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最弱モフモフ(HP2)に転生しました。強面の最恐騎士に拾われましたが、この飼い主、働きすぎでは……?

作者: くみの
掲載日:2026/10/07

 目を開けたら、草だった。


(……は?)


 空が青い。風が気持ちいい。どこかで鳥が鳴いている。


 いや、待て。俺、昨日は自分の部屋で寝たよな?


 起き上がろうとして、自分の手を見た。


 短い。丸い。もふっとしている。


(なんだこの手)


(なんだこの身体)


(……なんだここ)


 三連続で言った。誰も答えてくれない。


 そのとき、目の前にぽんと光る板が浮かんだ。


 ――――――――

 種族:モフモフ

 HP:2

 MP:1

 ――――――――


(弱っ!)


 叫んだつもりが、口から出たのは『キュイ!』だった。


(鳴き声まで弱い!)


 待て待て待て。


 最弱から成り上がる話は、読む分には好きだった。でも、あれは主人公に才能があるからできるんだ。選ばれし者だけの特権だ。俺みたいなのがやったら、一話で終わる。


 それに、気合と根性でどうにかなる世界は、前世でもう懲りている。


(でも、魔法くらいは使えるかもしれない)


 HP2の次にMP1があるんだ。使えるはずだ。


 俺は短い両手を、ばっと前に突き出した。


(ファイアボール!)


『キュイッ!』


 ぷすん。


 煙も出なかった。


 しかも力んだ勢いで、身体がころんと前に傾いた。


 ころころ、ころころ、ごつん。


 石に頭をぶつけた。


 視界の端で、数字が点滅する。


 HP:1

 MP:0


(転がっただけで減った!?)


 あと一回で死ぬ。


 転がって死ぬ。それはさすがに、死に方として情けなさすぎる。


 俺は石の前で、微動だにせず考えた。


 戦えない。魔法も出ない。走ったら転がる。


 そうなると、残る選択肢は一つしかない。


(……ペットになろう)


 強いやつに守ってもらう。


 つまり。


 ご飯をもらう。屋根の下で寝る。守ってもらう。完璧だ。「できるか?」と聞かれることもない。


 問題は、飼い主選びを間違えたら即終了ってことくらいだ。


(優しくて、強くて、できれば金持ち)


 そんな都合のいい人間が、草原に落ちてるわけないよな。


 まあ、探すしかない。


 俺は、HP1のまま、ちまちまと草むらを這い始めた。


---


 日が傾きかけたころ、遠くから音がした。


 金属のぶつかる音。重いものが倒れる音。


 それから、人の気配。


(来た……!)


 飼い主候補だ。逃したら次はない。


 俺は草むらの手前で、深呼吸した。


(頼む、飼い主ガチャよ!)


(南無三!)


 勢いよく飛び出した。


『キュイ!』


 ぴちゃ。


 足元が濡れた。


 赤い。


(……え?)


 血だまりだった。


 顔を上げる。


 でかい。


 とにかくでかい。俺の視点が低いのを差し引いても、普通の人間の倍はある。そのでかい男が、全身血まみれで、抜き身の剣をぶら下げて立っていた。足元には、魔物が三体、ぴくりとも動かず転がっている。


 男が、ゆっくりこちらを向いた。


 目が合った。


(…………)


(魔物絶対許さないマンじゃん)


(あ、おわったわこれ)


 飼い主ガチャ、ひどいレアを引いた。


 いま俺は、魔物を三体斬ったばかりの男の目の前に、丸くてモフモフした魔物として飛び出したのだ。そりゃ斬られる。


 逃げよう。


 足が動かない。


 動いても、転がって死ぬ。


(ええい、ままよ!)


 俺は、全力で見上げた。


 前世で鍛えた愛想笑いを、全部目に込めた。


『キュル……』


 男は、動かなかった。


 剣を持った手も、動かなかった。


 長い沈黙。


「……小さい」


 低い声だった。地面の底から響くのに、やけに小さかった。


 男は、剣を地面に置いた。落とすのではなく、寝かせるように。


 それから、しゃがんで、血のついた手を自分の服で拭き始めた。


 拭いて、手を見て、また拭く。


(……何してんの?)


 やがて、でかい両手が、おそるおそる伸びてきた。


 指一本が、俺の身長くらいある。


(あ、握りつぶされる)


 目をつぶった。


 ……フワッと体の浮く感覚に、そっと目を開ける。


 すくい上げられて、両の手のひらで、そっと包まれている。


「怪我は、ないか」


 くるくる回される。短い手。短い足。丸い背中。最後にお腹まで確認された。


(ちょ、恥ずかしいんだけど)


「血がついている」


(お前の返り血だ!)


『キュイキュイ!』


「痛いのか」


(違う!)


『ギュイギュイ!』


「そうか、怖かったな」


(……違うんだよなあ)


 男は、俺を片手で包んだまま、もう片方の手で剣を拾った。


 そのまま歩き出す。


 揺れない。


 歩いてるのに、全然揺れない。


(運搬のプロかよ)


 魔物三体を一瞬で斬ったやつが、俺の身体を気遣って歩幅を小さくしている。


(……こいつ、めちゃくちゃ優しいじゃん)


(見た目は魔王、手つきは精密機械)


 これ、当たりでは?


 大当たりでは?


 草原の向こうに、街が見えてきた。石の壁。高い塔。夕日に染まる屋根の列。


(へえ、街ってこうなってたんだ)


 門の前の衛兵が、こちらを見て背筋を伸ばした。


「ガルド殿、お帰りなさ……その、手の中は……」


「拾った」


「ひ、拾った」


「小さい。怪我をしている。たぶん」


(してないって)


「しょ、承知しました! どうぞ!」


 衛兵が、ものすごい速さで道を空けた。


 街の人たちが、血まみれの大男と、その手の中の丸い何かを、ぎょっとして見ている。


(見られてる見られてる)


(まあ、いざとなったら、この街なら別の飼い主も見つかるだろ)


 などと、早速保険をかけながら、俺は思った。


 こいつなら、当たりだな。


---


 ガルドの住まいは、騎士団の独身寮だった。


 石造りの無骨な建物の、最上階の端。


 扉を開けると、がらんとした空気が出迎えた。


 ベッド。机。椅子。壁に剣立て。窓際に、植木鉢がひとつ。


 以上。


(物、少なっ)


 ガルドは、俺を持ったまま部屋の真ん中で立ち尽くした。


 何をすればいいのか、本気で分からない顔だった。


「……ここに、いるか」


 机に清潔な布を畳んで置いて、その上に、俺をそっと乗せる。


 それから、鎧を外し始めた。


 鎧の下は、傷だらけだった。古い傷痕が、いくつも。


(うわ、痛そう)


 本人は気にもせず、湯を沸かして身体を拭いている。


(お前も怪我してんじゃねーか)


『キュイ?』


 つい鳴いてしまった。ガルドが振り向く。


「どうした」


(手当てしろよ)


『キュイキュイ』


「腹が減ったのか」


(違う)


「少し待て。俺が先に拭く」


(順番の問題じゃねえ!)


 ……早々に諦めた。


 丸くなって目を閉じる。こうなりゃ、ふて寝だ。


 夜になって、ガルドがベッドに腰を下ろした。ぎし、とベッドが鳴いた。


「……名前は、ないのか」


(モフモフだよ。種族名だよ)


『キュイ』


「そうか」


 何が「そうか」なんだ。


 ランプを消す前に、ガルドの手が俺のほうへ伸びかけて、止まった。


「……眠そうだな」


 全然眠くない。


『キュイ』


「そうだな。寝よう」


 ランプが消えた。


 暗闇の中で、ガルドの呼吸だけが聞こえた。


 翌朝、身支度を終えたガルドは、扉の前で一度止まって、俺のところへ戻ってきた。


「行ってくる」


 指先で、頭をちょんと撫でられた。


 指が、でかい。


『キュイ』


「……いい子にしていろ」


 扉が閉まった。


 静かな部屋で、俺は首をかしげた。


(……俺に言ったの、今の?)


 誰もいない部屋に挨拶する人間は、たまにいる。でも今のは、ちゃんとこっちを見て言っていた。


 まあいいか。丸まって二度寝した。


---


 夕方、扉の音で目が覚めた。


 重い、でも静かな足音。


「ただいま」


『キュイ!』


 反射で返事をしていた。


(あ、つい)


 ガルドの動きが、一瞬止まった。


「……ああ」


 何が「ああ」だ。


 ガルドは椅子に座って、机の上の俺と向き合った。


 しばらく、無言。


「……腹は」


『キュイ!』


(減ってる! 何も食ってない!)


「……一体、何を食べるんだ」


(それを今から考えるんだろ)


 ガルドは真剣に腕を組んだ。


「花の蜜、とかか」


(何言ってやがるコイツ)


 確かに見た目は蜜でも吸ってそうだけど。中身は残業続きの元会社員だ。蜜では生きていけない。


 ガルドは部屋の棚を漁って、野菜の載った皿を持ってきた。


「これなら、食べられるか」


 一口、かじる。


 しゃく。


(野菜だな)


 野菜だった。普通に野菜。


 満たされない。


 顔を上げると、ガルドが自分の夕食を食べようとしていた。


 皿の上には、分厚い肉。


 焼けた匂いが、鼻の奥に刺さった。


(……肉)


 目が離せない。


 ガルドが、俺の視線に気づいた。


 肉。俺。肉。俺。


「……これ、か?」


(そう、それだ!)


『キュイ!』


「人間の食べ物だ。お前には、強すぎるかもしれない」


(元人間だぞ!)


『キュイキュイキュイ!』


「……少しだけ、だぞ」


 ガルドは、自分のスプーンで肉をすくった。


 本当に一かけだった。指の先くらいの。


 それを、そうっと俺の口元に近づけてくる。


 スプーンが、小刻みに震えていた。


 魔物を三体斬ったやつの手が、肉一かけで震えている。


(緊張しすぎだろ)


 はむり。


 はむり。


(…………うまい)


(肉、うまい……!)


 夢中で噛んでいたら、ガルドがスプーンを、ぴくりとも動かさずに持ち続けていることに気づいた。


 食べ終わると、ガルドは小さく息を吐いた。


「……食べた」


 それから、俺がじっと見ていると、少し戸惑ったように聞いてきた。


「もう少し、いるか」


『キュイ!』


「……ああ」


 その夜、ガルドは、自分の肉を三分の一ほど俺に分けた。


 自分の皿が減っていることには、気づいていたと思う。何も言わなかったけど。


 翌日の夕食。


 ガルドが肉にフォークを入れようとして、手を止めた。


 俺は、机の上で前足を揃えて、じっと見ていた。


「……これか?」


『キュイ』


 肉を一かけ。


 はむり。


(うむ)


「よかった」


 翌々日も。その次の日も。


 三日目には、ガルドは最初から、スプーンを持って食事を始めるようになった。


 五日目には、俺が何も言わなくても、スプーンが近づいてきた。


 十日目の夜は、魚だった。


 肉じゃない。皿の上は、どう見ても魚。


 ガルドは魚をひとかけ、スプーンに乗せて、俺の口元に持ってきた。


(いや、肉じゃなくて……)


(……うまいけど)


 はむり。


(うむ)


「よかった」


 ……そうなるのか。


 肉じゃなくても、一かけ分けるのか。


---


 半月も経つと、生活のリズムができてきた。


 朝、ガルドが先に起きる。ベッドの揺れで、足元の俺も目を覚ます。


「起きたか」


『キュイ』


「まだ寝ていていい」


(もう起きたよ)


 身支度をして、剣を腰に下げて、扉の前で振り向く。


「行ってくる」


『キュイ』


 頭をちょん。


 夕方になると、扉が開く。


「ただいま」


『キュイ!』


 これを、毎日やる。


 休みの日は、ガルドが俺を肩掛けの袋に入れて、街へ出る。


 袋の内側には、柔らかい布が敷いてあった。縫い目が、ところどころ曲がっている。


(……これ、自分で縫ったのか)


 あの手で、針を。


 想像して、ちょっと笑ってしまった。


 袋の縁から顔だけ出して、街を眺める。市場。屋台。行き交う人。


 ガルドが歩くと、人が避ける。


 本人はただ歩いているだけなのに、人の波が、すっと割れる。


(どんだけ怖がられてんだよ)


 ふと、通りすがりの子どもと目が合った。


「あ、モフモフ!」


 子どもが駆け寄ろうとして、ガルドの顔を見上げた。


 固まった。


「……ひっ」


 母親が慌てて子どもを抱え上げて、ぺこぺこしながら去っていく。


 ガルドの肩が、ほんの少し落ちた。


「……すまない」


 誰に謝ってるんだ。


(お前が悪いわけじゃない。顔が怖いだけだ)


 それは悪いのでは、と思いながら、袋から短い手を伸ばして、ガルドの腕をぺたぺた叩いた。


『キュイ』


「……励ましてくれているのか」


(そう! それ! 合ってる!)


『キュイキュイ!』


「……ありがとう」


 当たった。


 数少ない、噛み合った瞬間だ。


 で、その五分後。


(あの焼き菓子、食ってみたいな)


『キュイ』


「どうした」


(あの屋台の、あれ)


『キュイキュイ』


「……疲れたか」


(違う)


「少し休むか」


 ベンチに座らされた。


(だから違うって!)


『ギュイギュイ!』


「眠いのか」


(ちがーう!)


 手をばたばた振って、屋台のほうを指す。


 ガルドの視線が、やっと動いた。


「……あれが、欲しいのか」


『キュイ!』


 ガルドは、しばらく屋台を見つめて、ぼそりと言った。


「あの店の主人は、俺を見ると怯える」


(……あー)


(それは、そうだな)


 しゃーない。


 俺は袋から身を乗り出して、ガルドを見上げた。


『キュイ』


(行こうぜ。俺がついてってやる)


 ガルドが、立ち上がった。


 屋台の主人は、ガルドを見るなり青ざめた。


「へ、へい! い、いらっしゃ……」


「その、丸いのを、ひとつ」


「はいぃぃ!」


 震える手で焼き菓子が差し出される。


 そこで、俺が袋から顔を出した。


『キュイ!』


「……あっ、モフモフ!」


「連れだ」


「かっ、かわいい……! おまけします! もうひとつ!」


「いや、金は払う」


「いえいえ! いえいえいえ!」


 焼き菓子は、二つになった。


 帰り道、ガルドが、焼き菓子をひとつ割って、俺の口元に差し出した。


 はむり。


(……甘い)


 残りは、ガルドが食べた。


 ひげの奥で、口元が少し緩んでいる。


(こいつ、甘党か)


 ひとつ、飼い主のことを知った。


 その夜。


 ガルドは、椅子に座ったまま、ぼんやりしていた。


 疲れているのか、何か考えているのか、分からない。


 俺は、机から椅子の背へ、椅子の背からガルドの膝へ、のろのろよじ登った。


 のろ。のろ。


 膝に着いて、丸くなる。


 ガルドが、固まった。


「……」


(なんだよ。重いか)


 しばらくして、背中に、大きな手がそっと置かれた。


 撫でるというより、乗せているだけ。


 そのまま、動かない。


 窓の外で、街の灯りが揺れていた。


(……悪くないな、これ)


 ペット生活、悪くない。


---


 ガルドは、とにかく呼ばれる。


 朝、出かけて。夕方、帰ってくる。……のはずが、帰りが遅くなる日が出てきた。翌朝になる日も。二日、帰らない日も。


 そして帰ってくると、必ず怪我をしている。


 その夜も、扉が開く音で、俺は飛び起きた。


 足音が、いつもと違う。


 引きずるような、重い音。


「……ただいま」


 声が、掠れていた。


『キュイ!』


 飛び出した俺は、ガルドを見て、固まった。


 左腕が、赤い。


 布で縛って止血してある。顔色も悪い。


(おい)


(おいおいおい)


「大丈夫だ。たいした傷ではない」


(たいした傷だろ!)


『ギュイギュイ!』


 俺は、ガルドの足元で、全身を使って怒鳴った。


 短い手足をばたばたさせて、その場でぴょんぴょん跳ねて。


(お前、なにやってる!)


『ギュイ!』


(無茶しすぎだろ!)


『ギュイギュイ!』


「……すまない」


(謝るところ、そこじゃねーんだよ!)


 ガルドは、おろおろと俺を見下ろしている。


 何を怒られているのか、よく分かっていない顔だ。


 それでも、ぽつりと言った。


「……心配してくれているのか」


 俺の動きが止まった。


(……べつに)


(べつに、してねーし)


『キュル』


「そうか」


 そうか、じゃない。


 なんか顔が熱い。怒ってるのか照れてるのか、自分でも分からない。


(とにかく手当てだ!)


 棚から薬箱を引っ張り出して、包帯をずるずる運ぼうとした。


 重い。


 包帯と一緒に、ころころ転がった。


(あっ、HP!)


 ひやっとした。


 結局、ガルドが自分で包帯を巻いた。俺はその横で、最後まで見張っていた。


 翌日の昼。


 ガルドは、また呼び出された。


 傷はまだ塞がっていないはずなのに、普通に鎧を着て、剣を下げる。


 俺は、扉の前に立ちふさがった。


『ギュイ!』


 両手を広げて。


 ガルドが、立ち止まった。


「……どうした」


(休め! 怪我してるだろ!)


『ギュイギュイ!』


「……仕事だ」


(仕事とか知るか!)


 ガルドは、しゃがんで、俺の頭に指を置いた。


「すぐに戻る」


(嘘つけ)


 ……こうなったら、見に行ってやる。


 俺は壁にかかった袋に、自分から飛び込んだ。


 扉の前で、ガルドが振り返る。


 袋を見て、中を見て、止まった。


「……来るのか」


『キュイ』


(行く。連れてけ)


「…………静かにしていろよ」


 袋が、ガルドの肩にかかった。


 騎士団の詰所は、石造りの立派な建物だった。


 廊下を行くと、騎士たちがガルドを見て、道を空ける。敬礼なのかびびっているのか、微妙な動きをしている。


(人気者なのか恐れられてるのか、どっちだ)


 一番奥の扉の前で、ガルドが止まった。


「団長。ガルドです」


「入れ」


 白髪まじりの、目の鋭い男が座っていた。


 団長は書類から顔を上げて、ガルドを見て、それから袋の縁に目を向けた。


 俺は、袋の縁から顔だけ出していた。


 団長の眉が、ぴくりと動いた。


「……それが、噂の」


「はい」


「まあいい。本題だ」


 団長は、机の上の地図を、とんと叩いた。


「北の街道に、大型の魔物の群れが出た。商隊が三つ、足止めされている」


「はい」


「うちの隊は、他で出払っている。人は割けない」


 少し間が空いた。


「……できるか?」


「はい」


 一秒も、間がなかった。


(…………)


(…………は?)


(今、考えなかったよな? 怪我は? 一人で? 一人で行くの?)


「すまない。頼りにしている」


「はい」


 あ。


 この感じ。


 この、机を指で叩く感じ。


 断れない空気。


 「できるか?」の次に来る、「はい」。


(前世の上司かよ!)


 思わず袋の中で叫んでいた。


『ギュイッ!』


 団長が、こちらを見た。


 ガルドも見た。


「……どうした」


(どうしたじゃない! 「はい」以外の選択肢を持て!)


『ギュイギュイ!』


「静かにしていろ」


(お前もか!)


 団長が、小さく咳払いをした。


「ガルド。そのモフモフは、お前の連れか」


「はい」


「大切にしているか」


「はい」


 即答だった。


 ここは即答なのか。


 団長の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。


「……そうか。ならいい」


 廊下を歩きながら、俺は袋の中で考えた。


 あの団長、悪い人には見えなかった。目が、ちょっと申し訳なさそうだった。


 それでも、「できるか?」「はい」は危険信号だ。


 このままだと、ガルドはまた傷だらけで帰ってくる。


(……見張っとくしかないな)


 その夜、ガルドは、背中に怪我をして帰ってきた。


 俺は肩に飛び乗って、耳元で怒鳴った。


『ギュイギュイギュイ!』


(いい加減にしろ! 身体は一つしかないんだぞ!)


「……分かった。分かったから」


 何も分かってない。


 それでも、ガルドは、俺を両手で包んで胸の前に抱えた。


「……心配をかけた」


(……分かってるなら休め)


『キュル……』


 そのあと、肉を一かけ。


「……これか?」


 はむり。


(……うむ)


 怒っていたのに、肉はうまかった。


 悔しい。


---


 それから、ひと月ほどが過ぎた。


 朝、「行ってくる」。夕方、「ただいま」。夜、肉を一かけ。


 ガルドの怪我は、減らなかった。


 俺の怒鳴り声も、減らなかった。


 ただ、少しだけ変わったこともある。


『キュイ!』


「……肉か」


(違う)


『キュイ?』


「……撫でるか」


(それも違う)


『キュイキュイ!』


「……窓を、開けるのか」


(……当たり)


 当たったときの、ガルドの顔が、ちょっといい。


 ひげの奥で、目だけが少し光る。


 悪い気はしない。


 その日、ガルドは、いつもより早く部屋に戻ってきていた。


 扉が、勢いよく開く。


「ガルド、急ぎだ」


 団長だった。息が上がっている。


「南の国境で、大規模な襲来だ。精鋭は先に出ている。お前の力が必要だ。今から出られるか」


「はい」


「頼む」


「はい」


 ガルドは、もう動き始めていた。


 鎧。剣。小さな荷物。迷いのない手つき。


 その手が、ふと止まった。


 机の上の、俺を見る。


 近づいて、屈んだ。


「……少し、出る」


『キュイ?』


(少しって、どのくらいだ)


「すぐに戻る」


『キュイキュイ?』


(すぐって、いつだよ)


 ガルドの指が、俺の頭に伸びて、途中で止まった。


 それから、指ではなく、手のひら全体で、そっと包んだ。


 いつもより、長く。


「……行ってくる」


『キュイ!』


(おい、待て! いつ帰ってくるんだ!)


『キュイキュイ!』


 ガルドは立ち上がって、団長に頭を下げた。


「こいつを、頼みます」


「ああ」


「餌は、肉を、一かけ。夕食のときに」


「……肉を、一かけ?」


「はい。それだけは、必ず」


 団長は、少し目を丸くしてから、頷いた。


「……分かった」


 ガルドは、もう一度だけ俺を見て、扉を開けた。


 足音が、階段を降りていく。


 重い音が、聞こえなくなるまで、俺は机の上で動けなかった。


---


 団長は、扉を閉めて、息をついた。


「あのガルドがな……」


 それから、俺の机に近づいてきた。


「おい、ガルドに君の世話を頼まれたぞ」


『キュイ?』


「お前のご主人は、急な遠征だ」


(遠征?)


『キュイ?』


「任務が終わるまで、帰って来られない」


(いつだ? 何日だ? 一週間か? 一ヶ月か?)


『キュイキュイ! キュイ!』


 団長は、必死な俺をじっと見て、考えて、言った。


「……餌が、欲しいのか」


(ちがう!)


「これか?」


 ざざざ。


 皿に、穀物が流し込まれた。


(そうじゃなくて!)


「おい! いつ帰ってくるんだ!」


『キュイ! キュイキュイ!』


「大人しくしていてくれよ」


 団長は、扉へ歩いていく。


「夕方、また来る。肉は、そのときだ」


(待て! 話が終わってない!)


『キュイイイ!』


 ガチャ。


 扉が閉まった。


(違うんだよ……!)


 皿の前で座り込んだ。


 穀物は、食べる気がしなかった。


 夕方、団長は約束どおり来た。


 小さな肉の包みを開けて、ナイフで、慎重に切り分ける。


「……こう、か?」


 指でつまんだ肉が、ぐいっと口元に差し出された。


(違う。そうじゃない)


 ガルドは、スプーンだった。


 ガルドは、揺らさなかった。


 ……仕方ない。はむり。


 肉の質は同じはずなのに、なんか違った。


「食べたな」


 団長が、ほっと息をついた。


(……うむ)


 その夜、団長は帰らなかった。


 椅子に座って、ベッドの足元の俺を、黙って眺めている。


 いつもなら、足音を待つ時間だった。


 扉の外に、耳を澄ませる時間。


 でも、今日は来ない。


『ギュイ……』


「……落ち着かないか」


(当たり前だろ)


「ガルドのことが、気になるか」


(お、分かってるじゃないか)


『キュイ』


「そうか」


 団長は、しばらく黙っていた。


 それから、独り言みたいに、話し始めた。


「あいつは、孤児でな」


 俺は、顔を上げた。


「親の顔も、知らん。小さい頃はメシもろくに食ってなかったんだ」


(……)


「冬に衛兵に拾われたことがあってな。温かいスープをもらった。それが、よほど嬉しかったらしい」


 団長は、少し笑った。


「大きくなったら、自分も衛兵になる。そう言っていたそうだ」


(……いいやつだな)


「ところが、あいつの身体が、規格外でな」


(それは知ってる)


「力も速さも、衛兵の枠に収まらなかった。……気がついたら、騎士団にいた」


「実力があるから、危険な任務ばかり回される。身寄りもないから、誰も止めない」


 団長は、自分の手を見下ろした。


「最初に仕事を頼んだのは、あいつが十八のときだ。迷わずに、『はい』と言った」


「……それから、一度も、断られたことがない」


(……断れよ)


『ギュイ』


「あいつは、断り方を、知らんのだろう」


(教えてやれよ)


『ギュイ!』


「……私は、あいつを信頼している」


 団長は、そこで一度、言葉を切った。


「……頼りすぎてもいる」


 団長の声が、少し低くなった。


「分かっているんだ」


(分かってるなら、やめろよ)


『ギュイギュイ!』


「だがな」


 団長は、俺のほうを見た。


「最近、あいつは変わったんだ」


「任務が終わるとな、『帰ります』って言うようになった」


「前は……そのまま次の仕事を受けていたんだがな」


 団長は、少し黙った。


「任務中にも、君の話をするらしい」


「出かける前には、必ず君の顔を見ていくそうだ」


(……そんなの、俺は聞いてないぞ)


 ガルドは、俺に何も言わなかった。


 言ったのは、「行ってくる」と、「ただいま」と、肉を一かけ。


 それだけだった。


 団長が、静かに頭を下げた。


 俺に向かって。


 小さい、丸い、モフモフに向かって。


「あいつのそばに、君はいてくれ」


(…………)


(勝手すぎるだろ、お前ら全員!)


『ギュイギュイ!』


「分かっている」


(もっと休ませろ!)


『ギュイギュイ!』


「……ああ」


(出世しすぎなんだよ! キリねーんだよ!)


『ギュイ!』


 団長は、苦笑いに近い顔で、俺の怒鳴り声を受け止めていた。


「……そうだな」


 団長は、もう一度、言った。


「あいつのそばに、君はいてくれ」


 前世では、頼まれるたびに「はい」と言っていた。あいつと一緒だ。


 だから、これは断れないんじゃない。俺がそうしたい。


『キュイ』


(……それは、約束する)


 団長は、小さく頷いた。


「ありがとう」


 扉が閉まる。


 部屋が、静かになった。


---


 団長は、毎日来た。


 肉を一かけ。毎日。


 持ち方は、日に日にうまくなった。指でつまんでいたのが、三日目には、スプーンになった。


「……こう、か?」


 はむり。


(……八十点)


『キュイ』


「……そうか」


 団長が、少し誇らしそうな顔をした。


 でも、ガルドの肉のほうが、うまい。


 不思議だ。同じ肉なのに。


 夜は、静かだった。


 ベッドの揺れも、呼吸も、衣擦れもない。


 俺は毎晩、扉の外に耳を澄ませた。


 足音。階段を上る、重い音。扉の前で、一度止まる気配。


(……別に、待ってるわけじゃない)


(あの怪我だらけの馬鹿が、どうなってるか、気になるだけだ)


(ペットとして、飼い主の安否は確認しないとな)


 誰も聞いていないのに、言い訳をした。


 一週間。十日。二週間。


 夜風が、冷たくなってきた。


 俺は、ガルドが使っていた毛布の端に、ぴったりくっついて眠った。


 少しだけ、ガルドの匂いがした。


(……帰ってこいよ)


(肉の渡し方、団長より、お前のほうが上手いんだから)


---


 その夜も、眠れなかった。


 足音。


 階段を上る足音。


 重い。ゆっくり。


 少し、引きずるような。


(……!)


 扉の前で、一度止まる気配。


 知ってる。


 この気配は、知ってる。


 扉が開いた。


 ぎい、といつもの音。


 泥だらけで、血だらけで、でも確かにそこにいる、でかい男が立っていた。


「ただいま」


 その声を聞いた瞬間、身体が勝手に動いた。


『キュイイイイイイイ!』


 ベッドから飛び降りて、床をぺたぺた走って、ガルドの足元に突っ込んだ。


『キュイ! キュイキュイキュイ!』


(遅いんだよ!)


(何日かかってんだ!)


(怪我してるじゃねーか!)


(心配しただろうが!)


 ブーツに頭突きをした。短い手で、足をぽかぽか叩いた。


 全然痛くないはずだ。


 ガルドは、足元の俺を見下ろして、動かなかった。


 何も言わなかった。


 それから、ゆっくりしゃがんで、両手を差し出した。


 傷だらけの、大きな手。


 その手が、ほんの少し震えていた。


 俺は、迷わず乗った。


 胸の前に抱え上げられる。


 泥と血と鉄の匂い。


 その奥に、いつもの匂いが、ちゃんとあった。


「……ただいま」


 もう一度、ガルドが言った。


 さっきより、小さい声だった。


『キュイ』


(……帰ってきてよかった)


 ガルドが、長く息を吐いた。ずっと止めていたみたいな息だった。


「……ああ」


 それだけだった。


 しばらくそのままでいて、ふと我に返った。


(……いや、待て。手当てしろ)


 ばたばたして、腕から抜け出す。


「……どうした」


(怪我だよ! まず座れ!)


『ギュイギュイ!』


「……ああ」


 ガルドは、素直に椅子に座った。


 手当てが終わるころには、夕食の時間は、とうに過ぎていた。


 ガルドは、荷物から小さな包みを出した。一口ぶんだけ切って、スプーンに乗せる。


「……土産だ」


 俺の前には、一かけの肉。


 ……土産。


 俺に?


 ガルドが、遠征先から?


 スプーンが、そっと近づいてくる。


 揺れない。


 はむり。


(…………)


 やっぱり、ガルドの肉はうまかった。


(……うむ)


「よかった」


---


 ガルドの怪我が治るまで、団長は、長めの休暇を出した。


 最初、ガルドは「働けます」と言って断ろうとした。


 そこに俺が全力で割り込んで怒鳴ったら、おとなしくなった。


『ギュイギュイギュイ!』


(休め! いいから休め!)


「……分かった」


 団長が、横でぼそりと言った。


「……こいつ、君の言うことだけは、聞くよな」


(当たり前だ)


 このデカいのを止められるのは、俺しかいない。


 翌朝。


 ガルドが、起きる。


 俺も、足元でもぞもぞ起きる。


「おはよう」


『キュイ』


 ガルドは、身支度をして、扉の前まで歩いていって、振り返った。


「行ってく……」


 止まった。


「……今日は、休みだったな」


(そうだぞ)


 しばらく考えて、ガルドは言った。


「散歩にでも、行くか」


『キュイ!』


 俺は、自分から、壁の袋に飛び込んだ。


 縫い目の曲がった袋に、すっぽり収まる。


 顔だけ出す。


 焼き菓子の屋台の前を通ると、店の主人が手を振った。


「あ! モフモフ! お連れ様!」


「……ああ」


「おまけ、つけますよ!」


「いや、金は払う」


「いえいえ! いえいえいえ!」


 この押し問答は、もう四回目だ。


 公園のベンチで、ガルドが焼き菓子を割る。


 はむり。


(……甘い)


 残りを、ガルドが食べる。


「……うまいな」


『キュイ』


(うまい)


 空が高い。


 風が、ゆっくり吹いている。


「……どうした」


 手のひらの上で、俺はぺたんと座り込んでいた。


『キュイ』


「……肉か?」


(違う)


「……撫でるか?」


(……それは、当たり)


 指が、頭にそっと触れた。


 いつもより、ほんの少しだけ、やさしい気がした。


(しょうがねーな)


(このデカいのは、俺がいないと駄目なんだから)


 夕方、寮に戻った。


 階段を上って、扉の前でガルドが足を止める。


 鍵を回して、扉を開ける。


 誰もいない部屋に向かって、ガルドが小さく言った。


「ただいま」


 いや、誰もいないんじゃない。


 袋の中に、俺がいる。


『キュイ』


 ガルドが、袋の中をちらりと覗いて、目を細めた。


「……ああ」


 何が「ああ」なのかは、相変わらず分からない。


 でも、たぶん、それでいい。


 夕食の時間。


 机の上に、湯気を立てる分厚い肉。


 俺は、定位置で、前足を揃えて待っていた。


 ガルドが、スプーンを手に取る。


 肉を、一かけ。


 はむり。


(……うむ)


「よかった」


 今日も、肉はうまかった。


 ペットになる覚悟は、できていた。


 飼い主の面倒まで見る覚悟は、してなかったけど。


 まあ、悪くない。


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