大好きなパンケーキを頬張った。味がしなかった。その日人類は味覚を失った。
大好きなパンケーキを頬張った。味がしなかった。
最初のひと口を飲み込んだとき、私は思わず店員さんを呼びそうになった。
会社へ向かう前、駅前の喫茶店で食べる週に一度のパンケーキが、私のささやかな楽しみだった。厚くて、ふわふわで、ナイフを入れると湯気がほわりと立ちのぼる。バターがじゅわっとしみて、メープルシロップが表面を照らす。それを口いっぱいに頬張る瞬間のために、月曜から金曜まで働いているようなものだった。
なのに、その朝は違った。
舌の上にあるのは、温度とやわらかさだけだった。甘さも、卵の香りも、焦げ目の香ばしさも、何ひとつ感じない。ただ、少し温かいスポンジのかたまりを噛んでいるような、不気味な感覚だけがあった。
風邪だろうか、と思った。
けれど店内を見回すと、あちこちで同じような顔が浮かんでいた。コーヒーをひと口飲んで首をかしげるサラリーマン。サンドイッチを噛んだまま眉を寄せる女子高生。厨房の奥では、シェフが自分でソースを舐めて、青ざめた顔で立ち尽くしていた。
ほどなくして、店内のテレビが緊急ニュースに切り替わった。
『現在、国内外で同様の報告が相次いでいます。味覚の喪失は地域や年齢を問わず発生しており――』
女性アナウンサーの声は落ち着いていたけれど、その目は明らかに怯えていた。
私はフォークを置いた。窓の外では、人々が立ち止まり、スマホを見つめ、誰かと何かを確かめ合っていた。まるで世界が一瞬で薄い膜に覆われてしまったみたいに、景色全体が現実味を失って見えた。
その日、人類は味覚を失った。
私の名前は真鍋紗季、二十七歳。都内の広告代理店で働く、どこにでもいるOLだ。
……と、自分では思っている。
朝はぎりぎりまで寝て、満員電車に揺られ、会社に着いたらコーヒーを淹れ、上司の機嫌を読みながら資料を作る。残業の帰りにコンビニで甘いものを買って、疲れた頭をなだめる。恋人はいない。結婚の予定もない。家賃の高いワンルームで、観葉植物だけが少しずつ育っていく。
そんな私の日常は、あまりに普通で、だからこそ小さな楽しみの価値が大きかった。
パンケーキ。
ラーメン。
コンビニの新作アイス。
金曜の夜のビール。
実家から送られてくるみかん。
冬の肉まん。
誰かと行く焼肉。
ひとりで食べる深夜のカップ麺。
食べることは、私にとって「生きてる感じ」そのものだった。
それが、なくなった。
会社は半日で業務停止になった。
社員食堂で昼食をとった人たちが次々にざわつきはじめ、総務がテレビをつけ、社内チャットには「唐揚げが段ボールみたい」「味噌汁がお湯」「いや塩辛さは少しある?」みたいなメッセージが飛び交った。けれどほどなくして、その「少しある」も錯覚だとわかった。
味覚は、完全に消えていた。
帰宅途中、コンビニに寄ると棚は異様な雰囲気だった。高級スイーツや人気の弁当には誰も手を伸ばさず、逆に栄養補助食品やプロテインドリンク、ゼリー飲料のコーナーに人が群がっていた。レジ横のおでんは、湯気を立てながら誰にも見向きもされずにいた。
家に帰って、冷蔵庫にあったプリンを食べた。
なめらかな食感はあった。でも、甘くない。カラメルも、卵の濃さも、何もない。
私はスプーンを置いて、しばらく動けなかった。
涙が出るほど悲しい、というのとは少し違った。
もっと静かな絶望だった。
大事にしていたアルバムの写真が、ある日突然全部白紙になってしまったような。思い出はあるのに、そこに触れられない感じ。たしかに知っているはずなのに、二度と戻れない場所ができてしまった感じ。
その夜、SNSは「#味覚消失」で埋め尽くされた。
怒る人、笑い飛ばす人、陰謀論を語る人、レシピ研究者として終わったと泣く人、これでダイエットが捗ると書く人。世界中が混乱しながらも、皆どこかで「そのうち治る」と思っている気配があった。
私もそう思いたかった。
でも、ベッドの中で思い出したのは、今朝食べたパンケーキの、あの無音みたいな口当たりだった。
あれはたぶん、そう簡単には戻らない。
そんな予感がしていた。
一週間後、街は少し変わった。
飲食店は次々と閉店した。正確には、完全に閉める店もあれば、「栄養提供施設」のような形に業態を変える店もあった。グルメ雑誌は休刊し、人気料理番組は放送内容を変更し、「食感」や「見た目」、「思い出」を語る奇妙な番組になった。
会社も変わった。食品メーカーを担当していた営業部は大混乱で、私たち制作チームも連日対応に追われた。
「新商品の訴求ポイント、味以外で考えて」
「食感、健康、時短、安心感……」
「いやもう全部むなしくない?」
「むなしいとか言わないで」
会議室で飛び交う言葉はどれも地面から少し浮いていて、誰も本気で納得していないのがわかった。
昼休み、同期の由梨と社員用ラウンジで栄養バーをかじった。チョコ味のはずなのに、石膏みたいだった。
「さすがにへこむね」
由梨は笑って言った。でもその笑顔は、目元だけが疲れていた。
「昨日、彼氏と焼肉行ったんだって」
「行ったんだ」
「最後の思い出にしようって。でもさ、思い出にもならないの。なんにも味しないから」
「……」
「で、店出たあと二人とも無言になって。別れ話みたいな空気になった」
私は返す言葉が見つからなかった。
味がなくなると、食事が変わるだけじゃない。
人と人の間にある、やわらかい時間の形まで変わってしまうのだ。
歓迎会、送別会、デート、家族団らん、ひとりの慰め。
そういう場面の中心には、いつも食べ物があった。
味のない世界では、沈黙だけが前より少し重かった。
それから数か月が過ぎた。
人類は案外しぶとく順応した。
完全栄養食の市場は急拡大し、食事は「楽しみ」から「効率」へと急速に傾いた。昼休みは短縮され、仕事終わりに飲みに行く文化はほとんど消えた。かわりに、音や温度、噛みごたえを重視した新しい「食体験」が流行りはじめた。
けれど私は、どうしても慣れきれなかった。
帰り道、商店街のたい焼き屋の前を通るたびに立ち止まってしまう。子どものころ、母に買ってもらった焼きたてのたい焼き。しっぽまであんこが入っていると少しうれしかったこと。冬の帰り道、手のひら越しに伝わる熱。
そういう記憶ばかりが、妙にはっきりしていった。
味が消えてから、私はよく昔を思い出すようになった。
小学生のころ、熱を出した日に父が作ってくれたおかゆ。
受験勉強の夜に食べたカップ焼きそば。
就職が決まった日に母と行った回転寿司。
上京した最初の夜、ひとりで食べたコンビニのおにぎり。
あのときは、どれもただの食事だった。
特別だなんて思っていなかった。
失ってから気づくなんて、ありふれていて、情けない。
冬のはじめ、実家の母から小包が届いた。
中には、手編みのマフラーと、いつものみかんが入っていた。箱を開けた瞬間、かすかに柑橘の香りがした気がした。けれど、それだけだ。
電話をかけると、母は開口一番こう言った。
「みかん送ったけど、もう意味ないわねえ」
冗談めかしていたけれど、少し声が震えていた。
「そんなことないよ」
「剥きやすいし、水分あるし」
「そういう意味じゃなくて」
母は少し黙った。
「紗季、あんた、小さいころね。熱出すとみかんしか食べなかったのよ」
「そうだっけ」
「そう。ひと房食べるたびに、すっぱーいって顔してた」
「……覚えてない」
「私は覚えてる」
その一言が、胸に刺さった。
私はみかんをひとつ手に取った。皮を剥くと、白い筋が指にまとわりつく。房を口に入れてみる。やっぱり味はしない。ただ、果汁の冷たさだけが舌に広がる。
なのに、不意に泣きそうになった。
味がしなくても、そのみかんはたしかに母の送ってくれたみかんだった。
あの冬の記憶とつながっていた。
「ねえ、お母さん」
「なに」
「味って、舌だけで感じてたわけじゃないのかもね」
受話器の向こうで、母が少し笑った気配がした。
「今さら賢そうなこと言って」
「今さらだよ」
「でも、そうかもねえ」
その日から、私は少しずつ食事の記録をつけはじめた。
何を食べたか、ではなく。
誰と食べたか。どんな光だったか。どんな話をしていたか。どんな気分だったか。
たとえば、
雨の帰り道にコンビニで買った肉まん。レジの店員さんが眠そうだったこと。
由梨と残業終わりに食べたパスタ。窓際の席で、隣のカップルが別れ話をしていたこと。
休日にひとりで焼いたホットケーキ。形がいびつで、少し焦がしたこと。
実家で囲んだ鍋。父が白菜を入れすぎて、鍋が山みたいになったこと。
味は書けない。
でも、それでも食事は空っぽではなかった。
もしかしたら昔からそうだったのかもしれない。味は入口にすぎなくて、本当に私たちを満たしていたのは、その場に流れる時間そのものだったのかもしれない。
もちろん、そんなふうにきれいには割り切れない日もある。
無性に、あのパンケーキの甘さを思い出して苦しくなる朝もある。
疲れ果てて、せめておいしいものが食べたいと願ってしまう夜もある。
世界は欠けたままだ。
それでも、人は欠けたまま生きていくしかない。
春の気配が近づいたある日、私は久しぶりにあの喫茶店へ行った。
例のパンケーキはまだメニューに残っていた。説明文は変わっていたけれど。
――懐かしさを召し上がれ。
思わず笑ってしまった。
注文して待っていると、店内には静かなピアノが流れていた。窓際には学生の二人組、奥には老夫婦。みんなそれぞれの皿を前にして、食べるというより、そこに座る時間を過ごしていた。
運ばれてきたパンケーキは、前と同じように湯気を立てていた。
ナイフを入れる。
バターが溶ける。
シロップが光る。
私はひと口、ゆっくり頬張った。
やっぱり味はしない。
でも、その瞬間、なぜだか最初の日のような絶望はなかった。
窓の外を電車が通り、店員さんが水を注ぎ、隣の席の女の子が小さく笑う。フォークの銀色。皿の白さ。バターの感触。指先に伝わる温かさ。胸の奥から浮かぶ、あの日まで何度も味わってきた幸福の記憶。
味は、戻らなかった。
たぶん明日も戻らない。
それでも私は、もう知っていた。
失ったものだけを数えて生きるには、世界はまだ少しだけやさしい。
私はもう一口、パンケーキを食べた。
味のない生地を噛みしめながら、たしかに思った。
――それでも、今日はちゃんと、おいしい日だ。




