7.僕と結婚しろください
結婚? は?
私は口をぽかんと開けて、ローランの事を見つめた。
「僕と結婚して欲しい。今日、君をここに呼んだのはそれを申し込むためだったんだ」
おいおい。ちょっと待て。
私に結婚を申し込むという事は、あんなにラブラブチュッチュしていたアンジェラとはどうなったんだ。
「す、すみません。いきなりそんな事を言われても……それに、あなたはあんなに愛してると言っていた女性がいらっしゃったではないですか。失礼ですが、彼女を差し置いて私に結婚を申し込むなんて、双方に無礼過ぎてはありませんか」
これは自信をもって正論と言える。
というより、愛している女がいるとわかっているという男と、結婚したい女なんているのだろうか。
親同士が無理やり決めた政略結婚や、相手の事が好きで好きで仕方なくて、相手が他に好きな人がいても構わないから結婚して欲しいというような、ものすごい情熱的な女性ならともかく。
すると、彼はため息を吐いた。
「そうだね。それはきちんと話していないのは、君に対して無礼だった。実はアンジェラとは別れたんだ。彼女に他に好きな男が出来たらしくてね」
「うっそおお!!」
私は思わず叫んだ。
ローランだって、私からしたらかなりモテる部類の男だと思う。
そんな彼を振って別の男に行くとは。
やはり生物学上、モテる女が一番強いのだろうか。
彼によれば、去年の12月に入った途端、そう言われて振られてしまったのだと言う。
「まあ、その前から急に会えないという日が増えたし、なんとなく嫌な予感はしてたんだけど。実際にこうやって振られたら……すごく辛いんだね」
彼は笑っているが、とても傷ついているのはよくわかった。
だが、私はふと思った。
「それじゃあ、私にあの時、あんな事をしたのって……」
「あぁ。心が荒んでヤケを起こしてたんだ。それまでは冷静でいようと思ったけど、実際にイブを迎えたらなんだか家に居るのも惨めな気がして。気晴らしに公園を歩いてみたけど、周りを見ればカップルだらけだし。君が嫌がる気持ちも初めて理解できたよ」
そんな時に、たまたま座っている君を見つけた。
僕は、あまりにショックが大きすぎて、宿屋をキャンセルするのも忘れていたんだ。
だから、"誰でもいい"としている君を誘ったんだけど。まさか、コーヒーを投げつけられるとは思わなかったよ。
彼は自分自身を皮肉るように、そう言ってさらに笑った。
私は、どうだ、私の毎年感じる惨めな気持ちはわかったか! と密かに優越感を感じた。
それと同時に、寂しそうな顔をしている彼に、少し同情的な気持ちも覚えた。
だが、しかし。
彼の背景は理解できたものの、それと私たちの結婚は一体何の関係があるというのだろう。
もしかして、これはアンジェラへの当てつけで結婚しようと言っているのだろうか。
それなら、それはそれでまた無礼な話ではなかろうか。
「もしかして、私と結婚したいと言っているのは彼女への当てつけ、もしくは復讐のためなんですか?」
これはちゃんと聞いていい権利だと思うので、私は彼に向ってそう尋ねた。
彼は少し沈黙したが、首を横に振って、いや、そうじゃないんだと答えた。
「そうじゃないんだ。君にコーヒーを投げつけられた後に思い出したんだ。僕にはこの世界に転生する前に婚約者がいた。僕は最初、この世界にやってきたときは元の世界に戻りたいと思っていたんだ。だけど、アンジェラに恋をしてすっかりそのことを忘れてしまっていた」
彼によると、転生前に彼はサラリーマンをしており、付き合っていた彼女がいたらしいのだが、毎年何かと予定が入ってしまい、ずっと彼女とクリスマスイブを過ごすことが出来なかったそうだ。
だが、ある日、彼女の妊娠がわかったので婚約をした。
そして、今年こそは二人だけで過ごせるのが最後のイブとなってしまうため、何が何でも会おうと、東京の恵比寿にある城のような某高級レストランを予約して、待ち合わせていたそうだ。
ところが、彼女と落ち合ったところ、クリスマスイブに怒り狂った通り魔に彼女が襲われそうになり、彼はそれを庇って気が付いたらこの世界にいたと。
だから、この世界から元の世界に戻りたい。それが彼の願いだそうだ。
「……理由はわかりました。でも、それが私との結婚となんの関係があるのでしょう。それに先ほど、私にもメリットがあるとおっしゃっていましたよね?」
彼の話を聞く限り、結局他の女のところに行きたいがための私はダシではないか。
そう思うと、途端に不愉快さを感じた。
というより、そのために結婚したいというのも、本気で意味がわからない。
私が不愉快になっているのが顔に出ていたのだろう。
ローランは申し訳ないと私に謝罪した。
「あぁ、重要なポイントが抜けていたね。その願いをかなえてくれるというのは、女神の泉に関連しているんだ。君は調べたところ、初心者モードだから知らなくて仕方ないと思うけど、上級モード以上になると女神の泉から女神が出てきて、どんな願いも叶えてくれるんだ」
「え? そうなんですか? それは確かに初耳でした」
「うん。中級以下は客の入りを倍増してくれる効果までで留まるそうだけど、上級以上はご褒美としてそういうイベントが起きるんだ」
メリットというのは、その事を指しているのだろうか? しかし、私の中では別の疑問が一つ浮かび上がってきた。
「あの。先ほど上級モード以上とおっしゃっていましたけど、このゲームって上限は上級モードまでなのでは? 私はそこまでしか知らないんですけど」
「よく気づいてくれたね。そうなんだ。実はこのゲーム、通常だと上級モードまでしか出てこないんだけど、上級モードをクリアすると極みモードと言うのが出現する」
そして、これがアンジェラの乗換にも関連する。
アンジェラが乗り換えていった男と言うのは、極みモードの男なんだとローランは言った。
「多分、彼女は極みモードの男と結婚すると思う。ちなみに彼女も上級モードなんだけど。そうなれば……僕一人ではとてもじゃないけど、彼女たちに勝つことは出来ない。だから、初心者モードの君に結婚をしないかと申し込んだんだ」
調べたところ、君はどうやらギザン地区の土地をかなり買い漁っているそうじゃないか。
君はどこから知ったのかわからないけど、あそこはこのゲームの終盤になると、土地の価格やなんやらが上がると言われている。
それに加えて、共同経営も可能だから、僕が君と結婚すれば上級者モードでは終盤でしか経営ができない、ギザン地区の店舗経営が今からでも実質可能になる。
しかも、自分よりランクの低い相手と結婚すると、フォローが必要になるから売上金にボーナスが上の方に加算されるんだ。
だから、僕にとっては君が必要なんだ。他の初級者も調べたけれど同性ばっかりで、さすがにそちらと結婚するのは抵抗があるからね。
と、彼は言った。
しかし、彼の話を聞いたところ、彼にとっての都合の良さばかりで、私へのメリットはまだ見えてこなかった。
「で? 私へのメリットは?」
私は若干苛立ちながらそう聞いていた。
「話が長くなってしまってすまない。さて、ここからが本題だ。君にとっての一番のメリットは、女神の泉で君の願いも一緒に叶えてもらえるという事だ」
そして次に、僕と結婚すれば君は越境経営が可能になる。
初心者モードで経営が出来るのは4地区だけだけど、結婚すればギロッポン、ニホンブリッジ、ジョージキチ、シチオージ、カワタチ、バダイオ等も加わってくる。
そうすれば、より多くの店舗経営ができて売り上げも上がる。
それに、業務提携だと商品を別の店舗に置いてもらうだけだし、それに比べたらメリットがだいぶあると思うけど、いかがだろうか? と彼は私に聞いてきた。
「……」
私はどうしようかと思い沈黙した。
正直、彼の話を聞いても、私にはそこまで魅力的に感じなかったのだ。
すると彼は、結婚に関しての条件をこうつけ加えようと言い出した。
「やはり、それでも納得できないみたいだね。まぁ、僕たちは愛し合っているわけではない。だからもちろん、君に手を出すつもり、つまり男女の関係になるつもりは一切ない。だけど、イブのことがあるから説得力にも欠けるね。それはちゃんと契約書にも書こう」
また、僕の最終目的は婚約者の元に帰ることなのだから、今後は恋人なんて作る気はない。
でも、君は僕がいなくなったら独身になるわけだし、結婚中も他の男と自由に恋愛するのも僕は構わない。
あと、君の大嫌いなクリスマスも、僕が去ることになったら取りやめることにする。
これでどうだろう? と彼は提案した。
一方の私は───
やはり、この条件での結婚はそこまで魅力的に思わなかった。
私はゆるゆるとこの世界で生きられればいいのだし、ほかの男と恋愛したいとも思わない。
クリスマスの件だって大嫌いではあるが、お金を稼ぐイベントだと割り切れば乗り切れそうに感じた。
現実世界と違って、ビクビクしながら上司や同僚に気遣って有給申請なんてしなくても、自分で勝手に休めるし、24日と25日は高級アイスクリームやケーキをしこたま買い込んで、一人部屋で本でも読みながら過ごせばいいのだ。
それに何より、この男が他の女のところのために行くという目的が、なぜかとても気に食わないのだ。本当になぜなのかわからないけど。
そのため、私はローランにこう言った。
「あなたの気持ちはよくわかりました。でも私には、このお話お受けできませんわ。正直言って、私にはそれ程魅力的なお話に思えなくて。ですので、先日汚してしまったお洋服につきましては弁償させていただくか、クリーニング代を出させてください。それでは失礼します」
私は席を立ちあがり、その場を去ろうとした。
しかし。
「……はあ。やっぱりそうなるか。ねえ、ジローチャン!」
ローランは急に真顔になると、大きな声でジローチャンを呼んだ。
すると、この部屋の扉がバンッという音と共に乱暴に開け放たれ、がやがやしながらジローチャンとこの家の舎弟、いや使用人たちが続々と入ってきた。
そしてさらに───
一番最後に入室してきたのは、手を背中で縄で縛り上げられたセバスチャンだった。
しかも彼の口元にはガムテープが貼られて、声が出せないようにされている。
「ちょっと! これはどう言うことよ!」
堪らず私は叫んだ。
「どう言うことって、こういうことだよ、ジュリア」
そう言って、ローランはセバスチャンに近づくと、舎弟に手渡されたナイフを彼の顔に向かってなぞるようにして突きつけた。
「言っただろう? 嫌とは言わせないって。君はぬるい初心者の世界しか知らないから驚くだろうけど、僕たち上級者はこんなの日常茶飯なんだ」
ローランは、ナイフを彼の顔から首に沿わしてシャツまで降ろすと、その前立てを思い切り引き裂いた。
「悪いけど、僕は本気だ。君がYESと言うまで、大事なセバスチャンの事をたっぷり可愛がってあげよう。水責め? 火責め? それとも、男に慣れてない君だ。こっちの方がいい?」
舎弟の一人にローランは視線を送ると、彼はおもむろに自分のズボンのベルトをガチャガチャと外し始めた。
同時に、別の舎弟がセバスチャンのズボンのベルトを外そうとしている。
「だめー!! それはだめー!! ……わかった。わかったから。あなたと結婚するから、それ以上セバスチャンには手を出さないで!」
私は必死の形相をして、彼らの行為を止めさせた。
こいつら、商会って名乗っているけど、こんなの文字通りの悪役商会じゃないの! と思いながら。
「あぁ、やっと了承してくれて良かった。いい選択だ。これからはどうぞよろしくね、ジュリア」
悪そうな笑みを浮かべて、ローランは私の耳元でそう囁いた。