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第9話「存在と感情」

「おかえり、ヒナちゃん。遅かったね。…?」ヒナが宿屋の扉を開くと、エイクが出迎えてくれた。宿屋の昼はレストランも営んでいるようだ。何人かの村人が食事に来ていた。

「…うん、ただいま!」ヒナは暗い表情を隠してエイクに笑顔で答えた。ヒナにとって、エイクには心配をかけさせたくないと感じていたからだ。しかし、エイクはその様子にしっかり気づいていた。エイクはヒナにカウンターに読んだ。

「喧嘩でもしたのかい?」ヒナはエイクに促されるまま席に着く。エイクはヒナに質問しながら作っていた料理を皿に盛り、ヒナの前に出した。ヒナはお客さんに出す料理じゃないのか、と聞こうとするが、エイクはそれを遮って、

「まかないの分だから気にしなくていいよ。」とヒナに微笑んだ。

 ヒナは下を向いてしまう。気持ち悪いと言われた自分、周りの大人に優しくしてもらえる自分。その違和感は、記憶のないヒナにとって、不安をより一層煽るものとなっていた。

 ヒナは聞く。当然の疑問を。

「…エイクさんは、どうして私に優しいの?私、みんなと違うのに。」

 記憶がない。髪の色が違う。目の色が違う。知り合いがいない。家族もいない。ヒナはだんだんと自分の状況に気づきつつあった。出会う人々が優しすぎたのか、自分が気付かないだけで、本当は腫物扱いだったのではないか。ヒナの不安は、まるで底なし沼のようにヒナの心を引きずり込んでいった。エイクは彼女のその葛藤に気づいていたのか、それはヒナにはわからなかった。しかし、エイクが表情を今までとは違う、柔らかい笑みへと変化していくことに気づいた。それは、朝ヒナが着替えたときにエイクがしていた表情に似ていた。

「…違うことは何も悪いことなんかじゃないさ。」エイクは少し間をおいて話し出す。

「この国は確かに、ほとんどの人間が金髪に黒い目を持ってる。村人もそうだ。私だって。でも、だからといって、金や黒が偉いわけじゃない。人は色なんかで決められるほど簡単な生き物ではないんだよ、ヒナ。」

 ヒナはエイクの優しい声を聴いているうちに、また心が温かくなっていくような気がした。「ヒナちゃん」と呼ばれなかったのも、なぜかヒナの心を少しずつ沼の底から押し出してくれているような気もちにしていた。

「記憶を失った迷子に優しくしない大人なんていないさ。記憶を取り戻すか、あなたが心も体も落ち着いて、当たり前の生活を送ることができるまで、その優しさに甘えていい。私は、少なくともそう想ってるよ。」

 ヒナの頬を涙がつたう。一粒つたうだけで、少女の心を優しく溶かしていく。涙はとめどなく流れていった。エイクはその様子を見て彼女の頭をなでた。

「大丈夫。ゆっくりでいいから、何があったか教えておくれ。」


 + + + + +


「…へえ、エルトがねえ。確かにやんちゃなやつだが、そんなひどいことを言う子ではないんだけどねえ。」

 しばらくカウンターで泣いてから落ち着いたヒナは、まだしゃっくりを上げながらも午前中の出来事を話した。

「多分、今頃あの子は言ってしまったことの重さに気づいて、後悔している頃だねえ。ま、余計なことをよく言う子でもあるしね。」

「…エルトってどんな人なの?」ヒナはエイクに質問した。エイクはそれにこたえようとしたが、視線を入り口の方に向ける。そして、にこやかに笑ってヒナの頭をなでて言った。

「それは、本人に聞くのが一番。ほら。」エイクが促す方向を見ると、入り口にイアと、イアの後ろでふてくされているエルトの姿があった。イアはヒナを見つけると、ヒナに駆け寄る。

「ほら!ヒナちゃん泣いてるじゃない!」イアがエルトに怒り出す。のそのそとイアの近くまで来たエルトはイアを邪魔くさそうにしながら、ヒナに一歩近づいた。ヒナは少し恐怖心を覚えながらもエルトの方を見る。しばらく二人は目線をそらすことなく沈黙が支配した。

「…あのさ…」初めに口を開いたのはエルトだ。しかしそこまで言ったところでイアに後頭部をつかまれ、強制的にお辞儀をさせられる。

「はいさっさと謝る!」

「いてえよ何すんだよ!」

「あんたがだらだらしてるからでしょ!」エルトが何かを言おうとしたところでイアの鉄拳制裁が入ったことで、今度は二人のけんかが始まってしまった。エイクは呆れてため息をつく。

「あんたたちはここに喧嘩しに来たのかい?」その言葉にはっとする二人。恥ずかしそうにするイアと、バツが悪そうにするエルト。そんな二人の様子を見て、ヒナはつい笑みがこぼれてしまった。突然のヒナの笑いに驚く二人。しかし、その姿を見て、イアもエルトもつい笑ってしまった。ひとしきり笑った後、エルトが改まってヒナに向き直った。

「…さ、さっきは悪かった。」エルトが小さい声で謝る。ヒナも小さくうなづき、手を差し出した。

「うん。…私ヒナ。あなたは?」エルトは一瞬差し出された手が何のためのものかわからなかったが、すぐに意図に気づき、手を握り返した。

「エルトだ。よろしくな、ヒナ。」



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