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第九  作者: 天上/トロあ
第二章 異世界転移編
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十六話 伽澤研究室の一幕

 第七島――第七国際魔法研究島――学園内にて、亜真人は研究棟一階にある研究室の一角に居た。と言っても亜真人の実験の所為で危険があるため、大きな研究室の中に亜真人用にスペースが仕切られているというだけである。

 学園内でも一際危険と言われる伽澤教授の研究室ではより実践的な能力の高いメンバーが多く、これは、魔法界での研修経験から来るものだ。未知の事象への対応は勿論、特筆すべきはその戦闘力であり、魔法界帝国軍との交流戦にてパーフェクトゲームを達成したことすらあるほどだ。だからこそ、亜真人も安心して研究ができる。

 亜真人が実験用に床に描いた結界魔法で透明な密封空間を構築していると、研究室のドアが開いた。


「お疲れ~。あれ?亜真人クン一人?」


 入ってきたのは前頭部に植物をモチーフにした独特な模様のある金髪の男だった。亜真人と同じく白衣を纏っているが、その内側には節々に無数の魔法陣が描かれている。


「お疲れ様です。あとの二人はさっき外で見かけたのでそろそろ来るかと」

「あれ?もう来てるって聞いたんだけどな。また寄り道か?ったく、今日は遠征の打ち合わせだってのに」


 手近な椅子を手に取り、抱えるようにして座るこの男は亜真人の二つ上、学園唯一の錬金術専攻学生ユーリ・ニヒド・ベルベットである。


「亜真人クンは今日は何を?」

「今日は向こうと極小の穴を繋げてこちらへの影響を観察しようかと」

「お、漸くって感じ?」

「はい。本当は教授が居る時にやったほうが安心なんですが、時間が無いもので」

「まぁ、教授は亜真人クンのために走り回ってるからね。なら偶然にも暇ができてしまった先輩が監督してあげよう」

「本当ですか。助かります」

「この研究室に招いたのは俺だからね。それに、君の研究は向こうの世界でも前例が無い。世界樹を通らず飛ぶなんて無茶を安定化させるのは世界の歴史を根底から覆しうるくらいの偉業、俺も一枚噛んでドヤりたいじゃん?」

「そういうもんですか」

「そういうもんよ」


 会話をしながらも亜真人の魔法は慎重に起動される。


「あ、それだとマズイかも」


 直方形の結界が完全に出来上がる前に魔法陣はピタリと動作を止めた。


「一応これでも教授からは認可されてるんですが……」

「確かに必要な性能は出てる。けど、異なる結界を重ねると第二波に対応できないっしょ?放射線と違って表面が全部干渉するから。こんな感じに書き換えてみ」


 ホワイトボードに描いた、亜真人のものとはやや異なる魔法陣を指さしながらユーリは言う。


「やってみます」


 石材の床にある魔法陣を消し新たにチョークで書き換えたところでようやく亜真人は理解する。

 確かにこの術式ならば一枚の分厚い結界で必要な効果を全て発揮できる。形もコンパクトになるうえ効率が良い。


「見たこと無い魔法文字ですね?」

「先週のインドネシア遠征で漁った現地の資料にあってなー。ギリ分かったとこだけパクってきた」

「なるほど……直接刻んだとはいえ、理解できなくても使えるのは既存の魔法文字とは明らかに毛色が違いますね」

「だろ?一緒に居た学者は読めるって言ってたけど教えてくれなかったんだよな。遺跡に続きがあるとか何とかって……」


 ユーリがうんうんと唸りながら、同行していた学者の独り言を思い出そうとしているところで、研究室のドアが再び開いた。

 現れたのは魔法生物学部の伊吹(うい)。ユーリと同期で、よく動物に囲まれているところを学園内で目撃される有名人である。


「ごめん、遅れちゃった」

「おせーよ。もう今日しか打ち合わせの時間ないんよ?」

「いやー、学園内にタグのないフクロウが飛び回ってるって報告がめっちゃあってさ。それにまだ他の二人も来てないしセーフ。亜真人君やっほー」

「お疲れ様です、伊吹先輩」


 所々乱れたセミロングの茶色い髪を撫でつけながら椅子に座る伊吹に、亜真人は横目で挨拶を返す。


「学園内に解放されてるフクロウ全部チェックしたのに見つかんないんだよねー」


 伊吹は学園内における肉食動物の管理者の一人であり、主に猛禽類などの行動範囲が広い種を担当している。

 学園内に放たれている動物は原則として識別用の魔法陣を刻んだタグを付けることになっており、これがあれば人間が気概を加えなければ動物と人間双方の安全が保障される。ここに一役買っているのが伊吹をはじめとした生物管理室の面々である。


「魔法動物が本土に定着すると面倒だからなあ」

「そのフクロウとは子のことでしょうか?」


 声のしたほうへ三人が目を向けると、ドアの傍にいつの間にか入って来ていたらしい長い黒髪を簡単にまとめた眼鏡の女がいた。名を喜京彗。天体魔法学部所属で、魔法文字の研究も行っている。


「おー!かも!」


 喜京の足元にはカチカチと音を立てながら歩く小型のフクロウがいた。その足には個体識別用のタグは見当たらない。


「見つけてくれたんだ、スイ。ありがとー。はーい。ちょっと触らせてねー、迷子のフクロウちゃん」

「いえ、たまたま研究室(ここ)の近くにいただけです」


 机の近くにある椅子を振れることも魔法陣を描くこともなく引き寄せると、彗はそれに腰を下ろす。


「集合時間過ぎておいてそれは苦しいんじゃない?喜京ちゃん」

「現在、外の時刻は午後二時五十四分。この研究室は三時九分。十四分二十三秒ずれています。そして集合時刻は三時ちょうど。問題ありません」

「あれ?ホントだ。またずれてる。亜真人クン、知ってた?」


 亜真人は目線だけ送って肯定する。


「教授の研究室なんですから当然のことです。時間を気にしないのはお二人ぐらいのものですし、実験中の希詠君の気を散らすのは控えてください」


 彗の言葉、特に後者には亜真人も内心強く同意していた。

 彼が行っているのは魔法界のランダムな地点と科学界の任意の地点を極小の穴にて接続する行為だ。記録と再接続を何度も繰り返し多数のポイントで試行するため、瘴気地帯や絶魔地帯に繋がろうものならばそこから裂け目が広がり、こちらに汚染が拡大、あるいは異常な魔力場により周囲を消滅させる可能性すらある。

 そんな最悪の事態に対処できる人物は不在。そもそも現象として特殊すぎるため、今の研究室メンバーが集まっても未然に防ぐか遅らせるのが関の山といったところ。

 加えて未完成の術式を使うため制御も難しく、リスクの低い工程といえば実験自体を考えるところまでである。


「ごめんね、亜真人クン。それじゃ打ち合わせしよか」

「問題ありません」


 亜真人はそれ以上何も言わず、抱えた記録用紙にペンと魔法によって収集したデータを詳細に書き込んでいる。


「…………」


 悪びれることのない調子のユーリに、彗は何か言いたげな視線を送っていた。

 すると、フクロウに触ろうとしていた伊吹が唐突にぼやいた。


「ねえ。この子全然触らせてくれないんだけど!」


 フクロウは伊吹の手をするすると潜り抜けながら研究室の中を歩き回っている。


「君は他の子たちよりも賢いのかなぁ。全然動きがわかんない」


 作業台や積まれた段ボールを使って巧みに避ける姿は賢いフクロウとはいえその域を超えているように見える。第一、地面に居る限りは動物が伊吹から逃れることはまず不可能だ。日々、数多くの動物に触れ、研究している伊吹は動物の習性や予備動作などの情報から次の行動をほぼ完璧に予測できるため、彼女を欺くには少なくとも視覚情報でブラフを張らなくては話にならない。


「とりあえず打ち合わせするぞ」

「そうしましょう。さあ、愛もこっちに来てください。現状何かするわけでもなさそうですし、終わってから学園の外に逃がしてあげてもいいでしょう」

「……はーい。いたずらしちゃダメだぞ、フクロウ君」


 追いかけっこが終わったのを察したのか立ち止まったフクロウは伊吹のほうを数秒凝視してから再び研究室の中を彷徨いだした。

 打ち合わせが始まると、彗が亜真人に気を使って離れたところかつ亜真人の研究スペースを区切る強化アクリルのドアを閉めて打ち合わせを行ったため、研究室は程よい静寂に包まれる。


「この魔力は魔獣か?いや違うな。肉食の魔法植物が幾つかあるのか。この国は森がなかなか物騒だな。次」


 亜真人の集中が深くなり囁くような独り言が増えてきた頃、安全性の観点から決めていたタイムリミットを告げるタイマーの音が鳴った。

 キリのいいところまで、ということはなくすぐさま実験を中断する。不安定さが激増した状態での継続は非常に危険だ。どんな理由があれ、続けるべきではない。

 集中が切れたことで周囲の様子が見えるようになると、亜真人の研究スペースに違和感があることに気づいた。陰になっていてわかりづらいが、よく見ればそれは背後のある石造りの柱のような彩度の低い色の、見知ったフクロウであった。


「災域は絶対に避けたいじゃん?だからちょっと危ないルートだけど霊峰のほうがまだ大丈夫でしょ」

「私もそのほうがいいと思います。ガイドも頼めるでしょうし、注意していれば死ぬことはないはずです」

「うぅ……肝試しだと思えば何とか……」


 打ち合わせをしている三人の声が聞こえてきたことで、ドアが開いてることに遅れて気づいた。


「……お前が開けたのか?」


 当然のことだが、フクロウは何も言うことはなく、日輪のような目で亜真人を見つめ続けるだけである。

 正直なところ亜真人はこのフクロウが苦手である。そもそも動物があまり好きではないというのもあるが、知能が高く獣臭もしないという不自然さがそれを際立たせている。

 人形のようにピクリとも動かず凝視され、亜真人は思わず目を逸らしてお気に入りの清涼飲料水を口にした。こういう場合は魔力回復効果のある液体薬のほうが適しているのだが亜真人はその匂いを好まず、何の変哲も無い炭酸飲料を携行している。原液と容器さえあればどこでも作れるのが魔法使いの特権である。


「そういえばルート上にある災域って幾つでどんなの?」

「ちょうどルート上を通過する形で襲来するのが霊峰と恐らくは魔王。後者のほうは報告が一件だけで極めて不確定です。元からルート上にあるのが瘴気の森、こちらは暫く移動しそうにありません。以上の三つですね」

「魔王軍ではない感じ?」

「報告では単身で移動しているようです」

「捕捉できないのがめんどいな」

「霊峰しかないのかぁ」


 実験前は全く気にならなかった外の会話がやたらと耳に入るのは亜真人が集中力の限界を迎えているサインである。


「今はもう無理だな。帰る……には早いか」


 時計を見ると時刻は五時十二。二時間以上も実験をしていたことになるが、開始前よりも時刻のずれが大きくなっており、研究室の外はまだ真昼間だ。

 亜真人はひとまず収集したデータをスキャンしてパソコンに取り込むため、研究室内にある大型の全自動スキャナーに用紙をセットしておくことにした。


「お。今日はもう終わり?」


 個室から出てくる亜真人に気付いたユーリが声をかける。


「はい。これ以上やると研究室が吹き飛びかねません。」


 さすがにこれは誇張である。しかし、嘘ではない。


「ははっ。ならちょっと俺らの話聞いてみない?まだ彼女ちゃん帰れないでしょ」

「あー、やっぱり彼女だったんだあのコ。一緒に居るのあのコばっかりだよね」

「暇なんで聞いていきますよ」

「お茶でも淹れますか?」

「いえ、自前のがあるんで。ありがとうございます」


 亜真人は椅子を引っ張ってきて腰掛けた。

 ユーリは作業台上の地図の二点を指さす。


「じゃあ、亜真人クン。俺達は帝国領の東から出て極醒の塔に行きたい。けど、海を越えた先の連合国領の東から海岸線までの間に災域があってこれを超えなくちゃいけない。その災域ってのが――」

「瘴気の森と霊峰と魔王で、どれを選ぶべきか……いや、どれを選んだかってことですかね?この場合は」


 ユーリは指を鳴らし、指を立てたまま首を傾げて見せる。

 このまま解答しろという意味だ。


「霊峰のほうが妥当でしょう。先輩たちであれば瘴気の森を抜けることはできるでしょうが消耗が計り知れません。対して、霊峰なら時間はかかりますが死亡率は低いはずですし、適切に対処すれば最悪は霊峰が去るまで生き延びられると思います。魔王はもうどうにもならないギャンブルですので祈るしかないですね」

「ご名答。喜京ちゃんがいるから瘴気の森で迷うことはないけど神獣クラスとの遭遇は避けたいし、地球人の血に瘴気は毒が過ぎるからな」

「あ、でも、伊吹先輩は霊峰みたいなのダメなんでしたっけ」

「そうそう。神獣クラスの化け物よりオバケが怖いんだって」

「怖いんじゃなく苦手なの」


 しかし、三人が肝試しと称して海外で行った廃墟探索でユーリがライトを消しただけでギャーギャーと騒ぎ立てる伊吹の様子がバッチリとカメラに収められ、研究室のメンバー間で共有されている。


「でしたら尚のこと霊峰を通るべきでしょう。愛もいい加減に霊体制御を覚えてください。他人の精神を保護するのは酷く疲れます」

「いや、でも…………スイが一緒に居てくれるなら……わかった」

「いえ、今回の遠征で何が何でも体得してください。霊峰では一切精神保護してあげませんので」


 伊吹の表情がみるみるうちに暗くなっていく。

 精神保護は霊体制御に必須の高度な技術であり、死霊や悪魔からの精神支配への対抗手段になる。精神状態に大きく左右されるため、伊吹のように恐怖慣れしていない者や心が弱い者にこそ必須であるが、不得手な傾向にある。

 普段は喜京が伊吹の精神を保護しているが、研究室メンバーの中でも喜京にしかできず、その本人でも災域では消耗が激し過ぎるという。霊峰ではさすがに手が回らないのだ。


「……………………………………………………………………終わった」


 伊吹の目から光が失われる。

 戦闘時とは真逆の伊吹の様子に亜真人は物珍しさを覚えつつ、フォローしたほうがいいものかとユーリのほうを見ると、金髪の男は何を思ったかチーズかまぼこを取り出して食べ始めた。

 急に暗くなった空気の中、ユーリの表情はいつにも増して明るい。亜真人と目が合うとポケットから新たなブツを取り出して手渡す。

 そうしている間にも更に暗く沈んでいく中、喜京が動いた。


「……はぁ。そんなに落ち込まないでください。別に愛を苦しめたいわけですし、私が傍にいるのは変わりないですから」

「………………本当?」

「ええ。どうしても駄目だったら、そうですね……手、くらいは握ってもいいですから」


 流れが変わった。伊吹の顔にいつものような明るさと、理系らしい知性が吹き込まれるかのようだった。


「良いかい、亜真人クン。あれが百合だ。たとえ魔王だろうと間に挟まることは許されない、ある種の結界魔法とも言える絶対の領域だ」

「なるほど。それでチーかまですか」


 女同士のただならぬ関係を好んで観測する物がいるということは、ネット上の友人を介して亜真人も知るところではある。彼あるいは彼女曰く、その尊さと共に噛み締める食物の味は四次元方向へと、常人では知覚出来ないという意味なのだろうが、昇華するのだという。

 しかし、半信半疑で口にしたそれは、残念ながらいつもと変わらぬ味であった。


「いやぁ、うまいうまい」

「どんな味がするんですか」

「ザマぁって感じの味。伊吹の泣きっ面は気分が良いね。こんなのが俺に勝ち越してるなんて信じらんないわ」


 どうも自ら語った百合とは違う部分を肴にしていたらしいユーリは、屈託のない表情で言う。

 常日頃、戦闘訓練で行う模擬戦で伊吹に負け越しているこの男は、腹いせの意味合いで悪戯を仕掛けることが多い。自らの卓越した魔法技術と希少素材を惜しみなく注いだそれは、彼自身の持つ高度な技術故に仲間内でなければ、否、仲間内であっても、下手をすれば身体を欠損する可能性すらある。

 直近に発生した事例では、伽澤研究室のある研究棟に遊びに来た、ユーリの友人である帝国兵が巻き込まれ、右の肩から先が魔水晶化してしまった。


「スマホ、スマホ……」

「――――っ!」

った!」


 ユーリがいつものように伊吹の様子を撮影しようとポケットを漁っていると何かが頭部に直撃した。

 伊吹の指先から放たれた細長いそれは鞭のようにしなって快音とともに頭を打ったのだ。その痕に針のような動物の毛が刺さっている。


「クッソ、油断した」


 言いながら白衣を軽く手で叩くと、裏地に描かれた魔法陣の一つが起動して頭部に刺さった針毛を出血痕ごと消し去った。

 ユーリが煽り、伊吹が制裁する。ユーリは悪態をつくことなく何もなかったかように傷を元通りに治し、反省もしない。いつも通り過ぎる流れに亜真人と喜京が揃ってため息をつく。何故、その魔法技術をこんなことに使うのかと。


「で、この後はどうするんです?」


 亜真人が話を戻そうと声を上げた。


「ああ、そうだそうだ」

「ほら、愛も」

「うん」


 三人とも座りなおし話を再開する。


「ここを超えたら、あとは海だ。喜京ちゃんと帝国軍の航海士頼みになるけど、海流に乗って塔まで近づく。塔の周辺は完全に凪いでるのが分かってるから、船をバラせば()()る」

「帰りはどうするんですか?」

「そこはほら、亜真人クンの()()で迎えに来てくれればなあって」

「…………喜京先輩、資料見せてください」

「構いませんが、何もないですよ」


 未だ伊吹を撫でている喜京が資料を魔法で飛ばす。

 それを受け取った亜真人はそのほぼ完成された遠征資料に目を通して眉をひそめた。

 二十ページを超える紙束の内容はつまるところ、帰還することは前提として考えていないということだった。なお怪しいことに、最後のページには魔法界の言語で人名が羅列されている。よく知る三人の名も科学界こちらの言語で書かれているため、遠征参加者のリストなのだろう。

 本来ならば冒頭に記されるはずの参加者名が最後に書かれ、タイトルには《作戦》の文字が刻まれ、帰還に関する情報は修正され開示されていない。それらの情報がもたらすどうしようもないやるせなさを飲み込むため、亜真人は一度深く息を吐いた。


「到達予定は今から約一ヶ月後。帰ってくるアテはあるんですか?」


 問いかけに意味はない。きっと望まぬ答えしか返らないから。


「だから亜真人クンが――」

「それ以外で」

「……五分、ってとこかな。もし帰れても俺の仮説が正しければ、ヒトのままじゃ無理かな」


 いつか、ナンパに失敗した時のような軽さで言う金髪の青年から、亜真人はこの島、ひいては魔法研究島のルーツ故の風習を正しく理解した。魔法への抑圧が強く、発見以前と大きく変わることなく平和な本土との乖離を。

 ここでは寧ろ賞賛すべきことなのだ。三人の内の誰か――あるいは三人共なのかもしれないが――が帰らぬ魔導の極地に、深淵に至ろうとしている。それを良しとするのが魔法界で育まれた《魔導》の世界の常識である。

 だとしても、学園に来たばかりの自分を何も聞かずにこの研究室に迎えてくれたユーリには分不相応ながらも感謝があり、帰りを望む思いはあった。

 だから()()する。魔法使いとしての常識で以てこの三人をヒトのまま帰す。


「二週間もあれば十分でしょう。論文発表後の調整も済ませて、確実に完成させてみせます」

「そんなに意気込まなくても、五割は帰れるんだけどな……」

「ソースのない五割と約束された十割なら答えは決まっているでしょう。お願いしますよ、希詠君。こちらに情報を持ち帰ってこその遠征ですから」


 喜京が意図せず口にした約束という言葉に亜真人の瞳が僅かに揺れる。それに気づく者はいない。


「三人共帰れなくならないでくださいよ。ただでさえ帝国兵は死体を運ばないんですから」

「だってよ。伊吹」

「や、私は死なないから」


 落ち着いた伊吹が答える。


「はっ。どの口が」

「お?もう一発くらいいっとくか?」

「やってみろや」


 これから行うことに対してあまりにいつも通り過ぎる先輩三人を前に、亜真人は気づかれぬ程度の笑みを浮かべた。やはり自分は、この気張らなさが嫌いではない。

 魔法使いらしくはないが、新たにできた自らの研究の前向きな目的に、しかしそれでいいと思う。もとより魔法使いではなくむしろ研究者のほうが立ち位置としては近いのだから人間らしくて結構だ。


「おー、ズレてるズレてる」

「おつー。って、時間ズレ過ぎじゃね?」

「あ!センパイ、あの子ですよ!さっき話してたフクロウ!」


 魔力でできた肉球のような拳がユーリの頭を打った直後、研究室の扉が開き他のメンバーが数人入ってきた。講義が終わった者達だ。ユーリや伊吹と違って彼らは入室時に時計を確認する。


「おー、お疲れ。……なんだその袋?」


 ユーリが一際大柄な眼鏡を掛けた青年が持つビニール袋を指して言う。


「ん?あぁ、俺ら今日は泊まり込みなんだ。この馬鹿がレポート溜め込んでてな。それより、お前ら明日からいないんだろ。好きなもん奢ってやるから飯行かね?」

「マジ?なら今港に来てる客船行こうぜ。回転寿司」

「いいけどサイドメニューばっか食うなよ?」

「馬鹿お前、ちゃんと握りも食うだろうが」

「ハンバーグな!魚を食え、魚を」

「三人は一緒にどう?」

「行く行く」

「愛がそう言うのでしたら私もご一緒します」

「亜真人クンは?」


 聞かれたところで携帯が一度震えた。その内容に目を通してから答える。


「いえ、この後予定があるので。ご厚意だけ」

「!ああ、そっかそっか。彼女ちゃんに悪いもんね」

「別にそういう訳では……」

「予約取れました!七時半です!」

「まだ全然余裕あるな。ここで時間潰して行くか」


 そうして四人と一羽に新たに三人を加え、とりとめのない会話をしながら時間は加速していくのであった。

 《帝国》は地球の国じゃないです。

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