聖女を強請れることの証明
視界が暗く染まった。そんな異常事態に驚く暇もなく、触覚や嗅覚や聴覚と言ったあらゆる感覚が失われているのに気づいた。痛覚が全く感じないのにもかかわらず、体がばらばらにされているような感覚に陥る。
驚きの声を上げることもできず、また突然の出来事に思考が働く余地もなく。
気づいたらいつの間にか石造りの床に座り込んでいた。そんな僕らを歓迎したのは、周りを取り囲んでいた全身鎧の集団のざわめきと、
「異世界へようこそ、勇者様方」
白髪に緋色の眼をした、美しい女性だった。
■
王宮の隅にある小さい応接間。無花と小坂は何をするでもなくソファに座り人を待っていた。
まだ朝に召喚されてからそれほど時間が立っていないのにもかかわらず、窓を隔てて見える日はもう傾き始めていた。
「雨宮君と先輩、心配ですねー。まさか悪者と戦わされるなんて」
「ん?んーそうだね」
自分に話しかけられたのか一瞬分からなかったが、しかしこの部屋には二人しかいないことに思い当たり無花は曖昧に答える。
無花たちは召喚された後、聖女を名乗る女性から軽く説明を受けた。それによればどうやら無花たちは勇者として異世界から召喚され、魔王と呼ばれる悪魔と戦ってほしいとのこと。
ではなぜ部屋に二人しかいないのかと言うと、二人、無花と小坂は勇者ではなかったから。勇者として選ばれた雨宮と綴木は王との謁見に、無花と小坂はついていくことは許されずにこの部屋に連れてこられたのだ。
「選ばれなかったのは運が良かったね」
「良かったって言っていのかな……。なんか複雑」
確かに勇者に選ばれませんでしたよ、と言われるのは愉快なものではない。だが意味も分からず戦うことを強制されるのは、無花にとってはもっと愉快ではなかった。
小坂は無意識にポケットに手を伸ばし、スマホを取り出す。しかし、画面を見て嫌な顔をするとスマホをポケットにしまった。
「うぇー、圏外。私たちほんとに異世界に来たんだ。……ね、先輩って名前なんて言うの?」
「先輩?……俺は天津無花。苗字嫌いだから、呼ぶんなら名前で呼んで」
「わっかりました!無花先輩、だね。いい名前」
呼ばれ慣れていない敬称を付けられて、無花は少したじろぐ。
「先輩って大学生ですよね。どこの大学いってたの?」
「ん、東大」
「はっ!?」
自分で聞いておきながら、返答に口をパクパクさせて驚く小坂。
「えっ、ってことは無花先輩頭めっちゃいいの!?」
「いやーどうだろ。まあでも推薦で入ったから、特別頭がいいってわけでも……」
「それでもすごいよ!いいなー。うちの学校からも東大って一人とか二人とかしか行けないし……」
すごいですよ、いやいやそんなことないよの応酬を繰り広げていると、木のきしむ音とともに部屋に一つだけあったドアが開いた。
「お待たせいたしました。コサカさんと、ええと……」
「無花です」
「イチカさん。改めて、私はパクト=イム。イムとお呼びください」
雨宮か綴木に聞いたのか小坂の名前だけ知っていたイム。
ゆっくりと扉を閉めたイムは、小坂が座っていたソファに腰を下ろす。小坂は話をするのに不便になると思ったからか、「じゃあ私もこっちで」と無花の方へ移動した。
小坂が腰を下ろしたのを確認したイムは、こほん、とわざとらしく咳ばらいをすると無花たちを正面から見すえて話し始める。
「まず、無花さんと小坂さん。あの場では魔王と戦ってほしいとお願いしましたが、身体能力向上やその他加護が与えられなかったお二人に、それを頼むには酷。無花さんと小坂さんは戦闘に参加していただかなくて結構です」
勇者には身体機能の著しい上昇と成長速度の増加、その他もろもろの強力な付加が与えられる。
しかし勇者として適合しなかった無花と小坂は、異世界から来たというだけの人間。戦いに駆り出すにもあまりにもメリットがなさ過ぎた。
「お二人には国から仮の住まいを用意させていただきますので、そちらでお過ごしください。必要なものがあれば私まで。……ただ」
イムは一度俯き、言葉を詰まらせる。そして、言いにくそうに告げた。
「勇者様以外、そう長く支援できるものではないと国の方が。長くて二か月程度、それ以降は自身で生活をしてもらうと……」
告げられたあまりにもあんまりな言葉に、小坂は絶句しこちらを見た。無花にしたってまだよく状況が呑み込めていない中、突き放すようなその言葉に驚いていた。
「……異世界から未成年者を拉致して、あとは自分で何とかしろですか。どうやらこの国の倫理は狂ってらっしゃるようで。基本的人権とか知らないんだろうな」
「えっ?無花先輩って未成年なの?」
「十九。っていまそれはどうでもよくて」
無花の若干の怒気をはらんだ皮肉にイムは体を竦める。
怒鳴っているわけでもないのにも関わらず、その言葉には謎の迫力があった。怒りの矛先でない小坂ですら思わず茶化してしまうほどに。
「す、すいません。……でもこれは国の決定なので教会所属の私には何ともできず……」
「ん?っていうか何で国の預かりなのに、教会のイムさんが来たんですか?」
小坂がイムに質問する。
確かにその疑問は無花も感じていたことなので、口を挟まずにイムを見る。
「それはですね、確かに召喚自体は国の儀式で勇者様も国に所属するというかたちなんですが」
と、そこでイムはなぜか誇らしげな表情をつくり、あまり存在しない胸を若干はる。
「この国に、というか多分この世界に召喚魔魔法を使える魔力を持つ人が私以外にいなかったんですよ。召喚魔術の魔法陣も教会保存だったので」
「へえ。それは……すごいな」
魔力、というのが何なのかはっきりとはわからないが、魔法の行使の際に必要になってくる素養のことだろうと無花は推察する。
ということは彼女は相当の才を持っているというということなのだろう。
「ええ。私それだけで聖女になったみたいなものですから。それで、ただ、異世界から何の罪のない人を召喚するのは申し訳なくて……。せめて世話だけでも、と思ったんです」
「……ふーん」
呼ぶのを決めたのも呼んでおいて放っておくのも国の決定。確かにイムは悪くなく、むしろこちらを慮ってくれていたことに無花は少し考えを改める。
しかし良いか悪いかという以前に、無花も異世界に裸一貫で放り込まれて切羽詰まっている。少しでもいい条件を引き出すために怒っている様子を見せるという目的もあったので、申し訳ないと思いつつも無花は言葉をつづけた。
「まあ、だからと言って拉致された事実は覆らない」
「そ、そうですよね。ですからその間、私のできる限りのことをしますのでなんでも言っていただければ……」
「お、言質取れた」
「わっ、無花先輩悪い顔してる」
イムの言葉を聞いた無花は、今まで不機嫌な顔をしていたのが嘘だったかのようににやりと笑う。その顔を見たイムは「えっ、あ、はい」とうろたえつつ、何をさせられるのだろうかとひきつった笑みを浮かべた。
■
「で、それは教会のできる限りのことってことじゃなくて、イム個人としてって意味?」
「え、はい。……まあでも私の権限で、という意味なので教会がという意味でもあまり違いはありませんよ」
「……まじ?」
「ええ。私って結構えらいんですから」