第6話「白銀の毛並みと木漏れ日」
浮遊島での生活は、ルカがこれまで知っていた時間の流れとはまったく異なっていた。
誰かに怒鳴られて跳ね起きる朝も、冷たい泥水に足を取られながら畑を這いつくばる昼も、飢えに苦しみながら暗い納屋で震える夜もない。ここにあるのは、穏やかに流れる風の音と、鳥たちのさえずり、そしてどこまでも甘く澄んだ空気だけだった。
昼下がりの陽光が、神殿の裏手に広がる庭園を金色に染め上げている。
ルカは柔らかい草の上に腰を下ろし、目の前でくつろぐ巨大な獣を静かに見つめていた。レオンは人間の姿ではなく、雪の森で初めて出会ったときの白銀の狼の姿をとっていた。大きな体を丸め、前足に顎を乗せて静かに目を閉じている。
規則正しい呼吸に合わせて、分厚い胸元がゆっくりと上下していた。そのたびに、レオンの体から新緑のような深く落ち着いたアルファの香りが漂い、ルカの鼻腔をくすぐる。
『触れても、いいのだろうか』
ルカは膝の上で両手を握りしめ、ためらいがちに視線をさまよわせた。これまで、ルカから誰かに触れようとしたことなど一度もなかった。オメガである自分が不用意に近づけば、ベータの村人たちは顔をしかめて後ずさり、ひどいときには石を投げつけてきたからだ。
しかし、目の前で静かに眠るレオンの毛並みは、太陽の光を吸い込んで真珠のように輝き、あまりにも美しかった。ルカはごくりと唾を飲み込み、震える指先をゆっくりと前へ伸ばした。
あと少しで触れるというところで、レオンの耳がぴくりと動いた。閉じていた黄金色の瞳が静かに開き、真っすぐにルカを捉える。
ルカは息を呑み、慌てて手を引っ込めようとした。
だが、レオンはルカを咎めるどころか、自分から大きな頭を擦り寄せてきた。冷たい鼻先がルカの手のひらに触れ、そのまま深い息を吐き出す。ルカの小さな手は、あっという間にレオンの顔の横、深い毛並みの中に埋もれてしまった。
「あっ……」
ルカの口から、感嘆の吐息が漏れた。
触れた毛並みは、驚くほど滑らかで柔らかかった。冷たい雪のように見える外見とは裏腹に、その奥からは命の力強い熱がじんわりと伝わってくる。
レオンは気持ちよさそうに喉の奥で低い音を鳴らし、さらに目を細めた。まるで、ルカに撫でられることを心から喜んでいるかのようだった。
ルカの緊張は、その温もりの中でゆっくりと溶けていった。恐る恐るもう片方の手も伸ばし、両手でその豊かな毛並みをそっと梳くように撫でる。
『僕の手を、汚いと言わないんだ』
村では忌み嫌われた自分の手が、今は伝説の聖獣に安らぎを与えている。信じられない事実が、ルカの胸の奥に小さな明かりを灯していく。
風が吹き抜け、色鮮やかな花びらが二人の周りを舞い踊る。ルカは自然と唇をほころばせ、ほんのわずかだけ表情を緩めた。その顔を見たレオンの黄金色の瞳が、どこまでも優しく細められたのを、ルカは確かに感じていた。




