アダージョ
今朝はまだうっすらと路面に残っていた雪も、路肩にその色があるだけだった。登校時には少し凍っていた歩道は濡れているだけになり、歩きやすい。だが、隣のナオキは車道側をうるさそうに眺めていている。
一日の授業が終わり、いつものように幼馴染を教室から回収して帰る。普段と変わらない道だった。最寄り駅までの二十分、互いに無言で進んでいた。毎朝もほとんど会話をしなかった。その付かず離れずの距離がオレには楽だった。
今日の無言は少し質が違った。ナオキの機嫌が目に見えて悪い。
クラスが別なのでよくわからないが、放課後に教室へ入ったときにはすでに嫌な空気をまとっていた。クラスメイトたちはナオキを避けつつも気にしている風だった。話しかけるような猛者は一人もいなかった。
出入口でその状況に立ち止まっていたオレを見つけたやつが、まるで救いを求めるような目で見つめてきた。説明もなく求められても何も出来ないのだが。
しかし、オレにもナオキの機嫌を改善することはできない。小学校からずっと友達だが、高校生になった今でもナオキのことはよくわからない。いくつかの大きな喧嘩をして、よくわらないやつなのだと結論付けた。だが、この空気には耐えられない。どう声を掛けようかと迷っているとヤツがオレに気付いた。
ナオキがゆっくりとこちらに来るのを待ち、そのまま一言もなく教室を出た。その時の、クラス全員のほっとしたような表情と、あとはまかせたと言わんばかりな眼差しが恨めしい。
無言で行き先を睨むナオキを横目で伺いながら、こいつのことだからどうでもいいことで気分が落ちたのだろうと思うことにした。これは、オレの心のための解釈だ。長い付き合いから、ここで下手に声を掛けるとナオキの全ての矛先がこちらに向かってくることはわかっていた。そうしたら手が付けられない。
どうしようもないものは放っておく。幼馴染だって多少なりとも成長しているのだ、自分で何かしらに決着を付けるだろう。
ふと、街路樹が朝見た時よりもほんの少し変わっていた。年末まで飾られたままになるだろう電灯装飾を見て思い出した。
本当は電車に乗ってから渡そうかと思っていたが、いつもよりも時間を掛けて歩いているため普段の電車は逃してしまうだろう。電車の待ち時間中も不機嫌だろうから面倒になる前に触れてしまおうと思う。
被害は少ない方がいい。例え大災害だとしても備えあればなんとやらだ。
鞄を開け、目当ての物を確認した。ちゃんとある。
「ナオキ」
「……なに」
予想通り苛立った声だった。しかも睨まれるオプション付きだ。だが怯むことなく鞄から取り出したソレを手渡す。
「はい、メリークリスマス」
「……」
受け取ったナオキはぽかんとしたまま包みを見ている。だらだらと雪を蹴るように歩いていた足まで止まった。同じように立ち止まり、鞄のチャックを閉めた。
まだぼんやりとしているナオキに、ああ、これはきっと、幼馴染は十二月のイベントを忘却していたのだろうと当たりをつけた。
毎年なんとなく贈り合っているためオレの中では行事化していたが、ナオキは忘れていたらしい。ナオキが差し出してきた掌にそっと置いた。その薄い長方形の贈り物を少し眺めたあと二度ひっくり返していた。何か言い出そうとしていることはわかる。
「……そっか、今日、クリスマスだ」
「おう」
「ごめん、お前に渡すやつ家だ。なんで忘れてたんだろ」
「そんな時もある」
「ごめんついでに気になるから開けていい?」
「どうぞ」
遠慮なく破られていく包み紙から顔を出したそれに、ナオキの顔が明るくなった。
「ギフトカードだ……!」
「新しい曲買うときにでも活用してくれ」
「うわ、すっげ、アキってなんでオレの欲しいものわかるの? エスパー?」
「好きなアーティスト見せびらかせてきたやつの欲しがるものはこれくらいだろうと思っただけだ」
数日前にもオレにお薦めだと言ってイヤホンを片方渡すくらい音楽にはまっているのだからと選んだのだが、思った以上に喜んでもらっている。ほっとした半面、贈り主のオレも嬉しくなった。
「やべー、どーしよう。アキの欲しいものなんてわかんなかったからテキトーだよ……、ホントごめん」
ひらひらと居心地悪げにプレゼントで手遊びするナオキは溜息を吐いた後、明日渡すから、と言った。気にすることはないと思いながら、頷いておいた。
先程までとは違い、水溜りを避けながら歩き出す。隣の不機嫌は消し飛び、いつものぼんやりとしたナオキに戻っていた。今なら理由を聞いても被害は小さそうだった。
「お前、なんで機嫌悪かったの?」
「あー……」
包みを大事そうに鞄に入れた後、口を尖らせてぼそぼそと言い始めた。
「最後の授業、英語でさ。真面目に授業受けてたのにキジマに『寝るな!』って怒鳴られて。確かに前の席のやつは気持ちよさそうに船漕いで寝てたけど、オレは起きてたんだよ」
「うん」
「怒る相手違うだろとか思ってたら何か学生指導し始めてさぁ……、授業してくれよって嫌そうな顔したのがバレて、キジマが止まんなくなって。しかもずっとオレのこと見て、お前が悪いんだぞって怒るもんだから、つい」
ああ、なんとなくわかってきた。こいつは我慢の限界に達したんだ。
「前の席、ガンって蹴り上げてた。そしたらキジマが止まっちゃってクラスも凍っちゃって、みんなして何が起きたのって顔してオレ見てくるから余計にムカついてさぁ……。俺じゃなくて今起きた前の席の奴のせいだからと思っても起きた本人は何にもわからねーみたいな雰囲気で更に腹立ってさぁ……」
その後すぐにチャイムが鳴って授業は終了し、キジマ先生は出て行ったらしい。
生徒の取り違いは教師陣にとってあってはならないことだろう。だが、オレから一つ言えることがあるとしたら、ナオキの問題行動についてだけだった。
「お前、それは……、やりすぎだ」
「うん、今は反省してる」
でも後悔してないと言う幼馴染に一抹の不安を感じながらも、ナオキなら明日からもうまく切り抜けていくのだろうとも思ってしまった。
了