。
(一度目の、彼女のいない社交は最悪だったからな……)
情報が不足している私と、何も把握していないマリアンでは、会話が続くわけがなかった。相手に失礼な発言を繰り返してはあきられてしまったり、困惑させることが多々あった。王太子としての信頼を失っていったのだ。スムーズな社交は私の実力ではなかった。王太子である私を支えたエレオノーラあってのことだった。
二度目の人生を歩み始めて、エレオノーラのありがたみを実感していた。
一度目の時は、エレオノーラと最低限の社交を終えると、すぐに別行動をしていたのだが、二度目の今は、彼女の横にいるのが心地よく、ずっと寄り添うようになっていた。
すると、会場の一角が騒がしかった。
何事かとそちらに目を向けてみれば、騒ぎの中心にマリアンがいた。
「ひどいですわ。私が何をしたというのです」
「自覚がないのもいかがなものかと思いますわ」
マリアンと子爵夫人が揉めていた。
(そういえば……これが始まりだったか……)
仲裁に入ったことがマリアンと知り合うきっかけになったのだ。
遠巻きに見ていようかと思ったが、王家主催の夜会とあっては、出向かないわけにもいかない。そう思ったのは、私だけではなかった。
「何かあったのでしょうか。私が様子を見て参ります」
あの日マリアンと揉めていたのは子爵夫人ではなくエレオノーラだったことを思い出した。
(そういうことか。この騒動を沈めようと近づいたエレオノーラと揉めている所に私が仲裁に入ったのか)
「いや、私が行く。君はここにいてくれ」
エレオノーラとマリアンを近づけたくない。そう思った私が仲裁に行くことにした。
子爵夫人の話によると、淑女のマナーとしていかがなものかと注意をしたという。
「ですが、子爵からはおとがめはなかったですよ」
マリアンは目を潤ませながらこちらを見上げてきた。そして、こともあろうに私に近づくと腕に触れてきたのだ。
その様子に、子爵夫人は顔を歪ませた。
『淑女のマナーとしていかがなものか』というのは、一度目の時のエレオノーラの言い分と同じだった。実際にどのような内容だったのかはわからない。だが、放っておけるものではなかったのだろう。
それにしても、初対面の、それも目上、さらに言えば王太子である私の腕に触れるとは。
(なるほど。これを注意したのだろう……)
あの頃の私はエレオノーラと険悪だったこともあり、女性に慕われたことを好意的に受け取ったのかもしれない。だが、今は嫌悪でしかない。
そもそも客観的に見れば、子爵夫人の言う通り、マナーとしてよくはない。
マリアンの装いもそれを助長させていた。胸元の大きく開いたドレスからは、豊かな胸元が覗いている。男性の目を引く装いであることは間違いない。
だが、今夜の夜会の趣旨には相応しくないだろう。
私は、すっと横に避けると、子爵夫人寄りに立った。
「夫人。静観するものが多い中、あなたは立派であった。ご令嬢。助言を受け入れたほうがいい。後の貴女のためになる」
夫人を子爵の元に返すと、私はエレオノーラの元に戻った。
「場は収まったのですか?」
「ああ。問題ない」
ちらりとマリアンの方に目を向けると、目が合った。すると、彼女が微笑んだのだ。
私はすっと視線を逸らすと、エレオノーラを見た。
今宵のエレオノーラは、胸元から首元までレースがあしらわれ、そこには私が贈ったルビーが輝いていた。
(隠されていても魅力的だ)
「エレオノーラ、あちらに行こう。もうあの場は気にしなくてよい」
マリアンから隠すように、エレオノーラを移動させ、この日の社交を終えた。
それからというもの、社交の度に、マリアンが私に近づくようになった。
「マクシミリアン様」
名を呼ぶ許可はしていない。そもそも親しい間柄ではないのに目下のものから声をかけるなどとは。
──淑女のマナーとしていかがなものか
接触のことだけではないのだろう。総合的にマナーがなっていないのだ。
一度目の人生を振り返る。私はいつ名を呼ぶ許可をしたのだろうか。
(そう考えると、許可などしていないな……)
婚約者であるエレオノーラですら名前で呼ばないのだ。二人きりの時でさえも。私的空間だと告げてから微笑むようになったが、それでも名前では呼ばれていない。
そう考えたらば、この女に名前を呼ばれることが不快だった。
「気安く呼ぶな。私は貴女とそのような間柄ではない」
「ですが、先日お近づきになれて、とても嬉しかったものですから。私とお話してくださいませんか?このような場で、周りからいつも避けられてまして、話す相手もいないのです」
「まずは基本的なマナーを身につけるんだな」
(避けられて当然だ。貴族として異質だ)
わが国は階級社会が著しい。貴族か平民かの隔たりは天と地ほどの格差がある。貴族であるということは驕るに十分な理由であった。
しかし、貴族の中でも階級には厳しい序列があり、男爵家の令嬢が上位貴族の集う社交の場で振る舞うには、それ相応の礼節が求められる。
(しかし、私がそれを容認してしまっていたということか……)
エレオノーラがマリアンに関して口を出したことがあった。周囲に示しがつかないため、きちんと距離を置くか、彼女を改めるよう指導したらどうかと。親睦を深めていく私たちに対するけん制や嫉妬だと思っていたが、今となっては、私の無配慮こそが、この国の王太子としての地位を脅かすような振る舞いだったと言えよう。
(もっとエレオノーラの発言に耳を傾けておくべきだった)
私はマリアンを選び、その障害となるであろうエレオノーラを排除したのだ。婚約破棄し、国外追放しただけではない。その抹殺まで……。
その結果、国民が抗議を始めた。このまま王太子としての結婚を認めないと。
エレオノーラを排除したからではないのだろう。マリアンに出会って以降の私の振る舞いから評価されてきたのだ。
そう考えると、時戻りを5年前に設定したのは正解だった。婚約破棄を防ぐだけでは、私の評価は回復することはなかっただろう。
ちらりとマリアンに目を向けると、彼女は目を輝かせた。
「私とお話してくださるのは殿下しかいないのです」
「私はそんなに暇ではない。失礼する」
彼女と距離をとる。
(いったい……あの女のどこに惹かれたというのだろうか)
今となっては、一度目の自身の行動に、理解ができなかった。
関与しないようにしようとしても、マリアンの方から近づいてくる。
(あきらめの悪い……)
そして、マリアンの狙いが私からエレオノーラに変化していった。
報告によると、エレオノーラから嫌がらせを受けていると、マリアンが吹聴して回っているというのだ。
どれも一度目に聞いたことのある話ばかりだった。それを私は全て事実と受け止め、エレオノーラを責め立てていたのだ。エレオノーラは事実無根であると反論していたが、それを聞き入れなかった。
「私との婚約破棄は受け入れましょう。ですが、彼女の出自だけはしっかりとお調べになられた方が……」
最後に告げられた言葉には、我慢がならず断罪へと発展した。
マリアンの不利になるような発言をするものはいらない。マリアンよりも王家に通ずる存在もいらない。そういう判断だった。
本当に愚かだった。
二度目の人生において、エレオノーラに対する侮辱が悪化していく中、一度目の人生でのエレオノーラのあの言葉を思い出した私は、マリアンの出自を調べた。
マリアンは現在、男爵令嬢として社交界に出入りしている。しかし、彼女は男爵の実子ではなかった。男爵夫人が再婚する前から連れていた子であり、実の父親については不明だという。
(出自の定かでない者を、王家に迎えようとしていたのか……)
貴族籍を持っていることと、王族に迎えるにふさわしい血統であることは別の話だ。
王家に連なる者には、それ相応の血筋が求められる。エレオノーラのように、代々貴族の家系を遡ることができる者とは違う。
考えなしの行動にもほどがあった。
今宵の夜会でも、二人の動向を注視していた。
(他に、どんな出来事があっただろうか……)
すると、エレオノーラの元に向かっていくマリアンがいた。
マリアンの手に持つ赤ワインが目に入り、マリアンがエレオノーラにワインをかけられ嫌がらせをされたと言っていた出来事を思い出した。
(エレオノーラ!)
二人の距離が縮まっていく。マリアンがエレオノーラのすぐ間際についた瞬間、エレオノーラがすっと横に移動しマリアンを避けた。行き場を失ったマリアンは、そのまま一人で前のめりに倒れた。手に持っていた赤ワインが、勢いよく彼女自身に降りかかった。
その状況に、近くにいたエレオノーラがマリアンに声をかけた。
「あら。大丈夫ですか?」
潤んだ瞳で見上げたマリアンは、声を荒げた。
「ひどいですわ。何をするんですの!?私を押すなんて!」
「押してなどおりませんが?」
「あ、足を引っかけたじゃない!」
二人の元にたどり着いた私は、エレオノーラに噛みつくマリアンに答えた。
「そんなことエレオノーラはしていない。そもそも貴女に触れてもいなかっただろう」
「マクシミリアン様!ですがこのように私にはワインがかかって──」
「かかり方が不自然だろう?貴女は前のめりに転んだのだから、ワインも前に零れるべきだ。ぶつかってもいないのに自身にかかるというのはどうかと思うが」
わざと自分にかけたのだろう。言い訳もできなかったマリアンは顔を真っ赤にしていた。
私はエレオノーラの横に行くと、腰を引き寄せた。
「君は大丈夫だったかい?エレオノーラ」
「はい。私は問題ありません」
「それならばよい」
私はエレオノーラに微笑みかけた。
そして、表情を消すと、マリアンに向き合った。
「それから貴様。何度言ったらわかる。名前で呼ぶ許可はしていない。私の婚約者に関わるのもやめろ。そもそもエレオノーラは公爵令嬢だ。改善されぬようであれば、今後は不敬罪と侮辱罪で訴える」
罪を問うという言葉に青ざめたマリアンは、そそくさとその場を去っていった。
半年後に挙式をし、エレオノーラを王太子妃に迎えることが決まった。
それから私は、エレオノーラにしっかりと向き合った。
彼女を尊重し、彼女に支えられ、私は王太子として務め上げることができていた。
何もかもが上手くいく。国民の支持も得られ、国王からの信頼も厚い。
私の選択次第で、こんなにも上手くいくのかと、時戻りができたことに感謝した。
そして、挙式を迎えた。
横には美しいエレオノーラがいる。
その佇まいも、品格も、覚悟も、王太子妃に相応しいと改めて思った。
「これからもよろしく。私と共にこの国を築いていこう」
エレオノーラはにっこりと微笑んだ。
エレオノーラの首元には、あのルビーが輝いていた。
◇◇◇
ふと、目を開けると、そこは時計店だった。
「え?」
「いかがでしたか?」
目の前には、店主だろうあの男が立っていた。
「いかがだと?なぜだ?なぜ私はここにいる!?やり直したはずじゃないか!?」
「……殿下、あなたは時戻りをしました。やり直したいとお考えの時間に時を戻し、選ばなかった未来を歩むことができたのです。さて、歩んだ先の結末はいかがでしたか?」
「私は正しい道を選び直したのだ。王太子として国民の前に立つ、成功した未来だ」
「そうでしたか。時戻りは、選ばなかった先を経験することができるだけなのです。もしもの世界ですよ。選択次第では、殿下が経験したような結末もあったことでしょう」
「経験するだけだと!?あんなに幸せだったのに、あれが現実にはならないということなのか?現実の世界に戻ってしまうなんて意味がないではないか!この、失敗した世界に戻るなんて……!」
私は男の胸倉を掴んだ。苛立ちの矛先を、この男に向けた。
男は何ら動揺もせず、表情のない顔で私を見つめ返していた。
「では、お聞きしますが。現在、あなたがもし幸せだったら、過去を振り返ろうなどとはしませんでしたよね?」
その言葉を聞き、私は、何も答えられなかった。
「失ったものは戻らないのですよ」
(失ったもの……)
国外へ追放し、エレオノーラを抹殺したのは……その未来を奪ったのは、私の指示があったからだ。
「エレオノーラ……」
「そのお名前が出ましたか。あなたは一つ一つの選択に責任を持つべきです。あなたのお立場ならなおさら。失ってからではやり直しは出来ないのです。この先の選択は、お間違えのないように」
私の声を聞きつけた護衛たちが、店に押し入った。
彼らは、私が店主の胸倉を掴んでいる姿に目を見張った。店主の顔を認め、さらに驚いた様子を見せたが、何も口にすることはなかった。
やがて、放心した私を支えると、店主に一礼し、静かに店を後にした。
◇◇◇
王太子が出ていった扉を店主が見つめていると、背後から物音がした。
店主が振り返ると、店の奥に人影があった。
店主は、その人物に声をかけた。
「おかえりなさい」
そこには、エレオノーラがいた。
「私も一緒に戻されることを、ご存知だったのですね、エーリク様」
エーリクと呼ばれた店主は、にっこりと微笑んだ。
「願う者の、時戻りの起点となった出来事に関わる方も一緒に戻るのですよ。殿下は、貴女を思い浮かべたようですね。いかがでしたか?」
エレオノーラは、ふっと息を漏らすと、困ったように笑った。
「幸せでしたよ。とても大切にしてもらえました。国のため、殿下のためと努力してきた今までの苦労も報われるほどに」
「でも、エレオノーラ様は、その未来を望まれなかったのですね」
「失った信用は戻りませんのよ。あの方は、私を一度捨てました。その事実は覆ることがありません。エーリク様の『もし幸せだったら、過去を振り返ろうなどとはしませんでしたよね?』という言葉、私も言ってやりたかったですわ」
エレオノーラの言葉の端々に見え隠れする怒りに、今度はエーリクが困ったように笑った。
「エーリク様。一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんでしょうか」
「二度目の時戻りはあるのでしょうか?もし、殿下がもう一度戻りたいと願った場合には……」
「おそらく、貴女の場合はないかと……」
「私の場合はない?一度戻ったことがあるからですか?」
「いえ、貴女がもう望んでいないからかと……」
一度経験した時戻りを、同じ人物たちがもう一度経験するためには、もう一度それを望んでいる必要がある。いくつもの時戻りを見届けたエーリクが出した結論だった。
「半年前、森の中で瀕死の状態のエレオノーラ様を見つけた時は驚きました。私は、貴女を救ってよかったのですよね?時戻りの提案に首を振った貴女は、結局殿下の時戻りの道連れになってしまった。後悔は、ないですか?」
「ええ。私はあの時々で、できる限りのことをしてきました。私にとってはあれが最善だったのです」
エレオノーラは背筋を伸ばし、胸を張った。
「後悔はございません。エーリク様に提案いただいたときに時戻りしていたら、あの方は反省もせず同じ末路を辿ったことでしょうから。ますます失望するだけでしたわ。王太子妃になれなかった私は家門からも外されております。公爵令嬢エレオノーラ・オデアンはあの日、国を追放され死にました。もう、それでいいと思っています」
エレオノーラは穏やかな表情を浮かべた。
公爵令嬢、そして王太子元婚約者というしがらみから解き放たれたエレオノーラの姿は、眩しかった。
「そうですか。それにしても、殿下はこのあとどうなさるおつもりなのでしょうか」
「どうにもならないと思いますよ。あの方には優秀な弟君がいらっしゃいますから、第二王子の立太子となることでしょうね。私との婚約破棄の時点で、彼が国王になることはございません。まして、マリアン様を迷いなくお選びになるくらいですから、陛下もマクシミリアン様のことは信用などしておられないでしょうね」
「なるほど」
「あなたにお会いしても、どなたかご理解できないような浅い人ですから。ね?元王国騎士団隊長、英雄と呼ばれた騎士、エーリク様」
エーリクは頭をがしがしとかいた。
「エレオノーラ様はすぐにお気づきになりましたからね」
「基本中の基本ですわ」
「騎士たちにも知られてしまいました。店の場所も変える必要がありますかね」
「どうでしょうか……『針のない時計店』の噂に救われている方がいるのも事実ですから」
二人は視線を針のない懐中時計に向けた。
「エーリク様。あなたも、どうか、前に進まれますように……」
エレオノーラに真っ直ぐ見つめられたエーリクは苦笑いした。
数日後、傷が癒えるまでエーリクに匿ってもらっていたエレオノーラは、ようやくこの時を迎えた。
「そろそろお別れとなりますね。エーリク様、いろいろとお世話になりました」
「いえ。それでは、エレオノーラ様が選び取った未来が幸せでありますように」
こうして、準備の整ったエレオノーラは、エーリクが依頼した隣国からの迎えに連れられ、この国から完全に旅立った。
エーリクはその後ろ姿を見送った。
「……前に、か」
小さく呟き、エーリクは懐中時計に目を落とした。
そこには、時を刻むはずの針がなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本作は『針のない時計店』を舞台にした短編集の第三話です。
『針のない時計店』シリーズについて、これまでに明らかになった時戻りの仕組みを活動報告にまとめる予定です。よろしければ、そちらもご覧ください。
また別のお話でお会いできましたら幸いです。
よろしければ、ブックマークや評価をいただけますと、今後の執筆の励みになります。
*****
【電子書籍のお知らせ】
『婚約破棄され傷物になった不遇な令嬢は、隣国の王子の静かな愛で満たされる』(LYR文庫)
現在、2巻まで刊行中です。
ご興味がありましたら、活動報告をご覧ください。




