11.道を極めし男
やはり、ローランはかなり飲みすぎていたようで、自室から出ては来ず、完全に復活したのは翌日の事だった。
片付けの終わったダイニングで朝食をとっている最中、彼は急な話だが今日か、明日の日中、空いているかと私に聞いてきた。
「ええ。今日なら特に予定は入っていないから、大丈夫だけど」
「そう。それなら良かった。以前、君に昼間の仕事を任せたいと言ったけど、今日ギロッポンに行くから一緒に来て欲しいと思ったんだ」
ギロッポン地区。そこには私はまだ足を踏み入れていなかった。
というよりも、結婚してから越境ができるようになるのだが、そのほか越境地区にもまだ私は行ったことがなかった。
「僕たちのライバルになる商会については知ってるよね?」
「ええ。イマキタ産業だと聞いているわ」
私は以前、ローランと敵対する関係だった。
しかし、彼と結婚したため、自動的にライバル関係は解消されたのだ。
その代わりに、新たにライバルとして台頭してきたのが、今出てきたイマキタ産業なのである。
ちなみにイマキタ産業はこの国の商会ではない。
我が国に程近いハマヨコ公国で勢いを振るっている商会だそうだ。
また、ハマヨコ公国の周りは同盟国であるキャナギャワ国が囲うような形で存在している。
さらに、これらの国以外にも我が国の周りには、上側にタマイーサ帝国、右手側にはミルフィーユ王国がある。
世間では、タマイーサとミルフィーユは仲が悪いとよくネタにされがちだが、実際はそのようなことはなく、むしろタマイーサ国内で、ミルフィーユ国内でたびたび内乱が起きることがあるようだ。
特に、ミルフィーユ国内のオークシティとマッドシティの市民同士による小競り合いについては有名だ。
また、オークシティ市民が黄色い服を着ている時は、なぜか荒ぶっている事があるそうなので近づくなとも聞いた。
同様に、タマイーサ帝国のワウラ地区でも市民が赤い服を着ている時は用心しろと言われているらしい。
「最近、彼らはギロッポン地区でどうやら幅を利かせているらしいんだ。だから、僕が経営してる店舗に君の事を紹介するついでに、彼らが何をやっているか見に行きたくて」
ローランによると、ライバルであるイマキタ産業は着実に味方や店舗を増やしていっているらしい。
この世界にはご贔屓ポイントというものが存在し、街の発展に貢献すればそれが貯まり、集客力にも影響するのだ。
このままいけば、ギロッポンはあちらの手に落ちてしまうと彼は危惧していた。
「ふうん。わかったわ。それじゃあ、後ほど出かける準備をするわね」
私は朝食を食べ終えると、外着用のドレスに着替えるためにダイニングを出た。
◆◆◆
初めて来たギロッポン地区には……現実世界で象徴的な例のタワーを模した建物が堂々とそびえ立っていた。
しかし、現実世界と違うのは、この世界はまだまだ発展途上中なので、その建物の所以外は森だったり、畑だったり、かなりのどかな風景が広がっていた。
「もしかして、あの大きな建物を取り合いしようとしているの?」
私は停車している馬車の窓から見える風景を指し示し、ローランに尋ねた。
「いや、僕たちが行くのはあそこじゃないよ」
彼はここからさらに数ブロック離れた地区だと私に言って、馬車を進めるように御者に声を掛けた。
そして、目的地に着いた。そこはヌノアサ一番という地区だった。
「ここの商店街が今回の目的地なんだ」
ローランが手で示した先には、畝のある石畳、そして緑が植わった煉瓦の小道が広がり、その両側には小さいがおしゃれな店舗が立ち並んでいた。
彼は経営している店舗に立ち寄り、私を彼の妻だと紹介した。そして、今後は私が経営に携わっていくと。
その挨拶が終わった後、彼は一緒にこの商店街を少し歩いてみようと私を誘った。
彼にエスコートされながら道を歩いていると、ふと私の目にあるものが映った。
それは、この世界に存在しているある漫画のキャラクターが描かれた看板だった。
「わぁ! 懐かしい!」
私は思わず叫んだ。
そのキャラクターとは、私がまだこの世界に転生したばかりの時に読んでいた、ある少女漫画のキャラクター達だった。
5人のプリンセスたちが巨悪と戦うというもので、この世界でもとても人気を博していたのだ。
まあ、現実世界で言えば、例の美少女戦士を明らかにパク……いや、オマージュした作品ではあるのだが。
また、看板の下にはこう書かれていた。『聖地巡礼スポット⑤番』
聖地巡礼? あぁ、そういえばあの作品も舞台はこの地区だった。
看板が出されている場所は、確かに漫画のシーンで何度か見かけた記憶がある。
「へぇ、こんなイベントをやっているのね!」
と、私が感心していたところ、一緒についていたローランの方は何故か顰めた顔をしていた。
「この仕掛けをしたのは、あちら側だな」
「あちら側って、もしかして、イマキタ産業のほうという意味?」
彼は無言で頷いた。
現実世界でもそうだが、街おこしのためにはこういったイベントを催して、ファンを喜ばせる自治体がある。
これもその一環のようで、ファンと思しき人が写真を撮っていたりしていた。
店舗によっては、漫画とコラボレーションをした商品を売っているようだった。
そして、私たちはさらに商店街を歩いていると、突然、ローランが足を止めた。
「どうしたの?」
私は彼のことを見上げると、その視線の先には髪型をアップにして、スタイル抜群な美女が立っていた。
女性もこちらの方に気が付き、あら? と声を掛けてきた。
「やっだ! 久しぶりじゃない、ローラン。もしかして……その人が噂の奥様かしら?」
彼女は私の方をちらりと見て軽く笑った。しかし、そのあとに何か気が付いたようだ。
「え? もしかして、彼女、何年か前にクリスマスを中止にしてとか叫んでた女の子?」
ちょっと待って、噓でしょ? と大きく言って、彼女はさらに笑った。
「君こそ、なんでこんなところにいるんだ。アンジェラ」
ローランは、こんな街中を一人で出歩いているなんて珍しいと言った。
「あぁ。今、ダーリンとデート中なのよ。ダーリンは中で買い物をしてるんだけど、私は興味ないから外で待ってただけ」
そう言って、彼女は看板が出ていないため、何を売っているかわからない店舗の出入り口を指さした。
アーチ形の出入り口には、上階へと続く暗い階段があった。
一方、私は元カレと元カノが遭遇するという場面に戸惑っていた。
こういう場合、一体どのように振舞えば良いというのだろう。
とりあえず、とても気まずい。この場から、すぐに離れるべきだと思った瞬間―――
「あー、ダーリン! やっと来た。もう、待ちくたびれたわよ!」
アンジェラは階段から降りてくる人物に向ってそう叫んだ。
彼女がダーリンと叫ぶ男だ。
ローランだってかなりの美男子だが、そのローランを振ってまでついていきたいと思わせる男だ。
もしかしたら、ロマンスグレーの渋いおじ様系男子かも知れない。
あるいは、ローランとは違う系統の美男子、子犬みたいな可愛い系の美男子かもしれない。
いやいや、野獣みたいに筋肉ムキムキのワイルド系男子かも知れない。
私はどんな男なんだと息を飲んだ。
だが、現れたのは―――
くるくるとしたウェーブがかった髪には赤いバンダナを巻き、ミリタリージャケットの下には青いチェックのシャツを着こんでいる。
さらにその下には何かが描かれた白いTシャツが見え、そのシャツはデニムのウエストにしまわれている。
しかもそのデニムはケミカルウォッシュジーンズで、足元には野暮ったいスニーカーを履き、手には指先だけが空いた手袋、そしてもっさりとした太い眉毛に、分厚い牛乳瓶のような黒縁の四角い眼鏡をかけた男が現れたのだ。
また、彼の肩に掛けている、中学生が使ってそうなリュックサックには、美少女が描かれたたくさんの缶バッヂがつけられていた。
さらに、彼の手にはこの店での戦利品なのか、黒い不織布のトートバッグに、ポスターと思しき巻かれた紙が入れられていた。
「は?」
私は目が点になり、思わずそう言ってしまった。
だが、アンジェラはその男の腕に自身の腕を絡ませると、待ってたのよダーリンと言って叫んだ。
どうやら、彼がアンジェラの新彼ピッピで間違いなさそうだ。
……今時、こんなタイプがいるとは。
秋葉原ですらお目に掛かれない。絶滅危惧種、いや、天然記念物レベルだわ!
私は目の前にしている、まるで教科書の手本通りのような、いにしえのオタクらしい彼の姿に感動すら覚えた。
「……待たせたな!」
いにしえのオタクは、アンジェラに向かって言い放った。
アンジェラが待たせられたー! とノリ良く返事をして彼を軽く叩きながら笑うと、彼は私たちの方を見つめた。
「おやおや。そちらにいるのは、セイクレッド商会のローラン殿ではないかな。小生はイマキタ産業を運営しているものでござる。以後、お見知りおきを」
そう言って、目の前のいにしえのオタクは、うやうやしく頭を下げた。
イマキタ産業。
ということは、この人はうちのライバル商会の人間ではないか!
しかもアンジェラの彼ピッピと言うことは、こいつが極みモードの男なのか。
元カノにライバル商会の長。ますます気まずい展開が始まったよ、ktkr。
すると、いにしえのオタクはさらに口を開いた。
「だけど、我々は目的のためには容赦をしない。この世界も我々のものだ!」
オタクはローランにビシッと人差し指を突きつけると、ゲームで悪役が言ってそうな出てきそうな台詞を吐いた。
正直、こんな見た目の男だ。
これなら、ジローチャンに頼んだら裏でワンパンで沈めてもらえそうなのに。ローランだって、調子に乗るなと長い脚で蹴り飛ばせば一発で済みそうなのに。
なんだ、大した事無さそうな奴だなと私は一瞬、思った。
しかし、ローランの事を見つめると、彼は顔を強張らせていた。
その視線の先には、私たちを建物の陰から見つめるサングラスをかけた怪しい男が立っている。
ローランは、咄嗟に私の前に片腕を出して守る姿勢をとった。
「おやおや、気づいたでござるかな。あれはうちの執事でござるよ。でも、安心してくれたまえ。君たちをここで襲うつもりはない。この国はまだまだ発展途中だ。お互いに持ちつ持たれつで、審判の日まで健闘し合おう」
オタクはそう言うと、眼鏡を中指でくいっと上げた。
「そうそう。そこにいるお嬢さん。この街は例のプリンセスたちの街の舞台なのは知ってるかな?」
突然、いにしえのオタクは私の方に向って話しかけてきた。
「えぇ。それは存じておりますが」
「ならばよかった。お嬢さんにとっておきのプレゼントを進ぜよう」
そう言って、オタクは地面にリュックサックを置き、何やらガサゴソとやりだすと、私にあるものを差し出した。
「ぜひ読んでみてくれたまえ」
彼が手渡してきたのは一冊の薄い本だった。
手渡された私は何だこれはと見てみると……
「ひぃぃ!!」
思わず私は叫び、その本を大地へと落とした。
咄嗟にいにしえのオタクはその本を拾い上げ、付いた砂を手で払うと、大事そうにまたリュックサックにしまった。
「なんてものを見せるのよ! こんなの18禁じゃない!」
私がそう叫ぶと、いにしえのオタクはフヒヒヒと気味の悪い笑い声を上げ、この価値がわからないんでござるな? と言ってきた。
私が見せつけられたのは、5人のプリンセスたちを題材にした、文字通りの薄い本だった。
しかも、私が見てしまったのは、彼女たち全員が裸にされてあーだこーだされているシーンだった。
「世間はこの素晴らしいストーリーをわかろうとしない。君のようにね。原作通りのような、くだらない女同士の友情だの、男への夢見る情愛、少年漫画に比べたらちゃちな戦闘シーンなど不要なのだよ。絵の中の美少女たちはね、我々を喜ばせるためにさえ存在していればよいのでござる!」
我々こそ正義! 我々こそ神! 我々こそ傑作を作り上げるもの! いにしえのオタクはまるで演説するかのようにその場で叫んだ。
「前回、このゲームをクリアした時は、小生が牛耳っているハマヨコ公国を舞台とした某少女漫画を我々の思ったままのストーリーに改変させた。だが、今回はもっとスケールを大きく、この国で陳腐なまま展開されている少女漫画を全て変えてあげるつもりだ」
そう言って、彼は例としてその少女漫画のタイトルをつらつらと上げた。
その中には、小さな女の子たちが毎月楽しみに読んでいるものも含まれていた。
私は体全体が何とも言えない嫌悪感で覆われた。
この男がこの世界を掌握してやろうとしているのは、自分の邪な願いのために、無垢な少女たちの毎月の楽しみを犠牲にさせようとしているのだ。
つまり、自分たちが勝ち抜き、この国の勝者のための大地を得て、女神にその願いを叶えてもらうという事だ。
こんな事、許していいのだろうか。
いや、許してはだめだろう。
このような性欲をもてあましたが故に作り上げた穢れた産物を……
「そんなの少女漫画界への冒涜、いや、締め切りに追われ、血のにじむような努力で描き上げている原作者たちへの冒涜じゃない! 他人のふんどしで相撲を取る世界にするなんて……許せない。軍神マルスに変わって折檻したるわ!」
私は思わず、いにしえのオタク、いや、ただの変態男に指を差して、そう宣言した。
原作に敬意を払えぬものなど、オタクと呼んではいけない気がする。
一方、そこは月に代わって仕置きをするのではないのかと、ローランは言いたげな顔をしていた。
良いではないか。だって、私の推しは銀のプリンセスではなく、凛とした姿が素敵な赤のプリンセスなんですもの。
すると、変態男はニヤリ、いや暗黒微笑を浮かべた。
「ふん、こっちには君が逆立ちしたって敵わない、アンジェラたんがいる。まあ、そのアンジェラたんに振られた旦那氏と負け犬同士、頑張りたまえ。では、アディオス!」
変態男はそう言って、人差し指と中指を立て、自分の額の上でそれを切り、楽しそうに笑っているアンジェラを連れて去っていった。
一方、その場に残された私たちだが、私は少しローランが心配になって、彼の事を見つめた。
彼は現実世界に婚約者がいるとはいえ、少し前まで彼女と付き合っていた。まあ、あまり気分が良いものではないだろうと。
しかし、私の予想に反して、彼は面白いなと一言言って笑った。
「あの男もこちらに干渉してきているという事は、僕がやはり予想した通り、アンジェラはあの男と結婚したんだろうね」
確かに。
ただの彼氏と彼女同士なら、あの男は国が違うのだからこちら側にそこまで色々できないはずだ。
それにしても、あのアンジェラってどういう趣味をしているのだろう。堪らず、私は趣味が悪い……と呟いた。
「まあ、彼女はより強い男を求めてたってだけだよ。彼はかなりマイペースそうだし、アンジェラはいつも振り回わしてたのに、逆に振り回されてるのが楽しいんじゃないかな」
私はその言葉に顔を顰めた。
「え? という事は、ローランもあの人に振り回されていたの?」
「うん。かなりね。でも世の中には一定数、女の子に振り回されたいって男もいるんだよ」
私はますます、強者どもの恋愛事情は訳がわからないと思った。




