第7章 真実には、音がしない
わたしは、目を覚ましたのだと思った。
けれど、そこには音がなかった。
時計の針が動く音も、外を走るバスの排気音も、何一つ。
耳をふさいだのかと思って手を当てたが、そんなことはなかった。
むしろ、耳の奥にまで沈んでいくような無音だった。
声を出してみた。
――何も聞こえない。
でも、喉が震える感触はある。
つまり、わたしの声は出ている。けれど、聞こえない。
それは、自分が世界から切り離されたというより、
世界がわたしから逃げていったような感覚だった。
何がきっかけだったのか、思い出せない。
名前も、顔も、昨日食べたものも、すべての記憶が濡れた紙のようにふやけて、
ただの“感じ”だけが残っている。
ここは、家なのか。
わたしの家なのか。
この椅子、この机、このカーテン。
見覚えがあるような、ないような。
それでも、不思議と怖くはなかった。
テレビをつけた。
映像が流れた。だが、音はない。
アナウンサーが何かを叫んでいるように見える。
悲鳴のように口が大きく開かれている。
だが、わたしの世界には、音が存在しない。
音のない世界で、人間は何を信じればいいのだろう。
音がないと、怒ることも、泣くことも、愛を伝えることもできない。
そのすべてが“声”を必要とするなら、
今ここにいるわたしは、もう人間ではないのかもしれない。
思い出す。
わたしは、誰かの名前を呼ぼうとした。
その名がなんだったか、どうしても思い出せない。
でも、その名を呼ぶことが、なにか決定的な“真実”に触れるような気がして――
その瞬間、世界がひとつ、ひび割れた。
***
それでも音は戻ってこなかった。




