十一話 帰宅
ちょっと休憩。
ドント誘拐事件―事件というには期間が短いが―があった後、何とも無かったというような顔でギルドに赴いたドントを見た冒険者達は騒然としていた。
俺とレインで煌光神秘騎士団について聞いて回ったところ、世間一般に知られている情報を語られたのみでべガードとブラハについて憶えている者はいなかった。
結局、不明瞭過ぎる情報を報告しても仕方がないと判断して噂のままに任せたところ、飲み過ぎて裏路地で寝ていたということになった。
そして、俺はスティカと同様に魔力が空になってしまったため、まだ日は高いが、屋敷に戻って来ている。
「ただいまー。スティカ起きてる?」
「起きてるわよ」
ベッドから聞こえる声は怠そう、いや、機嫌が悪そうだった。
「…なんか怒ってる?」
「怒ってないわよ」
「怒ってるじゃん」
「怒ってない…」
「目が赤いけど?」
「う…。だって…途中で離脱するなんて……」
スティカにはその先が出てこなかった。途中で離脱してしまった自分の不甲斐なさに怒っているのだが、怒っていることがバレてしまうと、よそに怒りをぶつけているような気がして申し訳なく思ってしまうのだ。
「ああ、そういうことか。それは俺のせいだ。気にするな」
ベッドの傍に腰を下ろしながら言う。
「いえ、私のせいよ。私が不甲斐ないばかりに…」
「そうじゃない。《虹晶光宮結界》は未完成の魔法だったんだ。発動に必要な工程を俺が簡略化したからお前に負荷がかかった。本来なら発動工程を全てお前がやらなきゃいけないのを他の奴が干渉したら未完成になる。そういう魔法だ」
「それって――。…だから限定幾何魔法なのね」
「お前にしかできないって言っただろ?」
「…ええ、そうね」
俯きつつ答えたスティカの赤い瞳は黄みがかった桃色に変わっていた。
「……なんか、仲良さそう」
「ん?なんか言ったか?」
「何でもなーい」
「そうか。ああ、そういえば、なんで俺の部屋なんだ?」
「へ?」
「別にわざわざ俺の部屋に運び込む必要は無かっただろ?」
「そう、それ。私も思ったわ」
「えっとね、この部屋に使われてる錬魔の木だよ」
「スメラギ、知ってる?」
「いや、聞いたことないな」
「当然だよ。錬魔の木は貴重種で、今はもうこの部屋くらいにしか使われてないから」
「へえ、どんなものなんだ?」
「感じない?魔力の回復速度が高まってるの」
「言われてみれば確かに…」
スメラギは空っぽだった魔力がもう二割ほども回復していることに気が付いた。
本来魔力というのは、即時回復のできる薬などを使わなくては一般人なら全快まで一日はかかるのが普通だが、この部屋に帰ってきてからは魔力がみるみるうちに回復している。これならば魔力切れで倒れたスティカをここに運び込んだのは正解と言えるだろう。
「私も半分くらいまで回復したわね」
「半分…?遅くないか?」
「そうかしら?スメラギよりも魔力保有量が多いから別におかしなことはないんじゃない?」
「だとしても、スメラギよりずっと長く回復してるはずのスティカがまだ半分しか回復してないのはおかしいの…かな?私は魔力のことはあんまりよく分かんないや」
「いや、レインの言う通りだ。まあ、考えられる可能性はいくつかあるが…」
一つ、体質によって回復速度が異なる可能性。自然回復力を高めているのならそういうこともあるだろうが、その場合は回復とともに疲労感が増すため、その感覚のない現状では可能性は低い。
一つ、回復するにつれて時間当たりの回復量が減少する可能性。その場合は、錬魔の木は応急処置としての意味合いが強いことになる。しかし、それならば十分に有用であるため、今の時代で認知すらされていないというのはおかしな話だ。
そして――
「スティカの魔力量が異常に大きい可能性。多分これだな」
魔力切れの症状は一般に、魔力切れが起こる直接的な原因の魔力消費量によって変化する。一度に失った魔力が多ければ多いほど症状が重くなるのだ。つまり、魔力保有量が大きい者ほど、《虹晶光宮結界》のペナルティを受けた場合の症状が重くなるのである。気絶するほどの魔力消費ともなれば、上級冒険者の魔法使いが全魔力を一度に消費してやっとといったところか。
「最低でも上級冒険者クラスの魔力量か…。恐ろしいな」
「そうかしら?」
「お前、今いくつだ?」
「十六だけど」
「それでその魔力量か…」
俺も魔力は人より多いほうだが、それでも同じ中級冒険者の魔法使いと同等か少し勝る程度だ。もちろん、スティカの場合は生まれつきの魔力に加えて《虹霓の魔眼》による強化が伴っている。しかしそれでも中々…思わずため息が出てしまう。
「何よ?」
「いや…何でもない」
不平等なことだ。とは元貴族相手には言わないでおこう。
「そういえば、お前これからどうするつもりだ?」
「どうって?」
何のことか全く分からないといった様子でスティカは首を傾げる。
「俺とパーティーを組むか一人でやっていくかって話だ」
「ああ、そうね」
忘れていたというようにスティカが頷く。
と、そこでスティカが手を挙げた。
「はい!スティカの部屋、今準備出来ました!」
「……まあ、断る理由は無いかしらね」
「狙いすましたかのようだな」
「分身出したからね」
三人で話している裏で準備をしていたであろうドアから入ってきたもう一人のスティカが本人の隣で、本人と同じく自慢気に胸を張った。
「へぇ、人も増やせるのね」
「普通の人は、自分が他にもいるっていう事実に耐えきれなくて自我が崩壊しちゃうことがあるから自分しか増やさないけどね」
「それ初耳なんだが…」
「スメラギもやってみる?」
「それ聞いた後で試すと思うか?」
最初にレインの能力を聞いた時から後で試しに増やしてもらおうと思っていたのだが、今のを聞くとそんな気は失せてしまった。それと同時に頼まなくて良かったと安堵もした。自我が崩壊するなど想像したくもないことだ。
「もってことは誰かを増やしたことあるの?」
「レクトとウィズとリアならあるよ。あと、ディーとギルもやったことあるんだけど…二人にはやめろって言われてるから内緒ね」
「ってことはここの六人は大丈夫なのか」
「まあ、レクトには過剰戦力だから異常事態でもない限り必要ないって言われてるけど」
「ねぇ、その人達ってどのくらいの強さなのかしら?全く聞いたことないんだけど」
「スメラギ」
レインが出番だぞと言わんばかりに指名する。逆だろうが。
「まあ、レクトは最上級幾何魔法でも武器を抜かせられなかったな。鞘を一振りしただけで防がれた」
「最上級が効かないって…」
「まあ、最上級幾何魔法とは言っても不完全なものだったのもあると思うが、それよりもあいつ、異能力者なのに属性魔法を五種類は使っていたからな」
「何よその化け物……インチキじゃない」
「でもでも、異能力者の半分くらいはどうにかして魔法の疑似的な行使はしてると思ったほうがいいよ。そもそも異能力者なんて滅多な事が無い限り会えるものでもないけどね」
「ならレインも魔法を使うの?」
「ううん。私自身は使えないい。だけど、誰かが使った魔法を複製すれば魔力消費無しでいくらでも撃てるの」
「とんでもない能力ね」
「先代には、一番慎重に継承者を選ぶ必要がある能力なんだって言われたよ」
それもそうだろう。実際、やろうと思えば無制限に増やせると聞いている。つまり、その気になれば一人で軍隊が作れてしまうわけで、そんな能力を悪用されては洒落にならない。
「他には、レクトが魔剣の力で魔法を使えるし、ギルは能力で発動後の魔法を貯蔵してるかな」
「やっぱりレクトの異常さが目立つな」
いくら魔剣の力とはいえ、異能力者は魔法が使えないという原則を完全に無視している。一体どれほど強大な魔剣なのだろうか。
「よいしょっと」
スティカがベッドから降りた。
「どうしたの?」
「もう十分魔力が回復したから自分の部屋に行ってみるのよ」
「一緒に行こうか?」
「別にいいわよ。行ってみるだけだから」
「そう?」
「ええ。場所だけ教えてもらっていいかしら?」
「ここを出たら右に行って突き当りをまた右に行って階段を昇ったら二つ目の角を曲がって左側の三番目のドアだよ。スティカって書いた札を掛けてあるからすぐ分かると思う」
「ありがとう」
スティカはそれだけ言い残して部屋を出ていった。
そうして一瞬の沈黙の後。
「なあ、レイン」
「どうしたの?」
「スティカにドアの飛び方教えてないのか?」
「そういえば――」
「きゃああああああ!!」
この部屋から少し離れたところからスティカのものと思しき悲鳴が聞こえてきた。
一瞬敵かと思ったが、夜間に路地で襲われても悲鳴を上げなかったような奴が敵を前にして悲鳴を上げる可能性はかなり低いだろう。
「なんで廊下を歩くだけで悲鳴が聞こえるんだ?」
「多分レクト…かな?スティカは顔を合わせたこと無かったはずだから」
どういうことだと言おうとしたが、それはやめておいた。というのも、俺にも一つ心当たりがあるためだ。それは他でもない、この屋敷で最初に目を覚ました直後の出来事である。
「あれ、新しく人が来る度にやるつもりなのか?」
「そういうところある人だし…やってもおかしくないね」
「そうか」
綺麗に分割された石材がひとりでに動く様は、たとえ知っていたとしても初めて見たら驚くなというほうが難しいだろう。しかもそれだけではなく、足場が消え去って落下してしまうのだからスティカの悲鳴も無理ない。
スティカがどんな顔で戻ってくるのかと想像しながら、俺は暇つぶしに適当に魔法陣を描き出した。
「何してるの?」
「魔法の開発ができないかと思ってな」
「いつも暇になるとそんな感じなの?」
「やることが無いからな。普段はギルドの依頼で野宿することもよくあるが、依頼が無いと暇で仕方がないんだよ。そうなればもう、魔法を作るか生きるための知識を入れるかしかないだろ」
「楽しかった?」
「さあな。生きるのに必死だったから知らん」
「あ、それ…」
手の上でころころと魔法陣の形を変えていると、立体魔法陣を描いたところでレインが反応した。
「あぁ、《虹晶光宮結界》か。俺が描くだけ無駄な代物だな」
「それって、いつから作ってたの?」
「なんでそんなことが気になるんだ?」
「だって、スメラギがその魔法陣を見てる時だけ目が輝いてるのに、なんだか寂しそうなんだもん。きっと、何か思い入れがあるんだろうなって思って」
よく気が付くものだ。ギルドでは「何を考えているかわからない」とよく言われるほうなんだがな。
「いつぞやに故人から託されて作り始めて半年くらい前から手詰まりだったんだが、完成に必要なのが自分の力じゃなかったなんて悔しいだろ」
「じゃあ《紫獄煉炎鎖》は?」
「俺が初めて作った魔法だ。炎属性魔法の補助が無いと使えないうえに、発動条件も厳しい。ひどいもんだ」
俺はかなり回復した魔力を使って魔法陣を描いて見せる。
「あれ?そんな色だったっけ?」
レインに言われて手元を見ると、本来ならば赤い炎が発生するはずが、今俺の手元で燻っているのは見覚えのある灰だった。
「……何だこれ」