第11話「断ち切る声」
ルカの声に、狼の動きがピタリと止まった。
放り投げられた男は、ドスリと鈍い音を立てて大理石の床に落下し、痛みに呻きながら転げ回っている。狼はゆっくりと振り返り、ルカを見つめた。黄金色の瞳に宿っていた殺意が、ルカの怯えた顔を見た瞬間に揺らぎ、困惑の色へと変わる。
狼の姿が光に包まれたかと思うと、次の瞬間には人間の姿をとったレオンがそこに立っていた。銀色の髪を風に揺らし、レオンは苦渋に満ちた表情でルカを見下ろした。
「ルカ、なぜ止める。こいつらは君を森に捨て、あまつさえここを荒らしに来た人間だ。生かしておく理由はない」
レオンの声は怒りに低く震えていた。彼の深い愛情が、ルカを傷つけた者たちへの激しい憎悪へと転換しているのが痛いほど伝わってくる。
ルカは両手を固く握りしめ、震える足で一歩、また一歩とレオンの隣へ進み出た。村人たちが床に這いつくばり、恐怖と痛みで顔を歪めている。
今までなら、彼らと目を合わせることすらできなかった。彼らの足元にひざまずき、ただ嵐が過ぎ去るのを待つのがルカの生きる術だった。しかし、今は違う。ルカの背中には、レオンが与えてくれた絶対的な温もりがあった。
『ここでレオンに彼らを殺させてしまったら、僕は一生、過去の恐怖から逃げられない』
ルカは大きく息を吸い込み、倒れている村人たちに向かって真っすぐに視線を向けた。
「あなたたちには、もうついて行かない」
その声は、震えていた。だが、決してか細くはなく、静かな決意を秘めていた。
「僕は、あなたたちの奴隷じゃない。オメガだからといって、虐げられる理由なんてどこにもなかったんだ」
ルカの言葉に、村人たちは驚いたように目を丸くした。いつも泣き寝入りし、抵抗など一度もしなかった気弱な青年が、自分たちを見下ろしてはっきりと拒絶しているのだ。
「もう二度と、僕の前に現れないでください。ここには、あなたたちの欲しがるような金目のものなんて何もない。あるのは、僕の本当の居場所だけだ」
ルカが言い切ると同時に、庭園の空気が大きく震えた。ルカの中に眠っていたオメガの魔力が、彼の強い意志に呼応して解放されたのだ。
枯れかけていた花々が一斉に息を吹き返し、周囲の光が眩いほどに輝き始める。その清らかな光と魔力の波は、薄汚れ、悪意に満ちた村人たちを強烈に拒絶し、島から押し出そうとする見えない壁となって彼らに迫った。
「ひぃっ、なんだこの光は!」
見えない力に押され、村人たちが悲鳴を上げる。
「逃げろ、呪われるぞ!」
圧倒的な力の奔流に耐えきれず、村人たちは転げ落ちるように階段を逃げ去っていった。彼らの姿が霧の向こうに消えると同時に、島の周囲を覆っていた結界が再び強固に張り直され、黒い靄は完全に払拭された。
静寂が、再び神殿に舞い戻った。
ルカは大きく肩を上下させ、荒い息を吐きながらその場にへたり込んだ。緊張の糸が切れ、両手で顔を覆う。
「ルカ」
温かい手が、ルカの震える背中をそっと包み込んだ。レオンがひざまずき、ルカを力強く抱き寄せる。新緑のような深いアルファの香りが、ルカの強張った筋肉をゆっくりと解きほぐしていく。
「よく言ったな。君は強い」
レオンの声には、深い敬意と誇りが込められていた。ルカはレオンの広い胸に顔を埋め、今までとは違う、熱く静かな涙を流した。過去の鎖を、自分の意志で断ち切った涙だった。




