三話 敗北
辺りを青い煙が包み込む。
《紫獄煉炎鎖》の結界の外にいたレインとウィズには爆風すら届いていなかった。
「これ、模擬戦にしては激しすぎない?」
「あれ、最上級幾何魔法ですよ。実力にばらつきがあるとはいえ、中級冒険者に使えていいものではないはずです」
レインが固唾を飲んで見守る中、ウィズはスメラギの魔法を分析していた。
《龍炎業焼刃》は最上級魔法に位置する幾何魔法だ。中級冒険者で使える者は未だ前例がない。
ならばどうやったのか。
恐らくリングを作った際に使った魔法《紫獄煉炎鎖》の効果だろう。あれは発動者にいくつかの補助効果をもたらしていたように見える。
隻眼にも関わらずレクトの魔力操作を真似たのがいい例だ。彼の魔力操作は上級冒険者であろうとも習得できる者は半数にも満たない。事実、大罪の中でもあれが使えるのは三人だけだ。ディーも訓練しているが、完全な習得には至っていない。
「あ、晴れてきた」
煙が晴れ、《紫獄煉炎鎖》の結界消え去った時、立っていたのは二人ともだった。
だがスメラギは息も絶え絶えでこれ以上は無理がありそうだ。
対してレクトは傷を負ってこそいないものの、刀を使っていた。鞘に納まったままである。
「はぁ、はぁ。これだけやってもダメか」
「そんなことは無いさ。流石に僕も刀を振らざるを得なかったよ」
「抜いてねぇじゃねぇか」
「さすがに訓練初日で目標達成させるわけにもいかないからね」
「なんて奴だ」
「さて、今日はこの変にしておこうか。スメラギは休むといい」
レインがスメラギのもとへ走ってきた。
「お疲れスメラギ。凄いよ、あんな魔法使えるなんて!」
「だが目標は達成できなかった」
「それでも凄いよ。最後、レクトに一発いれてたじゃん!」
レインはシュッシュッと拳を突き出しながら言う。
思い出してみれば確かに最後の《紫獄煉炎鎖》を発動する際、初めてレクトに拳が入った。
まあ、その後の魔法は防がれたのだが…。
「もう疲れた。休みたい」
「じゃあ部屋に戻ろう。門」
巨大な門扉が現れる。
スメラギは、フラフラとした足取りで門へ飲み込まれていった。レインがそれに続く。
そのまま扉は閉じた。
レクトとウィズはまだ残っていた。
「スメラギ、ね。彼、本当に中級冒険者なのが不思議だよ」
「最後、混沌使ってましたよね」
「足が拘束されていたからね。そうでもしないと刀を抜くか能力を使うしかなかったよ」
レクトは安堵したように息をつく。
「それよりも。最後の彼の眼見たかい?」
「いえ。それがどうかしましたか?」
「《龍炎業焼刃》を使う時、彼の右目が開いていた。彼自身も気づいていなかったようだけど、あれはもしかしたら…」
「魔眼…かもしれないと?」
「それも上位のね。全く、彼のポテンシャルの高さには恐れ入るよ」
その晩、スメラギはベッドではなく、いつの間にか運び込まれていた絨毯に寝転がっていた。
「やはり素晴らしい寝心地だな」
俺の体はほとんど絨毯に飲み込まれている。あまりの柔らかさと暖かさに既に三度は意識が飛びかけている。
なにせ、風呂上がりだ。疲れを癒し、程よく温まった体ではこの寝心地は犯罪的といえる。
今までの生活水準では及びもつかないことだ。狭すぎる宿の使い古された布団では冬に耐えられない。あの時ほど魔法に感謝したことは無い。
この絨毯を知ってしまったら、二度とあんな生活には戻れまい。
「ベッドは要らなかったかもしれないな…zzz」
はっ!
これで四度目だ。いや今回は完全に眠っていた。ほんの数十分だろうが、完全に意識が飛んでいた。だが少し寝ただけでも案外眠気は解消された。
しばらくは眠れそうにない。
何をしようかと考えていると、日中レインが言っていたことを思い出した。確か扉が他の部屋に繋げられるんだったか。
体を起こし、ラフな格好のままドアへ向かう。ブーツを履き、ドアノブに手をかけ、俺が落下した居間を思い浮かべてドアを開ける。
すると、出たのは確かにあの部屋だった。灯りは点いているいるが人はいない。
自分の部屋に戻り他に行く部屋は無いものかと考えると、俺が目を覚ました部屋を思い出した。あそこへ行ってみるとしよう。
ドアを開けとそこは俺が目を覚ました部屋だった。のだが…。
その時と違うのは目の前の光景だ。というのも―。
「にへへへへ。ふわふわぁ」
少なくとも俺が目を覚ました時、下着姿で絨毯に寝転がる金髪の少女など間違いなくいなかった。
つまり、ここはレインの部屋だったという訳だ。そして恐らく風呂上がりの俺と同じことをしていたのだろう。俺は服は着ていたが。
「え!?スメラギ!?なんで!?」
気づかれてしまった。
「よ、よう。その絨毯本当に気持ちいいよな」
レインの顔がみるみるうちに赤くなっていく。口をパクパクと動かしたかと思うと、何かに気付いたように突然立ち上がった。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってね!今着替えてくりゅから!」
焦って舌が回っていない。というか立ち去ろうと思ったのだが、なぜ待たせようとしたのか。
レインは部屋の奥のドアへと駆け込み、一分もせずに出てきた。寝間着のような物を身に着けており、顔はまだ赤い。
「えと、とりあえず上がって」
上げるのか…。
レインと共に絨毯の上に腰を下ろす。
「どうしたの?こんな時間に」
「いや、ドアを使って他の部屋に飛べると言っていたのを思い出してな。この部屋に飛んでみたんだが」
「そうなんだ」
レインはどこか寂しそうな顔をする。
「そういえば、聞きたかったんだが、レインの異能はどういう力なんだ?」
一転してレインの表情が明るくなる。コロコロと変わるものだな。
「えっとね。口で説明するよりもやって見せたほうがいいかも」
そう言うと、レインは立ち上がり、飾ってあった花を一輪持ってくる。すると花が増えた。ただ中空にもう一輪現れたのだ。
「こんな感じ。私は色欲の異能力者でね、こうやって空間を複製することができるの」
言いながら花を二輪三輪と増やして見せる。そこにある物をそのまま増やす能力ということか。
「それ、人は増やせるのか?」
「あ、うん。できるんだけど、解除したり損傷を受けたりすると消えちゃうの」「でも、複製する範囲を小さくすればするほど消えづらくなって」「細胞単位にもなると消えなくなるんだよ」
いつの間にか正面だけでなく左右にもレインがいた。かと思えば消えてしまった。
「じゃあその力で俺の体を治してくれたのか。礼を言わないとな」
「えへへ。あ、ううん、そんな大したことじゃないよ。それに右目は治せなかったし」
「それでも俺が命拾いをしたのは確かだ。何か礼をさせてほしいくらいだ」
「(優しいね、スメラギは)」
「何か言ったか?」
「ううん何でもない」
「そうか」
しかしとんでもないことだ。傷を治せるどころか細胞レベルとなると、部位欠損を治せる可能性もある。
「あ、そうだ。ねえ、スメラギ」
「ん?」
「お腹減ってない?」
「そういえば…。減ってるな」
思い返してみれば何も食べていない。意識した途端に急激に腹が減ってきた。
「じゃあ食堂に行こう。今日はビーフシチューなんだ」
そうと決まればレインの行動は速かった。俺の手を引きさっさとドアに向かう。
ビーフシチューか、中級冒険者に昇格したっきり食べていないな。あの時は、たまたまギルドに居合わせた中級冒険者のおっさんたちが奢ってくれたのだったな。
レインに連れられて行った居間は様相が変わっていた。大きなテーブルが出ており、ソファは端に寄せられている。そして心なしか広くなっているように感じる。
「こんばんは、レイン様、スメラギ様。お食事の準備は整っております」
「こんばんはオーナー。紹介するねスメラギ、この人はこの屋敷の料理人兼管理人のレグモンドさん。皆はオーナーとかシェフって呼んでる」
「恐れ入ります」
まさにコックといった風貌の初老の男だ。
「やっと来たね二人とも。さあ座って」
先にレクトがいたようだ。その他にもレリアとディーがいる。
「お帰り、ディー」
席につきながらレインが言う。
「おうよ」
ふむ、日中と違い噛みついて来ないようだな。
意外にも、態度とは裏腹にディーの食べ方は上品だ。その口調や風貌などからは想像もできなかった。
レリアはテーブルに突っ伏しており、すでに食べ終わってしまったようだ。
席につくとオーナーがビーフシチューとライスを出す。
「さてさて、どうだいスメラギ、休めたかい?」
「ある程度はな」
「それは良かった」
「お前のせいだろうが。というか、お前魔法を使えないんじゃなかったのか?」
「ああ、それかい?それはね、刀のおかげさ」
レクトは立てかけてある刀を指さして言う。
やはりか。戦闘中、魔法を解禁すると宣言してからずっと刀から魔力を感じていた。刀に絡繰りがあるというわけだ。
「僕の刀は魔剣でね。憑妖呪剣・ムラマサといって、魂が宿ってるんだよ」
「魂が?そんなことがあり得るのか?」
「普通ならありえないさ。でも魂が魂だからね。君も聞いたことあるだろう?混沌の魔女を」
「何?」
混沌の魔女。戦闘中、俺はその名を連想したがまさか本当に混沌の魔女だったとは。
「彼女が宿っているから、僕は魔法が使えたんだ。ちなみに《紫獄煉炎鎖》を見破ったのも彼女のおかげだよ」
確かにそれならば五つの魔法属性が使えたのも道理だ。
「それにしても、君はとんでもない男だよスメラギ。《紫獄煉炎鎖》の補助があったとはいえ、魔法を投げ返せるほどの魔力操作を体得するなんてね」
「あ?オメェ、リーダーの魔力操作を覚えやがったのか?」
「《紫獄煉炎鎖》の補助があればだがな」
「んだとぉ?俺ぁまだ五分だってのに。クソ!負けた」
張り合っていたのか。
ビーフシチューを食べ終えたディーは足早に立ち去ろうとする。
「ディー、どこ行くの?」
「訓練だよ。リーダー、ちょっと付き合えや」
「まだ食べ終わってないんだけど…」
ディーがレクトへと手を伸ばすが距離が離れすぎている。何をしようというのか。
すると、レクトのビーフシチューが宙を舞い、ディーの口へと流れていく。瞬く間に、ビーフシチューは飲み干されてしまった。
「おら、行くぞ」
「はあ。僕、年上なんだけどなあ…」
ディーに付いていくレクトの背中はどこか寂しげだった。