31. 人生イージーモードな男の物語(僕は神様に愛される)
氷のように冷たいソレが、衝撃と共に僕の体へ入っていった。
続いて感じたのは焼かれるような痛み。
僕の体からその異物が取り出された瞬間、温かい何かが漏れ出し、着ていた服を濡らしていった。
カシャンという金属音が地面から響く。
それを行った人間は僕の体から離れると、真っ赤に染まった自身の手を見ながら顔を歪めて
「そんなはずはない!」
と大きく叫んだ。
一方でうめき声をあげ、僕はその場に膝をついた。
痛みは遠慮なしに更に増していく。
堪らず僕は、そのまま石畳風の地面へうずくまって体を横にした。
続いて聞こえるのは、人々の悲鳴のような叫びと、早く救急車を! という声だった。
大丈夫か? 大丈夫か!? と誰かが、僕の体に空いてしまった傷口に、柔らかいタオルを当てながら叫んでいる。
あぁ、頭がぼうっとしてくる。
サイレンを鳴らした救急車が到着し、酸素マスクを当てながら、すばやく救急隊員が僕の体をストレッチャーに乗せた。
必死に処置を彼らは行ってくれたものの、僕の体はどうやら限界だったようだ。
病院に到着した時には、周りの光景は輪郭がぼやけて白くかすみ、救急車のサイレンの音も、病院から出てきた医療関係の声も、何もかも遠くに感じていた。
そこで僕は目を閉じた───
のだが。
「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
再び誰かが僕を呼ぶ声がする。若い女の子の声だ。アシスタントスタッフだろうか。
続いて、だめです! 起きてくれません! という声が聞こえた。
「……アレン。アレン、大丈夫ですか!」
今度は聞き覚えのある男性の声だ。
僕はそこでハッと目を覚ました。
ぼんやりとした陰から徐々に浮かび上がってきたのは……
「あれ? ゴローちゃん?」
僕の視界に入ってきたのは、ツーブロックで黒いスーツを着た男性だった。
その男性に向って、僕は名前を呼んでいた。
だが、彼は首を横に振ると、まるで睨みつけるかのように目に力をいれた。
「いえ、私の名前はシローです」
そうか。シローだったか。
では、こちらはどうだろう。
「苗字はマジマだっけ?」
その質問に、彼は再び首を横に振った。
「……いいえ、タジマです」
え? 違うの?
なんだか某芸人コンビのネタのようなやり取りをしてしまった。
僕、結構、あの二人のネタ好きなんだよね。
「……ごめん」
でも、人の名前を間違えてしまうのはとても失礼なことだ。
僕はすぐさま彼に謝ったあと、起き上がった。
謝った相手は今月から新たに僕のマネージャーとして配属された、田島史郎、通称シローちゃんだ。
彼は大丈夫、気にしてないと言った様子を見せた。
「よかったですね。これで今日はもうこの現場は終わりだそうです」
彼の言う通り、僕は現場を見まわしてみると、すでにスタッフたちは撤収作業を始めていた。
「さあ、駐車場で待ってますから着替えてきてください。車で送ります」
シローちゃんはあちらに停めていると、その駐車場の方向を指し示した。
「えっ? 別にいいよ。ここは恵比寿だし。歩いて帰れる距離だから」
僕の家とシローちゃんの家は反対方向にある。
時間も時間だから、これ以上彼も帰宅が遅くなるのは申し訳なく思い、僕は断ろうとした。
だが、シローちゃんは引かなかった。
「いいえ、だめです。連日の撮影で相当疲れが溜まっているようですからね」
彼はさらに、撮影してる最中に眠ってしまったんだから、ぼーっとしながら歩いて帰って事故に遭っても困ると言った。
シローちゃんは見た目が怖い割には、結構心配性なところがある。
まぁ、送ってもらえるならその方が楽なことに変わりない。
僕は彼の言うことに素直に従った。
「それじゃあ、ゆっくり休んでくださいね」
「うん、ありがとう。そっちも気をつけて」
自宅のマンション前まで車で送ってくれたシローちゃんにお礼を言うと、僕は業者は入れない住人専用の出入り口に移動して、その扉に鍵を差し込んだ。
僕が住んでいるマンションというのは代官山にある、コンシェルジュ付きの低階層マンションだ。
だが、コンシェルジュがいる出入り口を使うよりもこちらの出入り口を使った方が近道になるし、他の住人にも会いにくい。
ちなみに、僕の部屋はこの建物内の3階部分に位置している。
「ただいま」
玄関のドアを開けて、白い大理石のタイルの上で靴を脱ぎながら、僕は自然とそう言っていた。迎え出る住人はいないというのに。
どうもこれは直らない癖だ。直す必要もないかと思うけど。
それから寝室に入ると、部屋に続いている洗面所に入って服を脱ぎ、熱いシャワーを浴びた。
なんだか今日はシャワーを浴びても、妙に頭がぼうっとしたままだ。
このまま寝ようと思っているから、それでも構わないけど、どうもすっきりしない。
そして、髪を乾かしてスウェットに着替えた後、時計を見てみれば午前2時をとっくに過ぎていた。
明日は何の予定も入れていない。好きなだけ寝よう。
僕はそう思いながら目を閉じた。
翌朝。
というよりも翌日だった。
とっくに日が昇っているせいで、濃紺のカーテンからは強い日差しが漏れていた。
深く深呼吸し、背筋を伸ばして僕は起き上がった。
いつものルーティンで、カーテンを開けたあと、僕は長い廊下を歩きながら台所に行くと、適当に箱からカプセルを選びマシンに差し込んだ。
ボタンを押すとセットしていたマグカップに、こぽこぽと音を立てながら、芳香漂う熱い茶色の液体が注がれていく。
僕はそのマグカップに牛乳を少し入れ、息を吹きかけながら口をつけた。
その時、ふと、人造大理石のワークトップに無造作に置かれていた、ある雑誌に目がいった。
表紙にはぷくぷくほっぺの赤ちゃんの写真が使われている。
なんとなくパラパラとめくってみたけれど、以前も読んだことがあるし、父親としての心得みたいな特集もこの号には載っていなかったので、特に集中して読みたいと思うページはなかった。
ちなみに、この号は離乳食の特集だった。なかなかの工程数だ。
これをちゃんと真面目にやろうとしている世の中のお母さんは、本当に素晴らしいと思う。
卵のあげ方なんて、僕からしたら信じられないほどの細かさだが、アレルギーを考えたらこうなるのも仕方ないのだろう。
それから僕は、買い置きしていたフランスパンを焼いて摘んだあと、この後はどうしようかと思案した。
現在、時計を見てみれば9時半を過ぎている。
牛乳を出すのに冷蔵庫内を先ほど見たが、食材があまりなかったので買い出しの時間に充てるのもいいかもしれない。
そんな風に思いながら、僕はがらんとしているダイニング兼リビングへと移動した。
がらんとしていると表現したのは……実はこのスペースだけで40帖弱あるからだ。
ちなみにキッチンについては、10帖ほどある。
この部屋、いや、家全体の広さを言えば、確か200平方メートルは余裕であったはずだ。
え? 代官山でこれほどまで広い家に住めるのは、僕の職業柄だからだろうって?
いやいや、とんでもない!
僕の給料だと、同じマンションに住むことは出来ても、さすがにこの広さの家は無理だ。
この家の所有者は僕の父だ。
つまり、僕は父の持っている家に住んでいるというだけ。
そして、この家が本宅という訳ではなく、本宅は同じ区内の松濤に構えている。
そうは言っても、二人はそこにいない。
最近の両親は母の実家があるニューヨークの別宅に、二人は移り住んでいる。
当初は祖母の具合が良くないため、様子を見るのに母だけ移るという話だったのだが、父が嫌がったため一緒に行く事になったのだ。
この家については、昨日みたいに撮影が深夜に及ぶ事もあるし、防音がしっかりなされていて尚且つ僕が気に入ったデザインの物件が全くなかったから、という理由で住まわせてもらっている。
ただ、こう言っていると、20半ばも過ぎてちゃんと一人暮らしが出来る男がいつまでも親に甘えるな、と声が聞こえてきそうだ。
だが、これには反論させてもらおう。
なぜなら、僕の家の家訓は───
使えるものは親でも使え、親が生きているうちは死ぬまで甘えろ、だからだ。以上。
もちろん僕だって、親に甘える事に何の疑問も感じなかった訳ではない。
僕が今の仕事に就いたのだって、きっかけは……実は親への反抗心からだった。
僕は両親の4番目の子供として生まれた。
上には兄が二人、そして姉が一人いる。
ただ、僕は想定外の子供だったらしく、一番上の兄との年齢は15歳近く離れている。
突然現れた上に、天使のような可愛らしさを持って生まれてきた僕は、それはそれは両親にも他の兄弟からも大変可愛がられた。
けれどそれは、見た目が可愛かったからだけではない。
裏を返せば僕は上の兄弟たちと違って、あまり期待がされていなかったのだ。
長兄は父の仕事を継ぐ予定だし、医師である次兄は父の親族が運営する病院グループを継ぐ予定だ。
姉も大手外資系企業で働いており、順調にキャリアを積んでいっている。
そんな訳で、すでに十分立派な兄弟が上にいるため、両親は僕については好きに生きろと言わんばかりに、あれやこれや細かく言うことはなかった。
一方、その年頃にありがちなのか、僕は親や自分の取り巻く環境に、果たしてこのままでいいのかと悶々とした思いを抱えていた。
そんな最中の高校生の頃、僕はモデルにならないかとスカウトされたのだ。
僕は想像した。
芸能界入りする? そんなのだめに決まっているだろう!
と大反対する家族たちを。
けれど、もしそう反対されたなら、僕は無理やり強行突破するつもりだった。
そして、この恥さらしが! 家を出ていけ! 一人で食っていけ! と罵られて、殴られた事もない父から平手打ちされ、追い出される事を期待したのだ。
……素晴らしい。わくわくする。
これぞ、自分の本当の力で戦えるじゃないか、と。
だが、現実は甘くなかった。
僕が両親にやっていいかと聞いた時に、彼らが言ったのは……
うん! 良いと思うよ! の軽い一言だった。
事務所も大手みたいだし、経営の面も問題なさそうだからと特に反対されることもなく、いとも簡単に承諾してくれた。
なんなら父は、初めて僕が主演を務めるドラマが放送されることになった際、グループ会社含めた全社員に、僕のドラマを見ろ。これは業務命令だ。ちゃんと見たかどうか確認するため感想を日報に書け、と社長命令で指示を出そうとしたそうだ。
兄は笑いながら、その事を僕に伝えてきた。
もちろん、さすがにそれはコネでこの業界に入ったのだ、親の七光だの言われると思ったので、絶対にやめてくれと僕が必死に父を止めにいったのは、言うまでもない。
そんなわけで現在は、聖島家の人間が芸能界に名前を残すのも悪くない。がんばれよ! と家族総出で応援してくれているといった状況だ。
……なんて理解のある家族なんだ。
それはともかく、大事なのは仕事を実際に始めてみてからだ。
僕はきっと、いろいろとオーディションを受けたり下積みをして、苦労しながら仕事をしていけると思っていたのだが……
神様はどうも、僕のことが大好きらしい。
仕事を始めた途端、僕が仕事を求めなくても、空から降ってくる落ち葉のように、勝手に仕事の方が舞い込んできたのだ。
昔からそうだ。
何故か知らないけど、僕は大したことをしてないのに、学業でも、スポーツでも、なぜかすいすいと上位に食い込んでしまう。
おかげで僕としては努力したということが全く記憶にないし、仕事に関しても現在はモデルだけではなく、俳優業の方へシフトチェンジしたというのに、それも成功していた。
てっきりモデル上がりだから演技力なんて全然ない、まるで棒だとか言われると思ったのに。世間では僕の事を憑依型俳優と呼んでいるそうだ。
これはきっと、芝居好きの母が近所の文化村はもちろん、ロンドンのコヴェントガーデンやら、ブロードウェイまで僕を連れ回し、一流俳優たちの演技を自然と学ばせてくれた賜物だろう。
また、この広々としたリビングにどんと置いてある、Sから始まるブランドのグランドピアノについてもそうだ。
ピアノは3歳から習っていたけれど、自分ではそこまで練習をしていた覚えもないのに、コンクールではしょっちゅう優勝を果たしていた。
きっとそのまま行けば、僕は幼稚舎から通っていた系列の私大に行くのを止め、音大に進んでいったのだと思う。
けれど"彼女"との出会いが、僕の運命をがらりと変えたのだ。




